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下宿先

下宿先をみつけたと久邇から連絡をもらい、ひばりはさっそく見に行った。


「場所は大学のある湯島のあたりだ」


ここだ、と久邇が立ち止まった家は江藤の屋敷に比べれば小さいが、一般的な町家よりは大きい。


「元旗本屋敷らしい」

「さすが元江戸、東京は多いんですね、そういうの。ところで、家主の方はどんな人でしょう?」

「俺だ」


自分の耳をうたがったひばり。

聞き間違いだったかもしれないとおもい、あらためて聞き直す。


「えーっと、このお宅の持ち主はどこのどちらさまでしょうか?」

「だから、俺が持ち主だ」


固まるひばりに久邇はさらに驚愕の事実をあかす。


「最近買った」

「なんで!?」

「金ができたから」


いやそういうことじゃなくて!

ひばりは混乱しすぎて、何をどう聞けばいいのかわからなくなっている。

それを察してかはわからないが、久邇があらためて説明しはじめた。


「家は借りるより買った方がいいと副島さんにいわれた」

「だからって、普通は急にポンっとお屋敷買いませんよ!?お金ができたって…まさか借金!?」

「金を借りるなどいやしいこと俺がするか。最近はあまり使わなかったから、気づいたら金が貯まっていたというだけだ」


ふとひばりは考える。

もしやそれは、アメリカにいたひばりへ送金する必要がなくなったから、金が貯まったということだろうか?そしてその貯まった金でこの家を買ったのか?


(まさか、また私のために自分のお金を使ったの?)


「あのう、もしかしてなのですが…ほんと思いあがっていると、あきれてもらって結構なのですが……」

「長い。言いたいことはなんだ?」

「私のためにこの家を用意して下さったのでしょうか?」

「いや、俺が住むためだ」


ほっとするひばり。


「そうですよね、この家は久邇さまがご自分で住むために購入されたんですよね」


ん?と違和感をおぼえるひばり。


「あれ?でも、今日は私の下宿先へ案内してくれるという話だったのでは…?」

「だから、ここだ」

「…えーと?すいません、ちょっとまだよく理解できてなくて…え?つまり、私の下宿先は久邇さまのお家ですか?」


ニヤリとする久邇。


「そうだ、俺の家に書生として住まわせてやる」


あ然とするひばり。

彼は本気か?それとも自分はまた揶揄(からか)われているのか?


「家賃はいらん。食費と雑費も面倒みてやる。その代わりに家事すべてをやれ」

「は?家事?」

「掃除、洗濯、食事作り。昔やってたんだ。できるだろ?」

「たしかにそうですけど……でもそれはつまり、一緒に暮らすということですか?」

「ああ、そうだな。だから平気だろ?昔とおなじことだ」


彼にしてみればそれだけのことかもしれないが、ひばりにしてみれば違う。


「父上がいませんよ?」


10年前は久邇が入婿のような形で小鷹家にきたため、実質3人暮らしだった。

父親がいたからひばりたちの夫婦生活はもっていたといえる。

ひばりは昔を思い返し、おぼっちゃまで俺様気質な久邇なこの元夫と共同生活ができるのか不安になる。


「父上がいなくて、うまく生活できるんでしょうか……?」

「あきれたやつだ。父親がいないと不安だなんて、いくつになったんだ?」

「え?いえ、ちがくて。そうゆう意味ではなくてですね…?」

「家のなかを見るぞ。俺もまだ見てないんだ」

「ちょ、ちょっと?待ってくださいよ!」


久邇が屋敷のなかへ入ってゆき、慌ててあとについていくひばり。


「そもそも、なんで急に家を買う気になったんですか?江藤さまのとこは?」

「あそこは書生がもう多すぎて窮屈だ。副島さんからいいかげん書生をやめろといわれていたし、ちょうどいいから出ることにした。この家は副島さんが見つけてくれたものだ。なかは整えてあるといっていたが…まあこんなものか」


室内に淡々とした反応をみせる久邇。

一方、ひばりは喜びの色をみせていた。


「この家具、もしかしてすべて副島さまがご用意を?」

「まあそうだな。あの人の家からもらってきた」


室内は畳に襖の伝統的武家屋敷だが、家具はどれも西洋式であった。

絨毯にソファ、テーブル、イスなど、どれもひばりがここ10年で慣れ親しんだものたちだ。正座がツラくなっている身としては、これら西洋家具はひじょうにありがたい。


「こっちの部屋がいちばん広そうだな」


こちらをふりかえる久邇。


「ここを勉強部屋にするか」

「部屋部屋?」

「必要だろ?俺たちには」


ちょっと考えるそぶりをするひばり。


「たしかに私は大学の仕事のため、ドイツ語と理系の分野をあらためて勉強するとおもいます。久邇さまの方はお仕事での翻訳、あるいは外国語文書の作成をここでするということですか?そうなると、辞書などお互いに共有して使える分や参考資料などを置くのにもこの部屋はちょうど良さそうですね」


久邇が満足そうな顔をみせる。


「おまえは話が早くて助かる」


これは褒められているのか、それともすでに先生気取りなのか、ひばりは素直には喜べない。


「勉強机は大きめがいいか?」

「え?まあ、そうですね。辞書をいくつも開いたまま置きたいので、大きめなのだと嬉しいです」

「外務省にあまっているのがある。それをもらってこよう。本棚は買うとして、大きさをどうするかだな。辞書はいくつぐらい持っている?」

「各言語ごとに出版社ちがい、出版年別にいくつもっていますから…ざっと30はあるとおもいます。多分これからも増えるとは思いますが」


習得している互いの言語を久邇が指折り数えている。


「6言語に日本語をくわえて7つか。壁一面におけるものがいいか?」

「できれば背が高く何段もあるものがいいと思います」

「わかった。個人の部屋は好きなところを選べ。俺は別にどこでもかまわん」

「いいんですか?それじゃあ、私は南向きの…」


ハッとしたように気づくひばり。

いつの間にか一緒に住む流れになっているではないか。


「お待ちください!」

「なんだ?」

「私、まだここに住むとは言ってませんよ!?」

「そうか?だがここは仕事場の大学も近く、家賃も食費も発生しない、西洋様式の生活ができる。何より語学勉強に適した辞書や参考本が大量に手に入る。おまえにとって、ここ以上にいい環境の場所はないとおもうが?」


まったくもって彼のいうとおりだ。

逆にいえば、ひばりにとって利点が多すぎるのではないか?

まさかこれも彼の『武士の情け』だろうか?恩師の娘、あるいは元妻への慈悲で面倒をみてやろうという気なのか?

なんにせよ、ひばりは彼から過分な恩をうけている。

世話になりっぱなしで何も返さないのは、武士の娘として恥である。


「……わかりました」


ひばりは決めた。

この家で、彼の世話をすることで受けた恩をちょっとでも返せるならいくらでもしてやろう。


「家の雑務、炊事、洗濯、掃除などすべてきっちりやらせていただきます。書生としてどうぞ、よろしくお願いします」


恩返しの奉公をする。

そんなつもりでひばりは久邇のところで書生暮らしを始めることにした。

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