第31話 訪れた展開
なぜ今頃フェルナン王子が、エリシアに用があるのか――。
手ひどい言葉と態度で裏切ったのは、目の前にいるフェルナン王子のほうではないか。
思いながらエリシアは、青い瞳で現れたふたりの姿をキッと睨みつけた。
「お久しぶりでございます、フェルナン殿下。レヒーナ様」
言葉だけは正しく、完璧な挨拶で応じる。だが、そこにかつてのような親しさは微塵もない。
「お招きはありがたく思いますが、生憎と本日は国王陛下からのお呼び出しで宮中へと参りました。陛下をお待たせするわけにはいきませんので、ご用は後ほど改めてということで、本日は失礼させていただきたいと思います」
はっきりとそう告げると、退室の礼をして、すぐに踵を返そうとする。
「待て!」
「待って!」
後ろから慌てたフェルナン王子の声がして、すぐにレヒーナが側へと駆け寄ってきた。
そして、紺色のドレスの腕に取りすがるようにして、エリシアを見つめる。
「待って……、エリシア。私たち親友だったでしょう?」
(自分で裏切っておいて、なにを今さら……)
正直な感想としては、それしか湧いてはこない。しかし、腕に縋るレヒーナは、紫色の瞳に、涙を浮かべて見つめている。
「それが、なにか? もう過去の話だわ」
「過去ではないわ! 私にとっては、エリシアは今でもかけがえのない友達で……!」
「そのかけがえのない親友の婚約者を奪ったのは、あなたでしょう? 今さら私たちが仲良くする理由なんて、どこにもないと思うけれど?」
冷たく言い放ち、エリシアが腕を振り払うと、レヒーナは愕然としたような表情を浮かべた。
そして、歩き出そうとしたエリシアに、再度前のめりになって追いすがる。
「待って……! フェルナン殿下とのことは、本当に悪かったと思っているわ……! でも、あれは水晶が示したからで……」
必死に言い訳をするレヒーナに呆れた。では、エリシアは、レヒーナの中では、水晶の占いよりも下の存在だったということではないか。
「そう。それならば、謝罪だけは受け入れるわ。許せはしないけれど」
結局、レヒーナの中でエリシアはそれだけの価値しかなかったということだ。いくら物語でストーリーが決まっているとはいえ、裏切ってもいいと思われる程度の親友だったなんて――。
苦々しい思いで前を向くと、その姿にレヒーナは再度両腕で縋りついてきた。
「ごめんなさい、エリシア……。でも、お願い。どうか、私たちを助けてほしいの」
「助ける?」
意外な言葉に、思わず足を止めて振り返る。
なぜ、彼らに捨てられた自分が、ふたりを助けなければいけないのか――。
疑問に思って見つめたが、レヒーナは、やっとエリシアが足を止めてくれたのでホッとしたのか、澄んだ白い顔がパッと輝く。
「ええ……そうなの。婚約はしたけれど、実は、私たちの結婚式が、宮廷で反対されていて……」
それは、当たり前だ。エリシアは、王家を支える文官派筆頭宰相家の娘だった。その令嬢を捨てて行った婚約だ。しかも、そのエリシアを嫁がせたのが、文官派と敵対している武門派筆頭の元帥家なのだから、両方の派閥から好意的な反応が得られるわけがない。
「当然でしょう? それぐらいは予想の上だったのでは?」
「で、でもね。水晶で出た占いの結果を陛下に話したら、せめて私がエリシアと同じくらい王太子妃としての教養を身につけたら、皆様を説得できるかもしれないとおっしゃって……」
それが宮廷を納得させるための最低限のラインということか。
だが、同時に難題でもある。
「でも、何年も妃教育を受けてきたエリシアのように、私が突然なるのは無理だわ……」
「だから、レヒーナと相談して、エリシアお前をレヒーナの補佐役にしてはどうかということで話が纏まったんだ!」
「なっ――」
堂々と悪びれもせずに言い放つフェルナン王子の言葉に、愕然とする。
「どうして、私がレヒーナの補佐役になんて……!」
「お前ならば、妃教育のすべてを終えている。どんな場面で、どう振る舞えばいいのか、レヒーナにすぐに教えられるだろう?」
「それにね、エリシアは派閥の違う武門への輿入れで、辛い思いをしていたでしょう? 最近、将軍たちはエリシアを認めたそうだけれど……。肝心のレオディネロ公爵閣下は、結婚式では、誓いのキスすら拒んで、披露宴もしなかったと聞いたし……。それに最近、ほかの女性の家から朝帰りまでしたそうじゃない? 口ではエリシアを正妻だと言っているみたいだけれど、本当は、その女性が愛人だという可能性もあるし――」
「なっ……!」
レヒーナの口から飛び出したあまりにも無礼な言葉に、思わず絶句する。
「だから、私、エリシアのことが心配で……。私のせいで、エリシアが、今もそんな辛い境遇にいるのかもしれないと思うと……」
あまりの言葉に、不快感がひどくなり、それが冷静にふたりを見つめさせた。
「お生憎ですが、アギレラ将軍令嬢マルティナは、元帥閣下とそういう関係ではありません。それに彼女には、元帥閣下も認めたきちんとした婚約者がおります」
「だが、それはカモフラージュかもしれないだろう?」
くすりとフェルナン王子が、嘲るようにエリシアを見つめる。
「お前は人がいいからな。こういうことでは疑うということを知らないから、心配なんだ」
それは、昔、自分たちの裏切りにも気がついていなかっただろうと言っているのだろうか。
(よくも、そんなことを……!)
どの口が、そんなことを言える資格があるというのか。
改めて腹が立ってくるが、そのフェルナン王子の言葉に、レヒーナが後を追うように言葉を続ける。
「お願い、私たちエリシアを傷つけたことを後悔しているのよ。だから、これ以上エリシアに、武門で辛い思いをさせたくはないわ。だから、今ここで仲直りをして、また昔のように三人ですごしましょうよ?」
「ああ、お前ならば、みんなを認めさせられるぐらい立派な補佐役が務まる」
どれだけ自分たちのことしか考えられないのか――。
馬鹿にしないでと叫ぼうとした。エリシアを心配するふりはしているが、本当は、ただ単に自分たちが認めてもらうために、再度エリシアを利用しようとしているだけではないか。
だから、背筋を伸ばして、拒絶をはっきりと伝えようとした。
それなのに、次の瞬間、フェルナン王子の口から続いた言葉には、ぎくりと体が強張ってしまう。
「それに今のお前なら、武門派に僕たちの結婚を賛成させるしかないような、レオディネロ家のなにか特別な内部情報も知っているだろう? それを僕のために教えてくれたら、今度は婚約者とはいかないが、僕の最愛の友人として迎えてやるぞ?」
その言葉に目を見張った。
(ああ、これは――)
やっと、なぜこんな展開が、今急に起こっているのかを理解した。
突然襲ってきた物語のシーンに、強く拳を握り締める。
(これは、今、本の中であったエリシアの裏切りシーンが始まっているのだわ……!)




