第20話 夜会の準備
朝までの気分が嘘のように、エリシアはウキウキとしていた。
まさかラウルが、ふたりが結婚した披露目を考えてくれるなんて!
本にはなかった展開だ。だから、エリシアは衣装戸棚を開けると、両親が嫁入り支度として用意してくれた新しいドレスの中から、どれがいいかと心を弾ませながら選んだ。
「たしか今日の夜会は、イサギレ将軍のお宅で開かれるのだったわね?」
あとでラウルから聞いた招待してくれた相手の名前を思い浮かべ、衣装棚にかかっているドレスを見つめる。
「はい、元帥閣下からはそのようにお伺いしております。イサギレ将軍といえば、たしか元帥閣下のお父君のもとで、アギレラ将軍と並んで、軍部の双頭といわれた方ですよね?」
「ええ、ずっと武門の重鎮だった方と伺っているわ。ただ、お年を召されたので、最近は前線から退かれ、後進の指導にあたっておられるとか。それほどの重職にあった方のパーティーに招かれたのなら、この紫のドレスのほうがいいかしら」
そう言って取り出したのは、父がエリシアが誰にも軽んじられないようにと、有名な服飾師に命じて作らせた、息を呑むような一品だ。紫の布地が品格をもって輝き、どんな席でも見劣りをしない格式の高さを醸し出している。
フリルも宝石も贅沢にあしらった、王族と思われてもおかしくはないほどのドレスだ。
「これなら、旦那様の側に並んでもおかしくはないと思うし……」
おそらくラウルは、いつもの軍服だろう。正装用の白か、任務用の黒かはわからないが、夜会ならば白を着ていく可能性のほうが高い。
夫婦の披露目の席としてもおかしくはない――と、エリシアが、そのドレスに手を伸ばそうとした時だった。
「おそれながら、奥様」
うしろから、コホンと声をかけてきたのはアルバだ。
「閣下が白の軍服なのは間違いございませんが、奥様には武門を纏める夫人として、ふさわしいご衣装をお選びするようにと、公爵様からアドバイスを頼まれております」
「アドバイス?」
なにか武門と文官派とでは、夜会の席でのマナーが違うのだろうか。
そう思いながら振り返ると、アルバは並んだドレスをザッと見つめた。
「僭越ながら、そちらの御衣装は、宮廷用に作られたものだと推察いたします。武門派の夜会の席では、もう少し動きやすいものが好まれますので……」
「動きやすいドレスがいいの?」
今までにそんな基準で、ドレスを選んだことはない。
「はい、特に武門派の夜会では、身のこなしが最重要となります。いかに優雅に立ち回れるか、それが武門の女性としての品格になりますので」
「身のこなし? それならば、マナー的なものはすべて完璧に……」
言いかけたところで、ハッとエリシアは気がついた。
(いや、待って)
なにしろ武門派の夜会なのだ。ふだんよく行っていた宮廷や文官派の夜会などとは違い、いかに速やかに動けるかが重要ポイントなのかもしれない。
だから、おずおずといつも真面目なメイド統括官を見つめた。
「あの、アルバ。元帥閣下の奥方として、武門派の方の前に出てもおかしくないようなドレスを一緒に選んでくれるかしら?」
「奥様からのご下命とあらば喜んで。このアルバメイド統括官、必ずやどの武門の方の前に出ても、その相手が奥様を褒め称えずにはいられないようなドレスを選んでみせましょう!」
そう言って、アルバが選んでくれたのは、体の線に沿いながらも肌を綺麗に隠したデザインだった。
白から紺へとグラデーションをしながら流れるドレープが優雅で、宝石などは少ないが、代わりに広袖についたレースや胸から腰にされた刺繍が優雅だ。
そのドレスを持ち、アルバはまだジッと見つめた。
「これでは、まだ丈が長いですね。少しだけ手を入れさせてください」
そう言われて、ほんの数時間後に仕上がってきたのは、長く引きずっていた裾を足首までの長さに仕立て直したものだった。以前は裾が周囲に広がり、花のようだったドレスが、今度は足首までの丈に長さを変えた幾枚もの軽い布で裾を重ねられ、まるで風の中で水が流れているような印象を与える。
身につけてみると、今までに着たどのドレスよりも軽やかだ。
「すごいわ! アルバ! こんなに動きやすいドレスは初めてよ!」
「これならば、文官派から嫁がれた奥様の覚悟のほども、披露目の席で武門派の皆様に伝わるかと思います」
慇懃に答えながらも、アルバの瞳は「頑張ってきてください」と後押しをするかのように柔らかだ。
だから、ラウルと対にも見えるドレスを纏い、馬車に乗る時には、心がウキウキとした。
動き始めた馬車で、ラウルの向かいに座っていても、なんだか笑みがこぼれてくる。
(これから、私たちのお披露目の席……!)
結婚式の前には考えられなかった気持ちの変化だ。手に扇を持ちながら、ずっとにこにことしているエリシアの様子に気がついたのだろう。
「武門派のデザインの着心地はどうだ?」
「すごく体が楽です! 重い装飾もないし、軽やかで、とても歩きやすいですわ!」
手放しで褒めると、ラウルの顔が少しだけ微笑んだ。
「そうだろう。俺も服装は歩きやすいほうが好きなんだ」
そしてジッと見つめる。
「よく似合っている。文官派の衣装を着ていた時も綺麗だったが、こちらもよく似合うな」
(わわっ!)
すごく優しい瞳で見つめられた。こんな眼差しは初めてだ。
(少しずつだけれど、近づいているのかしら?)
ラウルとの間が――。そう思うと、破滅しないためだったはずなのに、なぜかひどく嬉しくて、顔にはぽっと火が点ってくる。
「だが、気に入ったのならば、よかった。武門派の夜会では、動きやすくないと命取りになる場合もあるからな」
「うん?」
いま、なにか不穏な言葉を聞いたような気がする。
「あの、それはいったいどういう……?」
「言葉のとおりだ。だが、そんなことは滅多に起こらないから安心しろ」
(いやいや、つまりたまには起こるんですよね!?)
なにが起こるのか。まさか武門派だから、宴会で殴り合いでも起きるのかと息を呑んだエリシアの前で、馬車は目的地であるイサギレ将軍の邸宅へと着いた。




