「魁」は「さきがけ」って読むんだよの巻④
勝負のことも忘れて、思わず踵を返し窓に向かう桃。
窓から外を覗き込むと、ちょうど地面に到達した田中がゴロゴロと地転がっているところだった。
「た、大変……! どうしよう、先生呼んだ方がいいのかな、いや救急車かな?!」
横からにゅっ、と顔を出した明石が口を挟む。
「心配しなくても大丈夫っスよ。先輩は五接地転回法カンペキに使えるから」
「ゴ、ゴセッチ?」
「ほら、見てください」
すると田中はまるで何事も無かったかのようにパッと起き上がり、自分の教室の方向に走り出したのである。
「ほらね? ノーダメージっス」
「ホントだ……」
「てか、見てていいんスか? 先輩もう教室着いちゃうっスよ」
「あっ……やばっ」
怪我が心配ではあったが……すぐに走り出したところを見るに身体に別状はない、そう桃は判断した。となれば、勝負の方の心配をしなければならない。
どうもこの『帰宅部』の人々は、性格面だけでなく肉体面においてもかなり常人離れした集団らしいことがわかった。
もし入部させられた場合には、自分もこのように窓から飛び降りる訓練のような、ハードな特訓をさせられる可能性は高いだろう。
ただの一般女子高生である桃にとっては、こんなアクロバティックな芸当をさせられるのはまっぴらゴメンである。
何としても先輩よりも速く教室に辿り着き、入部を諦めさせなくては────
もはやイケメン云々のことなどを考える余裕は桃には残っていなかった。
時間にして20秒ほどのロスだろうか? 桃は慌てて部屋を出て、教室に向け走りだした。それに明石も続く。
部室から教室までの距離、その3分の1ほどに到達したころ、背後から明石が桃に向けて声を掛けた。
「桃さんっ!!」
大きな声で呼び止められ、思わず後ろを振り向く。
「残念ですが……タイムアップっス」
明石はそう告げると、桃の方にスマホを投げてよこした。
「え? わっ……と」
辛うじてそれを落とさずキャッチし、画面に目を落とす。そこには────自分の教室の前でポーズをキメる田中の自撮りが表示されていた。しかも、スタンプなどで加工済みである。よっぽど時間に余裕があったのだろう。
「は、早すぎる……」
「完敗っスね、仮に桃さんが先輩に気を取られずに教室に向かったとしても……やっぱりタッチの差で向こうの勝ちだった、そう思うっス」
「うぅ……」
彼女の名誉のために言えば、桃の脚力は8.4秒で50mを走るものであり、決して他人と比べて著しく劣るものではない。しかし百戦錬磨の田中を相手取るには、いささか物足りないスピードであったのだ。
明石の言う通り、仮にもう一度勝負をしたとしても勝てるかどうか──少なくとも桃にはそのような自信はあまりなかった。
「残念ながら私の圧勝のようね」
「うわあっ!! い、いつから後ろに……!!」
いつの間にか、田中は1階の教室から3階まで戻ってきていた。
「もし不満ならもう一度勝負してもいいけど、どうする?」
「いえ……止めておきます。勝つ自信ないし、何回も飛び降りたりしたら先輩の体が保たないですよ」
「ふふっ、心配してくれてありがとうね。でも、私は何ともないのよ? ほら」
そう言うと、脛の半ば程の丈のロングスカートをひらりとめくり上げた。うっすらと赤くなっている他には、目立った外傷などは見られない。きれいな脚であった。
「あ、ホントだ……すごいですね」
「そうでしょ〜? ふふん」
「田中先輩、すごすぎますよ……3階から飛び降りて怪我一つないなんて……そんな人相手に、私みたいな凡人が勝てるわけなかったですよね」
あはは、と桃は笑う。自虐と諦めがわずかに入り混じった、田中の肉体の頑強さを褒め称えた発言であった。負けたのは悔しいが、あんなアクロバティックな動きをやってのけ、しかも怪我一つない────そんな相手に対する純粋な感動と賞賛。
しかし当の本人の返答は、彼女の思っていたものよりもそっけないものだった。
「あら、私だって凡人よ」
「えっ、いやそんなことないですよ。だって……」
「別に私、骨密度が常人の10倍あるだとか両親がスポーツエリートとか、そんな特別な人間じゃないのよ。怪我をしなかったのはあくまでテクニックのおかげ」
「テクニック……」
そういえばさっき部長はゴセッチが使えるからどうこう、とか。言っていた気がする──




