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キスのおかわり  作者: 松田未完
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エピローグ

   *エピローグ


 頼まれた食べ物の入ったコンビニのレジ袋を持って、大学病院の綺麗な廊下を歩いていく。

 夕焼けが差し込む外科病棟の一番奥にある大部屋に入ると、何もなかったはずの賀茂さんのベッドに、山のようなお見舞いの品が置かれてるのが見えた。

「誰か来たんですか?」

 少し頭を起こしたベッドで、何かを食べてた賀茂さんが頷く。

「お前が話を聞きに行った連中がな。あいつらもディフェンダーで、頼んでおいた俺の好物を買ってきてくれた」

「起き抜けで私に頼んでおきながら、他にもお願いしたんですか?」

 念のためと思ってお見舞いの品物をチェックする。やっぱりと思って、私はため息をついた。

 ポテトチップスのイカコンソメ味、イナゴの佃煮おにぎり、飲むカレージュース、牛タンヨーグルト。食べていたのは、ミドリムシパンのイチゴ味。

 味を想像したくないから、とりあえず私のリュックにしまった。

「おい、持っていくなよ」

「その代わりに、これを買ってきましたから」

 私が渡したレジ袋を嬉々として受け取った賀茂さんだったけど、中を見て唖然としながら私を見上げてきた。

「頼んだものと違うようだが」

 そう言って、突き返してくる。

「そうですよ? 賀茂さんが寝てる間に先生が来て言ってたんです。筋肉はまるで力士みたいだけど脂肪も同じぐらいだし、血がドロドロだったって。姪っ子さんがきちんとしたものを食べさせてあげなさいって」

 私も突き返す。

「だからって、お前……こんなの食えるかよ」

 また突き返された。

 私が買ってきたのは、しそドレッシングのついたサラダに糖質カットのパン。鳥のささみを使ったおかずに、お茶のペットボトル。おやつは脂分カットのポテトチップス。

 あからさまに非難してくるその目にも負けずに、私はもう一度レジ袋を賀茂さんに押し付けた。

「賀茂さんは私の命の恩人です。だから、私も賀茂さんの命を助けるお返しをしなくちゃいけないんです」

「頼んだ覚えはないが」

「これは義務です」

 私は賀茂さんの目を見つめた。

「もう、私の知ってる人に死んでほしくないんです。最強だから戦いじゃ死なないでしょうけど、動脈効果とか心臓発作で死なれたら嫌ですから。これは善意じゃなくて押し付けです」

 そう言い放った。すると、真面目な顔をして聞いていた賀茂さんがくすっと笑う。

 またバカにされたのかと思ってふんと鼻を鳴らすと、賀茂さんはレジ袋を受け取ってペットボトルのお茶を飲み始めた。

「前は俺を殺すと息巻いてた女が、いまやさん付けで俺の命を助けたいか。まあいい。呼び捨てされるよりはマシだな」

 それでも賀茂さんは名残惜しそうに私のリュックを見ながら頷いた。

 どうせそのうち元に戻ると思う。

 私はあのスマホに映っていた許嫁さんとは違うから。でも、せめて入院している間ぐらいはきちんとしたものを食べてほしかった。

「で、お前の怪我はどうなんだ? ピンピンしてたから特に聞かなかったが」

「五針で済みましたよ。今は平気です」

 聞かれて、私は思わず胸を触った。お腹も。もう大丈夫、痛まない。

「刺されたと聞いて、七子が仏島をぶん殴ってたからな。ま、もう痛まないならいいが」

 七子さんはああ見えて激しい性格の持ち主らしい。薄々気づいてはいたけど。

 賀茂さんを撃ったお婆さんの元に駆けていって、腕を縛った後にヒールで蹴飛ばしているのを見て、あの人には逆らうまいと誓ったのを思い出す。

「それより、聞きたいことがあります」

 リュックをパイプ椅子の上に置くと、私はベッドの足元ぐらいのところに腰を下ろした。

「あの時……私が逃げ出してきた時、どうして六社さんがいたんですか? それに賀茂さんも公園にいたし。何があったんですか?」

「あそこに行けっていう地図を残したのはお前だろうが」

 あっと私は声を出した。そうだ。賀茂さんに説明するために残してきたんだ。

「そもそもだ。お前が男装してカフェに来た直後に襲われたのが、都合良すぎたんだ。お前が俺を付け回すと言ったのは、あのカフェでだけ。つまり、誰かが盗み聞きしてたことになる。先生とやらが消えたのもあのカフェが最後。俺は間違ってたとそこで気づいたんだよ」

 だから目が覚めたって言ってたんだ。私が賀茂さんを殺そうとしなかったら、分からなかったことが山ほどあるって、このことだったんだ。

「設立に関わったのは正法真道寺。本屋のジジイによれば、先代の住職がディフェンダーだったことも分かった。二十年前に死んでギルドからも登録抹消されたが、跡継ぎもいないのにビルになってNPO法人に資金提供してた。つまり、他のディフェンダーが乗っ取って稼ぎ出したってことだ」

 今の住職になってからはお金第一になって、あんなことをし出した。監禁されていたお爺さんもそう言ってたっけ。

「だから何かあると思って、七子を呼んでおいたんだ。そしたらお前が消えた」

「地図があったから来てくれたんですね?」

「怒るなよ?」

 賀茂さんがまたお茶に一口つけた。

「本屋のジジイにキーホルダーをもらっただろ? あれはGPSだった。あれでお前の行動が筒抜けだったんだよ」

 私はパイプ椅子に置いたリュックのキーホルダーを見た。

「お前の信号がカフェからあのビルに移動して、そこで消えた。確信したが、すぐには突入しなかった」

「どうして?」

 あの時ほど怖いことはなかった。閉じ込められて逃げる術もない、あの絶望感。もう二度と味わいたくない。

「だから怒るなよって言ったんだ。俺はすぐにでも行こうとしたが、お前を殺すつもりかと七子に怒鳴られてな。構造も何も知らない中へうかつに飛び込んだら、口封じにお前は殺されてただろ」

 それはそうかも知れないけど。

「七子は内調のスタッフを召集しながら、家宅捜索令状を申請して、区のスタッフにビルの設計図を送らせて作戦を練ってた。出てくる人間を捕まえて中の様子も伺うつもりだったけどな、誰も出てこない。全ての準備がが集まったら突入するつもりだった」

「そこに、私が飛び出してきた?」

 だから突入より早く出てくるなんて、とか言ってたんだ。

「あそこでやりあっちゃ、ギルドの呪いに引っかかる。で、俺が先行して公園に潜みながら、七子に誘導させた」

 そうだったんだ。

 私は少しだけ落ち込んだ。あんな必死に、裸になってまで、男の人の首を締めてまで逃げる必要なんてなかったなんて。

 そんな私の気持ちに気づいたのか、賀茂さんが微笑む。

「お前はすごい。これだけは言える」

 そして、いつになく真面目な顔をすると、私に向けて深く頭を下げた。

「お前がいなかったら、宮谷さん――所長の行方は分からずじまいだっただろうな。遺体の投棄場所は尋問で聞き出して、今頃探してもらってるはずだ。そしたら正式に葬式が出せる。感謝する」

 これで賀茂さんも気持ちの整理がついたんだと思う。そういう意味じゃ、私と一緒だったんだ。

 諦めきれずに、手がかりになるカフェに通い続けていたんだから。

「さっき七子からメールが入ってな。お前が推測した内容は全部合ってたそうだ。後は、俺を襲った内調のディフェンダーに連絡したのが、あの婆さんだったぐらいか」

 これで全てが解決したことになる。もう、怖いことなんて何も起こらない。私はほっと胸を撫で下ろした。

「それはまだ早いぞ」

 見透かされたように、賀茂がふっと笑う。

「いいか? 最初に言っておく。気にするな。だが正当防衛とは言えクズを一人手にかけてるのは事実だ。それについて事情聴取がある」

 うん、それは分かってる。私は人を殺した。仕方なかったの。

 でも、幸い――私の記憶はあの後に起きた戦闘で上書きされたみたいで、男の人の顔はあいまいにしか覚えてなかった。

 トラウマにはならないと思う。

「それとな。警視庁と一緒に捜査してるらしいが、七子からのメールだと、あいつらの毒牙にかかったのは五十人以上、被害額は二十億で、逮捕者も十人じゃ済まないだろうな。お前とあの爺さんは貴重な証人になる。検察庁と法廷通いが続くはずだ」

「う、うん……」

 この事件とは関わりたくなかったけど、そうはいかないんだろうなとは思ってた。でもそれは、関わってしまった人の義務なんだと自分を納得させる。

「中に残ってたお婆さんは助かったんですよね? そう言えば、私が連れてきたお爺さんはどうなったの? キスしたの?」

 賀茂が笑う。

「二人とも衰弱してたからな。今はここの内科病棟で手当を受けてる。大切な証人として、警察の警備付きだ。ディフェンダーを知っちまった爺さんには、ギルド特製のカプセルを飲んでもらった」

「カプセル? キスじゃなくて?」

「当たり前だろ。誰があんなジジイにキスするってんだ」

「だって……」

「キスは非常事態だけだ。普段はディフェンダーに関する他言をしない呪いを込めた、ギルド特製のカプセルを飲ませるんだよ」

 そんなのあるなら、最初からそれを飲ませてもらえば良かったのに。そう愚痴ろうとして、思い出したことがある。

「そう言えば、どうしてキスしてなかったんですか?」

 私は賀茂さんを見つめた。

「仏島に賀茂さんがディフェンダーかどうか言えって言われて……私、言っちゃったのに、死ななかった。キスしてないんですよね? きっと、あれはすあま……」

 後から考えて思いついた。妙に甘かったし、人の舌にしては分厚い感じがしたから。

 すると、賀茂さんが厭らしそうに笑った。

「何だ? して欲しかったのか?」

「そんなんじゃ……!」

 何てことを言うんだ、この人は。

「でも、どうしてですか? 何で私にキスしなかったんですか?」

「これだから、ガキは困る」

 聞くなよって意味なんだと思うけど、駄目。聞きたい。

「ガキだから? それとも、顔が好みじゃないから?」

 詰め寄る私。困る賀茂さん。

 彼は大きくため息をついた。

「ガキだからだよ。その年で魔法だ何だと言ったところで、相手にされるはずもない。いいか、勘違いするなよ?」

 その言葉で確信した。私のことを思ってキスしなかったんだ。

 私は胸が締め付けられるような気持ちになった。

 好きでもない男の人にキスされて喜ぶ女の人はいない。まして、私は初めてだった。泣いた私を見て、すあまでごまかしてくれたんだと思う。

 何て優しい人なんだろう。誰も傷つかないように、自分が嫌な思いをしても、それを貫く。

 誰にでもできることじゃない。

 嬉しくて、涙が出そうになってきた。また泣いてるとからかわれそうで、私はぐっとこらえる。

「それじゃ、最後に教えてください。さっき、急に私を買い物に行かせたのは、何か話があったからですよね? 私に関係する……何があったんですか?」

 賀茂はお茶を一気に飲み干すと、ゆっくり頷いた。

「気づいてたか」

「それぐらいガキでも分かります」

「……俺の仲間が、会社にあった親父さんの机からこれを見つけてきてくれてな。持ってきてもらったからだ」

 そう言って、賀茂さんはベッドの下に隠しておいた角二サイズの封筒を取り出して、私に手渡してくる。

 そのタイトルと貼られていた付箋を見て、全てを理解してしまった私は――その場でベッドへと泣き崩れてしまった。

 それは測量専門学校のパンフレットで、白い付箋には綺麗な字で「桜へ、入学金は用意するから勉強してみないか」と書かれていたからだ。

 お父さんがお金を欲しがっていた理由は、これだった。イラストの道を諦め始めた私が、お母さんにだけぽろっとこぼした言葉。お父さんみたいな測量をやろうかな、の一言。

 それをお父さんは聞いたんだと思う。私にまとまったお金がないことは知っていたから、その入学金を稼ごうとして、騙されるのを覚悟で仕事を請け負ってその途中であいつらに捕まって殺されてしまった。

 私のために。私の、本当に得意なことを仕事にさせてくれようとして。

「お父さん……! お父さん……!」

 あれだけ嫌がってた測量の道へ進むと私が言い出したことが、どんなに嬉しかったんだろう。

 嫌じゃなかった。地図も測量も好きだった。進む道を間違っていたことも知っていた。でも、チャレンジしたかったし、それはお父さんへの反抗から選んだ道だったことも分かっていた。

「何がどうあっても、娘だったんだ。親父さんにとって、お前は可愛い娘……」

 賀茂さんが優しく頭を撫でてくれる。私は声を上げて泣いた。

 お父さん、ごめんなさい。お父さん、本当にごめんなさい。

 それからしばらくして泣き止んだ私に、ティッシュを箱ごと渡してくれた賀茂さんが、ゆっくりと頷いた。

「道は決まったようだな」

 パンフレットを抱きしめていた私を見て、賀茂さんがそう言った。

 お父さんも、賀茂さんも正解だった。私はこの仕事以外、できないと思う。

 ゆっくりと頷いた。

「遅くなったし、何もかもなくなっちゃったけど……この仕事をしてみたい」

「遅くはない。俺も二十代半ばで興信所に入ったからな。何より、お前には知識がある。一人前になれよ」

「……はい」

 私はまた涙が出てくるのをこらえながら、頷いた。

「でも……一つお願いがあるんですけど、いいですか?」

「金と食い物の相談以外なら乗ってやる」

「お金は自分で稼ぎます。仕事しながらでも学校に行きます。そうじゃなくて……時々、事務所に遊びに行ってもいいですか? 雑談とか、そういうの……」

 賀茂さんの目がぎょろりと動く。

「お、お掃除とか伝票の整理とかやりますから。……だって、誰もいなくなっちゃって、私のことを知ってくれてるの、賀茂さんと六社さんぐらいしかいないし……」

 どうかな。嫌がるかな。

 そう思って上目遣いに見ると、賀茂さんはまた一つ大きなため息をついた。

「だったら、うちで働け。それなりに依頼はあるからな、少ないがバイト代ぐらいは出してやる」

「え……? ホントですか?」

「七子にもクギを差されてな。お前を放り出したら許さんと。それに、あの事務所が臭くて汚いのは本当に嫌なんだと」

 そういうことか。苦笑いする賀茂さんを見て、私も笑う。

 妹分とか言いながら、お姉さんみたいに賀茂さんをコントロールしてる六社さん。あの綺麗なお姉さんとまた会えると思ったら、嬉しくなってきた。

「ただし、条件がある。食い物は俺の自由にさせろ」

「それは駄目です」

 私は唇をきゅっと結んで首を横に振った。

「先生が言ってましたよ。この体重だと、もうすぐ膝を痛めるだろうって」

「主治医でもなし、あいつに何が分かる? 大体だな……」

「ですから、私は命の恩人に恩返しする義務があるんです。これが私なりの恩返しなんです」

「女の恩返しってのはな、もっとこう……例えば感謝のキスをするとか――」

 私はベッドの掛け布団を昇っていくと、賀茂さんにキスをした。もちろん、ほっぺに。

「はい、しましたよ。これでいいですね?」

 面白い。賀茂さんがちょっとキョドった。

「お、おい、お前……勝手にこんな、つまみ食いみたいなキスしやがって」

「その、何でも食べ物に例えるの止めてください。そもそも、私の口にすあま突っ込んでおいて……これはお礼のキスですよ。おかわりしたいんですか? 唇に?」

「バカヤロ。ションベン臭いガキのキスなんてまっぴらだ。あー、止め止め。もう二度とうちに来るな。またボウガンと包丁で殺されかねん」

「押しかけますもん。六社さんと一緒に」

「だからなあ、お前は――」

 それから間もなくやってきた看護師さんに、他の患者さんの迷惑だから家族の揉め事は他でやってくださいと怒られて、私と賀茂さんは二人で笑ってしまった。

 そう。私はまだまだ子供。これから色んなことを勉強して大人になっていくんだ。

 悩むこともたくさんあると思う。でもその時は、今まで見たことのある二つの背中を思い出して乗り越えようと思った。

 一つは、頼れる元イケメンの賀茂さん。

 もう一つは、お父さん。

 私、頑張るね。

 そして私はお父さんにする代わりに、もう一度、賀茂さんのほっぺにキスをした。


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