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第10話 信頼

 ふふふふふと暗い笑いがこぼれてきそうになるのを、エリシアは、必死に微笑みに変えて押しとどめる。


 そして、にこっと料理長へ向き直った。


(まさか、子供みたいに人参とブロッコリーが嫌いだとは!)


 元帥や公爵としての弱点なら笑い話になるところだが、日常生活だったら十分に役に立つ。


 得た情報に心の中でほくそ笑みながら、しかし、表面だけは少し心配をするようにして、エリシアは頬に手をあてた。


「でも――苦手なのは仕方がないにしても、まったく食べないのはどうかと思うの。人参もブロッコリーも栄養が豊富で健康のためになる食材だし、武門の頭領ならば、体は資本でしょう?」


 憂いを帯びた声で呟くと、明らかに料理長の顔がうろたえた。


「そ、それは……。何度かお話してみたのですが、さりげなく皿の端に残されて睨まれて……。会食や戦場では食べているから、気にするなと……」


 たかが食べ物ひとつで睨んだのか。


 子供っぽいと思うが、同時にエリシアの顔には満面の笑みが浮かんでくる。


「気づかれるからですわ。私が昔聞いた話では、苦手な食材は、より細かく切ってわからないようにしてしまえばいいそうですよ」


 ひょいっと人参を持ち上げる。


「ほら、このように――」


 すっと細めた目で笑うと、包丁を高く持ち上げた。


 そのまま、ダン! と、まな板に叩きつける。


 形など考える必要はない。ダダダダダと、ただ一心不乱に包丁を動かし続ける。


(これはラウル! これはラウル!)


 人参の赤い断面に、似ても似つかない面影を怒りのまま重ねる。


 ここに来てから、溜まりに溜まっていた恨みを晴らすつもりで人参を切り刻み続けていくが、そのエリシアの姿には、どうやら常にない気迫が漂っていたらしい。


 周り中が、ごくりとエリシアの様子に息を呑んでいる。


 まもなく、人参だった赤い塊は、砂粒サイズの大きさとなり、まるで赤い粉のようになってまな板の上にのっていた。


 ふうと、顔を上げれば、達成感に溢れた姿からは、きらきらと汗がきらめいていく。


 そして、エリシアは固唾をのんで見守っている周囲の人々に、にこっと優しい笑みを浮かべた。


「――このように、ラウルには形さえわからないほど細かくして、ほかの食材とまぜてしまえばよいのです」


(あーさっぱりしたあ! ラウルの暴言には、散々イライラしたけれど、この野菜を苦手なものと知らずに口に運ぶ瞬間を考えたら、なんて爽快!)


  これならば、きっとばれない。だから、自分の渾身の技に満足しながらもう一度見つめていた赤い粉から目をあげれば、なぜか隣では料理長がそっと目頭を拭っている。


(あら?)


 切った人参の中にタマネギでも交ざっていただろうか。そんなはずはなかったと思うが、料理長は、そっと手を伸ばすと、エリシアの手から包丁を受け取っている。


「奥様の……」


 声すらも涙声だ。なぜだろう、まさか恨みをこめて包丁を振り下ろす姿に、日本昔話の山姥でも連想されたのか。


 声に出さずに焦るが、料理長は潤んだ瞳でエリシアを見つめた。


「奥様の、公爵様に尽くしたいというお心、確かに伝わりました――!」


(あら?)


「奥様は、今まで刃物など持たれたこともなかったでしょうに……! 公爵様の健康を気遣って、かよわい腕で懸命に包丁を動かすお姿! 重たそうにだんと叩きつけられているのに、弱音一つこぼされないその気概! 実に感服いたしました!」


(え!? 私はただあの顔を思い出して、怒りを叩きつけていただけなんだけど!?)


 どうやら周りには、重たい刃物を必死で振り上げて、少しでも小さく切ろうとしているように見えていたらしい。


(ラウルの顔を思い浮かべて切り刻んでいたなんて、今さら言えない……!)


 だが、これで厨房内でのエリシアの立場は、すり潰しからみじん切りに格上げされたらしい。


「これからは、奥様を公爵様に内緒の食材担当にいたしましょう。その原形をとどめぬほどのみじん切りとすり潰しにこめられた愛。必ずや公爵様に届きますとも!」


(うん? これが届くのでいいの!?)


 少し疑問ではあるが、結果としてラウルのためになることも確かだ。


(よし! 問題はなし!) 


 思い返した記憶に頷くと、エリシアは顔を持ち上げて、今目の前に立つラウルの背中をぐいっと押した。


「おい!?」


 これまで元帥である公爵の両肩を強引に押すものなどいなかったのだろう。突然のエリシアの動作に慌てているが、前世を思い出した今では、多少階級で飾りのついた軍服を着ていても、たった三歳しか違わない同じ人間だ。


 だから、そのまま食堂に入ると、すぐに椅子へと連れていった。


「お疲れでしょう? こちらは、私もお手伝いした料理長の自信作ですわ」


 目の前には、すぐに、空腹をそそるような彩りの料理が運ばれてくる。


 ことんと目の前に置かれたのは、ピンク色のテリーヌだ。


「どうぞ。魚のすり身と野菜のテリーヌですわ。隠し味に、少し蟹も入れてありますから、赤い彩りがおいしそうでしょう?」


 お召し上がりくださいと差し出したが、座ったラウルは胡乱げにじっと皿を見つめたままだ。


 だが、ばれるはずはない。料理にかけては、さすがは百戦錬磨の料理長。粉同然に刻んだ人参を、蟹とサーモンのすり身に混ぜて、さらに見事に隠してくれた。


(さあ! これで知らないうちに、私の怒りと憎しみのすべてをこめたその人参を食べるといいわ!)


 暗い笑いがこぼれてきそうになってしまう。しかし、いまだラウルは置かれた皿を見つめたままだ。


 その姿を、エリシアは側に立ちながら、針を宿した眼差しで睨み続ける。


(私は、もう二度とやられっぱなしでいる気はないのよ! 破滅フラグ回避のためとはいえ、やられたらやり返さなければ!)


 このまま黙って不幸になっていくつもりはない。だから、エリシアはまだ次の行動を起こさないラウルを、ただ見つめ続けた。


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