最悪のキス
*最悪のキス
そこは、これまでに何度も見た雑居ビルだった。
狭いエレベーターに乗って五階に上がり、宮谷興信所というプレートの貼られたドアの前に立つ。私が知っているのはここまで。
賀茂がドアの鍵を開けて中に入って電気を点けた。
最初の印象は、引っ越してきたばっかりの事務所という感じ。事務机が五台置かれていて、コピー機に簡単な給湯室まであったけど、一つの机を除いて書類の一枚も置かれてなかった。
でも、よく見てみると壁にはうっすらとシミが見えるし、床も使い込まれたように擦り切れてる箇所がある。昔は大勢いたけど、今は賀茂以外にいないみたいだった。
「そこに座れ。アイスコーヒーでいいな?」
私は頷くと、言われた通りに空いている机の椅子に腰を下ろした。近くに何も入ってないリュックを置く。
「名前は?」
「……縣。縣桜」
「ふん。それじゃ、縣。毒は入ってない。飲みたくなかったら飲まなくてもいい」
賀茂は向かいに座りながら、冷蔵庫にあったアイスコーヒーの紙パックを置いて、グラスに注いだ。
さっきのおかしな出来事を目の当たりにして喉はカラカラだったけど、でも、素直に飲む気になれない。そんな私を一瞥しながら、賀茂は自分のグラスを持つと、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいく。
「……さっきのは、私を騙すお芝居か何かなの?」
私の質問に、賀茂はふんと鼻を鳴らしながら苦笑いした。
「そう聞くしかなかったんだな? 見たもの、感じたものは全て事実だった。しかし、受け止め難い。そうなんだろ?」
悔しいけど、賀茂の言う通りだった。
「お前を騙す理由も意味もない。売られた喧嘩を買っただけだ。それより、俺が助けなかったら死んでたことについての礼がないようだが」
賀茂がジャケットのポケットから小さな紙袋を取り出す。開いた中から取り出したのは、きんつばだった。
あんな戦いの後で、しかも人を二人殺した直後なのに、和菓子を食べるだなんてどういう神経なの?
「じゃあ、あれはトリックとかじゃなくて、リアルなの?」
「お前の目が節穴じゃなけりゃな」
「節穴じゃないわよ。じゃあ、何なの? ホログラム? ……にしてはリアルだし、本当に火と雷を撃ってたの?」
「知りたいか?」
「当たり前よ」
「なら条件がある」
きんつばを食べながら賀茂がニヤリと笑う。
「俺とキスをすることだ」
はあ? その単語に、私はひときわ大きな声を出してしまった。
そして賀茂とキスする自分を思い浮かべて、両腕に鳥肌が立つ。太もももざわついた。私は思わず両腕で自分を抱きしめながら、思いっきり賀茂を睨みつける。
あいつが厭らしそうに笑った。
「俺のことを下品な男だと思ってるんだろ?」
「最低なヤツだってことがよく分かったわ。情報をダシにして、そんなことしようだなんて……」
「だろうな。しかし、これだけは譲れない。掟だ。命に関わる」
また変なことを言い出した。どうせ適当に理由をつけて、私の体に触りたいだけなんだ。
何で男の人ってそういうのばっかりなんだろう。
「……何の掟よ」
「さっき俺が殺した二人目の男。あいつから何で情報を聞き出さなかったか、不思議に思わなかったか?」
「そう言うのがヘタな探偵なんでしょ」
「そんなヤツが興信所なんかやるか?」
「だからあんた以外のスタッフがいないんでしょ」
「ここは俺の事務所でもないし、所長でもない。まともに駆け引きできないお前とは違う」
きっと、あの古本屋のお爺さんから聞いたんだ。
「あいつは物理的に喋ることができなかった。あいつも俺と同じ種類の人間でな、掟――正確には呪いに縛られてる。それを破れば死んじまうんだよ」
呪い。確かに賀茂はあの男の人とそういう話をしてた。
「そんなの、信じるとでも思ってるの?」
「お前だって気づいてたはずだ。命乞いをしてるヤツが、なぜ口を割らない? 確実に殺されるんだぞ?」
あの時、確かに私はそう思った。助けてほしいなら、どうして喋らないのか。
でも、言った途端に死んでしまうなら、例え一パーセントでも望みのある喋らない選択をしたとしても無理はない。
「……呪いって何よ」
「それを話すにはお前が他言しないという約束が必要になる。口約束じゃなくて、物理的な制約――つまり、呪いをかけるんだ。それがキスになる」
「だから、何でそこでキスが必要になるのよ!」
私は椅子を引いて少し後ずさる。
「勘違いするなよ?」
賀茂が面倒くさそうに私を睨みながら、指差ししてきた。
「俺はお前も、お前の体にも興味はない。モノにするんだったら、もっといい女を狙う。いいか? 俺は死にたくないからルールを守ろうとしているだけだ。初めてじゃあるまいし、キスの一つや二つでガタガタ騒ぐな」
私は言葉に詰まった。
生まれてきて二十年経つけど、これまで男の人とキスはおろか、手すらつないだことがなかったから。
「……じゃあ、質問を変えるわ。お父さんを……縣健を殺したのはあんたなんでしょ? どうして殺したのか教えて」
「それもキスが条件だ」
私は唇を噛んだ。どうしてこんなヤツにファーストキスを捧げなくちゃならないの。
私や私の体には興味がないって言ってた。でも、そんなの信じられない。でも、キスしないとさっきの魔法みたいなものの説明も聞けない。お父さんのことも聞きたいけど、それもキスが条件。でも、キスなんてしたくない。
でも、でも、でも……。
どうして私はボウガンと包丁を拾ってこなかったんだろう。この場でこいつを殺せたのに。
明日にしてもらう? でも、時間をもらったところで何も変わらない。もしかしたら、次のチャンスはなくなるかも知れない。そんな悠長な真似はできなかった。
でも――。
私はもう一度だけ自問自答した。キスなんて、ただ唇が触れるだけのこと。うん、そう。事故とかそういうもの。
答えを出した私は、ゆっくりと頷いた。
「……分かったわ。キスする。だけど、さっきのこととお父さんについて全部話すって約束して」
「それだけの代償なんだろ? 分かったよ」
そう言うと、賀茂は立ち上がってその巨体を揺らしながら私に近づいてきた。
頭のてっぺんから足の爪先まで寒いものが走って、また全身に鳥肌が立った。いつの間にか視界が歪んでいる。私、泣いてるんだ。
「おい、目をつぶれ。じゃないと辛いぞ。舌も入れるからな」
「し、舌も……? う、うう……」
私は言われた通りに強く目を閉じた。
舌ってベロのことよね。そんなの聞いてない。だけど、やらないと先に進まない。
こんなことってある? 信じられない。
「うっ」
突然、ヤツに顔を触られた私は、さっきよりも強く自分の体を抱きしめた。
まぶたに手が当てられる。目を開くなよってこと? 言われなくても、顔なんて見たくない。
「んっ……」
生暖かいものが唇に触れた。柔らかい。これで済んだのかと思ったら、それが私の唇を割って入ってきた。
嫌だ、嫌だ。涙が頬を伝って流れていく。でも、それは遠慮なく私の口の中に侵入してきて、舌に触れた。
何だろう。甘い。嘘だ。こいつとのキスが甘いはずがない。
きっとこんな事実を受け入れたくなくて、私の体が味をごまかしたんだ。
そう思うと本当に悲しくなってきて、涙がとめどなく溢れてきた。
「いいぞ。これで俺の情報とディフェンダーについての呪いをかけた」
舌が引きぬかれた後にそう言われて、私は目をゆっくりと開いた。
「う、うう……」
涙が止まらない。賀茂が自分のデスクに戻ってティッシュを取ってくると、それを渡してくれた。
一生懸命、唇も拭いた。それでも感覚が残ってるのが嫌で、給湯室の水で口をゆすいだ。
泣きながら、何度も。
「時間を無駄にするつもりはない。そのままでいいから聞け」
賀茂は椅子に座ると、今度はポケットから団子を取り出して食べながら話を続けた。
「さっきのあいつらと俺は、ディフェンダーだ。ディフェンダーってのは守る者を指す言葉で、職業でも組織の名前でもない。強いて言えば、人間の種族に近い意味だ。日本人、イギリス人……そんなものと同じレベルのな」
私は舌を洗いながら頷いた。
「ディフェンダーは守るべき者――プロテクテッドに忠誠を誓い、それを守るためだけに生きている。そのためには命すら捧げるんだ。それが俺たちの存在意義だからな」
それから始まった賀茂のおかしな話を聞いているうちに、私の涙は徐々に収まっていった。
口の中にあった嫌な感触もなくなって、机に戻ると知らず知らずのうちに聞き入っている自分がいた。
内容は変だし到底信じられないものだったけど、妙にリアリティがあって、興味深かったから。
それは、はるか昔の話。
まだキリスト教も仏教も始まっていないような頃、動物を追いかけて捕まえたり、木によじ登って果物を取ったりして人間が生きている時代に始まったという。
そんな中、太陽や雲の動きから明日の天気がどうなるかを当てたり、獲物の住処や動きを把握して狩りに役立てたりする知識を持って、それを使いこなしていた人々がいた。
彼らは賢いという意味の単語、Wiseから転じてウィザードと呼ばれていたらしい。
ウィザードたちのその知恵は、彼らの家族や親戚など血族を守るために使われていた。それが彼らの生きる意味そのものだったからだ。
血族の繁栄は自分の安泰に繋がる。家族や親戚がウィザードを守り、ウィザードはその知識と経験で彼らを守っていた。
時代が進むにつれて、ウィザードが守るべき人の数は多く、そして長く生きるようになっていった。そのための力と組織も必要になってくる。
ウィザードたちはそのために、ありとあらゆるものを利用した。呪術、祈祷、錬金術や東洋の仙術、妖術――時には人ならざるものの力を借りて、その能力を増大させていった。
しかし、強くなった力は本来の目的を超えて、己の欲望を果たすための手段とも化していく。有名なウィザードたちは時の権力者に擦り寄り、その力で荒稼ぎをして身に余る光栄と豪奢な暮らしをするようになった。
だけど、出る杭は打たれる。彼らの生活が華やかになればなるほど、それに比例して世間の反感は高まっていった。
そんな中、中世ヨーロッパを混沌の世界へと陥らせた魔女狩りが始まる。中には無関係な人たちが混じっていたものの、多くは本当の魔法を使うディフェンダーたちが魔女だとしてことごとく捕まり、拷問を受け、火に炙られて死んでいった。
「その時にな、辛うじて生き延びることのできたヤツらがいた。そいつらは血族や親族、仲間に守られて子孫を残すことができた幸運なヤツらだ。そいつらは決意した。こんなことを繰り返してはならない――そういう自戒を込めて、ディフェンダーと名乗るようになった。本来の使命、守る者の意味を込めてな」
私は頷いた。別に信じたわけじゃなくて、どうしていいか分からなかったから。
マンガとかゲームに出てきそうな話だし、錬金術とか妖術って言われてもピンとこない。
でも、私が見たのはホログラムとか映像じゃなくて、間違いなく本物の炎と稲妻だった。あの熱や衝撃まで作り出せるなんて、そんな技術は聞いたことない。
それに実際――私の体は宙に浮いたから。あの感覚は忘れられない。
「キスは? 呪いっていうのは?」
「俺たちディフェンダーにはギルドがある。組合ってよりは法的機関に近い組織だ。俺たちはそこでディフェンダーとしての教育を受ける。その時に、俺たちはギルドと約束を交わすんだ。ディフェンダーのことを他言しないように」
「それって、また魔女狩りが起きないようにってこと?」
「ああ。その約束は破られることはない。それはお前もその目で見ただろ? 言おうとした瞬間に死ぬからだ。術者が念じた約束を破ろうと、口を開いたその時にな」
「何でキスなの?」
「術者が念じた約束を体液に込めて相手に取り込ませることによって、呪いをかける。だから他にも方法はあるんだ。俺の血を飲ませる。汗を舐めさせる。俺とセックスする――そっちのほうが良かったか?」
私は首をぶんぶんと振って拒否した。
「これを他人に喋ろうとしたら、私は死ぬんだ……」
そんなことはするつもりもないけど、怖くなった。
「どの程度まで大丈夫なの? 何を言ったら死ぬの?」
「俺がディフェンダーだということと、ディフェンダーの存在そのものを言えば死ぬ」
「苦しむの? それとも一瞬?」
「時間の感覚なんて分からなくなる」
賀茂は冷たく言い放った。
「苦しいらしいぞ? 鷲掴みにされる感じで心臓が止まる。血が流れなくなるから、頭が割れるように痛むらしい。次に痙攣が始まって、目をむき、よだれを垂らしながら倒れる。体の自由が利かないからな、人によっちゃ小便を垂れ流し、脱糞しながら息絶えるんだと」
私は自分がその状態になっているのを想像して、今度は背中に冷たいものが走るのを感じた。
死ぬなんて絶対嫌だし、ましてやそんなひどい死に方なんて、絶対にしたくない。
「さっきも言ったが、ディフェンダーは守る相手、プロテクテッドを守るために生きてる。つまり、利害関係が生まれるってことだ。俺を襲ったあいつらは、俺が生きてると都合悪いプロテクテッドかディフェンダーから命令を受けたんだろ」
魔法のことはよく分かった。もう信じる信じないわけじゃなくて、事実として受け止めるしかないんだなと思ったから。
「……じゃあ、私のお父さんを殺したのは? お父さんがあんたの言うディフェンダーだったの? あんたを襲ったから?」
そう問いかけると、賀茂は少し迷ったように私を見つめながら、アイスコーヒーに一口つけて首を横に振った。
「悪いが、あの日はひどく酔っ払っててな。何が起きたかも定かじゃない。刑事にも聞いたんだろ? あの場所に呼ばれて行ったら、お前の親父さんが死んでた」
「な……何よ、それ!」
私は机を叩いた。
「今さら覚えてないって、そんなの通じると思ってんの!?」
「だが事実だ。もし襲われたなら、返り討ちにしただろうな。だが、俺はお前の親父さんとは一切関わりがない。さっきのヤツらみたいにな」
どんな言い訳をしてくるかと思ったら、一番最低な理由だった。
「本当のことを言うって約束したでしょ!」
「だから事実を言っただろ。殺したとも殺してないとも分からない。疑うのは勝手だが、それが真実だ」
「くっ……」
私は歯噛みしながら、また涙が湧いてくるのをぐっとこらえた。こうなることなんて分かりきってたはずなのに、ファーストキスを捧げてしまった自分の浅はかさが悔しかったからだ。
いや、絶対にこいつがお父さんを殺したんだ。事実を突き止めたら、改めてこの手で殺してやる。私は自分にそう誓った。
「じゃあ、次は俺からの質問だ。どうして仇討ちなんてしようとした?」
「どうして……?」
私は涙を拭いながら、賀茂を睨みつけた。
「私のお父さんを殺したのよ? その仇を討つのが当たり前じゃない」
「親父さんを慕ってたんだな」
私はその言葉を聞いて、思わず顔を背けてしまった。
「別に……そんなんじゃないわよ。あんな人なんてどうだっていいの」
「だったら、どうして仇討ちなんてするんだ? 江戸時代じゃあるまいし、義務でもないはずだ。普通だったら警察に駆けこんで告発するか、メディアに公表して社会的に抹殺するのが普通だろ?」
「そんなの、私の勝手でしょ」
「だから、親父さんを慕ってたのかと聞いたんだ。随分と可愛がられたんだな。一人娘なんだろ? 甘えるだけ甘えて、好き勝手させてもらえたんだろ?」
「むしろ、一人で勝手に生きろって突き放されたのよ! あんな人のことなんてどうでもいいでしょ!」
私はまた机を叩くと、立ち上がって賀茂を睨んだ。
高校ぐらいからギクシャクした私と私のお父さんの間に、そんなエピソードなんて一つもなかった。むしろ、お父さんが死ぬまでは怒りしかなかったぐらいなのに。
「じゃあ、次の質問だ。親父さんの遺体を発見したのが俺だと、どうやって分かった?」
さっきの話なんてなかったみたいに、また聞いてきた。こうやって私を揺さぶってるんだろうか。この質問の目的は? 考えたけど分からない。でも、こうやって話をしていけばボロが出てくるに違いない。
私は気持ちを落ち着かせながらまた椅子に座ると、あの刑事さんに話した内容をそのまま伝えた。
「なるほどな。測量士の娘だから地図で割り出したのか。それにしても気になることがある。親父さんの作ってた地図が参考になったらしいが、普通に売ってるのと何が違うんだ?」
「……道路地図じゃなくて、街歩きマップ。千駄木と日暮里の間の谷中を中心にした、お寺とか神社巡り用ので、千駄木のあたりの書き込みが不自然だったから……もしかしてここに犯人がいるのかもって思ったの」
「個人で作ったのか? それとも依頼を受けて?」
「台東区の区役所から個人的に依頼されたって聞いた。お父さんは測量がメインだけど、そういう地図も会社で作ってたし、その縁で頼まれたのかも」
すると、賀茂はふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。今にもはち切れそうなシャツのお腹の上に両腕を乗せて、考え込んでいる。
「今まで個人的に請け負ったことはあったのか?」
「たぶん、ないと思う。なかったはず」
「それ以外に千駄木へ行く用事はあったのか? このあたりに知り合いがいるとか、親族が住んでるとか」
「ない……と思う。たぶん。聞いたことない」
賀茂が訝しげに私を見てきた。
「今回の仕事は全く知らなかったのか?」
「そうよ。そもそも私が家を出てってからのことだし、お父さんは全部がしっかり終わらないと誰にも何も言わないの。不正確なことは言わない主義なのよ。今回のも、遺品整理してて見つけただけだし」
「面倒な性格だな。遺伝か」
賀茂が鼻で笑った。
「しかし、調べてみる価値はある」
「調べる? 何で?」
「秘密主義の親父さんは、用事もない場所の雑居ビルで誰かに殺されてた。手口から、通り魔でも偶発的なものでもなく、目的があって殺されたことが分かる。その街歩き用の地図の関係者が、何らかのヒントを持ってるはずだ」
何を他人事みたいに言ってるのか。
「殺したのはあんたなんでしょ」
「お前はバカか? 結論ありきで物事を進めるな。その地図の関係者が痛くもないハラを探られまいと親父さんを殺した可能性もあるだろ。もちろん、酔ってた俺が殺した可能性もな」
「な、何よ……そういうのを、盗人猛々しいって言うのよ」
賀茂がニヤリと笑った。
「俺が親父さんを殺したとはっきりしたら、いつ、どこでもいい。仇討ちに来い。その時は魔法を使わずに相手をしてやろう。だが、それまでは動くな。また面倒を起こされても困る」
そう言って、賀茂は腰を上げた。
「連絡先を教えろ。何か分かったら電話なりメールなりする」
こいつにしてみたら、当たり前のことを言ったんだと思う。
殺すチャンスを作るためにもそうすべきだって頭の中では分かってたけど、私の中に渦巻く嫌悪感がそれを拒否していた。
キスされた上に連絡先を教えてしまったら、それこそ付け回されて、体を奪われそうだと思ってしまったから。
そんな私の気持ちを見透かしたように、賀茂がため息をついた。
「何度も言うがな。俺はお前にもお前の体にも興味ないんだよ。俺にとっちゃ食い物以下だ。サンドイッチのほうがまだ価値がある」
何もそこまで言わなくたっていいじゃない。
「あくまで連絡用としてでだ。それ以外には使わん」
「でも……嫌。絶対に教えたくない」
賀茂があからさまに舌打ちしてくる。
先に進まなくなることぐらい分かってるけど、それでも生理的に受け付けないの。
「だったらこうする。私もその調査に同行するの。それだったら、連絡先はいらないでしょ?」
「女連れで聞き込みに行けるかよ」
「だって別に尾行とかするわけじゃないし、話を聞くのに二人ぐらいだったら問題ないでしょ? 私にだけ気づくことがあるかも知れないし」
「古本屋のジジイにすら満足に聞き込めなかった、お前がか?」
「そんなの関係ないでしょ。実の娘が来てるって分かったら、何か違うことが聞けるかもって言ってるの」
すると、賀茂は諦めたように肩を落してため息をついた。
「分かった。それじゃ明日の朝八時にここに来い。遅れたら勝手に動く。そのまま俺が消えたとしても、自業自得だと思え」
「遅れるわけないでしょ」
そうして私の、容疑者と一緒にそいつの犯罪を追うっていう、おかしな捜査が始まった。