火曜日 俺があーちゃんだ
火曜日。授業に必要なテキストと自前のタブレットを鞄に入れ、妹様とともに家を出た。タブレットは部活の時間に色塗りを進めるために持っていく。
通学路で紬と合流する。小中高と変わらない朝のルーティンだ。
「にゃっほー」
「おはようございます」
「……はよっす」
紬、妹様、俺の順に挨拶を交わした。いつ聴いても『やっほー』が『にゃっほー』にしか聴こえない。
黙々と歩く。紬から昨日の話題は切り出されない。俺からも切り出さない。
この感じだと、妹様に例の話をしていないのだろう。妹様と紬は、表面上は取り繕っているが、あまり仲良くないのを薄々察している。
だから、登校中はあまり会話がない。会話があるのはテスト期間くらいだ。陰キャが陽キャとする共通の会話なんてテストくらいしかないし……。
ま、この関係もあと少しで終わるんですけどね。紬は俺たちより早く清秋最寄りの駅に行って、彼氏の腕に抱きつきながら登校するはずだ。紬も彼氏に腰をがっちりホールドされながら階段降りたりとか、人目を憚らずに階段の手すりに腰掛けて談笑したりするんだろうなぁ。
後者はともかく、前者は見てて超怖いんですけど。アレ、女子側の負担ハンパなくない? 俺が女子なら絶対やらせない。つーか、カップルって階段でイチャついてる率ハンパないよね。
テキトーなことを考えていると、あっという間に教室まで来た。
「にゃっほー」
「おはよう、紬」
「天羽さんおはよう!」
クラスの陽キャグループが朝からテンション高めの挨拶を交わしている。例の才原とか、クラス一のイケメン、青海 春人君とかだ。青海君は無造作で気取っていないように見えて妙にハマっている髪型に、くっきり二重のシャープな瞳と眩しい笑顔で見る者を虜にする。身長は目算で175cm くらい、所属はサッカー部でポジションはセンターバック。サッカーをするときはたまにヘアバンドを付けており、普段とのギャップが良い。これで俺様系なら俺は即堕ちしてた。とまぁ、100点満点中90点のイケメンだ。
才原は、ふんわりロングヘアーに着崩した制服が特徴だ。天羽よりも出るところは出ている。
制服を着崩していても教師陣から強く注意されないのはそういうことなのだろう。強すぎる。清秋高校で実質最強なのは才原だ。既に、わりと強めの私大の推薦枠も用意されてあるらしい、という噂さえある。
ごく自然に紬から離れ、自分の席に向かう。
……紬の狙いは青海君なのか? 青海君の狙いはどこからどう見ても紬だ。毎日会話をしているし、男子サイドは青海に会話が集中するように立ち回っている節がある。グループは違えど、この俺だってそうだ。
だが、青海君では話の辻褄が合わない。昨日、紬は『どうやって告白しようか』と言っていた。青海君が行動に出ないはずはない。きっと素敵なアプローチを既にプランニングしているはずだ。つまり、青海君はシロ……。
「新也、おはよう。どうしたの? 悩みごと?」
「ああ、最上君か。大したことじゃないよ」
「もう、尊って呼んでって何回も言ってるのに……」
俺に声を掛けてきたのは最上 尊。去年からお世話になっているクラスメイトだ。165cm くらいの身長で、人懐っこい柔らかな笑みを浮かべる顔は、白くてすべすべな肌、襟足の長い髪と相まって女子に見える。声も高いし、名前もどっちでも通用しそうな名前だし。 しかし、着ている制服は男子用の制服だ。
みんな謎に思っているようで、最上は『実は女子なんじゃないか説』がずっと囁かれている。 俺も気になる。超気になる。
視線を感じてそちらを見れば、数人の女子グループが俺たちを見ながら囁きあっている。
俺と最上君をそういう関係だと邪推するやつらだ。去年も居たが、今年は何か人数が増えていません?
しかし、当の最上君はそんな視線なぞどこ吹く風、といった様子である。うーん、これが俺と最上君が孤立している大きな理由だと思うんですがねぇ。
「パンフレットの方は順調?」
「まあな。今の俺で出せるベストは出してる感じかな。問題があるとすれば、部長サンの組織票に勝てるかどうかだけ」
「あー……。櫻井さんが部長なんだっけ?」
「マジでこの一点だけなんだよな~」
先程の連中に視線を向ける。やはり俺たちを見ながら囁きあっている。あの連中は櫻井のシンパだ。部員ではないから金曜の審査に直接関係はないが、聞かれると俺が勝てなくなる可能性が更に高まる懸念はある。部内の情勢としては、二年で俺以外の部員は全員櫻井の手駒と考えていい。一年からの票を取りこぼすと負け濃厚になるが、あいにく一年の男子からは確実に票が貰えそうにない。
「どうしたもんかねぇ。七海っちのせいで超アウェイなんだよな」
「珍しく新也が部活頑張ってるのにね」
予鈴のチャイムが鳴ろうが、教室の喧騒は収まる気配を見せない。比較的真面目な俺たちは会話を切り上げ、一限目の準備に取り掛かった。
昼休み。俺に安寧の時間はない。この時間が一番面倒でさえある。
「お邪魔しま~す」
最上君が来る分には何も問題ない。だが──。
勢いよく開けられた扉の音が響く。今日も来たか……。
「風吉~~!」
「んにゃぁっ!?」
小柄な女子生徒に背中から抱きついたのは、隣のクラスの委員長、樫原 瑞希だ。樫原は、去年同じクラスでクラス委員長をしていた女子で、キッチリとしたザ・委員長のような外見とは裏腹に、クレイジーで奔放な性格の破天荒委員長である。
抱きつかれたちっちゃいのは、ウチのクラスの五十嵐 風姫。五十嵐も去年同じクラスに居た女子だ。俺より身長が低い女子で、女子界の姫をやっているイメージが強い。女子たちにちやほやされるのは、無口だが声が可愛い、という理由と、ロリ巨乳ということであやかりたい女子が沢山いるから、という理由だ。
一部の男子からも熱烈な人気を獲得している。
樫原はたまに、五十嵐のことを『ふうきち』と呼ぶ。『風姫ちゃん』と呼ぶことの方が多いが、テンションが上がっているときは『風姫ちゃん』を略して『ふうきち』と呼んでいる。そして俺の脳内で江戸時代の侍にも居なさそうな名前に変換される流れだ。
ここまではいい。他のクラスメイト同様、遠巻きにてぇてぇムーブを眺めるところまでは。
問題はここからだ。
ひとしきりじゃれた委員長は、ちょっと嫌そうな顔をした五十嵐を立ち上がらせてまっすぐこちらに向けて歩いてきた。「空いてるよ~」と最上君が呑気な声をかける。
半指定席化された俺のお隣さんの机をジョイントし、前後の椅子もかっぱらってきた委員長が、自分の席だと言わんばかりに堂々と座る。
「やあやあ、都合のいい男子代表の双見君。今日もご一緒しても?」
「委員長さぁ……」
「なぁに?」
「……いや、何でもないっす」
ダメって言っても混ざってくるじゃん。確認取る必要ある?
去年からずっと、この4人で昼食を摂るのが恒例となっている。リアルの知り合いと繋がるのに特化したSNS にはこの4人で『イツメン』ってグループが作られているくらい固定化されている。 修学旅行もだいたいこの4人で行動した。一人別のクラスで、なおかつクラス委員長なんですけどね……。
「さ、食べよう! いただきまーす」
各々弁当を開き──五十嵐はパン2つだ──食べ始める。
クラス中からの視線が痛い。天羽・青海グループからも注目されてるんだよなぁ。
「風姫ちゃん、今日のおかずどれにする?」
「……ん」
人差し指は容赦なく俺の鶏肉を指し示した。昨日の夕食で余分に作られた分だ。
これも恒例化しているのでとくに異論はない。五十嵐は俺に対して謎の敵対心のようなものを持っているからか、ほぼ確実に俺から一品徴収する。それは、二年連続で風紀委員のコンビをしておきながら、仕事に対する意識が低すぎることにイラついている所為なのだろう。去年はじゃんけんの結果で偶々だったけど、今年はどこかのジャイアニズム溢れる委員長に『やれ』って指示されたから立候補しただけなんだよなぁ。自分より生物的に強い人に『やれ』って言われたら『はい』としか言えないじゃん?
大人しく弁当箱を寄せると、樫原が箸でつまんで五十嵐に食べさせる。
本日二度目のてぇてぇムーブに、教室に和やかな雰囲気が流れる。
「おいひぃ」
「ホント、双見君のお弁当っておいしいよね~」
当然のように鶏肉をかっぱらった委員長。やっぱジャイアンだわ。
「褒めていただくのは結構だが……」
ふと、『パスタでげんき』が脳裏を過ぎった。……居る。俺のマブダチは最上君しかいないものだと決めつけていたが、現役女子高生という最強のアドバイザーが、目の前に二人も。
しかし……。俺たちに集まる視線の中には、紬のものもある。紬に聞かれるのだけは避けなければならない。だが、アドバイスは貰えるものなら貰っておきたい。
「委員長、明日の放課後空いてない? 相談したいことがあるんだけど」
「おっ、双見君からそういう話があるなんてね。土曜日じゃダメ? 明日も空いてるけど、ゆっくりお茶しながら聞きたいな~」
「土曜日は俺の方で予定があって厳しいっす」
「え~? ホントに?? どうせ、動画見て一日潰すだけでしょ?」
「結構マジなヤツが入っているんだよ」
「あやしー。でも明日でいっか」
かなり疑われたが、何とか予定を取り付けた。土曜日への期待感が顔に浮かんでくるのを抑えるので必死だったが、それも上手くいったはず。
「……ねぇ、それ、私も入ってるの?」
「五十嵐と最上君も予定が合えば歓迎するよ。むしろ来れるなら来て欲しいレベル」
「ハイ、風姫ちゃん決定~!」
「じゃあ僕も行くよ」
アドバイザーは多ければ多い方が良い。あまり拡散し過ぎると面倒な状況が生まれるので、あとは七海っちを加えればベストの人数だろう。俺は着々とあーちゃんストリートを邁進している。俺があーちゃんだ!
かくして、明日の放課後にファミレスでイツメン会開催が決定した。
☆☆☆
放課後。私、天羽 紬は鞄をがっちりホールドして熟睡している幼馴染を眺めていた。
耳にはフルワイヤレスイヤホン。完璧な睡眠モードに入っている。
「双見寝てんじゃん。今ならいろいろヤるチャンスだよ、紬」
凛ちゃんは茶化してくるけど、普通に揺さぶって起こそうと思った。せめて、他の人──たとえば、いつも新也とべったりな魔性の男、最上なんか──に起こされないようにすれば、少しは溜飲が下がる。昨日は『好きな人がいる』って揺さぶっても、ちっとも驚いてなかったし。あれは相当効いたなぁ。昨日の話を凛ちゃんにしたら、
『はあ!? そんなの、悪手の中の悪手でしょ!? 何考えてんの!?』
って真剣に迫られたあと、大爆笑されちゃった。どう考えても最強の作戦なんだけどなぁ。私がその通りに新也にアプローチすれば、途中で『もしかして……』と気付くはず。
最近はいろんな女が新也のことを狙っているから、取られないようにしなきゃ。去年、同じクラスじゃなかったからちょっと疎遠になってたけど、もっとアプローチしておけば、あんな女どもに付け入られてなかったはず……。
「風吉~! ん? 何かあった?」
「……双見が寝てる」
「ホントだー」
噂をすれば、一番面倒な女のお出ましだ。ごく自然な動作で新也に近付き、イヤホンを両耳とも抜き取った。それでも新也が起きる気配はない。鮮やかな手口だ。
「双見君って普段どんな曲聴いてるんだろ。風吉も聴く?」
風姫ちゃんは私の顔色を窺い、そのまま怯えたように首を横に振った。
「紬、風姫ちゃんをビビらせちゃダメでしょ。青海君たちも完全にビビってるし」
「マジこえぇ。……双見君、生きていけるのかな?」
「知らないわよ。瑞希、片耳ちょうだい。あと、音量最大にして」
「ほいきた。じゃ、私たちも聴こうか」
イヤホンから聞こえてきたのは、流行りの曲のアコースティックギターアレンジ。それから、若くて艶やかな女性の声。聴いていると何故だか心がざわついた気がした。
「まさかの歌い手カバーで草」
「……まあまあ巧い」
向こうの二人もちょっと困惑気味のようだ。
「俺は知らない歌い手だな~」
「私も。私は男の歌い手しか聴かないのもあるけど」
「僕も知らないなぁ」
青海君や凛ちゃんも知らないようだ。私も知らない。最上も知らない。
歌い手は星の数ほどいるから、歌っている人がよっぽど有名じゃなければ、教室内で新也以外、この人を知らなくても不思議なことではない。
不意に、新也がこの女性歌い手の曲を聴きながら思いを馳せている姿を思い浮かんで胸が苦しくなった。私だって好きな男性アーティストはたくさんいるけど、それとこれでは違う気がした。
次の曲、その次の曲も同じ女性歌い手のカバーソングだった。いつの間にか教室に残っているクラスメイト全員が知っているかどうか話していた。それでも新也は起きる気配がない。
「私、知ってる! この人多分ミヤさんでしょ!? いやー、綺麗な声だよね。推せるわ~」
隣のクラスの女子が口にした『ミヤ』という名前。……帰ったら聴くことを決めた。
「へー。双見君、めっちゃその人のファンじゃん。他には何聴いてるんだろ?」
樫原が送っていくと、やがて、明らかに録音っぽい音質のものに当たった。
カラオケでよく聞く宣伝に付いてくる音楽がうっすらと聞こえる。タブレットの操作音も。
……誰かとのカラオケ?
『そんじゃ、録音するから』
『どうぞー。先輩は音痴ですから、ちゃんと自分のリズムがあってないのを確認してくださいよ? 初めて来た時よりだいぶマシになりましたけど』
……センパイ? 部活の後輩?
『最近はちらほら80点超えてますぅー』
『ハッ、80なんてまだまだ音痴の領域ですぅー。私みたいに90超えてからドヤってくださーい。あー、あ、あ、あー』
さっきの女性歌い手とは違う、幼さの残る、反抗期っぽい声。
新也は後輩の女の子とカラオケに行ったことがある? それも何回も?? 私とは一度も行ったことがないのに???
「双見君、後輩の女子とカラオケ行ってるとかリア充かよ」
「許せねぇよなぁ?」
『つーかさ、いつも思ってるけど、七海っちは俺とサシでカラオケして楽しい? ウチのクラスはテストお疲れ様会やってるらしいぜ? 呼ばれなかったけど』
『私は断ってきました。ヒトカラだと休憩がなくて疲れるんですけど、四人くらいになると順番が来なくて退屈になるんですよねぇ~。それに、先輩優しいから奢ってくれるわけですし? ま、始めちゃいますよ! 今日も最高点勝負で!』
『俺は奢りたくて奢ってんじゃねぇー!!』
テストお疲れ様会に来なかったのはこのため……。私はてっきり、最上あたりが誘ったものだと思って何もしなかった。その結果が、この録音。
「うわ、笹井さんじゃん」
「俺は声で分かってた。マジ何で双見君と笹井さんがサシでカラオケなんだよ」
始めるといいつつ、曲はまだ始まらない。
『……長かったな。テスト期間、長かったな、オイ! 』
イケメンボイスに寄せた笹井のマイクパフォーマンスが始まった。笹井に応えるように、シャンシャンシャンシャン……とタンバリンの音が聞こえる。
敵が増えた。しかも、とびきり強力な女が。風姫ちゃんも面白くなさそうな顔をしている。
『束縛されてきた! 抑圧されてきた! でも、それも今日までだ! 今日から、今から、全力で輝こうぜ、オォイ! 俺たちの光、魂、プライド! 全部見せてやろうぜ、オォイ!!』
曲が始まり、笹井のノリノリな歌声が響き渡る。
ぼそりと『今日の七海っちも完全にキマってんね……』という嘆息の言葉が零れた。
◎◎◎
「……ん。今何時だ?」
ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認した。既に放課後。ちょっと過ぎてはいるが、許容範囲内だ。さぁー、部活行きますかね、となったところで、目の前の地獄に気付いてしまった。
「あっ」
「「「あっ」」」
俺のイヤホンから七海っちのキメキメイケボが垂れ流されている。七海っちがいつも一曲目に入れるヤツだ。いつの録音かは判別が付かないが、まだ俺の番には到達していないのは事実だ。
過去最速の動作で音楽アプリを終了させ、俺の歌を聴かれるのだけは阻止できた。
あの手の録音は何個か入っている。さっきのが初めてなら助かるが、そうでなければ超ヤバい。パリさえぬるい大炎上を見る羽目になるのは必至だ。でも、もうこの時、この瞬間、(黒)歴史が動いちゃったんですけどね。
「都合のいい男子代表の双見君。君って後輩からも都合のいい先輩だったんだね。私の見立ては間違っていなかった、と」
「……俺の歌は聴いたか?」
「ん? 聴いてないよ? ま、私たちは一回カラオケ行ったことあるから知ってるけど」
「セーフ……」
背もたれに深くもたれこみ、安堵の息を吐いた。俺はまだこの教室で生活できる。
「新也」
「はい?」
呼ばれて紬の方を見たが、一瞬で顔を逸らした。目を見開き、感情が喪失した顔だった。
あの顔は完全に怒っている。誰も近付いてねーもん。青海君ですらブルっている。
口許だけで笑っている時か、目を見開いている時はだいたい怒っている。ヤバいのは断然、後者だ。
「私たち幼馴染だよね?」
「そう……っすね」
「でも一緒にカラオケ行ったことないよね?」
「そうっすね」
「……他の女の子とカラオケに行くのに私とは行かないんだ? ねぇ、何で?」
何で、って言われてもなぁ。そもそも、今になってこんなことを追及される方がおかしいんだよな。ウチら確かに幼馴染の仲なんだろうけど、休日に干渉してくるなんてことはほぼなかったし。
中学二年の時に何回か遊びのお誘いがあったのは記憶している。全部その時やってたゲームが止められなくて断ったけど。
全体ボイスチャットを垂れ流すキッズが蔓延るゲームで、『女子から遊びの誘い来たけどゲーム止められねンだわ』と連呼していたら、ボコボコにリスキルされた日を思い出した。
「何で俺、怒られてんの? 昨日の話と矛盾してないか? ほら、例の……」
青海君や才原に視線を配る。誰が、どこまで知っている?
青海君は引き攣った笑みを浮かべた。対して才原はポーカーフェイス。……どっちも知っているな。ということは、青海君は完全なシロ。とても勿体ないな、と感じた。いや、青海君レベルになると、去年から彼女が居る説もある。俺が青海君のことを全然知らないだけで。
「矛盾なんかしていないよ。で、何で?」
「……ウチら話はするけど、放課後とか休日とかに干渉してこなかったよね。そこが良いところなんだけどさ」
「……」
ぐうの音も出させない正論が効いている。脱出のチャンスは今しかない。才原と委員長からイヤホンを回収し、逃げるように部活へ向かった。
「遅いですよ、先輩!」
美術室に着くなり、叱責が飛んできた。ショートボブの如何にも現代女子高生です、って面構えの後輩が俺の席の前で腰に手を当てて仁王立ちしていた。
笹井 七海。何で美術部に居るのか分からない陽キャ後輩だ。校内でトップクラスの美少女として認知されており、風の噂では、『彼女にしたい女子ランキング』堂々の一位に指名されている。
まぁ、ウチのクラスにも件のランキング上位ランカーは居るのだが、全員癖が強いんだよな。 紬は今日みたいな暗黒モードがちょくちょく出てくるので、顔面十割査定の民と、暗黒モードを見たことがない、噂を信用しない輩ぐらいしか推してないんだよなぁ。
紬はたしかに太陽の陽キャなのだが、太陽は恵みであると同時に試練でもあるから……。
才原はいろいろ規格外なので、どんな順位にランクインしようが実質最強なところがあるので割愛。五十嵐はコンスタントに上位をキープしている印象だ。妹様も十指に入っているが、まぁ顔面査定なら上位に食い込むのは否定しない。
委員長や美術部部長の櫻井も上位ランカーだが、やっぱり癖が強すぎる。説明略。才原と櫻井が段違いでキャラが濃い。
脱線ついでに櫻井の姿を探してみたが、今日は来ていないようだ。チッ、余裕ブッこいてやがる……!
さて、堂々一位を獲得したこの後輩さんだが、俺の見解を述べると、紬以上の八方美人で、あざとい後輩ムーブに徹して毎月の後輩料を巻き上げる美少女だ。
処世術の笑顔が巧すぎる。サークルクラッシャーのような厄付きの笑顔じゃないってのが巧さの証だと俺は思う。
自分の指定席に座り、鞄からタブレットを取り出す。
「七海っち、今日は悪いニュースがある。俺的にはとびっきり悪いやつだ。聞きたいか?」
「えぇ……。何しでかしたんですか?」
「しでかしたのは俺じゃなくて委員長か才原なんだよなぁ。何があったかっていうと、俺が寝ているうちにイヤホンを取られて、起きた時にカラオケの録音が垂れ流されてた」
「ふーん。別に良いですよ。私、歌上手いですし」
「君、ハート強すぎない? 例のMC も絶対流れてたと思うけど、それも良いのか?」
「えっ。えーっ!! 私のTAKUMI卍 が、先輩のクラスの人に、ガッツリ聴かれてたってことですか!? ありえないです! 先輩のバカ!」
七海っちの顔がみるみるうちに赤くなり、俺をブンブン揺さぶった。しかし、もう (黒)歴史は動いちゃったんだよなぁ。
「もう諦めろ。どうにもならん」
「……先輩のバカ。こうなったら先輩の秘密、ばらしちゃうんですからね」
「それは困る」
七海っちは俺がファントム芦屋だということを知っている。それを黙らせるべく、カラオケに付き合っているのだ。最近は都合のいい自己研鑽の場として楽しめているけれども。
「これはカラオケですね。土曜日で」
「土曜はどうしても外せない用事がありましてね。水曜も立て込んでまして……。今週はそうでなくても忙しいと言いますか、へへっ」
揉み手をすりながら、みかじめ料の延期ができないものか探ってみる。金曜の放課後は審査だけなので空いているのだが、次の日にカラオケが控えているので何としてもパスしたい。
「先輩に外せない用事なんかあるんですか? じゃあ今回は特別に、一つ質問に答えるだけでチャラにしましょう。やー、私ってば太っ腹!」
「……よっ、太っ腹!」
危うく、『そりゃ太いでしょうね。俺はウエスト58cm だけど。七海っちは?』ってドヤ顔で煽るところだった。煽ったら死んでたけど、女子の腹が太いのを持ち上げてる時点で煽りと思われても仕方ない。七海っちの思考がそこに至らないことを願うばかりだ。
「何だか悪意を感じますね。そういえば、この間『祝! ウエスト58cm !』って画像付きで上げてましたよね。やーい、不健康ガリガリせんぱーい」
「クッソ、認めるしかねぇ……。58cm にしてもイマイチくびれなかったしな……」
「男がくびれなんて気にしてどうするんですか。ちなみに、私はちゃんとくびれありますよ。健康体のナイスバディなので!」
「ま、そうなんでしょうね。紬と同レベルかな」
「むっ、嫌なまとめ方をしましたね。じゃあ、本題です。昨日の投稿。アレ何なんですか?」
七海っちの質問はむしろ好都合だった。それにしても、部員からの視線が痛い。主に男たちからの怨嗟の視線が。
「アレなー。とある人から恋愛相談を受けちゃってな。でも、おじさん男なわけよ。詳細なアプローチが思い浮かばなくってさぁ。七海っちは何かない? オススメのやつ」
「とある人……あっ」
七海っちは何かを察したようだ。それから、顎に手を置いて黙り込んでしまった。
俺は進捗を進めることにした。今週忙しい原因はコイツだ。七海っち以外には何も見せていないが、逆に言えば、七海っちの前では堂々と作業できる。
「私は直球勝負ですね」
長い沈黙の後、出てきたのはめちゃくちゃアバウトな解答だった。
「んー、俺が知りたいのはシチュエーションなんだよね。要は5W1H よ」
ルーズリーフを取り出し、七海っちに渡した。
「Who は男、Why は直球勝負が自分の性に合うから、だとして、残りも教えて欲しいんだよね。特にHow を」
「えー、めんどくさ。めんどくさいですね、先輩は。しかも、私の思う最強のアプローチを他の女子に教えるんでしょう? やってられません。やりませんよ。先輩のサイテー」
俺は押し黙るしかなかった。よくよく考えたら最低な手法なんだよなぁ。その点、フォロワーから集めたシチュエーションは、遠く離れた、男か女かも分からない謎の自称恋愛ソムリエからの解答なので罪悪感は薄い。フォロワーさんから5W1H を押さえたような解答はなかったけれども。
しかし、インスパイアされたものは仕方ない。もう明日の約束も取り付けてしまった。
最後までやり通すしかない。
それきり会話もなく、黙々と作業を進めた。
帰宅し、いつものように夕食を食べてから、ふと思いついた。家にも現役女子高生が居るじゃん、と。
即刻行動に移す。この手の気恥ずかしさが混ざる案件はスピード勝負だ。
妹様の部屋の前に立ち、扉をノックする。妹様の部屋の扉をノックするのなんていつぶりだろうか。遥か昔まで記憶を遡っても思い出せない。
何回かノックしてみたが、反応がない。俺のノックが繊細過ぎるのだろうか。
「おーい、妹様―?」
これは完全に居留守キメられたな、と思っていると、微かに
「ちょっと待って!」
という声が聞こえた。数秒後、扉が半分くらい開かれ、扉に体を隠した妹様が顔を出した。
「何の用?」
妹様の部屋でまず目に入ったのは、壁面、特に俺の部屋に面している壁に貼られまくった防音シート。部屋の奥にチラリと見えるゲーミングチェア。
そして、マスク姿の妹様。実入りの良い仕事。俺は秒ですべてを理解した。
「いや、お取込み中みたいだから今度にするよ。邪魔して悪かったって、お前のパパたちにも言っといてくれよな」
「おにい? ちがっ、私はそんなお仕事しているわけじゃ……」
「ウチの学校じゃ顔出し配信もパパ活も大差ないぜ。みんなやってる些事だからよ。俺は何も言わないし、母親様には伏せておく。それでいいだろ。ホント悪かった」
「おにい……」
俺はそのままコーヒーを作りにキッチンに降りた。SWAN を起動し『親フラ』で検索すると、すぐに何件か『佳奈ちゃん親フラされてるw』という内容の投稿が見つかった。なるほど。佳奈ちゃんねぇ。大手動画サイトで『佳奈』と検索。それらしき配信はすぐ見つかった。
件の佳奈ちゃんはまあまあ大手の事務所から最近デビューした新人バーチャルライバーだった。えぇ……。勝ち組じゃん。俺の代わりにしっかり親孝行してくれ……。
ガワがある配信なので、個人情報は探られにくい配信をしているらしい。さっきは顔出し配信と決めつけてしまったのを謝りたいが、秒で素性を調べて『ごめん』と謝りに来る兄貴とかもっとキモいじゃん。俺の足は妹様の部屋まで向かなかった。
部屋に戻り、パソコンで配信を見る。本日の投げ銭も好調。
ガワは分かったので、イラストアプリを起動し、罪滅ぼしに一枚描くことにした。マスクをしている佳奈ちゃんでいいだろう。
配信のコメント欄は、
『佳奈ちゃんの学校どうなってんの? 笑』
『これは草』
『顔出し配信と思われててマジで草』
『パパはちゃんと聞いたから』
といった具合だ。どうやら、画面だけ切り替えてマイクをミュートにし忘れたらしい。
「……おにい、ひどいよ。おにいが聞こうとしてた話だって、ひどい内容なのは知ってたけど。私知ってるよ。おにいが幼馴染の女から頼まれて女子の方から告白する方法を探ってるって。……無茶苦茶だよね、おにいも幼馴染の女も」
声は確かに妹様の声だった。
ゲェーッ!? バレてる!? タレコミ元は七海っちで確定だろう。秘密にしておいて欲しい、という旨の言葉を付け足し忘れたのを鮮明に思い出した。
佳奈ちゃん、もとい妹様は泣いていた。俺への悪口と共に、慰めドネートが大量に送られていく。あの金でドネート飯に与かることはできねぇ。
あーちゃんとやっていることは同じでも、扱うモノが違い過ぎてド畜生ムーブにしかならないのか……。二戦二敗。なまじ近すぎるのが問題なんだよな。明日のイツメン会では直球の質問を投げられない。イツメンの機嫌を損なうのは避けなければ。特に、最上君と喧嘩したら終わりだ。困った時の伝手がゼロになってしまう。遣り口を変えなければ。
この日はずっと、妹様の配信を見ながらイラストを描いた。妹様は終始、FPS をやっていた。 俺も昔やっていたタイトルの続編だ。最近はe-スポーツ化が進んで、エンジョイ勢の住む場所がなくなっているように感じて以来、すっぱりとゲームから手を引いた。
妹様はもちろんガチ勢だった。
完成したイラストに『今日見た配信より』というメッセージ、イラスト用のハッシュタグを添えて投稿。
今日はいろいろ失敗したな、と思いつつ眠りについた。