第1章 9
白人女性の方が、笑いながら過剰なジェスチャー付きの英語で言うには、
「ハロー、お楽しみのところすみません! わたしたちはカメラをベースに忘れて来てしまって、もしよろしかったら……」
どうやら白人女性の方もアフリカ系米国人男性の方もスマートフォンやカメラを持ち合わせてはいないようで。加えて、今日を最後にして明日には米国本土の基地へ帰還にするとのことで、最後の三沢市での思い出を写真に残したいと、手伝ってくれと言うので、王玲は快く引き受けることにし、テンションアゲアゲで英語で、
「オフコース! あたしたちが日本での最後の良い思い出をたくさん撮影しますから、安心して下さい!!」
それではという感じで、王玲よりもさらに大柄の米国人カップルを被写体とし、店内の至るところで何度もツーショットを撮影した。
そこにそれまで厨房にいただろう調理師の男性が加わると、
「今日は撮影会なんて聞いてないぞ。まだ化粧も済んでないのに!」
とか言って陽気にピースサインをするから、王玲がついでにまぁ良いだろうといった感じで一枚写真を撮ってやると、調理師の男性は調子に乗ったのか何度も「写真を!」、「写真を!」とせがんでくるため、王玲はそれをうざく感じるようになってきたのか、最後にはピシャリと、
「本当にうるさいです! 黙ってて下さい! あっち行ってて下さい!」
と中国語で言うと、調理師の男性はふてくされて厨房へ戻って行ったのは哀れだった。
そういったショートコントが終わって撮影会再開のタイミングで、二階からこの店のオーナーが下りて来て、よぼよぼした足取りで加わり、
「これは太陰太極図といってな」
といった風に、米国人カップルに天井のデザインについて説明し、今度はアフリカ系米国人男性に向かって、
「わしは実は中国の人民解放軍の出でな。そっちの黒人さんはどこの部隊なんだ? 空軍か、それとも意外とNSAとかか?」
とか英語で気安く話すことができるのは、ここで長年店を続けているオーナーならではということなのだろう。
オーナーは今度は手洗いの写真でも撮ろうかとか冗談を言いながらみんなを厨房まで案内し、王玲に厨房内の写真まで撮らせていたが、調理師の男性は隅の方でしょんぼりと雑巾のような布切れでシンクを磨いているのだった。
最後にホールでみんなで写真撮影をすることになり、王玲、僕、赤いチャイナ服姿の女性店員、店のオーナーと米国人カップルが集まったが、一人抜けてるとか言って、王玲が厨房から例の調理師の男性に中国語で、
「ごめん、ごめん、言い過ぎた」
とか言いながら無理やり連れて来て、仲良く店内の全員で集合写真を撮影した後、王玲と白人女性とで連絡先を交換し後日メールにて、王玲が撮影した画像を白人女性に送付することを約束した。
「センキュー、センキュー」
とこちらを向いて言いながら、アフリカ系米国人男性が店の入口ドアを開けると、外はバケツをひっくり返したような激しい雨だったので、後半の「センキュー」の声は雨音のおかげでほぼ搔き消えてしまった。
さらに米国人カップルは、こちらも大きな雨音のおかげでかなり不明瞭ではあるが、「外の道路は川のように勢い良く水が流れている状態のようで危ないから注意するように」と大声を張り上げながら店を去って行った。
その後、店のオーナー、赤いチャイナ服姿の女性店員、残された調理師の男性とで中国語でなにか会話をしているが、距離があるのであまり詳細は聞き取れない。
でも、どうやらオーナー曰く、店長は事務作業が早めに終わったので早々に帰宅したとのこと。そして、オーナーが赤いチャイナ服姿の女性店員と調理師の男性に伝えるには、今日は早く着替えてくれと、そうでないと二階の扉を施錠してしまうぞとのこと。
それからあわただしく、赤いチャイナ服姿の女性店員、調理師の男性が二階へ行くものの、二階への扉に鍵がかかっていたみたいで、すぐにオーナーが呼び出され、おぼつかない足取りで二階へ上がって行った。
赤いチャイナ服姿の女性店員、調理師の男性、オーナーは数分後にはまた一階へ戻って来た。
ちらりとそちらの方に目をやると、確かに二人の従業員は先ほどと変わって私服姿となっているので、着替え終わったのだ。
このとき店のオーナーがこちらの円卓の方を見つめているように感じた。
店のオーナーは上は白のYシャツにさらにだぶだぶの紺のカーディガン、下は黒のスラックスに白色の革靴といった落ち着いたコーデで、年齢は七十代といったところか。顔全体が年相応にしわ深くなっているが、話す時以外は口元は信念の強さを表すようにキユッと横一直線の形を維持したままであり、首を突き出すような感じでどっしりと僕と王玲を見据えている。
王玲と僕が二人で行っている本人確認のことは、気にする様子はない感じで近づいて来て、オーナーは立ったまま僕の方を見ながら、意外にも少しはにかんだ感じで北京語で話し出した。
「北京からわざわざようこそ」
「いえ、こちらこそ。美味しい料理をありがとうございます」
定型的な挨拶から始まったが、意外にもオーナーは右手の人差し指で天井を指さし示しながら、
「あんた、陰陽太極図を知っているか」
僕は思わず天井を見上げ、黒色と赤色の二つの勾玉を組み合わせた一つの巨大なモザイク画を確認してから、
「すみません、僕には中国の伝統的な文様とか、火鍋に取り入れられているデザインであるとか、月並みな知識しか持ち合わせておりません」
少し緊張して僕は答えた。オーナーは指をさしていた右腕を下ろして続けて、
「太陰太極図ともいうらしいが、わしにも詳しくはわからんよ。ただ、これは一つの世界に陰陽が生じている様子を表しているといわれている。この陰と陽が単に上下とか左右にきれいに分離していないのは、それぞれの気が生まれ、やがて陰は陽を、陽は陰を飲み込もうと運動するからだ」
僕はこの会話の意図がいまいちつかめきれず、オーナーがまた話し出すのを待った。
オーナーはそんな様子の僕を気にも留めずに続けて、
「世界をどう定義するかだが、あんたにはどう見えるんだろうな。……さて、ここでクイズだが、オリジナルの陰陽太極図は黒色と白色で表現されとるが、なぜかこの天井の二つの勾玉は黒色と赤色だ。なぜだと思う?」
それまで僕の方を向いていたオーナーは僕に少し背を向けると、
「今度答え合わせをしよう。正解したらこの店の料理はなんでも一割引だ」
そう言った後、オーナーは顔だけ僕の方を向いて、ここからはきれいな日本語で、
「わしはこれから帰宅するが、好きなだけこの店に居ても良い」
すぐにオーナーは目線を僕の背後の窓の方に向けた。
「ただし、どうやら天気予報によると、低気圧から延びる前線の影響で、明日明け方にかけて、東北地方では猛烈な雨による河川の氾濫や土砂災害が発生するおそれがあり、さらに大気の状態が不安定のため、落雷、突風にも注意が必要らしいぞ」
どこかで聞いたことのあるセリフだなと思ったが、そのとき遠くから落雷の音が聞こえた気がしたのだが、窓の外で何かが光ったということはなかったため、雷雲はまだ遠くあるようだ。
さらに店のオーナーは、今度は目線を窓辺から僕に移し、僕の目をしっかりと見据えながらしわがれた声で続けた。
「くれぐれも帰りの際には気を付けるように」
店のオーナーはそれだけを言い残した後、おぼつかない足取りで帰宅して行った。




