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第34話 水晶玉への返事

 突然扉を開けて駆け込んで来た人物の姿に驚いた。


「ラウル!」


(どうして、ラウルがここへ?)


 疑問が口に出るよりも早く、ラウルは見渡した目で中の状態をすぐに察知すると、そのまま腰にある剣へと手を伸ばす。


 そしてすぐに抜き、エリシアへ襲いかかろうとしていたフェルナン王子の剣を切り砕いた。


「うわっ!」


 普通ならば、剣先が折れるのだろう。だが、フェルナン王子が持っていたのは、妖精が変化した剣だ。バキンという音とともに、切り砕かれた妖精が床へと散っていく。


 それと同時に、ラウルが拳を振り上げた。持っていた鞘を捨てた手で、そのままフェルナン王子の右頬を正面から殴りつける。


 普段から鍛えた戦闘慣れをした動きはさすがだ。フェルナン王子の体は、遠くの床へと飛び、一度跳ねてから、そこへ転がる。


「どうして、主人公が……」


 存在を見られてはまずいと思ったのだろう。物語の展開に影響するからか、出てきた本の化身である神は、白い文字の描かれたベールを纏いながら水晶の中へと消えていく。


 そして、残ったフェルナン王子の体の側に寄ったラウルが、鬼のような形相で睨みつけた。


「これは、いったいどういうことだ!?」


 そう叫びながら、転がった王子を見下ろしているラウルの緑の瞳は、怒りを湛えたものだ。


「なぜフェルナン殿下が、我が妻エリシアを手にかけようとしているのか!?」


 仕事で、常に歴戦の猛者と渡り合っているラウルだ。剣を握ったまま放たれる怒気は、フェルナン王子と側に駆け寄ったレヒーナなど完全に圧倒している。


「エリシア」


 動くことも忘れて見入っていたが、後ろから響いてきたもうひとつの声に、エリシアは慌ててそちらへと目をやった。


 そして、ハッと顔を輝かせる。


「お父様!」


 そこには、先ほど王宮の廊下で別れた父の姿があるではないか。


「あのあと、すぐに戻って、陛下にエリシアとの約束があるのかと尋ねてみたんだ。そうしたら、そんな呼び出しは知らないと言うし、すぐ側まで来ていたお前が陛下の部屋にやってくる気配もない。それで、あの時見た案内が、王太子宮に仕えている者だったと思い出したので、急いで王宮に来たレオディネロ公爵に連絡をしたんだ」


「そうだったの……」


 おかげで、危ないところを助かった。もし父が機転をきかせてくれなかったら、今頃エリシアは床に転がる死体になっていたかもしれない。


「どこにも傷はないか?」


 そう尋ねながら、父は心配そうにエリシアを見つめている。だから、柔らかく首を振った。


「大丈夫よ、お父様たちのおかげで無事ですんだわ」


 まさか、本がここまで執拗にエリシアを狙ってくるとは――。


 思ってもみなかったから、助けに来てくれたことを本当に嬉しく思いながら、首を軽く横に振る。


「う……」


 その間も、フェルナン王子は、怒ったラウルに睨みつけられたままだ。


 たが、その怒りが尋常ではないことを表情からも悟ったのだろう。


「僕は、ただ……エリシアが寂しい思いをしているようだったから、仲直りをしようと……」


「嘘よ! そのふたりは、自分たちの結婚を認めてもらうために、私にレオディネロ家を裏切って、レヒーナの補佐役になれと言ったのよ!」


「なっ……!」


 その言葉には、さすがに、ラウルも父も驚いたようだ。


「そうでなければ、水晶の占いで、この世界が崩壊すると出たからとか言って……。武門派へ言うことを聞かせるために、私にレオディネロ家の秘密の情報を渡せとも言ったわ」


 レヒーナとフェルナン王子が言っていたことをありのままに伝える。だが、父は神殿のお告げなどを盲目的に信じるタイプではないし、ましてや、ラウルは最前線で命のやりとりをすることもある仕事だ。世界が崩壊するという話は虚言に映ったのだろう。


「俺の妻を利用して武門派を支配しようとは……! これが、長年王家に忠誠を誓ってきた元帥家に対する仕打ちか!」


 カッとその瞳を見開いている。


「このレオディネロ家の夫人に手を出したこと。そして俺の妻に裏切りを唆した件は、王太子といえども、ただではすまさん! 俺は今回のことで陛下に殿下の廃嫡を申し出る!」


 ――王太子の廃嫡。


 それは、もうフェルナン王子をこの国の跡継ぎとは認めないということだ。


「そうでなければ、俺は今後王家に従うつもりはない! 俺の妻であるエリシアへの重ね重ねの無礼、フェルナン王子のその身をもって(あがな)ってもらおう」


「そんな……!」


 驚きながら、レヒーナとフェルナン王子がこちらを見つめている。


「ま、待ってくれ! どうしてだ!? そこまで言い出すのは、エリシアが僕たちの味方をしてくれなかったからか!?」


 そう叫んでいる王子は、どうやら水晶が出した『エリシアが味方にならなければ破滅する』という占いを思い出したようだ。


「だったら、エリシアをもう一度説得する。レオディネロ家の情報をくれと言ったのは、言葉のあやだ。ただ、エリシアがレヒーナの補佐役を務めて、僕たちの味方になってくれれば――。なあ、宰相。そうなったら僕たちのことを認めて、お前ならこのまま僕の後見を務めてくれるだろう?」


 しかし、フェルナン王子のその言葉にも、父は静かに首を横に振っている。


「殿下には申し訳ありませんが、私も今回のことには憤りを隠しきれません。どうして、エリシアに剣を振り上げていたのですか?」


「それは……エリシアを説得するために……」


「そんな理由で、もう少しで我が娘が殺されるかもしれない状況だったとは……」


「脅しだ、殺す気はなかった!」


「扉の向こうで、エリシアに叫ぶ『殺さなければならない』という言葉が聞こえましたぞ。さすがに今回の件は許すことができません。もし陛下が、我が文官派が、これからも王家を支持することをお望みならば、代わりに私は殿下の廃嫡を願い出たいと思います」


「そんな!」


 フェルナン王子とレヒーナの顔が、衝撃を受けたものになっている。その前で、いつもは穏やかな父も、文官派筆頭家門の娘であるエリシアへの度重なる無礼には憤りを隠しきれないようだ。


 ――ましてや、今回は殺されるかもしれない事態だったのだ。


「そんな……まさか、占いの予言がこんなにも早く本当になるなんて……」


 がくっとレヒーナが床に両手をついた。


 だが、元々その予言が、エリシアだけでなく、レヒーナもフェルナン王子も破滅させるためのものだったのだ。


 少しでも彼らに、その予言で裏切られることになるエリシアを思う気持ちがあれば、破滅は回避できたかもしれなかったのに――。


 自らが招いたともいえる破滅に、打ちひしがれているふたりを見つめる側で、ラウルはエリシアの横へとやってきた。


「大丈夫だったか? 君が王太子宮に連れていかれたようだと聞いて、本当に焦った……」


「ラウル……」


 それは、きっとエリシアが、フェルナン王子との過去で受けた心の傷を知っているからだろう。


「また、君が傷つけられたらどうしようかと思った。だけど、まさか殺されそうになっているとは――間に合って、本当によかった……」


 そう言いながら、強く抱き締めてくる。


 それは、おそらく、ラウルは、ふたりを信じて裏切られたエリシアの心の傷を心配していたのだろう。しかし、来てみれば、まさかの殺される寸前だったのだ。ラウルがこんなにもホッとした表情になるのもわかる。


 その姿を、そっとエリシアを抱き締め返した。


 温かい。そして、誰よりも安心する胸だ。


 抱き締めてくれる腕は強くて、いつもエリシアが傷つけられそうな時には助けてくれる。


「公爵家に帰ろう。これからは、もう二度と、君を誰にも傷つけさせたりはしないから――」


「ええ――」


 頷いて見つめれば、ラウルの瞳が優しげにエリシアを見つめている。なんて真っ直ぐな瞳なのだろう。彼の瞳の中にいる自分の姿が、すごく安心しているのがわかる。


 だから、その眼差しに包まれて、一緒に歩き出そうとすると、後ろから声がかかった。


「ま、待ってくれ! エリシア、僕たちの言い方が悪かった。だから、これからもどうか僕のためにもう一度――」


 何度も繰り返される自分勝手な言葉に、心底呆れてくる。


「私は、元帥であるレオディネロ公爵の夫人です。なので、この件に関しては夫の考えに賛同し、私からも殿下の廃嫡を願い出たいと思います」


 はっきりと言い切れば、フェルナン王子とレヒーナの顔が絶望しきったようになっている。


(親友だ、婚約者だと言いながら、このふたりは自分たちの利益しか考えてはこなかった――)


 レヒーナにすれば、水晶玉の出した破滅という結果が怖くて、こうなったのかもしれない。しかし、最初にエリシアを裏切ることを、もっとためらう気持ちがあれば、こんな結果は防げたかもしれないのに――。


 物語が王家の破滅に向かっているとは知らず、操られていたのは哀れともいえる。


 だが、それを選択したのはふたりだ。


 エリシアよりも占いを信じて、捧げられた友情を切り捨てたのだから、その結果を不憫に思う必要はないだろう。


(結局――)


 転がった水晶玉を見ながら、ぽろっと心の中で呟いた。


(あなたの考えた流れではないけれど、望むとおりにはなったのね。ラウルと宰相家は王太子を見限り、王家への最初の反旗を翻した)


 エリシアが生きることで、だいぶ物語のエピソードは飛んでしまったみたいだが、結果として物語の大筋には沿ったようだ。だから、水晶玉を見ながら、心で告げる。


(安心して。これからは私が、ラウルが王になるまで支えていくから――)


 だから、その側で生きることを許してほしい。ラウルが王になる結末には、協力していくから。


 そう心の中で呟くと、それが聞こえたのか、水晶玉が一度きらりと光った。そして、静かにただの澄んだ玉へと戻っていく。


「では、待っているみんなのところへ行こう」


 そう言って、ラウルが優しくエリシアの肩を抱き寄せてくれる。


 結局、まっすぐに頑張ろうとしたおかげで、エリシアは破滅の運命から救われたのだ。そして、ラウルも、心に消えない傷を負わずにすんだ。


「うん――」


 だから、エリシアは見つめてくる緑の眼差しに包まれながら、柔らかくそう声を返した。



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