3.不味い
「相変わらずと言いますか、まだ変わっていなかったのかと言いますか……残念なことこの上ありませんね。呆れるばかりです」
そんな、一方的で自分勝手な言い分。
流石の僕でも憤慨しかけたものだが、それより早く、僕や来宮さんを制するようにして前に出たのは葵だった。
「勝手にやって来て随分な言い草。私の大好きな人に、失礼なこと言わないで」
「大好きなーーあぁ、そうでしたか。お付き合いを。ですが、すいません。私はこれを曲げるつもりはありませんから」
「じゃあせめて、私がいる時には何も言わないで。
私、怒ると怖いよ」
純粋な敵意。
葵には僕との、僕には葵とのこれまでの濃い一年間があるだけに、それを否定する存在に対しては容赦ない。
まして、昔顔見知ったとは言え、同じくらいの濃度とは到底言えないくらいの、付き合いとも言えないような人間には。
「ーー分かりました。では、高宮さんの前では決してと約束しましょう。本来なら二人きりの時でもお嫌でしょうが、それは貴女にはあずかり知らぬことですからね」
「癪だけどね、仕方ないよ。行こ、まこと」
睨みつけながら言うだけ言って、葵は僕の腕をぐいと引いてその場を離れようと足を進める。
「ね、ねぇ、葵…」
「ーーやだ」
「何だって?」
「まことを悪く言う人は嫌い。大っ嫌い…!」
有無を言わせぬ口調で放つと、一層足早になって角を曲がる。
連れられるがまま、歩かされるがままな僕。
そうしてようやく一息つくと、はっとした様子で咄嗟に僕の腕を離して少し距離をとった。
「ご、ごめん…!」
「何で?」
「つ、つい……腕、痛くなかった?」
「ああ、そんなこと。全然大丈夫だけど、まぁちょっと歩きにくかった、かな?」
「あわわ、ごめんね…!」
いつもの葵だった。
腕を組んだりといった恋人らしい何かには、まだ少し臆病らしい。
さて。
来宮天音ーー思わぬ再会をしたものだ。
何も苦い思い出、というわけではない。そも全然話したこともないのだから、思い出も何もないのだ。
しかし、だ。
あそこまで敵意を剥き出しにされてしまっては、流石に思うところはある。怒り慣れていない僕だけれど、何の覚えもなく睨まれてはいい思いはしない。
ーー相変わらず不味いですねーー
何かのきっかけで、彼女が味で感じる共感覚の持ち主であることは知ってしまっていたけれど、何を、だっただろうか。
当時の彼女は、僕が鍵盤に指を置いている時に決まって気分を悪そうにしていたが、今の様子を鑑みるに、音に反応しているというわけではなさそうだ。
藍子さんと同じ、人の言ったことや気持ちーーだとしても、 僕は葵と談笑していただけだ。名前に心当たりがなく、且つさっきまで当時のことすら思い出していなかったのだから、悪意や敵意、苦いといった風な感情も、生まれてすらいなかったはずだ。
ならーー
分からない。検討もつかないな。
「深く考え込まない方がいいよ」
と、葵。
「少なくとも今までの一年間で、まことが嫌な色とか苦いだなんて感じたことないから。私だけじゃなくて、それは藍子さんだって兄貴だって、岸姉妹に佐江お姉ちゃんーー誰だって感じてない筈だよ」
「葵…」
「気にすることないよ。絶対に、そんなこと有り得ないから」
そんな言葉一つで安心できることは不思議というか、流石に惚気て来ているな、僕。
しかしーー
ーー残念なことこの上ありませんね。呆れるばかりですーー
(いつーー)
いつ、僕は彼女と接点を持ったろうか。
「せっかくのデートだったのにね」
「目的はお墓参りだけどね」
そう。
それが僕らの、今日の目的だった筈なのだ。
あまりの衝撃に、危うくそれすら見失ってしまうところだった。
「気を取り直して、かな。行こうか」
「うん。もうすぐ近くだよ」
葵の指差す方に向き直ると、再び歩みを進める。
お墓参りーー葵の両親、そして篤郎さんか。
写真でしか見たことのない故人に会えるとあって、少し嬉しかった筈なのに。
不思議と冷めてしまったのは、きっとあいつのせいだ。