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第14話 ピクニック

 正午を知らせるように、太陽が真上へと昇った頃。


 エリシアは、大きなバスケットを抱えて、ロラと一緒に荒れた畑が続く郊外の道を歩いていた。


 馬車で近くまで来たのだが、さすがにこれ以上は道が細くて進めない。


「大丈夫よ。すぐそこだから、歩いていくわ」


 詫びる御者に微笑むと、「そんな細い手足で荷物を持ちながら、大丈夫ですか?」と、筋肉がないことをひどく心配されていたが――。


(ひょっとして、武門の家系では、女性でももっと鍛えているものなのかしら?)


 ふと疑問が浮かんだが、ありえるような気がしてしまう。なにしろ、メイドですら、出迎えの時は全員軍靴と黒手袋がしきたりなのだ。幼い頃から武芸のひとつやふたつは、嗜んでいるのかもしれない。


(それなら、私もなにか身につけるべきかしら?)


 武門の頂点である元帥家の奥様と認めてもらうために。うん、と首をひとつ縦に振る。


 いいかもしれない。今後ラウルに断罪されそうになったときのためにもなる。剣や槍を嗜んでおくのは、かなり役に立つだろう。いや、それだけではなく、ふだんの夫婦喧嘩でも使えるかもしれない。そう思いながら、ふと顔を上げて前を見回せば、どうやら、少し先のほうで、ラウルは荒れ地の側に立ち、作業をしている兵たちの指揮を執っているようだ。


「あなた!」


 声を上げるのと同時に、遠くで昼を告げる鐘の音が鳴った。


 周囲にも聞こえるように大きな声を出せば、少しこけかけたラウルが引き攣りながら、兵たちに休憩をするようにと告げている。それから、引き攣った顔のまま首を向け、手を振るエリシアの姿を見つめた。


「ああ、もう来たのか」


「ええ。唯一無二の伴侶であるあなたとお昼ができるのですもの! 喜んでタマゴサンドを作ってきましたわ!」


「あなた呼びをスルーしたら、さらに一気に夫婦関係の距離を詰めようとしてきたな……。だが、料理が粉砕系なところは相変わらずか」


「まあ、私の努力をそれだけだと思わないでくださいませ! 一緒にツナサンドも作ってきましたのに!」


「まさかとは思うが、魚をそのまま、まな板の上で一本粉砕したのではないだろうな? それだと、かなり怖い光景だが……」


「おほほ、まさかご冗談を。さすがの私もマグロ一体を砕くのは無理でしたから、切り身にしたのを釜ゆで担当官にゆがいてもらって、それを肉切り包丁で細かく裂いたのですわ」


「まあ、お前にゆがかせなかったのは、賢い選択だ。肉裂き担当官ならともかく、釜ゆで担当官や肉焼き担当官の仕事まで任せては、料理が黒ずみとなって粉砕しそうだからな」


(なぜかしら。これらの役職と合わせて言われると、本来ふつうであるべき肉焼き担当官という言葉までもが、拷問係のように聞こえてしまうのは――)


 思わず心の中で自問したが、それよりも今聞いたラウルの言葉のほうが気にかかる。


「ほほほ、ご安心ください。いつか、近いうちに調理の妙技を極めて、必ずやあなたにイカスミ料理を振る舞ってみせますわ」


「待て。その発想の段階で、既に焦がしてもわからないものを選んでいるだろう?」


(うっ、鋭い!)


 さすが、敵の作戦を見破ることにかけては長けているようだ。


「で、では黒豆のスープや黒糖料理も候補に入れておきますので」


「取り敢えず、黒を前提とした料理から離れろ」


 さらに追撃してくる視線から逃げるように、エリシアは急いでロラが敷いてくれていた広めの茣蓙(ござ)へと腰を下ろした。


 軍が作業しているところからは少し離れた木陰なので、ここならば兵士たちからも見えにくい。


「そ、そうですわね。黒から離れるのはいつかの課題として、取り敢えず今回は、味付けに私が関わっていないのでおいしいはずです。どうか食べてみてください」


「その自分が関わっていないからと、自慢げに言うのもどうかと思うが……」


 言いながらも、ラウルは敷かれた茶色の茣蓙に腰を下ろすと、エリシアが差し出したサンドイッチをひとつ受け取ってくれる。


 よほどお腹がすいていたのか。公爵邸でのようなもったいぶった様子もなく、素直に口に入れている。


「うん、言葉どおりうまいな」


「そうでしょう?」


 頷きながら返された言葉に、ホッとする。


 なにしろ、自分は味付けには一切関わっていないのだ。料理長、もとい厨房統括官の味付けならば安心しても大丈夫と、グッと手を握る。


「ああ、この具材の大きさが、口の中で噛むのに丁度いい」


 だが、次に告げられた言葉には、思わず目を見開いた。


 そして、サンドイッチを飲み込むラウルの姿をジッと見つめてしまう。


(まさか、ラウルがそこを褒めてくれるなんて――)


「味付けをしていないからと卑下することはない。どんな任務だって、ひとりですべて遂行できるわけではないのだ。お前が、このサンドイッチを作る仕事に関わり、それを仲間と一緒に見事に達成した。それならば、お前はお前がした部分を誇ればいい」


 くるんと目が丸くなった。


 今まで、こんなふうに自分に言ってくれた人はいなかった。幼い頃から、将来は王妃になるために、すべてを完璧にできるようにしなければ――と、言われ続けていたのに。


 完璧ではなくても、多くの仲間と自分の仕事を達成したことを誇ればいいと言ってくれるなんて――。


 なぜか、心の中が温かくなってくるような気がする。


 思わず顔が弛んできて、慌てて目をラウルから逸らした。


 見回せば、周囲の木陰では、騎士たちがそれぞれのランチを広げているようだ。


 多くの兵たちが、腰につけた袋からパンとチーズを取り出し、焼かれた燻製肉と一緒に食べている。その様子からすると、おそらくそれが昼食として、軍から兵士に支給されているものなのだろう。


「私がお弁当を持ってきても大丈夫だったのですか?」


「かまわん。将校用の食事を、戦時や兵舎でもないのに、わざわざ兵たちに作らせるわけにはいかないからな。騎士以上の身分の者には、自宅からの昼食の持参を推奨している」


 その言葉のとおり、見渡すと、周囲に何人かいる騎士たちは、それぞれ木陰に座り、やってきた家族が届けた昼食を広げているようだ。


 きっと将校用の昼食を作るとなれば、簡単なものでも、薪や竈が必要になり、その分兵士たちの仕事が増えるからだろう。


 その光景を眺めていたエリシアの側を、そっと爽やかな風が吹き渡った。


 もうすぐ初夏になる日差しは、野外で食べるのにちょうどよい優しさで降り注いでいる。それを感じながら、目の前の光景を見渡した。


「ずっと、ここでお仕事をされていたのですか?」


「ああ。以前あった地方の噴火で、多くの民が住まいを失い、都に流れ込んできているからな。交渉した結果、この地域の村長が、新たに開墾をした土地を与えて農民となるのなら、彼らをここに受け入れてもいいと言ってくれたんだ。だから、一日でも早く、彼らが安定した生活をできるように、最近はずっと荒れ地の開墾作業を続けている」


 言われて眺めれば、先ほどまでラウルがいた場所は、遠くに見えている乱雑に生えていた木と石だらけの場所よりは、ずっと綺麗な土だ。


 元々草の下にあった黒い土ばかりになり、これならば次の季節には、作物を植えることができるだろう。


「噴火で村を失った人が出たとは聞いていましたが、いまだに生活が再建できていない人も多かったのですね……」


 そう言えば、宰相である父がよく被害報告書を見て、眉根を寄せていた。


 そのたびに、何度も「王室にもう少しなんとか倹約をしていただいて、その分を噴火の被害にあった人々への救済に回せないものか……」と呟いていたのを思い出す。


(でも、まさかこの都にも、その地域から多くの人々が流民になってやってきていたなんて――)


 婚約者だった王子とその両親である国王夫妻の様子では、とてもここまで深刻なものだとは思わなかった。


 父たちが報告に行ったあとでも、すぐにパーティーや催し物の話にばかり熱中していたのに――。


「本当は王室から正式に命令が出てからやるものなのだが、いくら陳情しても、勝手に好きなようにしろと言われたからな。その言葉を盾に、好きなように開墾させてもらっている」


「……だから、ずっとお忙しかったのですね」


 地方で起こっているのは、噴火だけではない。相次ぐ災害で、村人がすべて離散したところもあると聞く。


 もし、ここだけではなく、ラウルが国中の民を救済するために頑張っていたのだとすれば――。


(だから、突然決まった結婚で、顔を合わせる時間もないほど忙しかったのだわ……)


 思わずジッとラウルの顔を見つめた。王家に決められた結婚で、自分のことが嫌だったから、顔を合わせなかったわけではないのだ。


 ずっと民のために頑張っていたから――そう思いながら見つめると、ラウルの腕に少しだけ血が滲んでいるのに気がつく。


「旦那様、袖口のところに血が……」


「ああ、そういえば先ほど木を抱えたときに、少し掠ったな。だけど、騎士団ではよくあることだから、かすり傷程度気にするほどでも」


「いけません。ばい菌が傷口から入ったら、ひどいことになりますわ」


 ただでさえ、泥まみれの石や土に埋もれていた木に触ったりしているのだ。もし、それについていた菌が、傷口から体内に入ればどうなるか――。


 破傷風になっては大変と思い手を取ると、ラウルが驚いたように目を丸くしている。


(あ、これって、ひょっとして妻としては評価アップ?)


 意図したわけではなかったが、どうやら好感度のアップに繋がったようだ。持ってきていた水筒の水で傷口を洗うエリシアの姿を、ラウルはその緑色の目を何度もしばたたかせて見つめているではないか。


(あら、新鮮な反応)


 まさか、こんなに無防備な顔を見せてくれるなんて――。


 ひょっとして、騎士団では怪我なんて日常茶飯事だから、気遣ったのが意外だったのだろうか。


「おい、血がつくぞ」


「かまいませんわ、洗えば落ちます」


 腕を持ちながら交わす言葉ですら、二人の間が、近付いたみたいで嬉しくなる。


「はい、これで大丈夫ですわ」


 だから、清めた傷口を持ってきていた白いハンカチできゅっと縛ると、ラウルはその腕に巻かれた布を、しばらくまじまじと見つめた。


 そして、少しだけ赤くなった頬で、ハンカチから目を逸らしていく。


「あ、ありがとう」


「どういたしまして」


 交わす些細な言葉ですら、くすぐったい気持ちが湧いてくる。その前でラウルは、頬を赤らめたまま、また傷口を縛っているハンカチを見つめていたが、しばらくして迷うように目を動かした。


「……俺には、わからん。どうして押しつけられた結婚相手である俺に対して、そこまで君は尽くそうとできるんだ」


 君にとっては、不本意な結婚だっただろうに――と呟く姿は、どうやらそのことについて本当に戸惑っているみたいだ。


 その表情を見つめ、エリシアは吹いてくる風に靡く髪を押さえながら、明るく空を仰いだ。


「前を向くことにしたからですわ」


 さすがに破滅をしたくないからとは言えない。だが、今までの人生が本に決められたままだったと知って、自分で生きる道を切り開きたいと思ったのも本当だ。


「だから、いつまでも過去を引きずることはやめにしたの」


 今から思えば、本に決められたままの人生だった。


 しかし、それでも、頑張って生きてきた自分の姿は嘘ではなかったはずだ。だから、これからの展開を自分の力で乗り越えられれば、それはここで、エリシアが自分の意思で生きていることの証明にもなるのに違いない。


 だから微笑みながら言ったが、ここが本の世界と知らないラウルには、エリシアの気持ちがわからなかったのだろう。


「前をねえ……。そんなに簡単に自分を利用した相手を忘れられるものなのか?」


 俺ならば、そう簡単には気持ちの切り替えがつかないという表情を見ると、内心では、この結婚に対して、やはり複雑な思いがあるらしい。


(ああ、そういえば、ラウルには……)


 原作の小説では、たしか初恋の女性がいたはずだ。そして、エリシアとの結婚のために別れ、ほかの人の許へ嫁ぐことになった――。


 そういう過去があるのならば、彼がエリシアをすぐに受け入れられないのは、無理もないのかもしれない。


 ふと、自分より三歳ほど上の姿をジッと見つめた。


「ラウル――」


 なんと声をかけたものか。迷いながら名前を口にしたとき、後ろから走ってくる伝令の姿が見える。


「元帥閣下」


 その黄褐色の制服に、声をかけられたラウルが顔を向けた。


「用事があるみたいだ。少し待っていてくれ」


「はい」


 そうエリシアが頷くのを確かめると、すぐに茣蓙を立って、伝令のほうへと近寄っていく。なにか、軍からの大事な連絡なのだろうか。


 ほかのものには聞こえないように伝令の側へと歩いていくラウルの背中を見送ってから、ふと動かした視線で、エリシアは木陰でなにかが動いたような気がした。


「あら? 気のせいかしら」


(さっきそこに誰かいたような気がしたのだけれど……)


 首を捻って、もう少し木の陰が見えないかと伸び上がろうとした。その時だった。


「あら、どうしてこんなところに、文官のお家柄のご令嬢がいるのかしら?」


 嘲るような声に、ハッと顔を上げる。


 すると、後ろからは、いつの間にか、こちらを見下すように眺めている三人の令嬢の姿が近付いてきていた。



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