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ダンス・ビートは夜明けまで コンポジット・ロンド

作者: 高野 聖

Section.0


 エア・コンディショナの空気の流れが微かに響く、真っ白な、異様に静寂な、小さな部屋。部屋の中には、黒い、特徴のないカウチが三つ。そこに腰掛けているのは、中肉中背の二人の男と一人の女。まるでマネキンのように特徴のない顔。

 空中には仮想スクリーンがいくつも亡霊のように浮かび、点滅している。安っぽい悪夢に似た部屋の明かりは、光源がわからない。三人のマネキンは、お互いに目をあわすこともない。しかし、それは三人のディスコミュニケーションをあらわすものではなく、むしろ三位一体であることの証明だった。三人の間には言語によるコミュニケーションは不用だった。その、交換される膨大な情報をすべて会話のように捉えることは、いかなる手段をもってしても不可能だった。三人はそれぞれ無限に見えるほど膨大な思考プロセスを同時にしかも理路整然と走らせており、しかもそのプロセスはお互いに共有されていた。

 しかし、その各プロセスそのものは、決して理解不能なものではなかった。自然言語に近い文法で記述された彼らの思考プロセスの最小単位は、むしろいかなるコンピュータ言語よりも理解しやすい物でさえある。

 そのひとつのプロセスの中に、ややイレギュラーなものが紛れ込んでいた。

『M1、ある工場の生産性が向上している』

 男の一人が、女にそう告げていた。

『やや向上しすぎている。予定値を20%近くオーバーしている』

『ほかのプロセスへの影響が出始めている』

 もう一人が答える。しかし、この二人の見分けなどつくはずがなかった。

『ソシアル・エントロピーが急速に増大しつつある』

『「マクスウェルの悪魔」が必要だ』

 女……M1はそう判断した。

『M3、最も有効に悪魔を創出するように。』

 男の一人が「OK」を出し、このプロセスは三人の間から「M3」へ引き継がれた。



Section.1


 TAN、TAN、TAN、……。

 軽やかな音。

 まるでリズムボックスのスイッチをオンにして、そのままシンセドラムの音だけを叩かせたような。良くいえばファンシーな、悪くいえば間抜けなサウンド。

 少なくとも、その一つ一つが、約十ミリにも及ぶハイブリッド装甲を貫通する威力をもったものの立てる音だとは、とても信じられない

 しかし、網膜に投影された映像は、明らかに聴覚を否定するものだった。

 ターゲット代わりに並べた装甲車のスクラップの緑色の扉は、そのリズムに合わせて踊っていた。カートレスの、小さな弾体に貫かれながら。

 そのステップが、無機質な明かりの下で奇妙な影を躍らせる。ブラウンの壁いっぱいをスクリーンにして。

 ほんの数秒、関原ミュウはそのステップに見惚れた。

 見惚れている間に、手の中のリズム・ボックス……護身用といわれるAR15マシンピストルをカスタマイズした、ワンオフ物の銃……は、沈黙した。カートリッジの中の弾をすっかり吐き出した小さな銀色の銃は、PI、と満足げに弾切れのアラームを鳴らした。

 ミュウはようやくトリガーから指を外して振り返った。白く細い、少女のような指。オレンジ色に見えることさえある、細く淡い金髪が、すこし靡く。伸びすぎの髪は、やせっぽちで小柄なミュウを、ますます少女のように見せていた。

「なかなかええ銃やと思う」

 ミュウは、細い肩をすくめた。少し大きめの、カーキ色のエアポリスの制服がだぶついていた。

 ミュウは傍らのワゴンに銃を置き、同じワゴンに載せたままの紙コップに手を伸ばした。規律違反のアイスコーヒーの氷は、すっかり溶けきっていた。エンジン・オイルのようなよどんだ濃さは、これを淹れた整備班のフリース軍曹の好みらしい。つい最近、軍備開発研究所から現場に左遷されてきたという噂だったが、ミュウはそういったことに関心がなかった。

 ミュウは、アイスコーヒーを一口含み、不味そうに顔をしかめた。

「ありがとうございます、少尉」

 その、不味いコーヒーを淹れることにかけては少なくとも天才といえる軍曹が、満足げに笑っていた。少し神経質そうな微笑み。研究所上がりの重火器の専門家という肩書きの通り、線が細い。基本的には自分と同じタイプであると、ミュウは認識した。

「少尉にそう言っていただけると心強い。こいつは自信作ですから。コンパクトで低反動、それでいてハイパワー。警察用としては理想的だと思うのですが」

「確かに」

 ミュウは、ため息混じりに頷いた。

「このサイズと反動なら、22口径以外使ってない僕にも振り回せそうだ」

 何故かあまり浮かない様子で、ミュウは紙コップを置いた。ワゴンに引っ掛けたジャケットを肩からひっかけ、髪をうざったそうに掻きあげる。フリース軍曹は、妙に大人びた少年のしぐさに、少し目を細める……しかし、この頼りなさそうな少年が、この都市のエアポリスのエース・パイロットであることは間違いない。

「では、関原少尉からも推薦してもらえますか」

 フリースは、精一杯の作り笑顔……異様にぎこちないものであることは本人も良く分かっていた……で、言った。

「私の研究所復帰を」

「ディグ」

 ミュウは視線を合わせず、かわりにファーストネームで軍曹を呼んだ。

「エアポリスの装備班は気に入らない? 」

 当たり前だ、と言いかけて、フリースは口をつぐんだ。俺のような設計屋が、何故現場で人の設計した銃の整備なんかに埋もれなきゃならないんだ……。

「そんなことはありません」

 フリースは、下手な嘘をついた。

「別に待遇に不満があるわけではありません。しかし、他人の作った物を整備するよりは、自分で作った物を整備してもらうほうが自分の特性に合っていると思います」

 ミュウが、不意に視線をあげた。フリースの細い目は、ミュウの視線とまともにぶつかった。

 大きな、ふたつの瞳。蒼い瞳。そういえば、左目の方が少しちいさい。いつもは、それを気にしてサングラスか前髪で隠している。

 その瞳に、フリースは射すくめられたような気がした。

 ミュウは、ふ、っと頬笑んで視線を外し、フリースに背を向けた。

「悪いけど、」

 ボーイソプラノの声が、言った。

「ディグのような優秀なメカニックに逃げられちゃ、僕も困る」

「……あ」

 フリースには、五秒ほど、その言葉の意味が正確に理解できなかった。

 反応ができないでいる間に、ミュウは反応の悪い自動ドアを蹴っ飛ばして開き、装備庫の外れに仮設された射撃訓練場から出ていってしまった。

 取り残されたフリースは、唇を噛んだ。

「俺には整備屋がお似合いだとでも言うのか」

 フリースは、怒りに任せてワゴンを蹴りつけた。

 ガラン、と、弾が切れたままの銃が、床に転がった。フリースはそれを拾い、少し眺めて、床に叩きつけようとする。

「痛っ」

 フリースはしかし、叩きつける前に銃を取り落とした。

 ネジ穴が死んだために最後の固定に使ったリベットの突起に、指を噛まれたのだった。

 出血した指先を押さえて、フリースは天を仰いだ。



Section.2


「ディグ・フリース? 」

 アイスドールと異名を取る航空警察特務班の責任者にして空軍大佐である関原理恵は、大きなチーク材……に、似せたバイオ素材……の執務デスクから顔も上げずに、透通ったソプラノの声で訊き返した。その間も手は休むことなくデスクの上を走り回っており、フレームレスの小さな眼鏡の上のデータ・ディスプレイが忙しく点滅している。数年前の「外敵侵入」の際には実戦パイロットとして活躍し、今は都市管理システムの重要な部分を管理する黒髪の美女は、その容貌と能力の高さからか、まるで人工物のようにさえ見える。アイスドールとは、皮肉交じりの仇名なのかもしれなかった。

「ほら、おるやんか。装備班の火器担当の。ちょっと蔭のある感じの」

 勤務時間外のため、ヴィンテージもののリーヴァイスに白い長袖Tシャツという、およそ理恵の執務室の雰囲気にはそぐわないスタイルのミュウが、両手を広げる。重厚な応接セットに座り込んだミュウは、どちらかといえば、補導されてきた中学生のような雰囲気だった。その声に反応して、応接セットの傍の、ミュウよりは背の高い観葉植物が、踊るように少し揺れる。

 ミュウは、その植木鉢を軽く蹴っ飛ばした。

 その音に、理恵がはじめて反応し、顔を上げて眼鏡を外す。

「ショーンちゃんに乱暴しないように……そんなメンバーがエアポリスにいたかなあ」

「そやから! 空調用の人工植物に名前をつけるのはやめえって! ……ほら、背の高い、神経質な奴」

「ああ、あの病的な感じの男か」

 理恵は、興味なさそうに頷いて席を立つと、ミュウの蹴っ飛ばした観葉植物のそばに歩みより、軽く幹を撫でた。ミニバナナそっくりの細い幹が、媚びるように理恵に擦り寄る。遺伝子的に人工のものとはいえ、生き物に違いはない……。

「君は昔からああいう「男」が好みだったな」

「ちゃうわ! 」

 ミュウは、顔を真っ赤にして思わず立ちあがる。その勢いに驚いたように、ミニバナナはさらに理恵に擦り寄った。

「ボクはゲイやないで、何回も言うようやけど……そら、男に追っかけまわされたことがあんのは事実やけど……」

 言っている途中で、ミュウの声が小さくなる。嫌なことを思い出したらしい。

 理恵は、何もかも見透かしたような、黒い澄んだ瞳でミュウを見据えた。ミュウは一瞬怯み、それから、蒼い、大きな瞳で、理恵をにらみ返した。

「なんだよ」

「いや」

 理恵の瞳に、不意にいたずらっぽい光が灯った。

「わが弟ながら、君のファザコンは心配だ」

「誰がファザコンや! 」

「ファザコンでないとすると、さらに深刻やね」

 理恵は、くすくすと笑った。ミュウの前以外では、決して見せない笑い顔。

「父の幻影以外であんなのを選ぶとしたら、君の趣味はホモセクシュアルとしてもかなりよくない」

「どつくで、姉貴」

 ミュウは、真っ赤な顔で噛みつくように言った。

「からかい甲斐のある子だ」

 理恵は、くすくすと笑いながら肩をすくめ、眼鏡をかけた。いかに弟相手とはいえ、これ以上公務の時間を割く気はない、というサインだった。

 ミュウはため息を軽くつき、あきらめてソファから立ちあがった。

 理恵はミニバナナを放り出してデスクに戻りかけ、それから、思い出したように言った。

「ディグ・フリース。現在の階級は軍曹。もと技術開発員。重火器開発の専門家。ただし、現在のところ開発にかかわった機種で正式採用されたものは無し。先月の移動でエアポリスに転属、ただし軍曹級に降格。降格の理由説明などはこちらにも来てないから、都市管理委員会か中央制御機構の意図だね」

 既にまったく別の執務情報が流れ始めている中で、理恵はフリースのデータを選別して口にした。並列処理で他のものも処理しているらしい。おそらく、一瞬呼び出したフリースのデータは、理恵の自前の脳にキャッシュされているのだろう。

「ただ、彼の設計した火器の製造検証試験中に事故があったという記録がある。たぶん、それに関係しているのだろう……都市管理委員会のカオス推論エンジンの判断は、時に突拍子もない場合があるからなんとも言えないが。資格免許は全部で13種類取得。身長185cm、体重59kg。病歴特になし。年齢は31歳。妻はなし、両親は健在で、海洋牧場のd1024セクションに服務中……」

 ここまで言ったところで、わずかに理恵の口元がほころんだ。

「そういえば、ペルセウスとか言う名前のシェトランド・シープドッグ・レプリカを飼っているらしい」

「そないなプライベートな情報まで記録しとるの?

「いや、これは先週、ランチタイムにたまたま聞いただけ」

 くすくすと理恵が笑い、ミュウは頬を膨らませる。

「またボクをからかった」

「いじけるな、少年」

 理恵は、デスクに腰をおろして腕を組んだ。もっさりとした軍服越しでもわかる体のラインは、思ったよりグラマラス。

「お姉さんは、いつでも君の恋の成就を願っている……たとえ同性愛でも」

「いつかその減らず口、縫い合わせて二度とそーいうそらぞらしい皮肉いえへんようにしたるで、ほんまに! 」

「それは、困る」

 理恵は、一瞬、心底困ったような表情を作ってみせた。

「君におやすみのキスができなくなってしまう」

 ミュウは、一瞬硬直した。それからすぐ、耳まで真っ赤になり、あわてて部屋を飛び出そうとした。そばにあったミニバナナがその足に引っかかって、ミュウは派手にひっくり返る。その上から倒れ掛かってきたミニバナナは、倒れまいとしてか、葉を大きく広げて幹をくねらせる。

「あーあ……ショーンちゃんに乱暴するなと言っただろう」

「あのなあ」

「冗談も通じないようでは、相手がいくら病的でもてない30男とはいえ恋愛の成就は難しいぞ」

 ミュウは、ミニバナナの葉っぱの間から天井を見上げて、深いため息をついた。



Section.3


「冗談じゃねえぞ! 」

 ダークグリーンのパイロット・スーツのジッパーを上げ、メットを被りながら、エアポリスのエンブレムをつけたパイロットが唇を尖らせた。耳障りなサイレン。がらんとしたスクランブル待機室の壁が、びりびりと振える。

「あと五分で俺の当番は終わりなんだ! 今日は娘たちと食事する約束だったんだぞ! 」

「はいはい、ぐちらない、ランディ」

 首もとのハーネスを留めながら、コ・パイロットが言った。バイザーで表情は良く見えないが、赤い髯と鮮明なコントラストを描く白い歯が、にやにや笑いを想像させる。

「もうエレベータが動いてる。可愛い彼女がお待ち兼ねだ」

「くそ」

 ランディは舌打ちし、足でドアを蹴飛ばす。二枚分厚い扉を蹴り空けると、夜の空気が流れこんできた。この街で二番目に高い建築物である警察本部の屋上からは、夜景に霞がかかって見える。一種息をのむほど美しいといわれるこの街の夜景も、毎日飛びまわっているエアポリスのパイロットにとっては見慣れた光景でしかない。5千万人の鮨詰め、多重階層化された孤島……。その真中に立つ都市管理センターの尖塔の黒い影のほかに、視界を遮るものはない。

 そのランディの目の前に、小型の対戦車ヘリコプターがせりあがってきて、その視界を大きく遮った。白黒パンダの戦闘ヘリ。細長いボディは、どこか釣り道具のルアーを思わせる。針の代わりに、喉元には対戦車機銃の旋回砲塔。航空警察の制式機、P-21「ベルナルド」。

「グッド・イヴニング、ジャニス」

『こんばんは、ランディ、オルソン』

 フラットな女の声でヘリが答え、防弾ガラス製のキャノピーが開く。少しスピーカーの調子が悪いらしく、声が割れる。

『任務内容を確認中です』

「はいはいご苦労さん」

 ランディは190センチの巨体を窮屈そうにコックピットに押し込める。まるでゲーム機のような単純なコックピットに灯が点る。

「ありゃ、」

 同じようにコックピットに体を沈めかけていたオルソンが、素っ頓狂な声をあげた。

「ディグ、何やってる」

 本来、ヘリポートにあがってくるはずのない装備班の制服を見て、オルソンは目を丸くしていた。ランディは指をダッシュボードの下につっこみ、手持ち装備のラックが嵌っているのを無意識に確かめた。通常、すべての装備は中央電脳の指示に基づいて階下の整備ハンガーでセットアップされているはずだった。フリースがここにいる、ということは、なんらかの事故の可能性があった。

 案の定、フリースはばつが悪そうに頭を掻き、二人と視線を合わせようともせずに言った。

「すまん、パッケージの選択ミスだ」

「選択ミス? 」

「パッケージの更新の途中だったんだ。型番が変わるという掲示が出てただろう」

「古いパッケージってことか、ここに乗っかってるのが」

「そうだ。こっちが正しいパッケージだ」

 フリースは、ランチボックスに認証スイッチの追加されたような箱を二つ、コックピットの二人に手渡す。

「古いほうを強制イジェクトして、入れ替えてくれ……ジャニスがエラーメッセージを出すと思うが、各ヘリに更新情報を転送するのが遅れたせいだ。気にするな」

「そうか? 」

 少し不審に思いながら、ランディがボックスを外す。警告音。オルソンもそれに習い、フリースに渡されたボックスを代わりに挿しこむ。

『警告。登録されていない武装パッケージです。確認してください』

 ジャニス……ヘリの制御コンピュータが、警告を発した。ランディはスイッチを切ってリセットし、手動ラッチで箱を固定した。

「そう、それでいい……」

 フリースは唇の端をあげて笑い、制服のポケットからメモリ・プレートを二枚引っ張り出す。ランディとオルソンはそれをジャニスのメモリ・スロットに放り込み、マニュアルを登録した。ミッションと装備のバランスどりは装備班の仕事で、パイロットの仕事ではなかった。

「ショットガンは今までのと同型だ。催涙弾と散弾を装填してある。サブマシンガンは新型で、徹甲弾を仕込んである。使用法は今までのと同じ。セラミックスのボディで、電気式」

 フリースは、まるでメニューを読み上げるシェフのような口調で言った。

「わかった、飛行中に見とく、マニュアルは」

 オルソンは面倒くさそうに答えて、キャノピを閉じるようジャニスに指示した。

「今日の犯人は、軍用アーティフィックを装備しています。気をつけて」

「サンキュー、ディグ」

 分厚いキャノピーが閉じられ、暖気されていたエンジンの回転が上昇する。左右に抱え込んだ大きなダクテッド・ファンが甲高い回転音をあげる。良く晴れて乾燥した夜の空気が、サングラス越しにフリースの目に染みた。

『発進します。整備員は危険エリアから退避してください』

 ジャニスが警告し、離陸動作に入った。フリースはあわてて退避壁の後ろに駆け込む。

 暗い、しかし町の光を照り返して少し赤い空へ、ジャニスは離陸した。

「頑張ってくれよ、現場隊員」

 フリースは、何故か笑っていた。心の底から楽しそうに。

 その笑いを妨げたのは、耳に被さったインカムからの、野太い男の声だった。

『何してる、ディグ! 』

 装備班の古参兵の声だった。フリースは不快そうに顔をしかめて答える。

「装備品の手違いを訂正していたところです……もうスクランブルは終わった、別に声を荒げなくとも……」

 エアポリスは基本的に、どのような状況であれ、一機以上のヘリを投入することはほとんどない。通常の刑事事件に投入するにはそれ以上はコストが引き合わなかったし、2機以上必要なほど大きな戦闘が予想される場合は、軍の管轄になるからだ。フリースはそのことを知っていた。

 しかし、古参兵の返事は意外なものだった。

『今夜は特別だ。さっき、都市管理委員会から依頼があった』

「なんだって? 」

『関原少尉が……ミュウが出る。準備しろ』

「“シャンブロウ”が必要なのか? 」

『今夜の相手は「虹色兵団」なんだとよ! 』

 その名前には、フリースもさすがに聞き覚えがあった。……軍用のアーティフィックを多数保有する、大規模なテロ組織だという。その資本力や装備から、あるいは「外部勢力」を背景にしたものかと噂されていた。

『軍よりもミュウの方が有効なんだとよ! それで駄目なら本格市街戦になる……おい、急げ! 』

「ああ……」

 フリースは天を見上げ、あはは、と乾いた笑い声をたてた。

「そりゃ、いい。最高の実験だ……」



Section.4


 アーティフィックと呼ばれる人工生命ベースの工業材料が実用化・量産化されはじめた最初をどの時代に設定するかについては、歴史家の間でも諸説がある。前世紀の終わり頃、クローンや品種改良が利用されはじめた時点とするか、それとも今世紀に入って完全に人工的に生命を生成可能になってからをいうのかの二点に、その争点は絞られつつあったが。

 当初は食料や環境素材など生物らしい利用にとどまっていた人工生命の利用は、次第に工業生産品のほとんどを置きかえるほどに広まり、現在では兵器にまで利用されるようになっていた。それも、以前のような、細菌兵器といった使い方だけではない。完全な攻撃兵器として、である。

 人工生物の兵器は、機械と比較すると安価で生産性が高く、維持がたやすかった。しかも、性能的には完全に機械兵器と同等だった。人工生命が単に「人工物」(アーティフィック)と略されるようになったのは、これらの兵器群が実用化されてからのことといわれている。現在では、この都市の軍用制式兵器の7割と司法の装備の8割は、これらアーティフィックで占められている。

 逆に、完全にアーティフィックを廃し、機械装備だけで構成されている軍事力は、航空警察隊以外には存在しないほどである。それは、日用品や食料品、それらを生産する工場、さらにはそれらの制御システム……そのすべてが実質的にアーティフィックで構成されているこの街では、例外的なことだった。

 航空警察は、治安部隊の中では特殊な存在である。むしろ、治安部隊に紛れ込まされた独立空軍に近い。都市内部の治安維持に任務が絞られているにもかかわらず、独自開発の航空兵器と陸上戦闘部隊を保有し、市街戦に限っては空軍と陸軍の双方の機能を兼備する。

 これは、この都市のアーキテクチャが決定される際に問題となった、「チャペックの恐怖」、または「フランケンシュタイン・シンドローム」……「創造物が造物主に反乱を起こすという幻想」……に対する「保険」として設定されたと、現在の歴史家には考えられている。

 都市管理委員会もまた、「単一の系に依存することの危険を軽減するための安全装置」として、この小部隊を位置付けている。軍隊に匹敵する能力の非アーティフィック部隊を、軍組織から独立した組織に配置し、万一の事態に備えるとともに、平常は治安維持にあたらせる……それが、この都市を実質的に運営している都市管理委員会の方針だった。いわば、使われることのない安全弁を転用しているに過ぎない、というのが。

 しかし、三年前の「陸軍兵器工廠付属研究所襲撃事件」以来、航空警察の存在は、単なる「使われることのない安全弁」ではなくなっていた。その事件以来、完全なる理想郷として構築されつつあったこの都市に、異変が起こり始めていた。外部から遮断され、完全な治安維持がなされていたはずの街の中に、実は悪意と強力な武力を兼ね備えた多数の人間が潜伏していることは、もはや明白だった。正規軍にも匹敵する装備のテロリスト組織は、都市の機能拠点を次々と襲撃するばかりでなく、目的もはっきりしない無差別テロを繰り返していた。それは、外部勢力の干渉なくしては考えられないものだったが、都市管理委員会は公式にはそれを否定していた。

 だが、街は常に大規模テロの恐怖に怯えるようになっていた。

 しかし、都市管理委員会は、この三年間、頑として正規軍の投入を拒否してきた。外部からの防衛が正規軍の任務であり、テロはあくまでも治安部隊の職責の範囲である……それが、都市管理委員会の見解であり、現時点での判断だった。

 その結果、航空警察隊は、テロリスト側の強力な装備に対処しうる、都市内を自由に行動可能な唯一の組織という、思いがけない重責をも担うことになったのである。

「だからって、こんなのの相手も俺たちの仕事か? ! 」

 キャノピごしに、サーチライトの中に浮かび上がるターゲットを認めたオルソンが、ため息をついた。ビルの谷間に長く伸びる、ターゲットの影。10m近くの大きさのある、金属質の百足のようなシルエット。街の灯に照らし出されて、玉虫のように光る。巨大な百足は、ビルの入り口に上半身を突っ込み、なおも潜り込もうとしている。

 ……複合アーティフィックの建材を、その先端にある、回転鋸を内蔵した筒のような口で、美味そうに貪りながら。百足は、出現地点から、進路にそって建つビルのすべてを、見事なまでに食い散らかしている。構造的に脆弱なものは、完全に折れて道路に横倒しになっていた。

 それにオーバーラップするように、網膜投影ディスプレイの上を、自機の現状と目標および周辺状況のデータが流れてゆく。エンジンの振動だけが、パイロットの感覚に直に訴える。あとはまるで、出来の悪いパニック映画のようだった。

『目標を確認。地上戦闘用ユニットです。生体反応あり、アーティフィックです。形式などの登録はなし、未確認のモデルです』

 ジャニスが、目標のデータを通知する。相変わらず割れた音。

『対空装備はもたない模様。チャフを散布、現在自動回避運動モード』

「おりこうさん、ジャニス」

 後部座席のランディはエアマスクの下で笑い、左手で兵装制御盤を操る。ピ、ピ、ピ、と軽い電子音。スイッチパネルが点滅する。不可測回避運動に入った機体のモーメントが、内臓に気持ち悪い圧迫を加える。完全なメカニックとはいえ、生物的な動き。アーティフィックの感覚器を乱すためのチャフが機体の下部から散布され、街灯とビルの明りに煌く。

『機首下リニアガン旋回砲塔、セイフティ解除。目標はロックオン済みです』

「目標に対する効果は? 」

 半信半疑に、ランディが聞き返す。

「この規模のだと、12.5mmは厳しくないか? 「シャンブロウ」向きだろ、こういうのは」

『現在計測中』

 ジャニスの思考中を表すシンボルが、2回、瞬いた。計算結果が表示される。

『装甲を貫通し内部組織に損傷を与えるには充分です』

 心なしか、オルソンにはジャニスの声が力強く聞こえた。ランディは拳同士をぶっつけて、うなずく。

「OK、それで行こう……今夜はお子様抜きで終わらせよう」

「頼むぜ、相棒」

 ランディが、ちらりと後ろのオルソンを振りかえる。

「さっさと片付けてくれ。あと10分で店を予約した時間になる」

「どこの店を予約したんだ? 」

「ウェスト・ミドルの「ティンカーベル」ってレストラン」

「なんだ、このすぐ近くじゃないか」

 オルソンは、ヘルメットのバイザーの下で目を細めた。

「安心しな、2分でけりをつけてやる」

「それなら大丈夫だな」

『警告』

 ジャニスが、それに水を差すようなことを告げる。

『地上に小型のアーティフィック・ウェポンをさらにもう一体確認……インフィニアBと確認』

 二人の網膜に、二本足で直立したカブトムシ……大きさは人間ほど……が映し出される。指揮用のユニットらしく、武装も装甲も貧弱である。

「ありふれた歩兵ユニットだな」

 ランディは、ふん、と鼻を鳴らした。別にてこずるようなターゲットではない。

「久々に地上戦やるか。陸警を待ってたら日が暮れる」

「日はもう暮れてるけどね」

 オルソンも、まんざらではない様子で答える。

「ま、良い運動だ。相棒の家庭の平和の為に一肌脱ぐさ」

『警告。大型アーティフィックがこちらを認知した模様』

「OK」

 オルソンは、旋回砲塔のコントロール・バーを握りなおした。

 上半身をビルから引っ張り出した巨大百足の、回転鋸がロックオンされていた。

「グッドナイト、可愛そうな食いしん坊ちゃん」

 オルソンは、ボタンを押した。


「冗談やないで、時間外勤務やなんて! 」

 ぶーたれながら、ミュウは愛機のコックピットに這い登った。

 バブル・キャノピー。二つ並んだマッハコーン付きのエア・インテーク。ローターは分厚い高翼配置の主翼の中。テールには、大きなアフターバーナー付きの噴射口。どう見ても、マンガ用にディフォルメされた戦闘機にしか見えないシルエットが特徴的な機体。

 高価過ぎることが原因で次期主力戦闘機の座を得ることの出来なかった、試作機。

 それが、シャンブロウというコードネームをもつ、ミュウの愛機だった。

『文句言わない、お仕事ですよミュウ』

 シャンブロウの人工知能、ジョージがいう。

『クラスAの戦闘アーティフィックでしょ。オルソンたちだけでは危険です』

「連中、怒るで」

「上げますよ、少尉」

 整備員が会話に割りこんできて、ミュウは口をつぐんだ。格納庫から屋上のヘリポートに向かうリフトが動き出す。

 そのリフトに、装備班のコートを着た男が、ひょいと飛び乗った。

「ありゃ? 」

 ミュウが、不審そうに目を丸くする。……男は、ディグ・フリースだった。

フリースは、にやにや笑いを浮かべながら、コックピットを覗き込んだ。手には、小さなトランク。どうやら、兵装のパッケージ。

「大丈夫、少尉の手をわずらわすこともありません」

「はあ? 」

 ミュウは、首を傾げた。

「シャンブロウの20ミリは不必要です……たとえベルナルドの12.7ミリじゃ役不足だったとしてもね」

 フリースは、言いながら兵装パックをミュウに手渡そうとする。

「これは? 」

「私の設計した、超高速弾体銃です……以前試射してもらったものと同じアーキテクチャで、弾体の破壊力を20ミリ・リニアガン相当に高めています」

 フリースが、自慢げに言う。

 ミュウは少し顔をしかめ、首を振った。

「何度も言うけど、ボクは22しかもたへんねん」

「そんなことを言わず。きっとお役に立ちます」

 フリースは、常に空になっているシャンブロウの兵装ケースに、それを押し込もうとする。ミュウはスチールのケースとフリースを見比べ、仕方ないな、というように笑い、受けとって固定した。

『兵装パックの装着を確認』

 ジョージが告げる。

『警告、登録されていない兵装パッケージです』

「強制的に登録」

『登録しました』

 ミュウは、肩を竦めた。

「よっぽどここの居心地がええんやな……規律違反で原隊復帰が難しなるで。それに、多分使わへんし」

「きっと、使いますよ」

 フリースは、自身ありげに言った。ミュウは、その様子に引っかかるものを感じた。ミュウは、フリースの顔を見た。神経質そうなやせた顔に、似つかわしくないほどの自信がみてとれた。

 フリースは、言った。

「オルソンとランディたちにも、渡しておきました」

「な……」

 ミュウは、目を見開いた。

 左右で大きさの違う、蒼い瞳。

 リフトが屋上にたどり着き、夜風が髪を撫でた。シャンブロウは整備員にリフトからおろされる。

 フリースはそれを愉快そうに……そして何故かひどく悲しそうに……見守り、リフトの下りボタンを押した。降りてゆくリフトからフリースの声が聞こえた。

「百の実験より一の実績というからな……今夜の戦果で、都市管理委員会も考え直すさ。あんたたちがどんなに邪魔しようと、俺は研究局に帰れる」

「ば……」

 ミュウは、首を捻ってフリースのほうを見た。フリースの振る左手の指だけが見えた。キャノピーが閉じ、音が遮断される。

「ばっきゃろお! 」

 ミュウは、声に出して叫んだ。同時に、シャンブロウ専用のカタパルトが作動する。本来完全VTOLのシャンブロウには必要ないが、スクランブルの際に加速を補助し、音速飛行までの時間を短縮するために使用される加速カタパルト。

 シャンブロウは、暗い夜空に跳ね上げられた。

 ミュウの声は、シャンブロウのエンジンサウンドにかき消されたまま、フリースに届くことなく、街の灯に溶けていった。



Section.5


 巨大な甲殻類が、瓦礫の山の中に、煙をあげて倒れていた。少し冷たい空気と朝靄が、その周りにまとわりつく。破壊されたビルのアーティフィック建材が、細胞分裂を繰り返し、建物の形に復元しようとしている。都市管理委員会の作業員達が、瓦礫を撤去しながら、餌がわりの薬品を散布し始めている。まだ戦闘が終了して10分と経っていない。救急車と復旧作業車の到着がほぼ同時というほど、管理委員会の対応は迅速だった。

 ……これもいつものことだ。

「GA-21の局地戦闘タイプだな」

 忙しく立ち働く救急隊員や作業員たちを横目に、黒いコート姿の監査官が、カメラを回しながら呟く。

「メタモルフォーゼ機能を装備、人間大から身長12mの戦闘形態へ可変」

「完全な軍用ですね」

 白衣の科学検証官が、その横で形態端末のキーを叩きながら言った。サングラスに、モニターの表示が照りかえる。

「ノースクロス生産から盗難届が出ています」

「都市防衛軍の発注してないものを、何の為に生産していたのか……」

 口の中で呟く監査官の前を、北十字星のマークの入ったクレーンが横切る。これもアーティフィック。人の創った生き物が、その仲間を自分の背中に載せ、フックで固定してゆく。潰れたアーティフィックの両手には、オーバーヒートしたレーザー発射器官。戦車装甲以上の強度を持つ体にはほとんど傷がないが、良くみると関節の節目が的確に貫かれているのがわかる。銃創から、蒼い血液が流れ出した形跡。

「さすがアイスドールの弟だな」

 監査官は何気なく呟き、カメラを下ろして周囲を見渡した。

瓦礫の山は、半径300m近くに広がっている。その中には、巨大な甲殻類と、もう一体、さらに巨大な百足の死骸。百足のほうは、蜂の巣になって息絶えている。

 百足のほうは、「ベルナルド」の対地攻撃装備が充分に通用したらしい。ある程度行動不能にした上で、確実に停止させるため、至近距離から頭を数回撃ち抜いたようだった。

 人工生命の想像を絶する回復力からすれば、中枢器官を確実に破壊する必要があった。装甲そのものにあたえた損害でさえ、わずかな時間で回復されてしまう。

 その意味では、オルソンとランディは間違ってはいなかった。事実、百足の方は完全にそれで息の根を止められていた。

 問題は、もう一体の、一見小型に見えた方だった。実際には、こちらのほうが百足よりもさらに強力だったのだ。人工生命の、プログラミングによって細胞分裂が制御可能で変態することができるという特性を生かした、カモフラージュ兵器だった。

 ランディとオルソンは、深追いしすぎた。

 まだ「ベルナルド」に搭乗していれば、ジャニスの警告に耳を傾けることも可能だったはずだが、二人は地上に降り、白兵戦を行っている最中だった。百足の装甲を簡単に突き破った、見慣れない銃の破壊力が、あるいはそうさせたのかも知れなかった。

 ともかく小型の指揮偵察用と思われたアーティフィックは、二人の前で戦闘形態にメタモルフォーゼし、さらに大きな損害をもたらした。

 航空警察がシャンブロウという絶対の切り札を保有していなければ、この損害はさらに大きなものになっていたはずだった。対アーティフィック兵器戦も想定して開発された機械兵器であるシャンブロウにとっては、巨大な甲殻類はさしたる脅威ではなかった。ミュウの操るシャンブロウは、機械の優位性を見せつけるかのようにアーティフィックを追い回し、強度の高い装甲に多少苦しみながらも、夜明けまでには完全に沈黙させていた。

 監査官は肩を竦め、足元の金属のかけらを蹴飛ばした。完全に破壊された、ランディとオルソンのベルナルドの破片。

「妙なファクターが加わったおかげで多少バランスが狂うかと思ったが、ベルナルド一機で復元したな」

「そうですねえ」

 科学検証官は、その破片を拾い集めながら頷いた。

「都市管理委員会のカオス推論エンジンの出来は最高ですから」

 監査官は小さく頷き、コートのポケットから自分の形態端末を引っ張り出して損害額の試算を確認した。……事件の起こる前からできあがっている試算。

 都市の完全なる安定は、都市の死に他ならない。都市管理委員会は、都市を生存させることを至上の価値としている……。

「ジャクソン監査官! 」

 ふと物思いにふけりそうになる監査官を、科学検証官が遮った。どうせまたなにかを、つまらないディテールに見つけ出したのだろう。監査官は首を振り、頭を振ってそちらに向き直った。

 演出家は疲れる仕事だった。特に俳優と兼任するときには。


「……警告……警告……」

 ランディとオルソンのベルナルドは、大破させられていた。地上に降りて停止していたため、甲殻類型の方に踏み潰されたようだった。ジャニスのブラックボックスは既に抜き取られていたが、取り残された本体が、アラームを鳴らしつづけていた。割れたスピーカーから、針の飛んだレコードのように繰り返し同じ言葉。

 その横に、来るのが遅いので定評がある救急車が停まっている。大型の、十人収容可能な車両。軍用のものをコストダウン目的で転用したため、一般救護にはまったく向かない。しかも、負傷者をできるだけ回収しようとするため、最初に載せられた人間ほど長時間待たされることになる。

 そのおかげで、少し離れた甲殻類の死骸の傍で倒れていたオルソンは、最後のベッドに載せてもらうことができたのだが。

「たまにはこの馬鹿でかい救急車も役に立つもんだ……」

 髯もじゃの口をもごもごさせて、オルソンが呟いた。右肩に受けたダメージが大きい。ぐるぐるに巻かれたアーティフィック素材のギプス兼包帯の下から、まだ血が滲む。かなりの出血。

「調子に乗りすぎたな、新型の銃のせいかな」

 オルソンは、無理やり笑おうとしている……が、上手くいかない。

「せっかくフリースが渡してくれたのに、使いこなせなかったな」

「すまねえ、オルソン」

 担架にとりつくようにしながら、こちらはほとんど無傷のランディが言う。

「俺がちゃんと援護してれば」

「んな顔すんなよ。男に心配されても嬉しくない……それに死にやしないと言ってる。なあ、先生」

 救急隊員を指示しながら、若い医師はランディの方をちらりと見た。が、頷きも首を振りもしなかった。激痛のせいか、オルソンの小さな目から大粒の涙が赤い髯を伝わってゆく。

「お前、娘と食事だろう。行ってやれよ」

「馬鹿野郎、店が潰れちまったよ」

「残念だな、そりゃ……男が一緒じゃ看護婦に手エだせんだろ」

「オルソン! 」

 ランディは、無理やり救急車に乗りこんだ。

 ミュウは、それを呆然と見送っていた。

 目の前でドアが閉まり、不必要なほど重装備な救急車がゆっくりと走り始めた。

 ミュウは舌打ちし、手に持ったヘルメットを被りなおした。



Section.6


「何故報告書に記載してくれないんです、少尉」

 薄暗い整備庫の中に、フリースの声が響いた。

 航空警察のほかの機体と比べて格段にデリケートなシャンブロウのためにあてがわれた、唯一の専用整備庫。機械油臭いこの部屋は、シャンブロウの巣であると同時に、関原ミュウが翼を休める場所だった。……多分、唯一の。

 フリースは、そこに踏み込んでいた。

「ディグ」

 コックピットの中から、ミュウの声がした。

 これまで聞いたことがないような、機械的な声だった。

「シャンブロウのハンガーに立ち入る許可、出した覚えないで」

「ふざけるな! 」

 フリースが、対照的に感情丸出しの声で怒鳴った。

「俺の銃は、充分にアーティフィックに通用した! 」

 ミュウは、シャンブロウのキャノピーを内側から磨いていた。柔らかいウェス。ほんの小傷も作らないように。さすがにすべての整備を一人でやるわけにはいかなかったが、最終チェックとワックスがけは必ず自分一人でやっている。

 ミュウは、返事をしなかった。

 存在を無視されたフリースは、精一杯の声で叫んだ。……そうしないと、自分が消されてなくなってしまう気がした。

「何故だ! 俺はそんなに無能なのか! それとも、俺の作った銃が、シャンブロウを不要にするからなのか? ! 」

「ディグ」

 ミュウが、全く抑揚のない声で答える。

「その答えは、キミ自身が考えたらええことや」

 フリースは、身を震わせた。

 薄暗い闇の向こうのミュウの姿は見えない。ただ、瞳だけが、フリースを見据えていた。左右で大きさの違う、蒼い瞳。その光に、フリースは射抜かれていた。どういうわけか、大きいほうの瞳……左のほうだ……が、フリースには紅く見えていた。

 フリースは、思わず後じさった。

「どういう意味だ! 」

 反射的に、そう叫んでいた。ほとんど、悲鳴に近かった。

「これ以上、その件に答える気はない」

 ミュウは、コックピットから立ちあがった。

 ぶん、と、何かが風を切る音が、フリースの耳に届いた。ぐしゃ、と鈍い音がして、フリースの足元に何かが突き刺さった。

 フリースの足元の、アスファルト風のアーティフィック建材の床に、見覚えのある銃が突き刺さっていた。

 フリースの背中を、冷や汗が流れ落ちた。

「そいつが原因でオルソンが殺されかけた」

 ミュウは、もうひとつ、小さな集積回路をポケットから引っ張り出すと、フリースに投げつけた。チップは、からんと乾いた音を立てて床に転がった。緑色の、シリコンの塊。

「ジャニスの残骸。こっちの方は完全に御陀仏や」

「……」

 ミュウが、深いため息をついた。絶望したような、息遣い。

「キミが、オルソンとランディのベルナルドに未登録の兵装、渡したことははっきりしてる……その中に記録されてた」

 フリースは、反射的にチップに手を伸ばしかけた。……が、それが無駄であることに気づいて、手を引っ込める。どうせ、中身はバックアップ済みだ。

「拾っとき」

 ミュウが、再び機械的な声で言った。

「データのサルベージはしてへん。別に証拠として査問委員会に出したりもせん」

「……」

「そのかわり、オルソンたちに、なんでこんなことしたんかちゃんと説明して詫びいれてもらう」

「な……」

 痙攣したように震えながら、フリースが、何かを言おうとした。その震えは、さっきまでの恐怖のためのものではなく、激しい怒りのためのようだった。

「なんでこんなことをしたのか、だと? ! 決まってるだろう、自分の誇りを守るためだ! 誰かを、何かを犠牲にしてでも守りたいもののためだ! 」

 ミュウは、瞳を少し細めた。

 フリースは、何も見ていなかった。

「それが分からんから、あんたにはむかつくんだ! あんたのようなガキや粗野な警官どもにへつらわなきゃいけない俺の気持ちが分かるか? 」

「分からないね」

 ミュウは、当然のことのように言った。

「そんな非合理的なものは」

「それは、」

 フリースは、かみしめるように言った。

「それはあんたが、アーティフィックだからだ! 」

 ミュウの、細めていた瞳が、その瞬間、突然大きく見開かれた。

 瞳孔は、逆に収縮する。……左の瞳は、完全に紅かった。

 フリースは、まるで壊れたオルゴールのように制御を無くしていた。

 甲高い耳障りな声で笑いながら、フリースは言った。

「誰もがそう思ってる。口にこそ出さないが、あんたは人間じゃないと。アイスドールの秘密兵器、人の形の戦闘機械だと! 」

 その瞬間に起きたことを、フリースは咄嗟には認識できなかった。

 フリースは、なんの前触れもなく、整備庫の壁に叩き付けられた。足が宙に浮く。首が機械で挟まれたようにきしむ。

 ミュウの、少年のように細い腕が、フリースの喉に食い込んでいた。

 知覚できないほど敏捷に、ミュウはフリースを宙吊りにし、壁に追い詰めていた。

 フリースは、必死でもがこうとするが、手足が思うに任せない。視界が、急速にぼやけ始める。

『ミュウ! 』

 シャンブロウの中から、メインAIのジョージが怒鳴った。

『それ以上やると、あなたもその男と同じになります』

「望むところや」

 ミュウは、全く無表情なままで答える。

「それが人間の証明やというんやったら」

『ミュウ! 』

 フリースの抵抗が、次第に弱まり始めていた。

 ミュウは、じっとフリースの顔に死相が浮かぶのを眺めていた。

 ……が、小さく2・3度首を横に振ると、両手をフリースから完全に放した。

 フリースは、床に尻餅をついた。激しく咳き込み、床をのたうち回る。それを眺めながら、ミュウははじめて感情を顕わにした。

「ふざけんな! そんな思いこみ、機械仕掛けや偽もんの人間や無かったかて、わからへんわ! 」

 ミュウは、のた打ち回っているフリースの襟首をつまみあげた。そのまま、細いとはいえ大の男を引きずって、整備庫の外に放り出す。

 顔から落ちたフリースの状態を確認もせず、ミュウはドアを内側からロックした。

『ミュウ』

「大丈夫や、分かってる」

 ミュウは、金属製の分厚い扉に、小さな拳を叩きつけた。

「あいつもボクらも『要素』に過ぎん、都市という流動体の」

 がん。がん。

 ミュウは、何度もそれをくりかえす。

「けどなあ、理論上の変数と違て、客観的な動作以外の所が壊れることもあるんや」

 ミュウの脳裏に、二人の男と一人の女の、マネキンのように特徴のない顔が浮かんだ。都市管理委員が、その実務には不要な……むしろ邪魔にしかならない……身体を与えられているのは、そのことを直観させるためではなかったのか。

 それとも、無数のタスクのどこかに、こんな重い処理を抱えているのだろうか。



Section.00


「プロセス終了」

 M3から送られてくる無数の情報の中に、それは紛れ込んでいた。

 相変わらず、小さな部屋の中を飛びまわりつづける、都市の制御情報。無表情な三人は、蝶の群れと戯れるようにそれを捕まえ、処理し、離したり潰したりする。気まぐれなようで決して誤らない、神の手。この都市という閉鎖環境、制限された要素の中では、三人の人の形をした存在は、神そのものだった。

 生物が命をつなぐためには、新陳代謝は欠かせない。生物は自らを破壊し、常に作り変えてゆくことで流動性をもち、生き続けることができる。それを、種は、と言いかえることもできる。ヒトという種に、無意識に新陳代謝を続けるポテンシャルが残されていない以上、そしてそれでもなお生き続けたいと願う以上、残された道は一つしかない。

 ……意思をもって新陳代謝を制御すること。速度を制御しながら、自分の身体を、痛みに耐えて破壊し続けること。そして、わずかに残された生存のポテンシャルを、できるだけ長い時間をかけて食いつぶしてゆくことである。

 三人の神は、そのための存在だった。

「不可知の要素により、次段階で投入予定の兵器を投入。結果、予測の範囲で終了」

 主宰する女神・M1の前を、弱った蝶のように、その報告が漂う。

 それは、小さな綻び……少し開発が早すぎた強力過ぎる銃が、開発者自身の手で使用されたこと……を指していた。そのために、本来、巨大な百足によってもたらされる被害が軽減され、充分な代謝を得るためには不足して、さらに強力な兵器を投入せざるを得なくなったのだった。これは、代謝機能の暴走の兆候だった。

「治安部隊の兵装の強化に一定の加速、組織の安定度に予定外のダメージ」

 もう一人の同じ顔の男……M2からの並列情報が、そのことを指摘しながら目の前を飛び去る。

「メインプロセスに影響する恐れあり」

「修正プロセスを開始」

 M1は、計画シミュレーションを展開させながら、M3に告げた。

「蝶の羽ばたきが半年後のハリケーンを招く可能性は、常に存在している」

 M1は、その他のプロセスを処理しながら、機能しない情報を優雅につむぎ出した。

「ハリケーンが起きるのが不可避であるとすれば、進路を制御するしかない……しかし、より重要なポイントを回避させるということは、別の、本来なら襲われることのなかったはずのポイントに被害を転化するということだ」

「……」

 残る二人も、一つずつ、都市と無関係なプロセスを生成した。……個々の人格とでもいうべきものがコールされる。

 三つの人格プロセスは、長い思考フェイズに入った。

 やがてエラーとしてリセットされるはずの、無限のループを描いて。


 ディグ・フリースは、まもなく開発局に戻されることとなった。

このシリーズの掲載第1作目です。よろしければご評価をお願いします。


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