なんのために帰ってきたのか
ひばりは、外務省の人間たちにアメリカのスパイだと疑われているらしいことがわかった。
誤解だと早く説明しなければ。まずは外務卿の副島に話してみよう。
そう考え、ひばりは副島のいる外務省内の部屋に行った。
すると、なかで多数の人間がざわめいていた。
「アメリカの最新ライフルが手に入るとは本当か?」
副島が久邇の通訳を介して白人男性に尋ねている。
「はい、ミスターソエジマ。知り合いの武器商人から、アメリカ陸軍が採用しようと考えている最近開発されたばかりのものを極秘ルートで手に入れたという話を聞きました」
得意げになって話す白人。
ひばりは彼に見覚えがある。たしか、政府の『お雇い外国人』であるイギリス人の学者だ。
「単発式ライフル、スプリングフィールド1873。価格はいま日本に出回っているスナイドル銃と同じ値段程度」
アメリカの最新式銃器がこんな極東で旧式ライフル銃と同じ価格で売られている?
ひばりは怪しいとおもったが、副島はあまり気にしていないようだった。
「陸軍が喜びそうな話だ。このままこの話を持っていってもいいが、それだと外務省には何も利益がないな」
「では、外務省で購入して陸軍へプレゼントするというのはいかがですか?私が彼と交渉して弾のほうもサービスさせましょう」
妙に積極的なイギリス人学者に違和感を感じる。
だからか、ひばりは余計かもしれないと思いつつも、つい口をはさんでしまった。
「副島さま、念のためにアメリカ行使にご確認をされてはどうでしょうか?本物の最新式かどうかを確かめてから購入をした方がよろしいかと思います」
イギリス人学者が不快そうな顔をしてこちらをみた。
「お嬢さんはたしか新しいアメリカ行使と仲がいいお友達だったね?だったら彼は弁護士あがりの議員だというのを知ってるだろ?武器や軍のことに関しては素人さ。むしろ知られら邪魔されるかもしれない」
副島や外務省職員たちにむけて話すイギリス人学者。
「黒船の大砲で開国を迫るような横暴な国だ。日本の軍備増強など好ましく思うはずがない。日本には弱いままいてもらった方が都合がいいとアメリカは考えているさ」
「そんなことないわ!」
おもわず声を大きくするひばり。
「アメリカは自由、平等、人権を重んじる国。どの国にたいしても、対等な立場での交流を望んでいるはずよ」
「これは、おもしろい。お嬢さんは日本人のクセして、ずいぶんとアメリカの肩をもつんだね」
ひばりはハッとして言葉を失った。
気づけば周囲の外務省職員たちが疑念の目をこちらへ向けていた。まるで敵ではないかと怪しんでいるような視線だ。
10年前と同じだ。この人たちには自分の言葉は届かない。
「ミスターソエジマ。彼女と私、どちらが日本のために話しているか、おわかりですよね?」
副島は周囲の人間たちから意見を聞いてたのち結論を出した。
「その交渉にはわが外務省職員と陸軍の人間も立ち合おう。実際にそのライフル銃をみせてもらいながらね」
ああ、やっぱり信じてもらえなかった。
ひばりは虚無感をおぼえた。
「最終的に購入の判断は君にまかせよう、日下君」
「了解しました」
あの人も他の人間と同じで、自分を信じてくれなかったんだろうか?
ひばりはすがるような思いで久邇をみた。
彼はわずかに眉間にしわをよせている。困っているようにも、ひばりをあわれんでいるようにもみえた。
そしてゆっくりとこちらへ近づいてきた。
「帰れ」
何度も言われた言葉。
だが、今度はどこか優しいように聞こえた。
久邇が日本語からオランダ語に言葉を変えた。
『あなたの父上は、こんなことを娘に望んでいない。あなた自身のためにも、ここへはもう来るべきじゃない』
オランダ語はふたりで父から初めに教わった一番特別な言語だ。
懐かしい響きと、彼の言葉に、ひばりは涙が出そうになった。
ひとりで歩く帰り道、心で父に問いかける。
なぜ自分は国を飛び出してアメリカへ渡ったのか?あの10年間はなんだったのか?
ひばりは、なんのために日本へ帰ってきたのかわからなくなった。