2.味を感じる
「そう言えば」
ふと、葵が口を開いた。
何かと問うや、つい先日の入学式についてだった。
「人に声、かけられた。同い年の一回生なんたけどさ、ちょっお変なんだよね」
「変? 変な子ってこと?」
「まぁ変な子でもありそうなんだけど、そうじゃなくて…ねぇ、その子の名前、来宮天音っていうんだけどさ、聞き覚えとかあったりする?」
来宮天音。来宮——いや、ない。
聞いたことも、無論出会ったことも。
「そっか。うーん、じゃあ何きっかけなんだろ」
「さっきから何の話?」
「あーうん。その子ね、私に声をかけて来たんだけど、目的は記憶堂に行きたいって。でも、目的は依頼でも藍子さんでもなくて、まことに会いたいんだって」
「僕に?」
葵は自然に頷いた。
嘘は言っていない様子。疑ってもないけれど。
しかし——なるほど。確かにそれは変な話だ。
藍子さんのように定職にも就いていなければ、何か全国や地方で表彰されたこともない。
自分で言うのも悲しくなるくらい、何もないのだ。
あるとすればピアノの件だけれど、あれだって小四の、それも本選一次落ちだ。
あり得ない。
「ふうん。変な話だね」
「でしょ。まぁ、とりあえずやんわりと躱しておいたんだけどさ、大学も同じだし、その内まことのところにも出向くかもね」
「面倒ごとじゃなきゃいいんだけどなぁ」
そう言って頰を掻くと、葵は苦笑まじりに相槌を打った。
今年度に入って——いや、ともすればもっと前からではあるけれど——葵の表情の変化は、随分と柔らかく、また変化しやすくなっていた。
怒るところはむっと怒って、悲しむところはしゅんとして。分かりやすく疑問符を浮かべることもあれば、何より笑顔が自然になった。
高宮葵という女の子を構成する要素の中に元々あったはずのそれらが、よくよく浮き出てくるようになっていた。
「ところで葵。ここに来たってことは、高宮家のお墓は——」
場所だけだが知っているそこの名前を出さんとした矢先だ。
ふと葵が立ち止まって、正面を見据えたまま固まった。
「来宮さん?」
小首を傾げながらそんな言葉を漏らして。
それに気が付いた正面の少女は、儚げな影が落ちる目元を上げて葵を見やった。
刹那、満開に咲き誇る笑顔の花に、つい僕も言葉を失ってその場に立ちつくす。
来宮さん、と言われたその子は、たった今葵と話をしていた件の彼女だ。
なるほど。確かに容姿はそこいらの同年代よりも群を抜いているが、どうして近寄りたく無さそうな雰囲気すら持っている。
葵から話を聞いただけ、それも高々一言二言の話なのだけれども、生でみた芸能人に萎縮する感覚と同じく、本能的にそれ以上は踏み込めないと思えた。
が。
「高宮さんと——隣の殿方は、もしや神前様ですか…?」
僕の名前を知っていた。
葵の言っていた通りらしい。
けれども、僕はこの子に対して思うところがない。
疑問符を浮かべつつ視線が合うと——
「うっ…」
少女は口元を押さえて蹲った。
ぐったりとしている様子はないけれど、その嗚咽はどうやらホンモノらしく。
——あぁ、なるほど。
思い出した。知っている光景だ。
この女は。
「不味い……相も変わらず不味い味ですね。思い出しただけでもこれなんて」
小学の頃だ。
ピアノのレッスン中、いつも僕の次に順番待ちをしていた少女がいた。
彼女は、お疲れ様ですと入って来るなり、いつもこんな顔をしていたんだ。
名前は知らなかった。けれども、僕はよくよく知っていた。
曰く。
「貴方の音は、時間を置いて腐ってしまった豆腐のような味です」
他人の鳴らす何かが、味になって伝わる共感覚の持ち主。