ここからは通常営業(のはずだった)
目の前には、割れた皿の残骸。後ろには自称魔女を名乗る痛いマダムが話し掛けてきている。この状況、どうしたものか。
「店員さん、大丈夫。怪我はしてない?」
京土産のマダムが席を立って接近中。絡まれる。このままでは、絶対に絡まれる。「お皿が割れたの? じゃあ、魔法で直してあげましょうか」なんて感じで話し掛けられたら、僕はもうどんな顔して接客すればいいのか分からないよ!
だが、怪我をしてないか聞かれているだけだ。普通に答えるんだ。バイトとして、魔法が使えない一般人として、普通に答えるんだ。
「し、失礼しました。手元が滑ってしまって……」
「怪我はなさそうね。良かった」
なんだ。これ、普通に優しい人の接し方だ。良かったあ。ひょっとして、魔女設定以外はまともなのかもしれない。
「ところで、オーナーは今、不在なのかしら」
「は、はい。店長ですよね。申し訳ありませんが、只今、店を開けておりまして。もう少しすれば戻るかと……」
また、店長の名が出た。ん? もしかして今の皿を割った件で直接話す気なのか。いや、それは困る。皿を割ったことは謝らなけばいけないが、出来ればお客さんからではなく、僕の口から店長に話したい。
「そう。だったら都合がいいわね」
「はい?」
都合がいい? マダムが何を考えての事か分からいが、その言葉の後に、僕に向かって右手を開いた状態でうでを突き出す。今度はなんだ。右手がうずく中二病患者の真似事か?
「スゥーーーー」
なんだ。なんだ。そんなに深く息を吸い込んで。京土産のマダム、一体何をーー
「痛いの痛いの飛んでいけ!」
「へ?」
いやいやいや、それは怪我した子供にお母さんがしてあげる魔法の言葉でしょうが! 大人が大人に使う言葉じゃない。言った本人も、言われた相手も恥ずかしいやつだよコレ! 目に見えない傷の痛みが飛んでくどころか、深く刻まれちゃったよ!
でも今、店の中には、魔女設定を語る痛いマダム二人と設定上魔法を掛けられた痛い僕の三人だけ。これが唯一の救いだ。
そんな僕の気も知らない京土産のマダムは、真っ直ぐ僕の方を真剣なまなざしで見ている。これ、ガチのやつですわ。頭の中では、しっかりと魔法発動してますね。
「直ったわね。次からは気を付けて。あと、このことは、オーナーに内緒よ」
そう言い残して、京土産のマダムは、自分の席へと戻る。その後ろ姿は、颯爽と現れて人助けをした後、お礼も聞かずに去ってゆくヒーローのようなカッコ良さが漂っている。
でも、入店から今に至るまでの会話録や行動を遡って見ていくと、それがゼロになってしまうのは、僕が「痛いの痛いの飛んでいけ」の魔法をかけられた今もまともであるからだろう。いや、魔法にかけられたって設定なんだけどね。
さて、自称魔女の痛いマダムも席に戻ってくれたことだし、僕は僕の仕事をするとしよう。幸いアレ以上の絡みを受けることはなかったし、不幸中の幸いだ。
よし。いろいろあって、取り乱して皿を割るミスもあったが気を取り直していこうじゃないか。
いつも通りで良いんだ。ここからは、通常営業です!
まずは、割ってしまった皿を片付けないと。
「て、あれ?」
床に視線を降ろすと、さっきまで割れて破片が散乱していた皿が、元通りの姿で置かれているではないか。一体、何が起こったんだ?
確かに僕の目には、床に落ちて皿が割れる瞬間が焼き付いている。皿が割れた嫌な音も耳に残っている。そう。僕が落とした皿は、確実に一度割れているはずだ。それがどうして……
まさか本当に、さっきの京土産のマダムが言い放った「痛いの痛いの飛んでいけ」は魔法の呪文? いや、そんな馬鹿な事あるはずがないだろう。
「店員さん」
「は、はい!」
考えが纏まらないまま京土産のマダムがニコニコとした表情で僕を呼ぶ。今度は何をする気だ?!
「注文の品、まだ頂けないのかしら?」
「も、申し訳ございません。只今、お持ち致します!」
いけない。ここからは通常営業でいこうと決心したばかりじゃないか。どんな人でもお客様には変わりないじゃないか。言動や行動が痛いだけで、別に店側に不利益なことや迷惑な事は、今のところ何一つない。
さあ。注文のあったチーズケーキを別の皿に乗せ、ブレンドコーヒーと一緒に配膳しよう。
落ち着いて、いつも通りのバイトとしての接客に努めるのだ!
僕が厨房からマダム二人が待つテーブルに向かう間も魔女設定の会話は続けている。
「ねえ。さっきの魔法。あんなに堂々と店員さんの前で使っちゃってたけど、大丈夫?」
「そこもお店の魔法が上手くカバーしてくれるでしょう。大丈夫よ」
大丈夫じゃないですよ。こっちは、目の当たりにした現象に対して脳の受け入れが済んでないんですから!
「そんなに心配なら、私から店員さんに確かめてみましょうか?」
「え?」
いやいや、日傘のマダム。僕の方が「え?」ですよ!
とは言え、京土産のマダムは、僕のことを試そうとしているご様子。ここはサービス業の一環としてお客様のノリ(魔女設定)にお付き合いするのが店員の務め。やってやろうじゃないか! もし、マダム二人が魔法を使える本物の魔女だったとしたら、魔法と魔女に関する会話を全てそのまま聞いていた僕はその記憶をけされるかもしれないけど……
これまでのマダム二人の会話の内容が本当か。痛い設定による嘘か。 どちらにせよ。僕はお客様に失礼がないよう接客をするだけだ!
テーブルに到着。さあ、京土産のマダム。どう出てくる?
「お待たせしてしまい申し訳ございません。こちら、ブレンドコーヒーとチーズケーキです」
「ありがとう。ところで、お皿の方は大丈夫だった?」
やはり皿について聞いてきたか。
「先程は失礼いたしました。お皿が頑丈だったお陰か、ヒビ一つなく無事でした。お気遣い頂きありがとうございます」
あくまで、皿が一度割れたことは隠せ。魔法に気付いていないよう振舞うんだ。
「私の魔法はどうだった?」
ぐぬぬ。ここでストレートな質問をしてくるか。魔法というワードを出された以上、魔法の存在に触れない訳にはいかない。
「魔法? ああ、店長に怒られないですむ魔法ですか。どうだったというか、さっき仰っていた通り店長にはお皿を落とした事は、内緒でお願いしますよ!」
店にかけられた魔法によって、僕の脳内では、さっきの会話は、こんな感じで誤魔化された。というていで答えていくとしよう。不自然でないように回答していかなければ。
「ふふふ。ええ約束しましょう。その代わりに……」
何だ? 秘密を守る為に何か要求してくる気か?
「この店の……」
ゴクリッ
「ブレンドコーヒーを、無料でもう一杯頂ける?」
え? 無料おかわりの依頼。それだなのか。だったらーー
「お安い御用です。マダム」
「マダム?」
しまった。つい、頭の中での呼び方を使ってしまった。
「嬉しいわね。そう呼んでもらったのは百年ぶりだわ」
「アハハ! ご冗談を。お客様ご自身の美しさが、今のは噓ですと証明していますよ」
「うふふ。口が上手いわね」
京土産のマダムが笑いながらブレンドコーヒーに手を伸ばす。これ以上話し込んでボロが出る前に厨房へ退散するとしよう。
「では、ごゆっくりどうぞ。ブレンドをおかわりされる際は、お呼びください」
はあ。緊張した。通常営業でとは決意したもののお客様と心理戦を交えないといけない接客は、もはや通常はとは呼べないな。
僕は、テーブルに背を向け、その場を後にするが、意識自体は、背中越しにテーブルで再開されるマダム二人だけの会話に向けられたままだ。
「ほら。私たちの会話は、上手く誤魔化されていたみたいよ」
「そ、そうみたいね。良かった」
よし! なんとか誤魔化せたっぽい。あとは、あの二人が店を出るまで接触は最低限にして上手くやり過ごそう。
「新幹線も便利だけど、あなたの物質復元魔法も相変わらず便利そうで羨ましいわ」
日傘のマダムが、また魔女設定の会話を展開している。確かにさっきの割れた皿が割れる前の状態に戻っていた魔法は便利そうだ。もし、物を直す魔法があるのなら僕も是非知りたいものだ。
「私の持っている固有魔法は付喪神専用の言霊だからちょうど良かったのよ。さっきの呪文は傷付いた付喪神を癒すための魔法。この店にある食器はアンティーク品が多いからできたことよ」
「じゃあ、さっき店員さんが割っちゃったあのお皿は……」
「お皿の付喪神よ。だから私の言霊の魔法で直せたの」
な、なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!