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第6話 思い出した物語

 前世のエリシアは、どこにでもいる普通の学生だった。


 郊外で育ったから、通学はいつも山道を走るバス。電車がないわけではないが、駅を経由して行けば、どうしても通学時間は倍以上かかる。


 なによりも、混んでいる電車より、人が少なくてゆっくりと座れるバスのほうが、学校に通いながら本を読めるのでありがたかった。


 あの日――大雨で、突然土砂が崩れて、運悪く下を通りかかったバスごと崖下に呑み込まれるまでは。


 まるで煙るような灰色の雨が降ってくる中で、最期に見えたのは、ボンネットがぐしゃぐしゃになったバスから転がり出た自分の血にまみれた腕と、さっきまで読んでいた大好きな本だった――。


(――亜美が、お勧めよと言って貸してくれたのに……)


 ごめんねと、雨の中、動かない唇で小さく謝る。本の大好きな彼女が、ぜひ読んでと特別に貸してくれた一冊だったのに、自分の血にまみれさせてしまった。


「すごく面白い話なのに……」


(ああ……、受験が終わったら、私もこんな世界で主人公と一緒に活躍してみたかったなあ……)


 雨の中、遠い崖の上から呼びかける声が聞こえてくるが、もう目を開け続けていることができない。


「お母さん、お父さん……ごめんね」


 そして、本を貸してくれた亜美に心の中で詫びる。


(もしも、まだ生きることができたら、こんな人生もいいなあ……)


 主役のラウル・レオディネロ公爵と王国の再建を誓いながら――――。


「あーっ!」


  甦ってきた記憶に、エリシアは手をついていた絨毯から飛び起きた。


(そうよ! 思い出したわ!)


  急いで再度部屋の中を見回すが、目に映る光景は、どれも挿絵で見た部屋とうり二つだ。


「ということは、やっぱり――」


(私が、この世界の悪役!?)


「待って、待って! 私は、たしかにラウルと一緒に生きてみたいと思ったわよ!?」


(だからって、それが彼の悪妻ポジションってどういうことよ!?)


 よりによって、気に入っていた主人公の敵役に転生してしまった! だがいくら違うと思いたくても、部屋にあるミントグリーンのカーテンとベッドは、彼の悪妻エリシアが夫と喧嘩をするシーンで描いてあった挿絵の家具そのものだ。


「ちょっと……落ちついて、状況を整理してみましょう」


 顔が引きつりながら息をしたが、頭の中はどうにもまだ混乱している。


 前世の友人から借りて読んだ『救国の獅子伝』は、異世界のエル・ランモデレス王国という国を舞台としたファンタジー小説だった。


「エル・ランモデレス王国……ただの偶然というには、長すぎる国名よね……」


 むしろ縮めろと手紙で国名を書くときに何度思ったかしれない。略語の美学はないのか――――と、心で密かに毒づいていたことは内緒だ。


 そこで活躍する主人公は、ラウル・オルキデア・レオディネロ公爵。


 若くして国家を二分する派閥の元帥家を継いだ彼は、国庫を浪費する王妃と、その王妃を溺愛してやまない国王の無策ぶりを嘆いていた。


 相次ぐ天災で国土は荒れ、民や騎士たちからは、王家と並ぶ一族として国王を諫めることを求める声ばかりが届いてくる。


 だが、王家も民に慕われるレオディネロ公爵を警戒したのだろう。


 まるで彼を試すかのように、王子が捨てた婚約者との結婚を命じたのだ。王子が、神殿の認める水晶姫と恋に落ちたからという身勝手な理由で。


 無茶を押しつける王家に憤慨する公爵には――実は、幼い頃から心に決めていた初恋の女性がいた。


 しかし、まるでレオディネロ家の忠誠を試すがごとき縁談で悩む彼を見て、幼馴染みは自ら身を引いてしまう。


 そこで出てくるのが、この物語の鍵となる人物エリシア・マルガリタ・バルリアスだ! 王家からお下がりとして妻を押しつけられ――そのせいで幼馴染みとも破談になったラウルにとっては、エリシアはとても愛せる存在ではなかった。


 冷え切った形だけの夫婦関係に、エリシアはどんどん享楽の道へと堕ちていく。


 愛してくれない夫の代わりに、文官派の様々なサロンに出入りをし、心の穴を高価な品で埋めるようにレオディネロ家の財産を浪費した。それだけに留まらず、あらゆる浮き名を流すエリシアは、夫の名声に泥を塗りまくった。


 そして、婚家での寂しさに耐え切れなくなった彼女は、再度敵対しているはずの王家と接近し――家門の極秘情報を洩らして、とうとう処刑されてしまうのだ。夫であるレオディネロ公爵ラウルの手によって!


「だから、なんて私がよりによってその悪役なのよ!?」


 たしかに死ぬ前に、この『救国の獅子伝』の主人公であるラウルと、一緒に生きてみるような人生もいいと思った。


 妻との一件を境に、王家と袂をわかち、自らが王になる道を歩いていくラウル。


「ええ、かっこいいわよ! その重要イベントで殺される役が、私でさえなかったらね!」


 一体、エリシアがなにをしたというのか――。


 物語の中でも、現実でも、ただ自分に求められた役割をこなそうと頑張っていただけだったのに。捨てられ続けて、ついに心が折れてしまったことに、非があるというのか。


 けれど、そこでハッとなった。


「待って! さっきの私の考え……」


(たしか、記憶を思い出す直前に私が叫んでいた言葉は……)


『いいわ! そっちが私を認めるつもりがないのなら――! 私だって、こんな相手を夫に認めるなんてご免よ! 好き勝手に生きてやるわ!』


 考えていた内容を思い出して、さあっと顔色が青くなってくる。


(まさに、さっき私が思い出していた通りの筋書き――!)


 危なかった。まさか自分でも気がつかないうちに、決められたストーリーの通りに、動いていたなんて!


(待って! でも、よく考えたら、原作と違うところもいくつかあるわ!)


 まず第一に、物語のラウルは、あんなに陰険な性格ではなかった。


(あーでも、口数が多くない真面目な性格って……現実化したら、あんな感じになるのかしら?)


 読んでいる時は、自他共に厳しく、時に優しく、シーンによっては幼馴染みへの想いを見せる彼にほろりときたものだが、実体化すると碌でもない……。


(ただの陰険な冷血野郎じゃないの! あんなのの恋を応援するんじゃなかったわ!)


 本編では、彼を案じた幼馴染みが泣く泣く身を引いた悲しい初恋だったが、今現実を見ていると絶対に違う。


(あれは、これ幸いと私に押しつけたのよ!)


 てっきり自分が押しつけられた妻だと思っていたのに、ここにきて、まさかの夫婦揃って残り物だった疑惑が持ち上がる。


(たしか、本編では、ラウルと別れたあと、すぐに別の人の許へ嫁いだことになっていたけれど……)


 今から離婚して、その人にラウルの伴侶の座を譲れば、自分の破滅フラグは回避できるのだろうか。


「いいえ、無理よ……!」


 カーペットの上で、手をぐっと握りしめる。カーテンと同じミントグリーンの敷物で彩られた部屋は、自分がこの物語の悪役エリシアであるということを示しているが――。


「ここが現実である以上、私が今離婚すれば、実家に多大な迷惑がかかるわ」


 宮廷を二分する勢力争い――物語と同じく、噴火などの相次ぐ天災で疲弊しきったこの国の民を、これ以上困らせるわけにはいかない。


(これは、王太子妃候補として最高の令嬢といわれた私の意地よ!)


 さっきは自暴自棄になって、あやうく話の流れに乗るところだった。しかし、これがなにか物語の力が働いているせいだとしたら、たとえそうなる運命でも、自分が生きてきた十八年間を否定されるつもりはない!


「とにかく、現状を整理しないと――」


 すでに物語は、どこまで進んでしまっているのか。


 国内で相次いで起こった天災。


「うん、天災のところも合っている」

 

 うんうんと立っている首を振る。


 子爵家という低い家柄の生まれで、国王と熱烈な恋愛結婚をした王妃。


「まさか、そんな昔から物語が動き出していたなんて――」


 そして、王子がエリシアの紹介した水晶姫レヒーナと恋に落ち、いらなくなった婚約者をレオディネロ家へと押しつけた――。


「はい、今まさにここ!」


 エリシアにとっては、明らかに、もう取り返しがつかないところまで進んできている。


「ここからどうすれば、私が破滅しないですむのか――」


 物語の中では、エリシアは監獄に閉じ込められた挙げ句、最期は夫の手によって処刑されていた。


「ああああ! やっぱり手遅れ感がすごいー!」


 もう完全にルートは、悪妻死亡フラグまっしぐらだ。


「待って! だけど、悪妻にならなかったら……?」


 ふと、口にした言葉に、ハッと俯いていた顔を上げる。


「そうよ! 悪妻にならなければいいのよ!」


 思いついてみれば、簡単な話だ。エリシアは悪妻となり、夫の名誉も地位も蔑ろにしたせいで断罪された。


「それなら、彼から愛される妻になれば――――」


 一石二鳥! 自分の破滅フラグは回避できるし、これまでに培ってきた矜持も守ることができる!


「待っていなさいよ、ラウル! 私は、必ずあなたをおとして、溺愛ルートに持ち込んでやるから!!」


 そして、あのラウルに自分を熱い瞳で見つめさせ、口づけを懇願させるのだ。


「そうよ、これよ! 結婚式のキスも初夜もいらないと言った男が、どんな顔で私に迫るのか――」


 考えただけで、面白くてたまらない。


 やっと、心がうきうきとしてくるのを感じながら、エリシアは物語で悪妻エリシアが好んでいたミントグリーンのベッドへと潜り込んだ。


 明日からどうしようかと、作戦を考えながら――。



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