王子さまの記憶
「中で、話そう」
そう言うとレイドは近くの使用人に紅茶と茶菓子を2人分頼んだ。
レイドの部屋は相変わらず、というか昔より本の量が増えていた。前に壁一面本棚にしたと聞いたが、それでも収まり切らなかったのか机の上に本の塔がいくつもできている。
「それで、さっきの件だが…」
「なんでマリアンヌを選んだか。だろ?わかってるよ」
そう伏せ目がちに答える姿は男の俺でもドキリとしてしまうほどだった。
使用人が紅茶を持って来なければしばらく謎の沈黙が流れたままだっただろう。
そしてレイドは入れられた紅茶を飲み、一息つく。その姿はさながら一つの絵画のような以下略称。これ以上今のレイドをまともに見てると開けなくていい扉を開きそうになる。
落ち着くために紅茶を飲む。あ、美味しい。この茶葉どこのだろう。後で聞いて使用人に買いに行ってもらおう。
「初恋の人だから」
「ブフォッッッ‼︎ゲホッゲホッふぁっ⁉︎」
突然のセリフに紅茶を吹き出してしまった。
いやいきなりすぎるだろ。さっきまでいらない扉紅茶飲んで封印しようとしてたとこだよこっちは。「あーあ、汚い」じゃねえわそのセリフ自分でも思ったわ。
「って初恋⁉︎」
えっ何、初恋だったの⁉︎まさかのクリス(ゲーム)と同じ口⁉︎
「そんな驚くなよ。いや、まぁ正しくは「多分初恋の人」だけど」
さっき吹き出してしまった紅茶返せ。もしくはその綺麗な顔一発殴らせろ。
ていうか多分てなんだよ多分て。一目惚れとか、そういったのとは違うのか?
受け取ったナプキンで乱暴に口を拭きつつ目でそう訴える。
「そうだな、ことの始まりは俺の10歳の誕生日パーティまで遡る…」
「大丈夫ですか?」
うずくまる俺にそう誰かが言った。
見てみると、ひとりの少女だった。
淡い赤系のふわっとした髪と、鮮やかなエメラルドが木漏れ日を浴びてきらめく。
「こんなところにうずくまってどうしたんです?」
「…少し、人に酔って…」
「それはいけません!すぐにお水を貰ってきますね」
パタパタと会場に走る少女。
きっとあの子はこのパーティの主役の「王子様」が俺だなんて知らないんだろうな。とぼんやりとした頭で考えた。
しばらくして少女はコップ一杯の水を持ってきた。
「はい、どうぞ!」
「あ、ありがとう」
コップを受け取り、水を飲む。
「少し落ち着きましたか?」
「ああ…大丈夫」
まだ少し気分が悪かったが無理矢理笑って答える。
「なら良かった!あっでもまだ休んでくださいね」
そう彼女は天使のように笑った。
初めて見た笑顔だった。
「って大丈夫ですか⁉︎」
「え?」
熱いものが頰に伝った。
涙だった。
「大丈夫ですか?痛いとこでもあるんですか?」
「…違う。ごめん…」
「どうして謝るんですか。あなたは何もしてません。何か、私にできることはありますか?」
真剣な眼差しで見てくる。
どうせ、もう会うことはないんだろう。
そんな油断だった。
「少し、愚痴を言っていいかな?」
「はい」
「…本当は、本当の俺は、王子様なんて柄じゃないんだ」
それくらい言ってもいいだろうっていう油断だった。
「人よりずっと劣ってる。出来損ないだから、人一倍頑張らないといけない。でも、うまく行かなくて、周りの期待が痛くてたまらないっ…」
彼女が何も言わないっていう油断だった。
「できなかったら責められるからっ、頑張るんだけど、でも、頑張っても褒めてなんてもらえない」
初めて、油断してたんだ。
「俺はお飾りの人形で、王子様のフリをしてる。誰も「俺」を見てないっ…」
言葉がめちゃくちゃだった。
「でもっ」
止まらなかった。
「もしかしたらって期待してしまうんだっ…」
涙で視界が歪む。
「誰かがっ」
初めてだった。
「俺を認めてくれるかもってっ…」
自分の本音を言ったのは。
ポンと頭に何かが乗る。
彼女の手だった。
「あなたはすごい人なんですね」
「へ…」
間抜けな声が飛び出した。
でもそれくらい以外な言葉だった。
だって、さっきまで馬鹿みたいに泣きじゃくりながら、かっこ悪く愚痴を言ってたのに。
どこがすごいっていうんだ。
「今まですっごく頑張ったんですね。人一倍努力したんですね。私にはきっとできません。とってもすごい。あなたはとってもすごい人です」
そう言いながら彼女は俺の頭を撫でる。
もういいやって。
無理矢理被ってた仮面が壊れる音がした。
「あ、あああああああああ!」
叫んだ。
馬鹿みたいに泣き叫んだ。
「本当はっ誰かにそう言って欲しかったっ。認めてもらいたくってたまらなかった…!俺は俺は頑張ったって、誰かに認めて欲しかったっ…!」
彼女は手を頭から離し、代わりにそっと俺を抱きしめた。
「偉いです。すっごく頑張ったんですね。凄いことです。とってもとっても凄いです。あなたは凄い人です」
単純で当たり前の言葉。
それでも、その言葉は俺にとって、
何よりも欲しかった言葉だった。
そのあと俺は散々泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。微睡みの中、優しい彼女の声が頭の中を反響した。とても心地よかったのを覚えている。
目を覚ますと彼女はもう居なかった。もう帰ってしまったのか。と少し残念に思った。
会場に戻ると群がってくる人々に愛想を振りまきながら彼女を探した。淡い赤毛は珍しいからそればかり考えた。
もう一度話したい。名前を知りたい。あの優しいエメラルドをもう一度見たい。心に何かが咲いたみたいだった。
「それが俺の初恋。でも結局彼女は見つからず、そのまま初恋拗らせて成長したんだ。本が多いのもそのせい。彼女が褒めてくれた「凄い人」のままでありたかったから」
少し照れながらレイドはそう言う。
思い返せばレイドはいつも誰かを探しているようだった。社会的地位の高さと端正な顔も相まって女がこれでもかというほど群がってきても、その中で誰かを探し、居ないとわかって死んだ魚みたいな目でモブ女たちの相手をしていた。
あれは初恋の人を探していたのか。
「それから7年後、マリアンヌと出会った。薄いピンクの髪、淡い黄緑色の瞳。珍しいその色は初恋の少女に酷似していた。だから「彼女が初恋の人では?」と思ったんだ」
それは違う。
そんな設定乙女ゲームの方では出てきてない。そんな美味しい設定を捨てるだなんてとてもじゃないけど思えない。
まさか、ゲームと話が変わってきているのか?キャラの設定だけかと思ったけど、ストーリーまで……
「それで、彼女に近づいた。単刀直入に「パーティで会った少女か?」なんて聞けないからな。少しずつ距離を縮めていって、その過程で彼女に惹かれたのだと思う」
懐かし気にレイドは語る。
「つまりマリアンヌは初恋の少女だった…のか?」
「いや、わからない。一度、それらしいことを聞いたけど上手く誤魔化された。仮に初恋の少女だったとしても、二度と関わりたくないけど」
そう爽やかに笑う姿はさながら王子のようだが、口からははっきりと拒絶の言葉が出ている。レイドがここまで拒否するとは……絶対浮気以外にも何かやらかしてるだろあの女。
「そうか、ありがとな。いきなり不躾な質問して」
「いやいい、割と慣れた」
「慣れるほど不躾な質問した覚えないぞ」
「無自覚なだけだろ。例えば半年前の…」
「あれは本当にわからなかったんだ!」
としばらく久しぶりの雑談に花を咲かせた。
にしても淡い赤系の髪にエメラルドの瞳…か。なにせ7年前、しかも話を聞く限り「あの事件」の前だ。記憶が風化したり、捏造されててもおかしくない。そう思うとマリアンヌと間違えたのもしょうがない。そういえばつい最近似たような色味の女性を見たような……どこでだっけ?
それが誰なのかクリスが知ったのは、わずか1日後の出来事である。