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第7話 初戦開幕!

 次の日の朝、レオディネロ公爵ラウルは、きりっとした顔で食堂へと入ってきた。綺麗に梳かれたライトグレーの髪に、切れ長の緑の瞳。


 朝早いから寝ぼけた顔を見せるかと思ったが、どうやら意外と寝起きはすっきりとしているらしい。


 アイボリーの壁紙が貼られた食堂で、中央に置かれていた金で縁取りがされた黒い椅子にかたんと座ると、どうやら周囲の様子を見回しているようだ。


「――奥方は、まだ起きてはいないのか」


 その動作は、きっとこの美しい食堂の造りにも慣れきっているからだろう。背にした二つの大きな窓からは光が溢れ、部屋の壁に飾られている様々な花の絵を柔らかく輝かせている。


 正面に一つだけ大きく描かれているのは、この国の伝説になった初代たちだろうか。


 岩山を背景にして、乞い求めるように頭を下げる立派な青年に、剣を持った男が応えるように手を伸ばしている。


 きっとこれは、今の王朝の初代が即位するのに力が足りず、当時国内で最大の軍事力を持っていたレオディネロ家にお願いをして、援助をしてもらったという故事を絵にしたものなのだろう。


 よく見れば、剣を持った男は、少しだけ今のラウルと面差しが似ているような気がする。


 同じライトグレーの髪に、緑の瞳。だが今、そのラウルの緑の瞳が見渡す先では、使用人たちはひどく戸惑った顔をしている。


「奥様は……」


「寝ているのならいい。起きたい時まで、寝かせてやれ」


 ラウルの言葉にも、使用人たちは互いに顔を見交わすばかりだ。


 だから、エリシアは立っていたところから歩み出ると、ラウルの前にことんとスープを置いた。


「どうぞ。今朝は、鴨肉とじゃがいものポタージュスープです」


「ああ……って、お前!? なにをしている!?」


(よし! 度肝を抜いてやった!)


 これでとりあえず昨夜の溜飲は下がった。


 スプーンに伸ばしかけていた手を慌ててラウルが置いているが、こちらはその顔を見るために、今日、朝日が昇るのと同時に起き出したのだ。


 せめて、それぐらいは驚いてもらわないと困る。


 だから、エリシアは周りにとけ込んだお仕着せの紺色のドレスを身に纏いながら、頬に手をあててにっこりと笑った。


「なにって――あなたの妻として、朝食の手伝いをと思いまして」


 周りの使用人たちの顔がみんな微妙なのは、エリシアがメイドと同じ服装を身につけて立っていたからだ。


(この顔をさせるために、本当に苦労した!)


  なにしろ、持ってきたドレスはすべて公爵令嬢かそして公爵夫人らしい、一目で身分がわかる華やかなものばかりだったからだ。


 だから、今朝、起きてすぐに、ロラが持っている予備を借りに行ったのだ。


 身につけてみれば意外と軽いその服で、厨房に現れたときのみんなの顔といったら!


「どうか新しくこの家に入った者として、少しでもお手伝いをさせていただきたいのです!」


 内心、しおらしい顔ならまかせておけと、厨房で両手を握って懇願すると、一瞬呆気にとられていた料理長は、我に返ったらしい。


「ここは奥様みたいな良家のお嬢様が仕事をする場所じゃないですよ。悪いが、ほかをあたってください」


 口こそ身分に触れて丁寧に断っているが、本音では得体の知れない妻を、厨房からはじき出したいのが見え見えだ。


(舐めるんじゃないわよ! こちとら猛獣使いとまで言われた筋金入りの演技力よ!)


「刃物を持ったことがあるって言うのですか? 文官派のお嬢様が? それとも暖炉の火で調理をしたことがあるとでも?」


「刃物ぐらいなら、持ったことがあります! こう見えても、芋の皮むきなら褒められたことがあるんです!」


(前世だけど)


 そこまで言う必要はないだろう。食い下がると、急に料理長の目が胡散臭くなった。


「へえー。そこまで言うのなら、やってみてください」


 言うやいなや、どんと目の前に置かれたのは、籠いっぱいに入ったじゃがいもだ。


「それで……朝から、メイド服で厨房の隅で芋の皮むきをしていたと……?」


 聞いているラウルのこめかみが、ぴくぴくと引きつっているように見える。


「はい。やはり、まずは形からと申しますので。ですから、結果はともかく、私の心意気を示したこの服に、芋を預けてくださったみたいで――」


「待て。結果はともかくとは、どういう意味だ?」


(うっ、意外と耳ざとい!)


 鋭い緑の瞳に一瞬体が強ばったが、別にたいした意味ではない。だから、にこっと、誤魔化すように笑った。


「大丈夫。味は保証付きでおいしくできましたから――」


「なにかを微妙に隠した言い方が気になるのだが? まさか、完璧令嬢だから完璧にできたというわけでもあるまい?」


「ええ、もちろん私は完璧といわれた令嬢ですよ。ですから、剥いたあと、三分の二になって渋い顔をされてしまった芋も、見事に全部剥き直して無事に解決いたしました!」


「つまり、芋の剥いた皮からもう一度実を削ったのか!?」


「はい。あれだけの量からは、さすがに身を削る思いでした……。でも、それだけにおいしくできたと思います」


 そっと涙を浮かべるふりをすると、相手はひどく呆れたようにこちらを見つめている。


「ふん――つまり、見た目はともかく、味は完璧と言いたいのか?」


「はい! 私が関わっていませんから!」


「それでよく味は保証付きなんて太鼓判を押せたな!?」


 話にならん――と、ラウルが立ち上がる。


「あ、ラウル! 一口だけでも!」


「ラウルと呼ぶな! 今日はもういい! 食べる気が失せた!」


 大股で歩いていくが、絶対にこのまま諦めるつもりはない。


(これで負けてたまるものですか!)


 そうでなければ、破滅フラグは、間違いなく自分を呑み込もうとストーリーごと迫ってくるだろう。


  だから、エリシアは急いで皿を持つと、廊下に飛び出したラウルのあとを追った。


「待ってください! なにも食べないのでは、体に悪いですよ!」


  湯気のあがるスープ皿をお盆にのせて、急いで追いかけていく。


 だが、さすが元帥まで務める生粋の軍人だ。歩く足は、既に紺の絨毯が敷かれた大階段へとさしかかっている。


「待って! ラウル!」


「ラウルと呼ぶな!」


 いらいらとしたように返される返事に、階段の周囲にいたメイドたちが何事かと振り仰いでいる。ラウルの振り返った眼光は、騎士でも竦みあがらせるぐらい鋭いものだが、それで負けるわけにはいかない!

 

(なにしろ、処刑がかかっているんだから!)


 今、目の前で刃物を持ち上げられているのならばともかく、ここで怯んでは、あとは死刑にまっしぐらだ。


「でも、それならなんてお呼びすれば――。あ、旦那様?」


 何故だろう。今公爵が足を踏み外しかけたのと同時に、メイドたちが思わず吹き出していたような気がする。


「それとも、ご主人様とか? あ、結婚したのならあなたとか?」


 色々脳内の知識を持ち出してみたが、ますますメイドたちが苦しそうな顔になっていくのは、どういうことだろう。代わりに、額を押さえていた公爵から地を這うような声が聞こえてきた。


「わかった……名前は、好きに呼べ……」


(やった! これで、とりあえず悪妻エリシアルートからは一歩脱却!)


 エリシアは、最後までラウルのことを公爵と呼んでいたはずだ。肩書き呼びから、個人名に――。まさにプライベートでの関係を築けた証ではないか!

   

「では、ラウル。一歩夫婦関係が前進したお祝いに、ついでにこのスープも飲んでみませんか? あなたの愛妻が頑張って作ったんですよー」


「待て。愛妻という情報操作もともかく、お祝いのついでってなんだ!? さりげなく俺にスープを食べさせようと画策しているな!?」


(おおっ! ツッコミ力が抜群!)


  小説で読んでいるときは、こんな能力があるとは思っていなかった。もっと生真面目な悲劇のキャラのイメージだったのに。


「色々と瞬時に気がつかれて嬉しいですわ。ですから、私の真心を受け取って、ぜひ一口だけでも召し上がってみてくださいな」


「真心といったが、お前がしたのは皮を剥いただけだろう? しかも、二倍の時間をかけて」


「とんでもない! 粉々に粉砕もしましたのに! 棒で叩いてそれはじっくりと!」


「それが、真心か!? むしろ、お前が俺を憎んでいるというほうが、よほどしっくりとくるんだが!?」


(うっ! 鋭い!)


 たしかにジャガイモを粉砕するときに、ラウルのこの陰険な眼差しを思い出して、棍棒を叩きつけていた。だが、それを悟られるわけにはいかない。


「まさか――私は、旦那様が食べやすいようにと思いまして」


 悲しそうに微笑んでみせるが、本当は少しだけ脂汗が滲んでいる。精一杯の演技なのに、ラウルは呆れたように溜め息をついた。


「どうやらご主人様以外の呼び方は、すべて使う気だな? だが、いらんと言ったらいらん!」


(くっ……! なんて頑固な!)


「そうでなくても、結婚式に無理やり時間を空けたから、仕事が山積みなんだ。今日は一日軍部で仕事だ」


「で、では、お着替えをお手伝いいたします!」


 慌てて階段を一緒に上りかけたが、くわっと目を開かれる。


「いらん! だいたいお前にとって、俺は王家に押しつけられた結婚相手だろう!? なんで、俺の妻のふりをしたがる!?」


「それは――――」


 破滅したくないから。とは、言えない。


(どうしよう……)


 一度唇をぐっと噛んだ。


「たしかに……経緯はそうですが……」


 ゆっくりと微笑みながら、顔を持ち上げる。


「縁あって、夫婦になった仲ですもの。それならば、やはりあなたとの縁を大切にしていきたいのです」


「はっ! つまり、お前は命じられれば、誰が夫になっても素直に従うということか!?」


「それは――!」


 そんなはずはない。エリシアが十年間、フェルナン王子のことを想いながら過ごしてきた日々は、そんなに軽いものではなかったはずだ。


 ただ、物語の筋が決まっていたせいで裏切られたのならば、この悔しくて悲しい気持ちも、少しはそれを理由に紛らわせられると思っただけで。


 だが、黙ったことで肯定と思われたのだろう。ぎらりとラウルの緑の瞳が輝いた。


「ならば、俺はそんな忍従するだけの妻はいらん!」


「あ、ラウル――」


 階段を上っていく背中を慌てて引き留めようと、手を伸ばす。


 けれど届く寸前に振り返られた。


「うるさい! そんなに俺の妻のまねごとがしたいのなら、その服のとおり、この家の掃除でもしてみろ!」


 できるはずがないだろうが――という緑の瞳に、強く盆を握りしめる。


 そして、そのまま階段をのぼっていく背中を、エリシアは立ったまま見つめ続けた。怒りで震える手で盆を必死に持って。ラウルの放ったその言葉を、利用することを考えながら。



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