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第1章 6

 僕がひととおりメニューを確認し終え顔を上げると、王玲(ワンレイ)は眠そうな目で、ゆったりと腰を掛け料理やグラスを口に運び談笑している周りの客たちを眺めながら、ゆっくりと話し始めた。


「この店、広東料理の中でもかなり本格的な店として有名なんですけど、基地の正門から百メートルほどのところにあって、米軍基地に近過ぎるせいか、あまり日本人客は見かけないんですよ。少なくともあたしが来る時は、昼も夜も迷彩服を着たアメリカ人ばっかり。メニューの表記も日本語よりもまず英語が先に来るぐらいだし……」


 王玲は卓上に肘を付き、右手に持ったグラスをくちびるに引き寄せたのだが、ちょうど口元に当たるはずのグラスの縁の汚れが気になったのか、右手の親指と中指とで支えながら他の指を使ってうまくグラスを回転させていくことで、ようやくグラスのきれいな縁を見つけ、このグラスの縁とくちびるとを接触させ水を流し込んだ後に、続けて言った。


「良くここに来るのは、あたしは中国の華南地域の出身で、やっぱり地元の味が恋しくなるからで……」


 黄色く輝くLED電球の光に包まれた王玲が、どことなく気だるい感じで卓上に肘を付きながらグラスを傾ける姿に、僕は少しドキッとして思わず相づちを打ってしまったが、決して騙されてはいけない。グラスの中身はオン・ザ・ロックなどではなく、アルコールも氷も入っていないただの水なのだから。


「華南地域ということは、広東省や海南省、福建省などの辺りですよね」


「さすが引据(ひきす)さん、中国のことはお詳しいですね。あたしの出身は広東省です」


 ときおり迷彩服を着た米国人の話す英語の会話とテレビのクイズ番組の日本語の声が重畳し、ひどく会話の声が聞き取りにくくなりそうな瞬間があるのだが、王玲の声は非常に明瞭でとても聞き取りやすい。


 僕の視界の隅で捉えた王玲の口元がまた動き始めたので、僕は目の焦点をテレビ番組の映像から、王玲の顔にまた戻した。


「ちなみに、地元の大学を卒業してからすぐに北京に出て来て、ついこの間まで精華大学の本館西棟で事務員をしていたんですよ。引据さんのいた機械工程学院の建物は確かキャンパスの中央辺りだから……、もしかしたらどこかですれ違ってたかも、いや! 絶対すれ違ってましたよ! きっと! きゃー!」


 アルコールも入っていないというのに、勝手に一人で盛り上がり始めた王玲に対して至極普通の態度の僕。もう騙されないぞ。


「動力研は本館から二、三ブロック程度しか離れていませんからね。ただ、大学の籍自体はそこだったんですけど実際は二百号や合肥の研究所でアルバイトみたいなことをしていて、帰りも深夜や早朝になることもざらだったので……ご存じですよね。安徽省は北京から遠いですし……」


 〝二百号〟とは精華大学の一研究所の通称であり、数十年も前の話だと聞いているが、整備していた当時の試験用原子炉が精華大学全体のインフラの二百番だったことにちなんでそう呼ばれるようになったらしい。正式には、精華大学の核能与新能源技術研究院といい、僕の所属していた組織の一つがここだった。また、研究領域が近かったこともあり、中国は安徽(あんき)省――北京市の南、河北(かほく)省、山東(さんとう)省や河南(かなん)省を挟み、東シナ海に面する上海の西に位置する安徽省の合肥(ごうひ)市にある研究所ともつながりがあり、当時は北京と合肥を行き来し、それなりに多忙だったのだ。


 僕のグラスの中の氷がカラリと音を立てて動いた。


 そんな当時、大学の事務職員と院生とで立場は違えど精華大学の同じキャンパスにいたという共通点があったことから、ようやく打ち解けて話せるようになってきて、


「ところで、大学の職員としてということですが、なぜ三沢市に滞在しているのですか? 隣の十和田

市には北里大学はあるけれど……、三沢市には大学はないはずだから、大学同士の提携による定期的な職員の交換ということはなさそうだし」


 僕の暗黙の問いかけに対して一テンポの間が空いたので、目線を卓上に置いてある僕のグラスから王玲の方に移してみると、王玲の目線は僕の後方右側の壁に向けられているようで、僕もつられてそちらを見てみると、料理の名称と価格を示した木製の札に混じって、F―三十五A戦闘機、F―二戦闘機、F―十五J戦闘機、E―二C早期警戒機などの比較的新しい写真から少しセピア調になるまで色あせているブルーインパルスの写真も飾られており、どれも三沢の航空祭の写真のように見えた。


 王玲はこれらの写真をきっかけに思い出したようで、


「うーん、ちなみに三沢にも一応大学はあるらしいですよ。ただし、米軍基地内なので、三沢市とはいえないかもですが……」


 王玲から聞くところによると、米軍三沢基地内には、基地に所属している軍人や軍属、その家族のために、米国のメリーランド大学とトロイ大学院の二校が設置されており、所定の条件を満たせば日本人の入学も認められるらしいが、中国人でありすでに社会人でもある王玲にとってはもとより関係のなさそうな話ではある。


「引据さん、実は学内で日本に中国語の語学学校を建設するという計画があって、また上からの指示らしいんですけど。その候補地の調査の一環で今は三沢市に。そういえば、機密保持契約についての説明ですが、まずは料理の注文を済ませてひととおり食べ終えてからにしましょう! 水ではお腹いっぱいになりませんから!」


 そう僕に伝えると、王玲はニコっとした表情で、なにを注文しようかなと独り言ちながらメニューに目を落とした。


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