表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/37

第1話 婚約者の裏切り

 一人ぼっちで過ごす初夜の床で、悲しみと怒りに目に涙を浮かべていたエリシアは、突然思い出した。


 今自分がいるこの場所は、前世で読んだ物語の世界だと――。




 エリシアが、結婚する一月前の午後。


 見上げた空は、まるで運命の出来事が今日起きてきそうなほどの晴天だった。


 幸先の良い空を仰ぎ、エリシアは同じ色の青い目を大きく開いた。


「なんて、すてきな快晴! これなら、きっともうすぐ結婚式――!」


 小さな真珠の飾りをつけながら波打っている長い亜麻色の髪が、エリシアの叫びと共にふわりと広がる。


 言葉に出すと、ついそのまま結婚式を想像してしまった。


 幼い頃からずっと好きだった金髪のフェルナン王子が、花嫁衣装を身に纏ったエリシアの白い頬に手を添え、その青い瞳を見つめながら甘い顔で囁くのだ。


「僕の大切な王太子妃様……」


 そして、神の前で口づけをする。あまりの幸せに涙を流すエリシアの前で、結婚の儀を執り行いながら二人を祝福してくれているのは、親友のレヒーナだ。


 水晶姫と呼ばれる予言の力を持つ彼女の言祝ぎを受けながら、空に響く鐘の音に包まれて、幼い頃から大好きだった婚約者のフェルナン王子と結ばれる。


 その光景を想像しただけで、つい、うふふふふと怪しい笑みがエリシアからこぼれてしまった。


 その淑女とは、とても思えない呟きをこぼしながら身悶えを繰り返すエリシアに、幼い頃から側に仕えてくれていたロラは、呆れたように溜め息をつく。


「エリシア様、人に見られますよ」


 ぴくっと揺れたエリシアの肩に、忠告する先を示すかのように茅色の瞳をゆっくりと動かす。


「ほら、言っている間にも、あちらから商業長官のデオルト伯爵様が」


 ロラの栗色の髪が動きを止めた途端、今まで笑み崩れていたエリシアの表情が、きりっと改まった。瞬時に、凜と背を伸ばし、身に纏っていた赤茶色のドレスをさらりと翻す。


「おや、エリシア様。今日は王宮にお越しだったのですね」


「ごきげんよう、デオルト伯爵様。ええ、王太子殿下にご機嫌うかがいにまいりましたの」


「それは、それは。その洗練されたふるまいに、ふだん我々長官や大臣とも対等に話せるほどの知識力。エリシア様は、まさに我が宮廷最高と称えられるにふさわしい完璧なご令嬢でしょう。妃教育を終えられた今、一日も早く殿下とのご婚儀を挙げられるべきだと、ほかの長官たちとも先ほど陛下に申し上げていたところだったのですよ」


「ありがとうございます。皆様のご期待に沿える王太子妃となれますよう、どうかこれからもよろしくお導きくださいませ」


 丁寧に頭を下げて、マナーにかなった礼をする。


 落ち着いた赤茶色のドレスを纏ったエリシアの上品な仕草に満足したのか。デオルト伯爵は笑顔で礼をしてから去っていく。しかし、彼の姿が、庭の生け垣に見えなくなるのと同時に、エリシアはくるりと乳兄弟に振り向いた。


「聞いた、ロラ? この国最高の令嬢ですって!」


 きらきらと目が輝くのは、王子の婚約者に選ばれてからのこの十年。そう言われるために、外交に必要なすべての言語、国内の経済や歴史、さらには行儀作法や流行までもを、毎日必死になって勉強してきたからだ。


(それもこれも、すべてはフェルナン殿下と結婚するため!) 


 ぐっと握り拳を作る。


「苦節十年! やっとフェルナン殿下の隣に立つのにふさわしい完璧で最高の令嬢という称号を手に入れたのよ!」


「最高の令嬢ねえ――」


 叫ぶエリシアの後ろで、ロラが、茅色の瞳にかかっていた眼鏡をくいっと持ち上げる。


「私には、背中に巨大な猫を飼っている姿にしか見えませんでしたが?」


「あら。ひどいわ、ロラ。私のこの努力を猫だなんて」


 顔を向けて、うるっと瞳を潤ませる。


「せめて豹や虎に例えてほしかったのに!」


「より巨大な猫じゃないですか!? しかも、獰猛になっている分、さらにたちが悪いです!」


「あら。だって、この貴族社会、そんなきれいごとに拘っていたら、あっという間に王太子妃候補から下ろされてしまうのよ。それぐらいなら、背中に巨大な獅子を飼っていたほうが、相手を倒せるだけましだと思わない?」


「さりげなく、ネコ科の猛獣使いを目指しているでしょう? いつか殿下を食い殺そうと企んでいるような気がするのですが」


「そんなことはしないわ。だって、すべては殿下のためですもの――」


 白い指先を合わせると、ほんのりとエリシアの頬が赤くなってくる。


 フェルナン王子は、十年前に、親たちが政略のために決めた婚約者だ。今の王妃は美人だが、出身が子爵家のために強力な後見をもたない。そのゆえ、宮廷の文官派を率いる宰相である父が、弱い外戚に代わって国王派の勢力を固めるために決められた結婚だった。


 それでも、呼ばれた王宮で、幼いフェルナン王子が、緊張しながら礼をしているエリシアの手を恭しく取った瞬間、それまでとは世界が変わった。


「僕のために、婚約してくれますか?」


 見つめてくる不思議な榛色(はしばみいろ)の瞳。黄と赤が絶妙に混ざった色だ。その瞳で覗き込まれながら、金の髪を揺らすフェルナン王子に、薄桃色のドレスを纏っていた手に口づけられた瞬間、エリシアの世界は彼が中心となった。


「だから、それからはフェルナン殿下にふさわしい女性といわれるように、来る日も来る日も勉強に費やしてきたわ」


 血が出るほどピアノを叩き続けた日々も、目がかすむほど遅い時間まで、ランプの明かりだけで本を読み続けた夜も、まったく苦にはならなかった。


「それもこれも、すべては殿下のため! そして、今日、ついに殿下から、結婚について内密に相談したいという使いが来たのよ――!」


 ぐっと、拳を空に持ち上げる。


「あら、ではいよいよ?」


「お父様のお話では、そろそろ殿下の結婚を急いだほうがいいのでは、という意見が、最近宮廷で出ているそうなの。先ほどのデオルト伯爵様も似たようなことを言っていたし、これはもう間違いないと思わない?」


 近年の相次ぐ天災や王室の問題で、のびのびとなってはいたが、フェルナン王子ももう十九歳。


(きっと今度こそ!)


 笑みにこめた気持ちが伝わったのだろう。


「よかったですわね、お嬢様」


 幼い頃から一緒に育ってきた乳兄弟が、優しい瞳で見つめてくれる。そして、そっと祝うように手を握ってくれたのには、心がじんわりと温かくなってきた。


 照れくさくて、思わずはにかむ。けれど、いよいよだと思うと、なんだか急に焦りも出てくる。


「ねえ、ロラ。私の化粧や髪型はどこもおかしくないかしら? もし、殿下のところに典礼官や国王陛下まで来られていたら、このドレスでも大丈夫だったかしら?」


 エリシアが今日身につけているのは、上品な赤茶色のドレスだ。袖には、繊細な白いレースが施され、十八歳であるエリシアの年よりも、ずっと落ちついた印象を与える。


「大丈夫ですよ。それにお化粧の紅も失礼がないようにと、慎重に選ばれていたではないですか」


「そう……そうよね! うん、じゃあ殿下との待ち合わせの四阿(あずまや)に行ってくるわ!」


「はい、どうか安心して行ってらっしゃいませ」


 くるりと振り向くと、必ず来るようにと念押しをされた王太子宮の庭園へと歩き出す。


 そして、白い花が咲き出した庭へと足を進めた。


 そこを一歩進むたびに、心臓がドキドキとしてくる。


 これからいよいよ、待ち焦がれたフェルナン王子との結婚の話が進むのだ。そう思うと、歩くだけで心臓が破裂してしまうのではないかと思うほど高鳴ってくる。


(とうとう殿下との結婚式!)


 夢に見すぎて、これからどんな顔をして会えばいいのかもわからない。


 進む先にある白い花をつけ始めた庭も、今からの未来が明るいものだと期待させる。


 だからだろうか。


 常緑樹の木陰を抜けて、王子の左半身が四阿に見えたとき、つい嬉しさのあまり親しげに声をかけてしまった。


「殿下……」


 周囲に従者の姿が見えないのは、結婚についての内密の話をしたいということだったから、きっと遠ざけられているのだろう。


 遠くに見えるフェルナン王子は、いつもと同じ姿だ。さらりと揺れる美しい金色の髪。すらりとした高い背。王子は武道は嗜む程度だが、乗馬が好きなせいか、均整がとれた無駄のない体つきをしている。しかし、木陰から姿が露わになるにつれて、見えてくる王子の腕が今抱きしめている相手に、エリシアの目は衝撃に大きく開かれた。


(え、なに――!?)


 これはどういうことなのか。だが、止めるのが間に合わず、さらに一歩足を踏み出したせいで、木陰に隠れていた王子の姿がすべて視界に入ってしまう。


「フェルナン殿下……」


 震えながらかけた声に、王子の目が、今顔を寄せていた腕の中の相手から持ち上げられていく。かぶさっていた顔が外れ、唇が――触れていた相手から離れていくではないか。


(どういうこと!?)


 さっと、エリシアの顔から血の気が引いた。


 どうして、エリシアの婚約者である王子が、今別の人とキスをしていたのか。


 信じられない光景に、ただ呆然と見つめることしかできない。


 だが、王子が顔を上げたので、腕の中にいた女性もこちらに気がついたのだろう。ふと顔を上げて、こちらを見つめた。


「エリシア……!」


 そして、相手も顔色を変える。


「レヒーナ……」


(なぜ、あなたが……)


 腕の中にいたのは、自分の一番の親友だと信じていたレヒーナではないか。


 その光景が告げる予感に、エリシアの心臓は音を変え、ドクンドクンという嫌な響きで大きく鳴り始めた。




新しく始めました。今夜は連続で投稿します。

もしお気に入られたら、ブックマークや星で応援していただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ