帰国子女の悩み
大学での仕事に慣れたころ、ひばりは学生たちから「帰国子女のひばりさん」と呼ばれはじめた。
「外国語での課題提出があれば、帰国子女のひばりさんにみてもらおう」
いつのまにか学生たちのなかで課題提出前にひばりに添削を頼む風潮ができあがってきていた。
彼らはたいてい授業のない午後にやってきた。
「文法は大丈夫。でもスペルミスがいくつかあります」
単語のつづりが間違っている箇所にまるをつけていくひばり。
「自分で調べた方が覚えますから。辞書を使って頑張って直してみてくださいね」
「はい!ありがとうございます、ひばりさん」
「いいえ。でも、ほんとに私でいいんですか?日本人の私より、各言語を教えてる先生方に聞いた方がよろしいのでは?」
「いやいや、俺たちはひばりさんの方がいいですよ」
なぁ?と彼がほかの生徒たちに投げかけると、全員が同意するようにうなづいた。
彼らはそろって似たことをいう。
「外人の先生たちに話しかけられるほど語学に自信はないです。かといって、ほかの先生には厳しく指導されるんで自信なくしそうで。でも、ひばりさんなら話しかけやすいし、優しく教えてくれるから、自分たちはひばりさんがいいんです」
男子学生たちの素直で素朴な反応にひばりはいつもほっとする。
彼らの大半はひばりより年下の男子だ。しかも武士とは無縁の平民ばかり。接しやすく馴染みやすい。ひばりもついくだけた言い方になる。
「そうだ、みなさん甘いものはお好き?おまんじゅうがあるのだけど食べない?」
ひばりが箱入りのまんじゅうを広げると彼らは喜んで食いついた。
ひとりの学生が饅頭の箱をじっくりとみている。
「これ、政府が御用達にしてる高級和菓子屋店の饅頭じゃないですか」
「え、そうなの?」
「結構高いもんですよね、これ。いいんですか?俺らなんかが食っちゃって」
「いいのよ、下宿先でもらったものだから。たくさんもらっちゃって食べきれないの。日持ちしないものだから食べてくれると助かるわ」
「へー、ひばりさんも書生暮らしなんだ」
書生暮らしをする学生は多い。みなひばりの下宿先に興味をもったようだ。
「ひばりさんトコの下宿先では、こうゆうお菓子とかよくもらえるんですか?」
「そうねぇ、最近は多いわねぇ。和菓子とかお寿司とか、色々なんだかよくもらうわね」
いいなぁと羨ましがる生徒たちへ苦笑いをするひばり。
正直この貰い物がひばりの最近の悩みであった。もちろん全ての貰い物は久邇からである。
「食べ物はあまったらみなさんにお裾分けできるからいいのだけど、着物とか帯とかまでいただいてしまっていて……」
ひばりには久邇がどういうつもりなのかさっぱりわからなかった。
高級そうな反物までもらったときは、質屋にいれて生活費の足しにしろということなのかと深読みしてみたりした。
「食費や大学で使う教材も面倒みていたいてるから、実質のところ生活のすべてをお世話になっているのよね。なんというか恐れ多いというか…」
もはや怖い、というのがひばりの本音だ。
あとで全額請求とかされないだろうか?もしくはあの家で一生奉公もとい、タダ働きの家政婦をせよとか?でもそれくらいするべきの恩をうけてはいる。どうしよう、やっぱり覚悟して自分から申し出るべきか?
「親身で優しい下宿先ですね」
「え?あ、そうね?そうよね?」
純粋な若き学生たちの言葉を聞いて、ひばりは自分の疑り深さを恥じた。
「きっと女ひとりの力で生活するのはかわいそうだとおもって、色々としてくださってるだけよね」
そうだ、あれは元妻への憐れみだとひばりはおもった。
つまり慈悲を久邇はほどこしているのだ。他意はない。素直に感謝して、今後は自分もちょっとずつお返しをしよう。
そう考えて帰宅したひばりを待っていたのは、さらなる悩みだった。
「なんで、私の部屋にベッド……!?」
突如としてあらわれたクイーンサイズのベッドに目を丸くするひばり。
「さっき業者に運ばせた」
久邇がいつの間にか背後にいた。
「え!?てことは、これも久邇さまが……?」
「アメリカでベッドに慣れて、もう布団は体が痛いといっていただろう?」
「ま、まあ、そうですが…」
たしかにそんなことを話したかもしれないが、ひばりは別にねだったつもりはなかった。
「家主だからといって、こんな高価そうなものまで用意する必要はありませんよ?」
「かけ布団はフランス製の羽毛だ」
ひばりはおもわず手をベッドへのばした。
ふわふわの手触りにおもわずうっとりとしかけるが、値段を想像して手を引っ込めた。
久邇はこちらの反応を観察しているようでじっと見てくる。
「気にいらんのか?」
「え?いえ、その…とても素晴らしい品だとはおもいますが、使ってみないとわからないかなあ?でも使うのがもったい無いかなぁなんて……」
「使え。使い心地を知りたい」
「…あ、ああ!つまり私はモニターですね?試しに使ってもらって、よければ久邇さまが使うと」
「まあ…そうなるか。シェアとでもゆうのか、こういう場合?」
うん?と首をかしげるひばり。
久邇との会話にズレを感じるのは気のせいだろうか?お互い何ヶ国語もしゃべれると、日本語能力に影響があるのかもしれないなぁとぼんやり考える。
「今夜から使え。あとで使用感を聞きに行く」
しばらく固まるひばり。
元夫の言葉をじっくりと頭で噛み砕いて意訳してみる。そうすると、彼は夜にこちらの部屋を訪れるつもりだとおもわれた。だとすれば言葉に出すのもはばかる結論が出てくる。
(あれ?まさかそれはつまり…そういうこと?)
とりあえずひばりはその夜、部屋の扉のふすまを外からあけられないようにした。
夜遅くに外から呼ばれる声がしたが寝たふりの無視を決め込んだ。
ひばりはふかふかで寝心地最高のベットの中、女と武士武士文化を思い出して悶々と悩む。
ふと思い起こすのは、あの料亭でみた久邇と芸者、それに政府高官たちの正妻と妾の存在。
武士の娘として武士の女遊びや妾の文化は理解していても、すでに欧米社会の一夫一妻制をみてしまった帰国子女のひばりにはもはや受け入れ難い。
(妾はもちろんだけど、武士の妻なんて二度イヤ)
彼とは家主と書生ぐらいの関係がちょうどいい、とひばりはおもって眠りに落ちた。




