土曜日 プロママ活プレイヤー、ファントム芦屋
来てしまった。緊張で全然眠れなかった。時刻は朝の8時。待ち合わせは11時だ。時間的な余裕はまだある。妹様は休日の朝に起きることはない。完全夜型人間と化した妹様は日の出こそがベッドインの合図だからだ。
取り敢えずのところ、着ていく服は決まっている。白のポロシャツにグレーのワイドパンツ。 その上からキャメルのテーラードジャケット。バチバチに大学生ヅラをアピールするための装備だ。靴は通学に使用しているローファーで行く。あとは大学生が持っていそうなキャンパストートバッグを持って完成というイメージだ。まだ髪を整えてすらないんですけどね。
前髪をちょっと作りつつ、他はあまり手を加えずに流す。最上君ほどサラサラとぅるんとぅるんではないが、似たような系統の髪質なので、ガチガチに固める理由はないように思えるからだ。
仕上げにラベンダーの香りを身に纏い、戦闘準備が完了した。
何回も最終確認をしていると10時が過ぎ、家を出る直前に『今日はよろしくです!』と送ってから家を出た。電車に乗り、待ち合わせの駅に行く。清秋学園の最寄り駅を指定したのには大きな理由がある。俺とミヤさんはほとんどカラオケをしに来たといっても過言ではない。遊びに行くなら二駅ほど先のもっと栄えたところを選ぶだろうが、こっちの方が確実に安く歌える店があるからだ。もちろん予約は取ってある。13時付近で。
予約の件やランチをしたい旨は事前に伝えており、了承済みだ。
駅に着いた。待ち合わせのキッカリ15分前。
夏に会った時と同じ場所に、ミヤさんは立っていた。
「やっ、芦屋君」
「お久しぶりです、ミヤさん!」
耳がちょっと隠れるキャスケットを被り、黒のライダースジャケットにボルドースカート、足元をブーツで固めていた。160cm 後半はありそうな抜群のスタイルが強調され、フェミニンな印象を強めている。以前と大きく変わったところは、赤く染まった毛先だ。イラスト上のミヤさんとほぼ同じ外見になっており、違和感がない。
紬をはじめ、清秋高校でトップクラスと目される女子でさえ霞むような美貌。
めっちゃ顔小さい。俺が女子なら女子辞めたくなるレベル。
近付くとふわりと香る、アールグレイの香り。
小さめのサコッシュと、ギターケースを肩に掛けていた。
「ソレ重そうっすね。持ちましょうか?」
「ありがと。でも、自分で持つよ。自分の楽器だから。立ち話もなんだし、行こっか?」
「じゃあ、まずはランチで」
俺の気遣いはやんわりと断られ、取り敢えずランチに行くことになった。
土曜日のこの駅は清秋生も少ないはず。駅周辺の店を利用するのは、ここが地元のやつか部活の連中くらいだろう。俺はそうタカを括っていた。『Lana Del Rey』に並ぶまでは。
「並んでるね」
「最近オープンした店っすからね。やっぱ並んでますよね。いやー、こういう店来るの久しぶりだなぁ」
二列になって順番を待つ。一人で来たら、だいたい横に誰も並ばないんだよなぁ。みんなペアで来ているから。
「いやー、ありがとうございます。すいません、私の我が儘でカフェをリクエストしちゃって」
「いやいや、パパもこの手の店に来る機会はそうそうなくてね。寧ろありがたいのはパパの方だよ」
これはパパ活だな……。後から並びに来た客は完全にパパ活プレイヤーだった。リアル家族の可能性があるが、この街には清秋高校がある。パパ活を疑わずにはいられなかった。
それに、今の声はどこかで……。
後ろを振り返ると、見覚えのあるふんわりロングヘアーの女子と目が合った。
……。
ヤ、ヤバいのと目が合ってしまった。
「あれ? もしかして姐さん? 姐さん今日も例の──」
「おやぁ? 君はクラスメイトのF 君? なんか凄い綺麗な人連れてるじゃん。いやー、知らなかったなー。キミがママ活やってるなんて。信じられないなぁ」
僅かな間隙を突いて才原が喋り始めた。マズい。このまま会話の主導権を取られるのは……。 しかし、才原は個人情報が漏れないよう徹底しているし、俺への配慮も忘れていない。流石はプロパパ活プレイヤーだ。
「こっちはSWAN のオフ会ですぅ~。8時にはお家に帰りますぅ~。姐さんも……なんかこう、すごく持ってそうなパパですね! ていうか、姐さん。こんな所でパパ活して大丈夫なんすか?」
「先生はみんな車通勤よ。こんな所、特に駅の近くになんか来ないのよ。むしろここが絶好のパパ活ポイントなの。常識よ?」
「さっすが姐さん。勉強になります。それじゃ、良い夜を」
「そちらこそ」
「ウチらママ活じゃないんですけど……」
パートナーを置き去りにして喋るだけ喋り、ごく自然にそれぞれのパートナーとの談笑に戻った。今ので圧は掛けた。見なかった事にしてくれればありがたいが……。
「……芦屋君の学校ってすごい所だね」
「姐さんが特別なだけだから……。そういえば、ギター持ってきてますけど、もしかして……」
「そう。今日は生演奏をしようと思って」
「マジすか! ありがとうございます!」
入店し、席に着く。店内は甘い蜂蜜の匂いに包まれていた。椅子はふかふかな感触のやつだ。
トリプルパンケーキセットとシフォンケーキセットを頼む。カラオケ前に腹一杯になるのを避けるためだ。どちらもシェアする。
しばらくして、パンケーキとシフォンケーキが運ばれてきた。ここからは撮影タイムだ。
「イラストの素材で使いたいので、正面からの写真、一枚撮っても良いっすか?」
「どうぞ~」
快諾され、パシャリ。近日中に絶対描くことを誓った。こういうのもイツメンとは出来ないことなんだよな。七海っちならワンチャンあるかもしれないが……。
ひとしきり撮り終え、パンケーキとシフォンケーキをシェアしながら食べる。
たまに食べるパンケーキが沁みる……! バターが染み込んだ箇所に、たっぷりの追い蜂蜜……! 悪魔的だァ……!!
シフォンケーキと生クリームも最高! 小さなペパーミントも口の中をさっぱりさせて良い仕事をしている。
しっかり堪能し、食後のティータイム。俺は紅茶、ミヤさんはオレンジジュースだ。
「そういえば芦屋君。恋愛相談をするって約束だったよね?」
「あー……。しましたね、そういえば。今週はいろいろあってすっかり忘れてました。俺の絵が学園祭のパンフレットに使われることになったんですよ。昨日アップしたイラストなんですけど」
「あー! 芦屋君得意の壁ドンのやつだよね! ああいうイラストが好きだから、イラストの仕事をお願いしたんだよね」
「初めて話した時にも言ってましたよね。恋愛相談の件ですけど、何か良いアドバイスとかありますか?」
「んー、そうだねぇ……」
そこでミヤさんは一旦ストローに口を付けた。
俺も同じタイミングでカップを手に取る。
「大学生なら勝てば何でもいいって考えでもいいんだろうけど、高校生の時の恋愛はそれじゃダメだよね、って思うなぁ。勝つのは簡単だよ? 終電を逃せばいいだけだし。でも、それじゃ自分が満たされるだけ。……相手もちょっとは満足するだろうけど、本当に手に入れたいものは、手に入るの? 私はそう思うな。その人が相手のカラダ目当てならこの方法でもいいんだろうけどね」
「なるほど……。一方通行の片想いは、たとえそれが成就しても得られるものは少ない……。誰からも貰えなかったアドバイスですね。俺はずっと、5W1H だとか、告白をどう盛り上げていくかだとか、そんな事ばかり考えていて、そういう意見ばかりを集めていました」
ミヤさんの意見に気付かされた。ミヤさんとオフ会が決まってから、告白するかどうかの間で揺れてきた。けれど、そんなのは全部、俺のエゴ。相手のことは、嫌われるかどうかくらいしか気にしていなかった。
俺がミヤさんに抱いていた思いが、どれだけ醜く、劣情に塗れたものなのか。
そうだ。俺はミヤさんに告白をして、それで何がしたいのか? 何を分かち合えるのか? ミヤさんも俺のことを心から好きと言ってくれるのか?
相手と心から繋がっていたいと思える時、自然とそうなっていくべき、なんだろうな。
大切なのは、双方の想いがバランスよく重なること。
「貴重なアドバイス、ありがとうございます」
「どういたしまして。あくまで私個人の意見だから鵜呑みにしちゃダメだよ。……時間も時間だし、そろそろ出よっか?」
「そうっすね」
ミヤさんが会計の札を持って立ち上がった。
「ここは俺が出しますよ」
「いいのいいの。高校生は大人しく奢られなさい」
「いや、でも……」
「いいからいいから」
「……ごちそうさまです」
「よろしい」
結局奢られてしまった。今日は全部支払っても大丈夫なくらい持ってきたんだけどなぁ。
今日のメイン、カラオケに来た。楽器演奏が可能な部屋を借り、ドリンクバーで水を注いで準備完了だ。
「いやー、誰かと来るカラオケって、なんだか久しぶりだな~。最近はいろんな友だちに断られちゃってね~」
「へぇ、そんなことが……」
思うに、ミヤさんは七海っちを更に強化した感じのカラオケジャンキーなのだろう。毎日誘われると、エンジョイ勢は時間的にもお財布的にも厳しくなっていく。
ミヤさんがアコースティックギターを取り出した。撮影許可を貰い、ギター単体や、構えた状態を様々なアングルから撮る。
ひとしきり撮り尽くし、カラオケ、というより、ふたりきりのライブが開演した。
ミヤさんの十八番から始まり、好きな曲、それから、俺の好きな曲に流れていく。基本ミヤさんが歌い、知っている曲は他のメンバーのパートや、低音パートを担当したり、好きな曲は一緒に主旋律を歌ったり。控えめに言って最高だった。
まず、普段カラオケにない曲がカラオケ屋で歌える時点でアドバンテージしかない。
最近の流行りの曲、めちゃくちゃ高音の曲、ラブソング、普段のカラオケじゃ入れられない、暗くて後ろ向きだけど魅力的な曲、海外のアーティストの曲。何でも歌った。
最後は世界的イケメン俳優がボーカルを務めるバンドの曲で締めた。
「ふぅ、楽しかった。芦屋君、前よりノリ良くなってたね」
「そうっすか? まぁ、あれから結構カラオケ行きましたからね……」
並んで会計に向かう。フリータイム終了時刻とあってか、会計はそこそこ混んでいた。
奇跡的に、清秋生らしき姿は見当たらなかった。伝票は俺が持っている。ここは支払わせてもらう……!
「ここは俺が払いますんで」
「んー、じゃあ、甘えちゃおうかな?」
両手を合わせ、片方の手の甲に頬を預けるミヤさん。七海っちだってやらないようなあざといムーブ。かわいいが過ぎる。
昇天していく絵文字とまんま同じ顔で会計を済ませた。
「今日は本当にありがとうございました! ギターまで弾いてもらって……」
「こっちこそありがとね。学祭楽しんできてね、芦屋君」
駅の改札前で、お別れの挨拶を交わす。
当初はここで『もし良かったら、ウチの学祭来ませんかっ!?』なんて口走っていたところだが、楽しんできてね、と言われてしまってはどうしようもない。
「はい。楽しんできます」
「うんうん。ウチの大学は十一月だから。私も歌うかも。一応アコースティックサークル入ってるから。良かったら来てね」
思わぬお誘いに、時が止まったように感じた。
「……絶対行きます」
「近くなったらまた連絡するね。それじゃ、またね」
「はい、また!」
ひらひらと手を振り去っていくミヤさんを見送った。
今日は最高だったなぁ。
学祭のお誘いも頂いたし、こんなに幸せな一日があっても良いのだろうか……。
暫く立ち尽くし、オフ会の余韻に浸る。
「今日はありがとうございました。……もう帰っちゃうんですか?」
「こちらこそ、良い一日を過ごせたよ。ハイ、お小遣い」
「ええっ、そんなぁ。こんなに貰っちゃっていいんですか? わたし、なんにもしてないのに……」
「いいんだよ。おじさんはこの業界長いからね。本当に危ないラインは越えないんだよ。もうすぐ学祭なんだろう? お友達に奢ってあげなさい。では、また機会があれば、ね」
「ありがとうございますぅ……」
自称良識派パパと、ウチの制服に身を包んだ、オフ会に来たイキリ実況者がよく着けている黒マスクの女子高生もまた、先程までの俺たちと同じように別れの挨拶をしていた。
見覚えのある姫カットに、違和感バリバリの一人称。
俺はただボーっと一連のやり取りを眺めていた。
パパを見送り、立ち去ろうとした女子高生とガッツリ目が合った。
……。
途方もなく長い沈黙。この時、世界は確実に凍っていた。
仕方なく、左手を軽く挙げた。
「……うゆ?」
正体がバレているのを悟った女子高生はマスクを付けていても分かるほど顔を真っ赤にさせ──。
「……何であんなタイミングで双見に見られちゃうかなぁ」
「知らねぇよ。それにしても意外だったぜ。一人称が『うゆ』じゃないなんて」
気付けば近くのラーメン屋に連行されていた。二郎系インスパイアの店で、油そばが美味しいところだ。
俺は混ぜ二郎の野菜マシと肉丼、櫻井は混ぜ四郎を注文。四郎は麺が400g なので四郎だ。麺だけで換算すると、俺の倍食うことになる。
「うゆを使うのは素の時とフォロワーに会う時だけだから」
「あっそ」
……普通逆じゃね? と思ったが、一期一会、第一印象が金払いに直結するパパ活では、ある程度常識的であることが求められるのだろう。パパ活プレイヤーの苦悩が垣間見えた。
「今日のは見なかったことにして。そのために奢ってんだから」
「分かってますよ」
普段の俺なら混ぜ三郎一択だが、櫻井の奢りなので、麺の量を減らして肉丼を追加している。 トータルで高いのはもちろん後者だ。
櫻井は自分の財布から支払っていた。櫻井パパがくれた封筒には手を付けなかった。
「パパ活くらい、ウチの学校じゃ普通だろうけどさ。昼に姐さんと会ったし」
「姐さん……? ああ、師匠か。師匠のインパクト凄いもんね」
「だよな。誰も才原には勝てねぇよ。だからパパ活の一つや二つ、誰も驚くことじゃないんだよなぁ」
先に肉丼が来た。しかし、まだ手は付けない。
遅れて出てきたラーメンと並べて写真を撮り、箸を取る。
「それじゃお先に。ゴチです」
「どーぞ」
意識をラーメンに集中させ、黙々と食べる。他人の金で食うラーメンの味は至高。
肉丼も肉と白米にタレが絡んで美味い。
そんでもって、モヤシ……! モヤシが染みる……!
野菜食べてるし、身体にいいもの食べてるんだよなぁ。
タレを余すことなく完飲。ゴチです。
隣を見ると、後から来た四郎が消えていた。お、俺の方が一品多かったとはいえ、負けた……?
「遅くない?」
「部長サンが早すぎるんだよ」
「うゆは遅いほうなんだけど。風姫ちゃん爆速だよ? 平気で六郎するし」
「アイツもココ来てんのかよ……。六郎ってなんだよ……」
「三郎ダブルを六郎って言うの。まあ、大抵の男子は引くよね」
「えぇ……」
そういえば、イツメンと飯食いに行った時、五十嵐だけ食べる量ちょっと多くね? とは思っていたが……。イツメンとあまり出掛けてないからなぁ。テスト期間になると勉強会とか言いながらウチに転がり込んでくるのがメインだ。
勉強会の昼食は、全員同じ量を振舞っていた。量に対する不満は聞いていなかったが、今度からは多めにしておこう。
それより、ラーメン屋を何だと思ってんだよ。大きめの男女混合グループで来るところじゃねぇよ。
「ところで、今日は誰かとデート?」
「SWAN のフォロワーとオフ会だよ。こっちの方がカラオケの料金安いからな」
「ふーん」
向こうは立場上追及できないので、それ以上の詮索はなかった。
俺も真実を語っただけなので、やましいことは何もない。
そのまま駅で別れ、何事もなかったかのように帰宅した。
明日から、心機一転頑張っていきますかね。




