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第11話 ほんのひと言

 テーブルに座ったラウルは、目の前に置かれたピンク色のテリーヌをじっと見つめ続けている。


(さあ! 蟹は好物でしょう!? 遠慮なく食べなさい!)

 

 そして、知らずに大嫌いな食材も、一緒に口の中に入れてしまえばいいのだ。


 エリシアの怒りと憎しみのすべてを、その口から身のうちに取り込んで――――。


 しかし、テリーヌを見ていたはずのラウルの視線は、じろりと持ち上げられると、そのまま品定めをするようにエリシアを見つめた。


 元帥であるラウルの鋭い緑の眼差しが、エリシアの瞳を貫く。思わず、背がのけぞった。


(な、なによ? まさか匂いで気がついたの?)


 それともこの程度の罠など、戦いの策謀に長けたラウルには、見破るのは朝飯前ということなのだろうか。


 今は夕飯時だが――。


 しかし、ただ無言で見つめてくる緑の鋭い視線には、猛獣使いといわれたエリシアでも気圧されそうになってしまう。


「ど、どうぞ。召し上がってみてください。味つけは料理長がしましたから、きっとおいしいと思いますわ」


「当たり前だ。すり潰ししかできなかったお前に、突然こんな高度な料理が作れるものか」


(うっ……)


 じろりと見上げた瞳は、明らかに疑っている。


「なにを考えている?」


「え?」


 だが、探るように見つめてくるラウルの瞳には、エリシアの背がかすかにのけぞった。


「朝の料理に、さらに帰宅の出迎え。なぜ俺の歓心を買いたい?」


「歓心って――!」


(そうではないわ! ああ、だけど破滅フラグ回避の為に、ご機嫌をとりたいっていえばそうなるのかしら!?)


 ただ、怒りのあまり、大嫌いなものを食べさせてやりたかっただけなのに――!


 しかし、それを口にすれば、今度は確実に断罪フラグが立つだろう。


(ああ! どっちを答えても、破滅フラグ!?)


 逃げ場がないと焦った時だった。


「公爵様」


 後ろから、かつんと控えめなブーツの音とともに、アルバが前へと進み出る。


「なんだ?」


 さすがに有能なメイド統括官を、無視することはできなかったらしい。しかし、今ラウルが振り返って見たアルバは、昼間とは少し違う表情を浮かべている。わずかに困惑したような――。そして、慇懃に身を折った。


「公爵様、奥様は今日一日公爵様がおっしゃった通り、この屋敷の掃除に励んでおられました」


「なに!?」


 がたんと、大きな音をたてて、ラウルが体ごとエリシアへと向き直っていく。その見開かれた緑の瞳が表しているのは、明らかな驚愕だ。


 きっと、出かける前に言ったとおり、エリシアが掃除をしていたことに驚いたのだろう。よく見れば、エリシアに向けられた瞳は、今までにないほど丸くなっている。


 緑の瞳が食い入るようにして、側に立つエリシアの白い顔を見続けた。それに、アルバがこほんと一度咳払いをして、表情を改める。


「奥様は、心の底から、このレオディネロ家で生きる決意を固められたようでございます。その証拠としてそこにありますのが、奥様が慣れない厨房で公爵様のためを思い、自らの手に血を流されて作られた料理。いわば、奥様の、公爵様にふさわしい妻になるという血盟の証!」


(ちょっと待って! 指先だけの切り傷が、とんだ流血事件のようになっているんだけれど!?)


「ですから、どうか奥様の真心を受け取ってください」


 そっとアルバが柔らかな笑みとともに手で示したのは、先ほどエリシアによって渾身の力で切り刻まれた人参の入っているテリーヌだ。


(待って、今の説明で食べたくなる人っているの!?)


 これは、だめだ。蟹やサーモンの赤味を流血による着色と誤解された恐れがある。


「あの、やっぱり不慣れな料理ですし……」


 人参を血と勘違いされる前に、ここは一旦引き下がろうと考えた時だった。


「そうか……。まさか、本当にこの屋敷の掃除を始めるとは……」


(うん?)


 かちゃりと、ラウルがフォークとナイフが持ち上げている。


 そして、蒸し焼きで柔らかくなったピンク色のテリーヌの端を切り取ると、そっと口に運んだではないか!


「えっ……」


(やった! 食べた!)


 まさか掃除を頑張ったおかげで、食べてもらうことができるとは!


 ラウルの口がもごもごと動いているのを見て、心の中でガッツポーズを決める。


(どうよ、私の怒りと恨みのすべてをこめて作ったテリーヌの味は!?)


  掃除でもしていろと言われた時の怒りも全て我慢して呑み込んでよかった。おかげで、こんなに嬉しい瞬間に立ち会えるとは――――。


「あの、ラウル。お味は――」


 まずいと言われても本望だ。なにしろ、嫌がらせで作ったのだから。


 しかし、一口飲み込んだラウルは、フォークを口から離すと、少しだけ上目遣いにエリシアを見つめている。


「あ……ああ……、おいしいな……」


(えっ!?)


 どうして、急に顔がぼんと赤くなってしまうのか。


(ま、待って! なんで、私こんなふうに少し微笑まれただけで――!)


 焦るが、おいしいといってもらえたのが嬉しい。


 よく考えてみれば、フェルナン王子の時には、手作りのネクタイをプレゼントしても、料理人に作らせた特別なお菓子を持っていっても、いつも儀礼的な感謝しかもらったことはなかった。


 笑顔なのに、どこか当然といった様子で。


(だから、素直な感謝に免疫がないだけよ!)


 腫れたように熱くなってくる頬を、おさまりなさい、とぺしぺしと叩くのに、どうにも顔の赤みは引いてはくれない。


「俺のために……わざわざ」


 けれど、はにかむようにラウルのもらした言葉で、エリシアの心臓には、冷水が浴びせられたような気がした。


 ――俺のために――


『もちろん、君がこれまで婚約者として僕のために尽くしてくれた行為には、感謝をしている』


 脳裏で、婚約破棄の時に告げられたフェルナン王子の言葉が蘇ってくる。


(私は――あの頃も、ただ彼に尽くして捨てられたわ……)


 自分の利益のためだけの女として。そのための価値しかないというかのように。


 今同じ言葉を言ったのが、フェルナン王子ではないとわかっているのに、どうしても心は暗くなっていくのを止められない。


 自分は、また同じ道を歩んでいるのではないだろうか。ただ、相手にとって都合の良い女として、使い捨てられるだけの道を――。 


 考えこんでしまったせいだろうか。ラウルがこちらを見ているのにもかかわらず、その後エリシアは俯いて、その視線に気がつくことができなかった。



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