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第9話 訓練の成果

 アルバの訓練は厳しかった。


「声が小さいです! もう一度!」


「はい!」


 パンと叩かれた手に、ロラと並んで直立不動の姿勢をとる。こんなに大きな声を出したのは、転生してから初めてではないだろうか。


 黒大理石で造られたホールで、背筋をぴんと伸ばし、腹の底から出しても声がまだ足りない。


(きっと、明日には声が少し掠れているわね)


 前世では、体育祭の応援などで散々声も出していたが、今のエリシアの体は、貴族に必要な歌謡以外では、喉を鍛えることはほとんどない。


 うふふふふと同じ笑顔を続ける耐久力レースになら自信があるが、さすがにこの発声は別物だ。


 やりながら完全に息は切れてしまっていた。それでも過酷な訓練の甲斐はあったようだ。


「元帥閣下のお帰りです」


 夕方、玄関に立つ兵から知らせが伝わるやいなや、屋敷にいた全ての使用人たちが、一斉にホールに並んで列となる。


 カツン!


 黒ブーツの踵と踵を合わせる鋭い音が、扉が開くのと同時にホールへこだました。


 いよいよだ。この時のために、朝からずっとアルバの訓練のもと、一挙手一投足の動きを磨いてきた。


 スッと、深く息を吸う。


 そして、前を向くのにあわせて、下ろしていた右手を鋭い角度で額へと持ち上げていく。同時に、赤い唇を開いた。


「無事のご帰還を祝し、元帥閣下に敬礼!」


「敬礼! お帰りなさいませ!」


 ざんと音が鳴りながら、公爵家の使用人たちが、一斉に黒手袋に包まれた右手をピシッと額に持ち上げていく。一糸乱れぬ動きは、さすがは武門の筆頭だ。


(いやあ……、これ昨日到着した私が見ていたら、絶対に引いていたわ……)


 今自分が号令をかけたとはいえ、なんだろうこの軍隊式出迎えという疑問が、見ている間にも頭に浮かんでくる。


 しかし、敬礼する一同を見渡しているラウルの顔は、この光景が当然といったものだ。


「うむ」


 使用人たちの顔を見回しながら、出迎えにはおかしなことがないというように頷くと、カツカツと歩みを進めていく。しかし、瞳がエリシアの顔に辿り着いた瞬間、カツンと鋭い音がして足が止まった。


「お前――!」


「お帰りなさいませ、旦那様」


 びっくりするのも当たり前だ。なにしろ、今のエリシアの服装は、出迎えのみんなと同じく黒手袋に黒ブーツ。


 さらに、ドレスも普段のものとは違い、黒のツーピースでできた騎士服にも似たデザインを身につけている。


(まさか、ここまで出迎え方が文官派とは違っていたとは!)


 黒手袋と黒ブーツをアルバから渡された瞬間には、今から剣の特訓でも受けるのかと思った。


 ツーピースのドレスは、ブーツと手袋の色に合うように着替えたものだったが、さすがにこの出迎えの作法は、社交界で形式的にだけ顔を合わせていたのでは知らない武門の常識だ。


(あら? では、昨日の結婚式のあとの出迎えは、ひょっとして私に気を遣ってくれていたのかしら?)


 みんな戸惑った顔で、エリシアの実家に近い挨拶をしていた。


 ふと頭に浮かんだことを思い出したが、その間にもラウルの顔は、エリシアの前へとずいっと突き出されてくる。


「なんで、お前がここで、そんな格好をしている!?」


 見つめてくる怒ったような緑の瞳に、今考えていたことは頭の中で霧散してしまった。代わりにエリシアは、にこっと完璧な笑みを浮かべる。


「私は、あなたの妻ですもの。やはり夫の出迎えは、妻が行わねばと思いまして」


「アルバ!?」


 ライトグレーの髪を乱して、ラウルが慌てて振り返っているが、メイド統括官は冷静な顔だ。


「私が、奥様に武門の作法をお教えいたしました。奥様は、この家で武門の妻となる決意を固められたようです」


「なに!?」


 アルバの返事に、ラウルが理解できないというように緑の目を見開いている。


 だが、そのラウルの背を、エリシアはぐいっと後ろから強引に押した。


「旦那様は、やっと今日のお仕事を終えられたのでしょう? きっとお疲れだろうと思って、私も心をこめて夕食を準備したのです」


「どうせ、また芋の皮を剥いてすり潰しただけだろう?」


「いいえ! 今度は、一回だけ野菜を切るのもいたしました!」


「それでよく心をこめて準備したと言い切れるな!?」


 くわっと緑の瞳が開いているが、これぐらいは予想範囲内だ。


「まずはできるところから一歩ずつと思いまして……。ほら、戦闘でも、初心者がいきなり戦略の主軸を担うのは無理でございましょう?」


「その前に、俺ならお前みたいな新兵には土嚢運びの基礎体力作りからさせるが……。野菜運びのほうが、役にたったのではないのか?」


「まあ、でも、それでは、あなたに切り刻んだ私の愛情を食べてもらえませんもの!」


「その前に、愛情を切り刻むと言い切るのはどうなんだ!?」


 間近で緑の瞳が睨んでいるが、さらりとかわす。


「まあ、冗談はさておき。下働きでもいいから、厨房で手伝わせてほしいと料理長にお願いをしましたの」


「強引に今の件から逸らしたな……。だが、その頼みなら、なぜ彼はお前に野菜運びを命じなかったんだ……」


「それは、卵割りを頼まれたからです! 一つ残らず、殻だけは入れないようにして、粉々にしてくれと頼まれました!」


「やっぱり粉砕系か!? お前、確実に壊し屋と厨房で思われているじゃないか!」


「あら、これも信頼を得た証ですわ」


 絶対に違うと、ラウルが側で半眼になっているが、本当は厨房に入らせてもらうのも手伝わせてもらうのにも苦労した。


 朝のことがあったからだろう。夕方近くになって再度厨房に現れたエリシアに、料理長もぎょっとした顔をしていたが、こんな時には必殺泣き落とししかない。


「豆の石臼挽きでも、ふかしたジャガイモの潰しでもなんでもいたします。どうか旦那様の食事の支度を手伝わせていただけないでしょうか」


 潤んだ瞳で、両手を合わせながらお願いしたのが効いたらしい。


「なんで潰すもの限定なんですか……。だが、奥様の命令なら仕方がない。あれを割ってください」


 見たテーブルの先にあったのは、大量の卵。どうやら壊す系にかけては、腕を見込まれたらしい。もしくは、なにをしても原形をとどめなくすると思われたのか。


「はい! これなら、カンタン!」


 喜んでと籠に手を伸ばしたところで、側に書きかけの料理日誌があるのに気がついた。


 オレンジ色の表紙をパラパラとめくる。どうやら中には、ここ二ヶ月ほどの間に出されたすべての料理が書き込まれているようだ。


 普段の食事で出す料理。午餐や晩餐で客に出すおもてなしを兼ねた料理。騎士たちとの軽い会食。


 記されているのは多彩な料理で、日誌を見ているだけでもおいしそうだ。しかし、めくっているうちにあることに気がついた。


「あら? 旦那様の料理には、人参とブロッコリーが使われていないのね?」


 普通ならば、どんな料理でもよく使われる食材だ。肉料理の添え物やスープの具材でも、一番よく書かれていてもおかしくはない食材なのに、日誌のラウルの欄には、不自然なほどこの野菜の名前が見えない。


 エリシアの呟きに、後ろでは、料理長がばさっと持っていたほうれん草の束を落とした。


「まさか――お嫌いなの? 旦那様は、このおふたつが」


 にやっとわらう。だが、振り返った料理長の顔は、信じられないぐらい青ざめている。


「お、奥様……! これは公爵様からは、元帥のメンツに関わるため、騎士たちには決して知られないように、と言われていることでして……!」


「あら、言いふらしたりなんかしないわよ。誰でも嫌いな食べ物の一つや二つはあるわよね」


 それにと笑って付け加える。


「私だって、ズッキーニは苦手だわ。同じように好き嫌いがあると知って、旦那様にも親しみが湧いてくるし」


「奥様……!」


 料理長は手を組み合わせてホッとしているが、エリシアにすれば、最高の情報を手に入れた気分だ。


(よいことを聞いたわ)


 これを昨日の復讐に役立てないでなんとしよう。

 

(さて、ラウル? 私に怒鳴りつけた覚悟はいい?)


 にこっと笑いながら、エリシアはゆっくりと料理長のほうへ向き直った。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ラウル氏、ツッコミのキレが素晴らしいですね。 料理の粉砕と破壊担当になったエリシア様と愛情まで切り刻むというツッコミが面白かったです。 [一言] 私はブロッコリーと人参は好きですが、ズッ…
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