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キスのおかわり  作者: 松田未完
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お兄さまのこと

   *お兄さまのこと


 イケメンが三人出てくる夢を見た。

 みんな私のことを心から愛していて、誰が私のハートを射止めるか争ってるの。私がちょっと悪戯をして逃げると、みんなして追いかけてくる。

 こんなのない、コントだわ。私、病んでる。

 とか思いながらも、楽しくて止められない。

 現役のアイドルにイケメンのお笑いタレントとJリーガーに次々と抱きしめられ、キスされて、その腕をすり抜けて逃げていく私。

 三人とも、争いながら私に向かって一直線になって走ってくるの。

 またもみくちゃにされる私。

 やめて。分かったことがあるの。

 私は三人を押しのけると、光の射す方へと向かってダッシュした。

「はっ……」

 起きると、朝の八時だった。

 私はよだれを拭いた。絶対に欲求不満だ。

 そうじゃない。枕元に広げておいたお父さんの地図を広げて見てみた。チェックしたのは三つのトラップストリート。

 改めて見てみるとおかしなことに気づいた。それぞれ付け足された道が少しずつ曲がってたから。

 トラップストリートとして余計な道を作るとしたら、不自然にならないよう、既にある道を真っ直ぐ伸ばすとか自然な交差点にすると思う。

 だけどお父さんがつけた余計な道は、途中でわずかに曲がったりしていた。日本美術館の道に至っては建物を貫いてたの。

 それで気づいたことがあった。周りを見渡す。定規の代わりになるものは見当たらなかった。

 仕方なく私はリュックの中から昨日の帰りに買った包丁を出すと、その刃を地図に当ててボールペンで線を引いていった。一本、二本、三本。

「ここだ……」

 夢の中で三人のイケメンたちが私を追ってきた時みたいに、三本のトラップストリートを延ばしていったら――一つの建物に交錯した。

 それは千駄木の駅近くにあるビルだった。

 身震いした。全身に鳥肌が立っている。

 お父さんはここに何かがあると気づいたんだ。トラップストリートは小西さん対策だったわけじゃない。それも含めてなのかも知れないけど、もっと重要な――それこそ、死を覚悟するような何かがあったんだ。

 私は地図とボールペンをリュックに入れて立ち上がると、着替えた。今日はキャミソールの上にシャツ、それにスカート。顔を洗い歯を磨いて、家を出る。

 地下鉄に乗り千駄木の駅で降りると、スマホで近くの地図を確認しながらその建物を探す。

「ここだ……」

 それは賀茂が六社さんのディフェンダーと戦った公園の近くにある、マンションが立ち並んだ一角にあるビルだった。

 新築なのか手入れが行き届いてるのか、その三階建てのビルは外壁が綺麗で、入口には「正法ビル」と書かれた金色のプレートが貼られている。他にテナントの分かるものはなくて、入口のドアを押してみたけど開かなかった。

 少し離れて、スマホでこのビルについて検索してみる。最初に出てきたのはここの住所と地図で、それに続く検索結果には郵便番号のリストだったり建物の住所一覧だったりして、役に立ちそうなものは見当たらなかった。

 でも、絶対に何かあるはず。

 調べ続けていくと、ようやく目的のものを見つけることができた。

 ここは元々お寺だったらしい。千駄木にあったお寺や神社の古いリストで、正法真道という名前でここの住所が登録されていた。その名前でまた検索してみる。出てきたのは古い情報ばかりで、元々は江戸時代に作られたお寺だったことが分かった。貧しい人や行き場のない人に施しをしたり、お寺で寝泊まりさせてたみたい。

「何か探し物ですか?」

 背中から声をかけられて振り向くと、コンビニのレジ袋を片手にしたお婆さんがにっこりと微笑んでいた。

 その綺麗な白髪と笑顔には見覚えがあって、それはお婆さんも同じだったらしく――さらにニコニコしながら寄ってくると、私の手を握った。

「あら、お姉さんだったのね。この前はごめんなさいねえ、私ったら勘違いしちゃって。年を取るとこうだから嫌ですねえ」

「い、いえ……大丈夫です」

 このお婆さんは少し苦手だ。近所にいるこの手の人はやりにくい。古い話ばかりしてくるし。

 そこで私は気づいた。

「あ、あの……えっと、ちょっと聞いてもいいですか?」

「もちろんですよ。ここに住んで八十歳になるお婆ちゃんの知ってることで良かったら」

「ここにある正法ビルって、元々はお寺だったんですよね? 貧しい人の面倒を見てたとか」

 すると、お婆さんは不思議そうな顔をして私を見つめてきた。

「珍しいこともあるんですねえ。一年半だか二年ぐらい前にも、同じことを聞いた人がいたんですよ」

「どういう人でした?」

「男の人でしたよ。そう、年はあなたの親御さんぐらいで、随分と詳しい方でしたねえ。古い地図を持ってきて、昭和何年にはお寺だったけど、ビルに変わったとか何とか」

 お父さんだ。小西さんに愚痴っていた件はここの建物についてのことだったんだ。

「他に何か言ってました?」

「正法真道――昔はそう呼んでましたけど、お寺の人か檀家の方はいらっしゃいますか? って」

「だんか?」

「お寺に援助する家のことですよ。でもほら、身寄りのない人を預かってきたから無縁仏しかないし、檀家はないと言ったら帰っていきましたねえ」

「昔から慈善事業で有名だったんですよね?」

「そうですよ。昭和の悲田院とか言われてましたけどね、今で言う老人ホームとか施設みたいなものかしら。そうそう、あの頃はまだ木がたくさんあってねえ」

 長くなったお婆さんの話は、セピアがかって聞こえた。

 昔から貧しい人々に尽くしていた正法真道寺の慈善事業は、第二次世界大戦の後に最も忙しくなったらしい。

 戦争で家を失った老人や、戦争で障害を負った帰還兵。そういう人たちが救済をしているというこのお寺にこぞってやってきたのだと言う。

 クスノキに囲まれた敷地の中にあるプレハブ小屋で、野戦病院みたいにベッドを並べて雨露を凌がせ、少ない資金で買った食料を提供していた。

「でもね、時代の流れだったんですよ。二十年前ぐらいでしたかねえ。色んなところに福祉のホームができて、ここのお寺には人が来なくなって。お墓もないし、先代の住職さんが亡くなった時に、今の住職さんがビルに建て替えたんですよ」

「もう何もしてないんですか?」

「いえいえ。お姉さんと会ったカフェーがあったでしょう? ああいうので、形を変えてやっているそうですよ。仏島さんに聞けば分かるかも知れませんねえ」

 あのカフェだ。お父さんもあそこに行ったかも知れない。手がかりが出てきた。

「ありがとうございます」

「いえいえ、いいんですよ。気をつけてくださいね」

 私はお婆さんに深く頭を下げると、すぐに駅前にあるオープンカフェへと向かった。

 まだお店は開いたばっかりでお客さんはいない。あの巨体も見えない。賀茂は来ていないみたいだった。

 カウンターの中で電話をしている仏島さんを見つけて、私は小走りに寄った。

「あの、すいません。ちょっとお話を聞きたいんですけど」

 ちょうど受話器を置いた仏島さんが、少し驚いたように頷く。

「何でしょう? また賀茂さんの件ですか?」

「いえ。今度は別で……公園の近くにある正法ビルって知ってますか? 元々は正法真道ってお寺があった」

「ええ、もちろんですよ」

 仏島さんが微笑む。

「このカフェはNPO法人として運営してますが、設立には正法真道寺さんにお金と人を支援してもらったらしいですから」

 子会社みたいなものだったんだ。

「今はビルになってますよね? もうお寺はないんですか? 今の住職さんは?」

「ああ……どうなんでしょうね?」

 仏島さんが困ったように苦笑いする。

「前にも言ったと思いますが、僕はまだここに来て二年目の、マネージャーといっても名ばかりのただのスタッフなんです。オーナーから聞いた話で少し知ってるだけで、今も正法真道さんと交流があるのかどうかまでは……」

「そうなんですか。そのオーナーさんはどこにいるんですか?」

「今日は出張で福祉業界の集まりに行ってますよ。帰ってくるのは夕方前ですね。羽田着が十五時ですから、十六時ぐらいになると思います。その頃にお店に来てもらえれば、会えるはずですよ」

「分かりました。じゃあ、その頃にまた来ます。すいません。ありがとうございました」

「あ、ちょっと待ってください」

 帰ろうとしたのを呼び止められて、振り返る。

「いえ、内容を聞いておけば、あらかじめオーナーに連絡しておけると思ったんです。何についてお聞きしたいんですか?」

 あんまり人に話したくない内容だからと、私はちょっとだけ迷った。

 でも、オーナーさんとの話に立ち会うことになったら一緒だし、だとしたら今この場で仏島さんに伝えておけば、話が早いのかも知れない。

「私の父が死ぬ前に何かを調べてたんです。もしかしたら、ここにも来たことがあるかも知れないんですが」

 私はスマホの中からお父さんの写真を探して、仏島さんに見せた。

「ちょっと見たことないですね。すいません」

「いえ……父はこのあたりの地図を作ってたんですが、何かに気づいたんです。それが正法ビルに関係がありそうで、それで父を見たことがあるか、あれば何の話をしたのか聞きたかったんです」

「なるほど。分かりました。それも含めて、オーナーに連絡しておきますね。お父さんのお名前は?」

「縣です。縣健」

 仏島さんが手元の紙にメモをとった。

「それでは、すいませんがよろしくお願いします」

「ええ。オーナーには必ず伝えておきますね」

 私はお辞儀をすると、お店の外に出て歩きだそうとして――足を止めた。

 また事務所に行くと言ったけど、気づけばお昼だったから。逃げるなよって言っておきながら行かなかったし、それに昨日のこともある。

 賀茂は何だかお父さんみたいで嫌だった。何もかも正論で見透かしている癖に、私に考えろって言って迫ってくる。探偵をしているからバカ正直じゃない分、何を考えているか分からないところもあって余計に面倒だった。

 でも、行かないと今後について相談できない。意を決して、私は賀茂の事務所に向かった。

 どんな嫌味を言われるか悶々としながら合鍵を使ってドアを開けると、中には誰もいなかった。賀茂の机を見てみると、ゴミ箱におにぎりとお菓子の包装が捨ててあるのが見える。朝は来たらしいけど、私とは入れ違いになったみたい。

 ちょっとだけほっとする。とりあえず賀茂への説明用にと、お父さんの地図の最終版をプリントアウトして、今度は賀茂の机にあった定規を使って三本の線を引いて、そのまま机に置いておいた。

 賀茂が来る気配はない。そもそも連絡先も交換していないから分かるはずもない。やることは決まってるし、ただこの事務所にいるのも退屈になってきた。かと言って、ネットカフェに行くような余裕もない。

 とりあえずここで待とうと思って椅子に腰を下ろすと、

「くさい……」

 生ごみみたいな匂いに、私は顔を歪ませた。

 賀茂のゴミ箱からは元より、給湯室のにもお弁当の容器だとかそういうものが詰め込まれてる。とりあえずゴミ袋を持ってきて、事務所の中にあるゴミ箱の中身を全部移した。

 窓を開けて空気の入れ替えをする。今度は、外から差し込むお昼の光を受けて、事務所の中に埃が舞ってるのが見えた。

 給湯室に雑巾があったから、それを濡らして全部の机を拭いて回る。結構な汚れがついた。今度は床の汚れが気になってきたから、給湯室の壁に立てかけてあった長箒を持ってきて、それで掃いて回った。

 私の中でスイッチが入る。

 近くのコンビニまで行って掃除用具を買ってくると、それで窓という窓を拭いて回った。シャープシェードも一本一本、洗剤を吹きかけて汚れを拭き取っていく。水拭きだけじゃ落ちなかった床の汚れが気になったので、床をピンポイントに雑巾で掃除していった。

 給湯室の水垢も落として、置いてあったコップも洗い、小さな冷蔵庫にしまってあった賞味期限切れのものをゴミにまとめていく。

「あら……? ここ、宮谷興信所……ですわよね?」

 入口から声がしたので振り返ると、今日はパンツルックのダークスーツに身を固めた六社さんが、目を丸くしながら部屋の中を見渡していた。

「あ、こんにちは。六社さん」

「これは失礼しました。桜さんだったのですね。髪を上げててタオルで顔を覆っていたので、どなたか分かりませんでしたわ」

 そう言われて気づいた私は、照れ笑いしながらマスク代わりにしていたタオルを外して髪を下ろした。

「それにしても綺麗になりましたわね。あの臭くて汚い事務所と同じとはとても思えませんわ」

 壁掛け時計を見ると、三時半になっていた。一時間以上も掃除をしていたみたい。

「よく見ると汚れてたし、時間もあったので……まだ賀茂は帰ってきてませんよ」

「朝に連絡した時には、一通り調べてからここで合流しようという話になっていたのです。ということは、まだ調査が終わってないということですわね」

 小西さんのアリバイは分かったし、他にヒントになる話はなかったはず。

「何の調査ですか?」

「さあ、私もさっぱり。大事なことだからと呼ばれたのですが、お兄さまははっきり分かるまで何も言わないものでして……」

 そんなところまでお父さんと似てなくてもいいじゃない。

「まあ、夕方までには来ますわよね。せっかく手土産も持ってきましたのに」

 六社さんは持っていた紙袋を近くの机に置くと、椅子に腰を下ろしてふうとため息をついた。

 さっき冷蔵庫でアイスコーヒーのペットボトルを見つけたので、それを二人分作って休憩に入る。

「すいません。何から何までしていただいて」

 気になったことがあった。

「私の名前は、賀茂から聞いたんですか?」

「いえ? お兄さまは不必要なことを言わないので、私のほうで調べたのですわ。これも内調の特権ですわね。縣桜さん、二十歳。高校卒業後はアルバイトをしていましたが、お父さまの件で退職され、心臓病を患っていたお母さまのお世話をされていたと。お母さまも亡くなられ、厚労省に記録もなかったので、今はお母さまの保険金で暮らされているのですわね?」

「は、はい……」

「お悔やみ申し上げますわ。お父さまの件でお兄さまが容疑者になったものの、警視庁は犯人はまだ特定されていないとか。しかし、桜さんはお兄さまだと思い、仇討ちをしようと接触された」

 賀茂を狙っていたのは六社さんの前で話したけど、それ以外のこともあの短時間で分かるだなんて、政府の人というのが少し怖くなった。

「お兄さまはこの一連の動きの中で、何か気づいたことがあったようですわ。それは、私を呼ぶ程度の出来事だったようでして。それで来ましたのに、お兄さまがいないとか……」

 そう言えば、昨日、帰り間際にそんなことを言っていたなと思い出す。ようやく目が覚めたとか、分からなかったことが山ほどあったとか。それは、私が賀茂を殺しに来たから分かったことだったみたい。

 本当の真犯人に気づいたんだろうか。

「擁護になってしまうでしょうが、お兄さまは無関係の方を殺したりしませんわ。五歳から一緒の私が断言いたします」

「みんな、あいつを信じてるんですね」

 私も賀茂がやったとは思ってないけど、そんなに信頼されてるあいつの存在が、何だか憎らしかった。

「でも、賀茂はやったともやってないとも言ってないんです」

 すると、六社さんが苦笑いした。

「またお兄さまがイケメンなことをされたのですわね」

「イケメン? 何がですか?」

「結論は出ているのです。桜さんのお父さまをお兄さまは殺せません。捜査記録を見る限り、お父さまが亡くなったとされる時間において、お兄さまは現場の雑居ビルにいることができませんでした」

 えっと、私は声を出してしまった。

「だって、アリバイはなかったはずじゃ……? 担当の刑事さんも、アリバイがないからまだ容疑が晴れないって、あいつを――」

「その件とは全く関係のない、ディフェンダー同士の戦闘があったのです。それには私も関わっておりましたし、桜さんがお会いした古本屋の方々も戦闘に参加されておりました」

 あの人たちも? でも、じゃあ、どうして?

「何でアリバイがないだなんて、嘘をついたんですか?」

「お兄さまにお聞きしませんでしたか? 私たちの存在が公になれば、いずれまた魔女狩りが起きて、今度は本当に絶滅してしまいかねないことを」

 私は頷いた。

「あの方――駒込刑事はプロテクテッドなのです。彼もまた、あるディフェンダーから呪いを受けておりますの」

 それで私は納得した。

「もしかして……賀茂にアリバイがあると知ったら、それを説明しなくちゃいけないからですか? でもディフェンダーのことを話す必要があるから,呪いで死んじゃう。黙って賀茂を容疑者から外したら、それがバレた時に説明がつかない。容疑者をかばってると思われちゃう。そしたら警察をクビに……?」

 六社さんが微笑んだ。

「お兄さまの優しさですわ。彼が難しい立場にならないよう、あえて容疑者になっておりますの」

 確かに男前な行動だと思った。

 本当によく考えた上で動いていることを、私は心の底から感じてた。でもそうなると、もう一つ確認しなくちゃいけないことがある。

「じゃあ……どうして私にはその件を説明しなかったんですか? アリバイの件も、駒込さんに言わないよう命令すれば良かったのに」

「……それは恐らく、桜さんを思ってのことだと思いますわ」

「私のことを?」

「私が桜さんについて調べていた時、駒込さんの報告も拝見させていただきましたの。そこには、桜さんが自暴自棄になっている可能性が高いと書かれておりました」

 六社さんはあくまで笑顔を崩さない。

「お兄さまも気づかれたに違いありません。そういうことを言ったのではないですか?」

 言った。確かに私は、そういうことを賀茂に言った。

 私はあいつを殺すためだけに生きている、刺し違えてもいいとまで言い放っていた。

「自分が容疑者になった時、お兄さまもこの事件について調べたそうです。しかし、真犯人を見つけることはできませんでした。これから先も、すぐに見つけることは困難だと思います。その状況で、お兄さまが自分は犯人じゃないと否定したら――桜さんはどうされました? 生きる目的を見失ったのではありませんか?」

 私は頷くことしかできなかった。

 あいつを探し出すためだけにネットの情報を漁り、地図とにらめっこをしてようやく居場所を突き止めた。

 包丁を買って刺し殺すプランを練り、三角測量まで使ってボウガンで仕留める練習も繰り返してきた。

 全て、あいつを殺すことを、その瞬間のことだけを考えて、この何ヶ月かを生きてきたんだ。

 イラストも挫折して、家族もいなくなった。目の前が真っ暗になって、道なんて見えなくなった。自分で探すだけの力も頭もない。

 失うもののない二十歳の女の、最後の目的として――あいつを殺すことだけしか残ってなかった。

「自分が容疑者かも知れない状況を作っておけば、少なくとも桜さんが自暴自棄になって危険な状態にその身を晒すことはなくなりますわね」

 そんな、まさか。私は言葉も出なかった。

 最初に会ったあの瞬間に、全てを見抜かれていただなんて。

 私は賀茂に謝らなくちゃいけない。

 自分を悪者にしてまで、私のことを考えてくれていて、そんな状況で一緒に真犯人を探してくれている。

 涙がじわりと滲んできた。

 それに気づいたらしい六社さんが、ティッシュを渡してくれた。

「確か、賀茂……さんとは、家族ぐるみの付き合いなんですよね? 昔からそんな性格だったんですか? 本当のことを言わないというか、ツンデレみたいな」

 すると六社さんは微笑みながら、机に置いてあったバッグからスマホを取り出すと、ちょっと操作して画面を見せてくれた。

「これが若かりしころのお兄さまですわ」

「う……そっ……!」

 そこに映っていたのは、細く眉を整えた、眼光の鋭い、鼻筋の通ったイケメンだった。無邪気そうにピースをしているその顔は、アイドルとかタレントって言われても違和感がないぐらいの。

 次に何人かと映っている全身像を見せてもらって、また私はびっくりした。だって、細かったから。

 あんなぱつんぱつんの体じゃなくて、しゅっとした細身のスーツ姿な上に、服の上からでも分かる細マッチョな体つきが、ただようイケメン臭をさらに強くしていた。

「ディフェンダーとしてのお兄さまは、間違いなく日本でトップクラスの実力をお持ちなのです。まさに最強ですわね。それでいてこの顔と体。妹分として、どれほど誇らしかったことか。一時は私も本気で夢中になりましたの」

「でも、諦めたんですね? この、隣にいる女の人がいたからですか?」

 二枚目の写真では、賀茂の隣で彼のことを愛おしそうな目で見ている女性が映っていた。

 顔の感じは日本人と違って、東南アジアの人みたいに見える。少し癖のある長い黒髪と、浅黒い肌に、着ている白のドレスがすごく似合っていた。

「誰からも羨ましがられるような、本当に素敵なカップルでしたの。しかし、ある事件であの方はギルドから追われる身になってしまったのです。そしてお兄さまは……チェイサーとして、自分の許嫁を追う身となってしまいました」

「チェイサー?」

「例えて言うなら……忍者の里で抜け忍を追う密命を受けた刺客みたいなものですわ。チェイサーの一族として生まれたお兄さまは、憧れの対象であるとともに、畏怖される存在だったのです」

「もしかして、許嫁さんを追うのを止めて、自分も追われることに?」

 六社さんがアイスコーヒーに一口つけて頷く。

「今思えばギルドも、台頭してきた賀茂家を叩くチャンスだと見て、そう命じたのでしょうね。しかし、お兄さまはその術中にかかり――掟を破ってしまいました。あの方を逃がしたのです。それでお兄さまは追われる身になり、こうして身をやつして巷の小さな興信所で働くことになったのですわ」

 でも、ギルドはすぐに賀茂の追跡を中止したという。理由は単純で、賀茂が強すぎたから。エキスパート級のチェイサーを何人も失うことは、ギルドにとってもものすごい損失だったらしい。

 それからギルドは、賀茂の単独行動を黙認することになった。逆に言えば、ギルドや親しいディフェンダーのサポートが一切受けられなくなったということだ。

「正直なところ、私はチャンスだと思ってお兄さまに近づこうとしました。ですが、ギルドの厳しい監視もあってそれもできず……その時、この宮谷興信所の方に拾っていただいたのです」

 仏島さんの話がここにつながるんだ。逃げている間にお金も尽きたんだと思う。それで食べるものがなくなって行き倒れになりかけたところを、ここの所長さんに助けられた。

「その頃からですわ。ストレスで激太りし始めたのは。あの方がやんわりと窘めていた悪食が、倍ぐらいの反動でぶり返してきて……今では完全なるおデブさまに成り下がりました。最強は相変わらずですが、ああ……あのイケメンが……」

 確かに、この写真に映っている賀茂を知っていたとしたら、その残念さはかなりのものだと思う。

 でも、あの賀茂がこんなイケメンだったなんて、本当にびっくりした。あのまま年を重ねていたら、女の人にこびない性格もあいまってそれこそモテてモテて仕方なかったはず。

 私だって、単純に殺そうだなんて思わなかったかもしれない。そう思うと、おかしくなって笑ってしまった。

 私は何て身勝手な女なんだろう。

「元イケメン、帰ってきませんね」

 私の言葉に、六社さんも笑う。

「ええ。呼んでおいて来ないだなんて、全く……それに、私のほうからも報告があったのですわ。お兄さまをテロリストだとして嵌めようとした連中が、本格的に動き出したらしいのです」

「賀茂――さんも、それに気づいて調査してるんでしょうか?」

「恐らくそうでしょうね。相手は二部隊、十人はいそうな報告でしたの。お兄さまでもさすがにそれは厳しいのではと思って、こうして話しに来ましたのに」

「携帯で連絡できないんですか? まさか、電話番号を知らないとか?」

「ええ。そうなのです。七子にはもう金輪際教えないと固く誓われまして……」

 六社さんがため息をつく。

「あの方がいなくなった後、寝込みを襲って既成事実を作ろうとしただけで、あんなにお怒りになるとは思いませんでしたの」

 この人も大概だ。

「なので、しばらく待たせていただきますわ。桜さんもお兄さま待ちですの?」

 そう言われて、私は壁掛け時計を見上げた。もうすぐ四時になろうとしている。

 本当だったら賀茂にも一緒についてきてほしかったけど、いないならしょうがない。ううん。賀茂は私のことを色々気遣ってくれながら、なおも容疑者役を続けてる。賀茂にしてみれば、いい迷惑でしかないはず。

 ここから先は、私が、自分で進めなきゃいけない。

「六社さん。ちょっと出かけてきますね。一時間ぐらいで戻ってくると思います」

「分かりましたわ。行ってらっしゃいませ」

 私はリュックを背負うと、そのまま事務所を出ていった。エレベーターを降りて街に出る。


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