Struggling bird
ひばりの就職活動は難航していた。
原因は『元夫』だ。
久邇がひばりを翻訳局で冷たくあしらっていた。
「経験のない素人は邪魔だ。そんなにここで働きたいなら茶汲みでもしてろ」
あぜんとしたひばり。
だが、ここで負けてはいけないし、揉めるのも得策ではない。
周囲の人間たちがいるのだ。印象は大事である。
こうなったら彼のいうとりにしてやろう。
「わかりました。下っ端の仕事からやらせていただきます」
ひばりはにっこりと快く引き受けた。
これで翻訳局には入れた。
あとは本命の仕事の好機を待つのみ。
「誰か手伝ってくれないか?この英文資料、今日中に翻訳したいんだ」
即座に手をあげるひばり。
「はい!私がー!」
「俺がやろう」
久邇にさえぎられた。
結局その仕事は彼に取られてしまった。
『元夫』による妨害は続く。
ひばりが白人男性にお茶はいかが?と尋ねたときだ。
「おや、日本人女性が英語を話せるとはめずらしい。どこで覚えたんだい?」
「アメリカです。10年ほど暮らして、大学にも行きました」
「ますますめずらしいね。それじゃあ、この僕の仕事なんかも手伝えるんじゃないかい?日本語の資料を英訳して欲しいんだけど、みな忙しいそうで、ずっとここで待ってるんだよ」
即刻ひばりは引き受けようとした。
だが、そこへ久邇が割り込んできた。
「Monsieur」
フランス語だ。
どうやらひばりが話しかけた相手はフランス人だったようだ。
信じられない。
先ほどまで仏頂面だった久邇が愛想よくほほ笑んでいる。さらに声音まで柔らかくし、楽しそうに会話している。
フランス人が去っていくと久邇の愛想も消えた。
「まだいたのか?」
ひばりの方を向いた久邇はいつもの無愛想な彼にもどっていた。
「邪魔だ、帰れ」
彼の豹変ぶりにひばりはわが目を疑う。
まるで春から極寒なみの急激な変わりようだ。
「二重人格?それとも私に対する差別ですか?温度差で風邪をひきそうです」
「いっている意味がわからん」
「日本語と外国語のときで、あなたの性格がまるで違うといっているんです!さっきまであのフランスの方とニコニコと話していたのに、日本語に戻ったとたん私には冷たい態度。どういうつもりですか?」
「ただの処世術だ。特別意味はない」
「つまりあれは営業用のウソで、日本語のこっちが本音ということですか?」
「そうだ。わかったら帰れ。フランス語もわからん人間などここにいらん」
ひばりはあ然とするしかなかった。
こんな日々がしばらく続いた。
とうぜんストレスが溜まった。
「なんだって、あの男は私の邪魔ばかりしてくるのよ!?」
ひばりは親友のイザベラへ愚痴をこぼしていた。
「もしかして密航で迷惑かけたこと、まだ怒ってるのかしら?それに対する嫌がらせ?」
「そうじゃないと、私は思うわね」
イザベラが飲んでいた紅茶をゆっくりとおいた。
「彼、あなたのこと疑ってるんじゃない?」
「疑う?どうゆうこと?」
「あなたがアメリカのスパイじゃないかってことよ」
思ってもみなかったことをいわれ、ひばりは固まる。
「怒らないで聞いてね?あなたは、国に父親を殺されて密航して出ていって、10年ぶりに帰ってきた人間よ。私たちならまず信用しないわね」
イザベラはアメリカ公使館の人間として話している。
「しかもライバル国の行使代表と一緒に仲良く帰ってきた。スパイじゃないかと疑うには十分の材料だわ」
「でも、外務卿の副島さまは外務省の出入りを許してくれたわ」
「野放しにしておくより、手元に置いておいた方が安心ってゆうのもあるわ。それこそ、ヨコハマの居留地と同じ考えよ」
「それじゃあ、翻訳局での仕事を妨害されるのは、国の機密を盗まれると疑われているから?」
申し訳なさそうに肩をすくめるイザベラ。
「私たちだったら、そう考えるわね。あなた、もうずいぶん翻訳局に通い続けてるのに、まだ仕事がないでしょう?そのことに外務卿やほかの人間は何も言わないの?もっとあなたを気にかけてくれないの?」
イザベラの指摘はもっともだ。
誰も久邇の妨害を止める日本人も、ひばりに声をかける日本人もいない。
「……これじゃあ、10年前の父上のときと同じだわ」
「え?」
「父上が国の反逆者だと怪しまれて疑われたとき、娘の私も同じように見られたわ」
昔にうけた、周囲からの偏見と差別の混じったまなざし。
これをひばりは忘れていない。忘れられないのだ。
「また、私は同じ目にあっているということなの?」
「ごめんなさい、辛いことを思い出させて」
「いいの、あなたは正しいもの。でもまさか、今度はあの人まで私を疑ってるなんて……」
父を最後まで信じていたのは、ひばりと久邇だけだった。
しかしその久邇が今度は自分を疑っているというのか。
胸が痛む気がした。
「ヒバリ」
イザベラが優しくひばりの手にふれた。
「国のために働きたいという心は立派だと思うわ。でもそれよりも、私はあなたに幸せでいて欲しいわ」
自分の幸せ?それは、日本で国の役に立つ仕事をすることではなかったのだろうか?
ひばりは迷い始めていた。