あの花火を見たのは俺だけだったのか
茹だるような暑さだ。
田園風景にトンボが飛んで、ああ夏が来たなって思う。終業式の帰り道、俺は村で唯一のコンビニでパピコを買った。半分に折って幼馴染の沙織に渡す。彼女は明日この村からでかい隣町に引っ越すのだ。
「いいよな。このべ町はコンビニも、カラオケも、映画館もある」
「そうだけど。私はこの風景が好きだからな。ちょっと寂しいよ。あーあ、翔くんと今年も、夏祭りの花火……見たかったなぁ」
沙織は頸へ風を通すように長い黒髪をかきあげた。俺だって、ちょっと寂しいんだ。毎年一緒に、行っていたから。
「ライン送るからね。ちゃんと返事してよ」
「はいはい」
今はスマートフォンっていう、近代文明があるんだから。離れる事は、そんなに寂しい事でもない。だから大丈夫だって、変にムキになっていたのかもしれない。寂しそうにしている沙織に、その時の俺は一切、気が付かなかった。
沙織が引っ越してしまって5日。夏休みはYouTubeとゲームと漫画とアニメで過ごすのだ。沙織がいれば、たまに子供みたいに川遊びをしたりする事もある。うだうだと、部屋で一緒に遊ぶ事もある。
今年の夏は一人きり。沙織からの連絡はない。
「何がライン送るだよ」
誰からも連絡のない真っ黒な画面に悪態をついた。
「翔、沙織ちゃんから手紙よ!」
一階で母親が呼ぶから。何のことかと思ったら、この電子機器の時代に手紙なんて時代遅れなものをよこしたのか。驚きながら受け取った手紙の封を切る。
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久しぶり。翔くんは元気にしていますか。
私は引っ越しも終わって、新しい町を堪能しています。
でも私は、田んぼとか、川とか、電線のない空とか、そういうのが好きだなって。
もう結構ホームシックです。
ホームシックの使い方、間違ってるかな?
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何の変哲もない、ラインで十分じゃないかという内容だった。だから俺はすぐ、沙織に返事を書いた。もちろんラインで。
『どうして手紙なんだよ。こっちでいいじゃん』
そう打って、しばらく放置。しかし待てど暮らせど返事はなかった。仕方なくもう一回。
『そんなに遠くないんだから、遊びに来いよ。夏祭り、あるじゃん』
しかし、いつまで経っても返事はこない。既読にすらならないのだ。あいつ、スマホ壊れたかな。なんて思って、手紙の返事を書くべきか悩んだ。今時手紙なんて、便箋も、封筒もない。この暑い中買いに行くのが億劫だった俺は、そのうち連絡が取れるだろうと思ってしまった。
それからさらに5日。また母親から「沙織ちゃんから手紙よ」と呼ばれた。ああそういえば、手紙返すの忘れてた。ラインの返事もなかったな。まだ壊れてんのかな。そんな気持ちで手紙を開けた。
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やっぱりそっちが恋しいから、夏祭りにそっちに遊びに行ってもいい?
返事なくても、多分行っちゃうから。
いつものところで、いつもの時間で待ち合わせでいいよね?
今度は私が、パピコを奢るね
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こんな量でわざわざ手紙書くなよ。そう思ったけどあれか、ラインとかショートメールの影響で、こんなんしか書けないのか? とりあえず今日は、村で唯一のコンビニに便箋と封筒と、そしてパピコを買った。
手紙なんてどのくらいぶりに書くだろうか。何を書いたらいいかって、思いつかないものだなと思った。
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沙織へ
久しぶり。スマホ壊れちゃったから手紙送ってくれてんのかな。俺はいつもと変わらない夏休みを過ごしてるよ。
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この後は、この前に買った漫画が面白かったとか、この前見た動画が面白かったとか、この前見た漫画が面白かったとか。全部、今までずっと、沙織と一緒に過ごしてきた当たり前の、面白かったを共有するだけの文章。
ああそうだ。これも返事しないといけないな。
手紙の最後に書いたのは。
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夏祭り、いつもの時間で、いつもの場所で待ってるよ。そうだ、去年した約束覚えてるか?
浴衣で行くって話だったと思うんだ。俺は着ていくけど、沙織は遠いと思うし任せるよ。
今年はひとりかーって思ってたけど、一緒に行けるのは楽しみだ。
スマホ壊れてるんだったら、治ったら早めに連絡よこせよな。
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あとはこの手紙を折りたたんで、封をして、切手を貼って。カレンダーを見ると、この手紙がつくのはおそらく夏祭りの2〜3日前、だろうか。返事は確認できないだろうけど仕方がない。少しでも早く沙織に届いてほしくて、村で唯一のポストに入れに行った。でも手紙の回収はもう明日だ。この村は本当に、すぐ隣町はでかいのに……どうしてこんなにも田舎なのだろうか。
夏祭り当日。
俺は約束通りの浴衣にしようかと思った。でもなんか急に恥ずかしくなって、結局甚平を着てしまった。スニーカー履いて、夕暮れのあぜ道を歩く。待ち合わせは神社の鳥居。同じように夏祭りへ向かう人たちが増えていく。村で一番のお祭りだ、だからみんなやってくる。同じ学校の奴ら何人かと目があって、手を振って愛想笑いして。ただ待った。
陽が傾く。屋台を彩る照明が灯ると、自然と空を見上げた。
「なんでこねーんだよ」
もう待ち合わせの時間はとっくに過ぎてる。そうこうしているうちに花火が上がる時間だ。
俺は諦めて神社の階段を登る。屋台の華やかさも、人の活気も、なんだかとても重っ苦しく感じて仕方がない。
ああでも、あいつはもう引っ越したんだ。もしかしたら、用事ができたのかもしれない。来れない事情があって、でも連絡できないのかもしれない。
甚平のポケットからスマホを取り出した。夜につけると一瞬眩しいそれには、何の変哲もない。いつもと変わらない待ち受け画面。
あいつからの連絡は、当たり前だけどなかった。
花火が上がる。夜空に煌めく火花。
毎年、この場所で二人並んで見てた。わたあめ食べたり、かき氷食べたり。たまには指の間に何個かのスーパーボールを挟んでカッコつけながらポーズ決めて。
そんなくだらない思い出が、なんだか今はとても懐かしい。
今年は行けなかった。
毎年一緒に行っていたけれど。
家に帰ったら、手紙を追加で出すんだ。
来年は、一緒に行こう。って。
家に帰ると、なんとなくポストを見た。スマホで連絡がないのだから、もしかしたらこっちに何か来ているかもしれない。手を入れて、暗闇の中取り出した一通の手紙。
見覚えのあるそれ。
これは。
『あて所に尋ねあたりません』
そう赤い印を押された、俺が出した手紙だった。
「翔! 帰ってきたの!? 大変よ!!」
血相を変えた母親が家から飛び出してくる。
「なんだよかーちゃん。もう夜遅いのにそんな大声で」
「さっきお母さんの友達から聞いたんだけど、沙織ちゃんとこ引っ越したその日に一家心中したって」
「は?」
一瞬、何を言われてるのかわからなかった。
「え、は??」
引っ越したその日以降、あいつからちゃんと手紙が来ていたじゃないか。そんな嘘あるかよって、俺は信じられなかった。スマホを取り出して、沙織に電話をかける。
ラインが既読にすらならないのだから、電話が繋がる訳もない。そうだ、あいつのスマホはきっと壊れているから。
「いや、何言ってんだよ。あいつから夏休みに手紙来てたじゃん」
「手紙? そんなもの来てないわよ」
「何言ってんだよ。かーちゃんが、沙織ちゃんから手紙よって。俺に渡してくれたじゃん」
「死んだ人から手紙が届くわけないでしょ」
「死んだって証拠あんのかよ」
「ネットニュースで調べたらいいじゃないの。お母さんガラケーだから知らなかったわよ」
俺は田舎特有の噂話に悪意がのっただけだと思った。そんな事、あるわけないって全力で否定して。部屋に戻って冷静に、冷静にスマホの検索画面に。
橋本沙織 一家心中
これで出るのかな。もう一つ、隣町の名前を追加しておいた。恐る恐る検索ボタンを押す。
『このべ町 母子2人 無理心中』
7月24日。
このべ町のアパート二階で、母子2人が死亡しているのが発見された。
死亡したのは母親の橋本和子(45)娘の橋本沙織(15)と見られる。
日付は、沙織が引っ越して行った日の、当日だ。
その前日は、俺と一緒にパピコを食べた。
でも、あいつから手紙が届いたんだ。
俺は慌てて引き出しに入れた手紙を取り出した。消印を確認しようとして、取り出したそれには。
「なんで」
宛先も、切手も貼られていない封筒だった。
おかしい。絶対におかしい。だって、俺が見た時は確かに、俺の名前と住所と、裏にはあいつの住所があって。
それを見て返事を書いたんだ。宛先がなくて、どうやってここに届くというのだろうか。
封筒から手紙を取り出す。書かれている内容は変わらない。
便箋の真ん中に、なんでこんなに短いんだっていう文章が、ドンっと乗っているだけだ。
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やっぱりそっちが恋しいから、夏祭りにそっちに遊びに行ってもいい?
返事なくても、多分行っちゃうから。
いつものところで、いつもの時間で待ち合わせでいいよね?
今度は私が、パピコを奢るね
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そこまで読んで、手紙を折りたたむ。
便箋の端に、何かがあった。目に飛び込んだのは。
『パピコ、奢れなくなってごめんね』
走り書きの、あいつの字だった。