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狼男

作者: 羽鳥ふたば

「キシャナさん、今日はどちらへ?」

「うーん、森へ行ってみたいわ」

数多の花が満開を迎えるこの時季に、私はどうしても森へ行きたくなった。

自然の内に咲く、花の姿を絵に表したくて。

「森、ですか」

「ええ、新しい絵の素材が欲しいの」

クロノは珍しく、乗り気ではないらしい。

普段の彼なら、えも言わず了解してくれるであろうに。

「花壇や花園でもよろしいのでは......まあ構いませんが」

彼はそう言い、目を逸らす。

その目を先を追ってみると、当たり前だが街の景色がある。中心の道路は忙しなく馬や人が行き来しており、その両端には店が並ぶ。建物もあれば開けた場所に出店を開く者もおり、通行人も後を絶えない。さすが街一番の商店街だけはある。その中で私たちは、いつもの木の下で待ち合わせをして、ここで話している。

「何か不備でもあるかしら」

「いや、そんなことはありませんよ。ただ少し後ろめたい事がありましてね」

「何?」

「秘密です」

「また秘密!クロノすぐそう言うじゃない」

「申し訳ありません...でも多分大丈夫です。行きましょう」

「ありがとうクロノ、あと、いつまで敬語でいるつもり?同い年じゃない」

彼と私はもう長く同じ時を過ごしているのだが、彼は決して敬語をやめようとはしない。

「なんというか、しょうに合わないんですよね」

私は呆れたように言った。

「そのさがが早く良くなると良いわね。じゃあ行きましょう」

彼ははにかんだ笑顔で言った。

彼もつられたそうだ。

「ええ、承知しました」

そうして私たちは、街を出て森へ向かった。



普段から街の景色に慣れているせいか、森は解放感溢れ清々しかった。

生業として、基本的に街の景色を描く私だが、この清らかさというものは何というか新鮮な感触だ。

無論、街にも緑はあるが、この壮大な質感とは比べ物にならない。

昔から虫のお陰で悪く見えて毛嫌いしていた森も、時が経てば見え方が変わるものなのだろうか。

一方クロノは、終始遠くをぼんやり見つめていて落ち着いているようだった。

「どう?意外と悪くないでしょ」

「ええ、この程度なら問題ありません。しかしキシャナさん、まだまだ先がありますね」

何か含みのあるような言葉に私は疑問を感じざるを得なかったが、どうせ喋ってくれないとわかっているので話を変えることにした。

「じゃあもっと、奥に行きましょ。気分が悪くなったら言いなさいね」

「ありがとうございます」

クロノは何を恐れているのだろうか。

空はまだまだ輝きを保っている。

森が暗色を示す前には帰ってこれるだろう。


少し奥に入っていくと、森はさらに鮮やかに、そしてさらに深みある色へと変わっていった。


今日は一枚、絵を描いて帰ろうと私は決めた。


本来花を描くことが目的なのだが、私はまるで取り憑かれたかのように、足を止めず森のさらに奥深くへと入っていった。

数えきれぬほどの色彩が私を誘っていた。

そして度々見える動物たちも、さらに私を夢中にさせた。

「キシャナさん、そろそろ街が見えなくなってしまいます。遭難しても危ないので、この辺りまでにしましょう」

私ははっとした。

振り返ってみるとクロノは心配そうな目つきでこちらを見ている。

クロノの立っている方向をじっと見てみると、微かに街が見えるほどであった。

知らぬ間に相当な距離を歩いていたようだ。

「あら、そうよね。本物の自然が見たかったのだけど、仕方ないわね」

クロノはまるで知っているように言った。

「自然は見れませんよ。人が見るには危なすぎます」

何やら引っかかる言葉に感じた。

「あなたは見たの?」

クロノは驚いたように眉を上げたが、すぐさま軽く答えた。

「どうでしょうね」

もしかしたらこの「自然」というものが、彼の「後ろめたい事」を引き起こしたのだろうか。

とやかく、私はあからさまにため息をついた。

「はあ、自分が獣のような存在のようだと思っているの?」

「まあ、一応?ですかね」

「生憎だけど、貴方からはそんなものは全く感じないわ」

クロノは少し拍子抜けした仕草をすると、少し笑い、「そうですか」と答えた。

加えて私は、「それに獣は汚いものじゃないわ。可愛いのもいるじゃない」と付け足した。


私は本格的に絵を描くために、花を探し始めた。

さっきまで私は、森全体を見ており花を探すのをすっかり忘れてしまっていた。

いざ下に目を向けると、これもこれで良かった。

見慣れない濃い色をした土に、力強くそびえる草木。

そして、虫。

私は悲鳴をあげてクロノに助けを求めるも、「虫の何が気持ち悪いんですか」と言われ唖然とした。

「だって気持ち悪いじゃないの!この足とか触覚とか!」

「ただ生きてるだけではないですか...」

クロノは少し目を逸らした。

私は何も言えなくなった。

「ごめん」

クロノは振り向き、優しく微笑んだ。

「いえいえ、そう考えるのも仕方ありませんよ」

正直クロノがこの手の話をすると思わなかった。

「でも、気持ち悪いものは気持ち悪いわ」

「はいはい」

それと同時に私は、彼の美しさを肌で感じた。


遂に見つけた。

普通花は何輪も連なるが、不思議とその花だけはひとりでに立っているようだった。

遠くから種が風によって運ばれて来たのだろうか。

7個ほどの鐘のような青い花を垂らして、ひっそりとしたたたずまいをしている。

「ブルーベル。花言葉は謙遜、そして変わらぬ心」

クロノは思い出したように言った。

「まるでクロノみたいね」

私は笑った。

クロノは恥ずかしそうに言った。

「実は誕生花なんですよ」


私はこの絵を描くことに決めた。

まずスケッチから始め、彼にも持ってもらっていた道具を広げ、満点の空の下描き始めた。



流れるように時間が経ち、日はだいぶ傾いてきたほどになった。

私はなんとか描き終えた。

小さめのキャンバスだったが、だいぶ時間を使った。

手は絵の具まみれになってしまった

クロノは絵の出来栄えに嬉しそうだ。


キャンバスには、少し雲の掛かった空から木漏れ日が落ちてきて、中央の青い鐘の花を照らしている姿が描かれている。


「いいですね」

新たな絵のインスピレーションを得られたなと私は確信した。


まだ日の入りまで時間があったので、森の浅い所まで戻ってきて、私は彼との時間を過ごしていたのだが、不意に彼は顔を歪めた。

「大丈夫?」

クロノは少し怯えているようだった。

「ええ、でもそろそろ頃合いだと思います」

「わかったわ、帰りましょ」

私たちは帰路に着いた。



帰り道、彼は気を取り戻したようだった。

私は彼に尋ねた。

「次はどこにいく?」

クロノは少し苦い笑みを浮かべた。

「どうしましょうかね」

彼は答えない。

いつもそうだ。

クロノは私の提案した場所に断ることなく同行してくれているのだが、自分から行きたいとは絶対に言わない。

「いつも思うけど、行きたいところないの?」

クロノは申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「ありますが、怖いんです」

「どうして」

珍しく彼は私の質問に答えた。

「知られたくないからです」

その先は何も答えてはくれなかった。



「一つでいいの、次は貴方が決めて」

私は彼の目をまっすぐ見て言った。

クロノは縮こまりながらも言った。

「あの山に登りたいです。ずいぶんと前の話ですが、父母と登ったんです」

彼が指差した先は、今日訪れた森とは少し離れた丘の上の山だった。

私は嬉しくて、ちょうど明日もお互い空いていたのですぐさま約束にこぎつけた。

「初めてじゃない。自分から行きたいって言ったの」

「どうしてもってキシャナさんが言ったからですよ」

「明日が楽しみで仕方ないわ」

はしゃぐ私を見て、彼は少し笑った。

「じゃあまた明日ね!集合は同じ所で!」

「ええ、さようなら」

お互い笑顔で別れた。






その男は笑顔だった

しかし家に入ると、男の顔はたちまち青ざめた

なにやら急いでいるようである


男の部屋は殺風景で、いたって無難である

しかし、この部屋には奇怪な面が幾つもあった

壁は通常の家屋より厚くがっしりとしており、窓はあるものの、ここの気候とは合わない二重窓となっており、何重にもカーテンが引かれている

何より、男の寝具には、いかにも牢獄で使われているような、鎖に繋がれた輪が五つほど付けられている


軽く夕食を済ませ、体をさっと流し、カーテンで窓をしっかりと覆い、すぐさま寝巻きに着替えると、たちまち寝床へと駆けていった


男は寝床に入り、その輪を身体に通し始めた

その大きさから、明らかに対人用で使われるものではないと分かる

頭の輪には他と比べ、皮で作られ嘴の形をした縦長のマスクがくくりつけられている

そして輪を腕や足、そして顔に通した後、薄めの布を掛け眠りに落ちた



真夜中、部屋中に奇怪な音が鳴り響く

厚い壁のせいか

外には何も聞こえてこない

しかしこの部屋は見ている

何度も確実に

寝具の上に縛られている

この得体の知れない化け物を


その怪物は唸りをあげ

この鎖を解けば街をも簡単に破壊しまうほどの狂気に満ちており

寝具の上で暴れている

掛けている布からはみ出し見えるのは

その異形の鋭い爪に

マスクからはみ出すほどの肉食動物の口

人間とは比べ物にならない深い毛並み

そして何より奇怪な叫び声


その狼は世が開けるまで暴れ続けた

そして誰かの名前を何度も言っていた

体が人型に戻るまでそれは暴れ続けた



長い夜が明け、朝がやって来た

彼はいつも通り朝食を済ませ、入念に慎重に体を洗い、身だしなみを整える


それが終わると、厚い窓を開け、外を眺めながら、悲壮の淵に沈み、ただひたすらに誰かに向かって懺悔するという不可解な行動を始めた


それが終わった後、もう一度自分を整え、そして繕い、外へ出た






「ちょっと、遅いじゃないの」

いつもの明るい声が聞こえる

「すみません、ちょっと朝食の時間を取り過ぎてしまって......」

私は騙して生きている

「嘘よ、私が早く来ちゃっただけ。さあ早く行きましょ!なにせ貴方が初めて行きたいって言った場所なんだから」

大勢の人間を

「ええ、そうですね」

この世界を

「じゃあ出発!」

そしてなにより彼女を

「はい......」




本当の自分を隠して

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