魔法使い
*魔法使い
私は気持ちを入れ替えるために、リュックを持ってまず始めにお寺へと向かった。
三代前からうちのお墓を置いてもらっているところで、そこにお父さんとお母さんも眠っている。通りがかった住職さんに挨拶をして墓石の前にたどり着くと、一昨日供えたばかりの花はもうしおれかかっていた。
目的を達したらまた綺麗にしてあげるね。両手を合わせてそう約束する。不甲斐ない娘でごめんね。こんなことでしか親孝行できなくて。
決意を新たにした私はお寺を出ると、地下鉄に乗ってまた千駄木の街へと向かった。
次の目的地は駅前のカフェじゃなくて、少し歩いたところにあるクリーニング屋だった。
平日の昼間だからか、ファンシーな文字で書かれた看板のそのお店には誰もお客さんがいなかった。開いた自動ドアから中に入って声をかけると、セーターにジーンズ姿の、髪の長い綺麗なお姉さんが驚いたような目をしながら私を振り返って、
「何の用だ」
と、言ってきた。
何もしてないのになぜか威嚇されてる。感じ悪いし、ちょっと怖い。
「あー、もう。姫乃さん。驚いたからって素を出さないでよ」
奥から出てきた若い男の人が苦笑いしながら、私に頭を下げてくる。
「お客さん、すいません。悪気はないんです。お引き取りですか?」
「い、いえ……そうじゃないんですけど……」
前に尾行していた時には気づかなかったけど、このお店は何かおかしかった。
カウンターの向こうにはハンガーにかかった服がたくさん見えるけど、その奥には服の直しには使わなさそうなフラスコやビーカー、顕微鏡みたいなものが乗った机があって、まるで研究所みたいに見えたからだ。
「あの……賀茂って人を知ってますか? すごく太った人で、このお店によく来て立ち話をしてる……」
「賀茂か? ああ、知ってるが……何の用だ?」
口を挟んでくるお姉さん。やりにくくて嫌い。私は男の人と話を続けた。
「あの人と知り合いなんですよね? どういう人なのか、教えてもらえませんか?」
「え? ええ。うちの常連さんですよ。一張羅とかそういうのをうちでクリーニングしたりして。一ヶ月に一回とか二回ぐらいはご飯も食べるかな。そんな程度ですけど……賀茂さんに用事が?」
「いえ。どういう人なのかなって、思って……」
「まさか、あいつに惚れたのか?」
無視しようと思ったけど、冗談でもそんなふうに見てほしくない。
「やめてください。そんなんじゃないんです。……どういう人なのか教えてください。詐欺をしているとか、人を殺してるとか、無差別殺人をしそうだとか」
私の質問に、二人は顔を見合わせてうーんと唸った。
「何か勘違いしてるみたいですけど、賀茂さんはそういうことをする人じゃないですよ。言動はたまにおかしいし好物も大概ですけど、無差別殺人なんてしません。だいたい、そんなことしてたら逮捕されてるじゃないですか」
仲間だから擁護してるのか、それとも本当なのか。ちょっと考えたらおかしいことに気づいた。
クリーニング屋の常連だからって、一緒にご飯を食べるのは不自然。
「無差別じゃなかったら、人を殺したことがあるんですよね? どうなんですか?」
すると、二人は一瞬だけ目を見合わせた。
「僕の見る限りはないですよ。売られた喧嘩を買いそうにはなってましたけど。そもそも、どうしてそんなことを聞くんですか?」
「それじゃ、犯罪をしたことは? 誰かを騙したり」
「知ってるかどうか分かりませんけど、賀茂さんは興信所をやってるんですよ。平たく言えば探偵ですかね。調べられる側じゃなくて調べる側ですよ。そんなことはしません」
隣のお姉さんが腕を組んでうんうん頷いている。
初めて会った人だけど、嘘はついてないなと思った。信じる信じないじゃなくて、嘘がつけない正直な人だと思ったから。
「とまあ、いくら言っても結論は出てるみたいですけどね」
それはそうでしょ。さっきはすぐに言葉を返さなかったし、頭ごなしに信じてる感がすごすぎる。きっと脅されてたり、弱みを握られてたりするはず。
私の決意はゆっくりと高まっていった。やっぱりあいつは殺すべき男。
「ありがとうございました」
次に向かったのは、駅を挟んで反対側にある古本屋だった。
養安寺書店と書かれた古い看板のそのお店は外装も内装も古くて、人の通るのもきついぐらいに本棚で埋まっている。
本も色あせたセピア色のものばかりが並んでいて、マンガとか雑誌なんてなさそうな雰囲気だった。
「いらっしゃい。探し物ですか?」
ドアなんてない店内に入ると、長い白髪を後ろで束ねた白い髭のお爺さんが、微笑みながらそう問いかけてきた。その隣には、ジーンズにパーカー姿をした若い男の人がいる。話をしてたみたい。
「いえ、ちょっとお聞きしたいんですけど……ここに通ってる賀茂さんについてお聞きしたいんですが」
「賀茂ですか。存じてますよ。何でしょう?」
お爺さんはさっきと変わりなく笑顔を浮かべていたものの、隣にいるパーカーの人は明らかに私を不審者みたいな目で見つめてくる。
「どういう人なんですか? 過去に悪いことをしたりしてますか? 犯罪……例えば、人を殺したり」
「ほお、中々面白い質問ですね」
お爺さんはそれでも笑顔を崩さなかった。
「それでは、その前にこちらも質問させてください。賀茂の話を聞きたい、その目的を教えてもらえますか?」
「ある人から頼まれて調べてるんです。私、そういう系の仕事をしてて」
「なるほど、仕事ですか。それでは、名刺か連絡先をいただきましょう」
そう来るとは思ってなかった。私はすぐに言葉を返すことができなかった。
「それも教えることはできないんです。私の身元から依頼人が特定できないようにしたいので」
精一杯の嘘だったけど、それはバレていたみたいで――お爺さんは、笑いをこらえきれなくなったように吹き出した。隣の男の人も、苦笑いしてる。
思わず、何ですかと言ってしまった。
「いえいえ。駆け引きのカの字も知らないのに、よく調査員を名乗れるなと感心していたのですよ」
バカにされてるらしい。でも、私は何も言い返せなかった。
「まあいい。あなたのその無知と勇気に免じて質問に答えてあげるとしましょう。どうやら大した話でもないようですし」
やっぱりバカにされてた。私はむすっとしながらお爺さんを見つめる。
「あの男も人間です。犯罪に手を染める可能性がゼロとは言えないでしょう。しかし、それを行う時は――人として極限状態にある時のはずです」
「その時には人も殺すということですか?」
分かっていないようだと言わんばかりに、眉を寄せ残念そうな目で私を見つめるお爺さん。
「想像してください。例えばあなたに子供が生まれたとします。自分のお腹を痛めて産んだ、血を分けた我が子です。その子供が、何の理由もなしに殺されようとしています。相手は狂っている。あなたならどうしますか?」
私だってそこまでバカじゃない。何を言いたいかぐらいは分かる。
「普通の人と一緒、ってことですか」
「つまり、あなたは甚だしい思い違いをしているということですよ」
隣の男の人も、頷いていた。
「賀茂とどういう関係かは存じません。ですが、あの男があなたに危害を加えたのなら、あなたの側に相当な理由があったということです。それは、賀茂のアイデンティティや命を脅かす事態だった」
お父さんが賀茂を脅していたなんて考えられない。仕事と家族には厳しいけど、他人や知り合いには人当たりが良くて、面倒見のいい性格だった。
小さい頃に連れて行ってもらった測量の現場で、お金がないという新入社員にお昼をおごり、通りすがりのお婆さんからの立ち話を嫌な顔一つせずに聞いてあげていたお父さん。
お金や女の人のトラブルなんて一つもないそんな人が、賀茂を脅かすはずもない。
「考え込んでいるということは、心当たりがあるということですね。もう少し事実関係を整理してから出直したほうが良さそうです」
お爺さんのその目は、何もかも見抜いているぞと言わんばかり。横で私を凝視している男の人も、苦笑いした後からはずっと可哀想な子を見るような眼差し。
「ああ、そうだ。来店記念にこれをどうぞ」
お爺さんが出してきたのは、本の形をしたキーホルダーだった。私がいらないと言う前に、リュックのジッパーにあった紐に付けられる。
子供が、訳の分からないことを言ってるとでも思ってるみたいな雰囲気だった。
私は二人の視線に耐えられず、お礼もせずに逃げるようにしてお店を出てきてしまった。まだ見られているような気がして、足早に駅へと向かう。
近くまで来たあたりで、私は自動販売機でジュースを一つ買うと、半分ぐらいまで飲み干して一息ついた。
呼び捨てにするぐらいの間柄で、あんなにも擁護するなんてやっぱりおかしい。きっと裏があるはず。知り合いがこぞって褒めるなんて、逆にそうしないといけないぐらい悪いことをしてるからなんだ。
気持ちが高ぶってきた。後ひと押しが欲しい。
そう思った私は、賀茂と初めて会ったあのカフェへと向かった。あと数十メートルというところで足を止めると、今度は私の姿が近くのガラスに映ってないことを確認して、遠目に様子を伺う。
あいつはいない。周りにも姿は見えなかった。安心しながらお店の中へ入っていくものの、あの若いイケメンな店員さんも見当たらなかった。
いるのはテーブルや洗い物をしているスタッフのお爺さんたちだけ。
「お姉さん。誰を探しているの?」
すると、近くにいた小さなお婆さんが立ち上がって寄ってきた。
七十歳かそれぐらいで、真っ白な短い髪に、ベージュのスボンと白いシャツ、淡いグレーのカーディガンがよく似合った、可愛い雰囲気のお婆さんだった。
「あの……いつもいる若い店員さんはどこかなって……」
「それなら、ほら。今、事務所から出てきましたよ」
お婆さんが私の奥に目を向ける。
「仏島さあん。可愛い彼女さんが探してましたよお」
割と大きな声。お客さんがチラチラ見てくる。スタッフのお爺さんたちも。
「ち、ちょっ……」
「あ、はい。どうも。昨日の――え? 僕の彼女?」
振り返ると、カウンターの奥から少し苦笑いをした仏島さんが、予備の紙ナプキンを手に戻ってきたのが見えた。
「仏島さん、お付き合いしている人はいないだなんて言っていたのに。こんな可愛い子がそうだっただなんて、隅に置けませんねえ」
「いやいや、勘違いですよ。ほら、困ってるじゃないですか」
違いますといつ口を挟もうか、確かに私は困っていた。
「あらあら、とんだ勘違いですねえ。これからだったのね。ごめんなさい、お姉さん」
「いえ、本当にそんなんじゃ――」
「お姉さんは美人さんだから大丈夫ですよ。頑張ってくださいね、応援してますから。さ、邪魔者はあっちに行ってましょうね」
そう言いながら私の手を握ってうんうん頷くと、お婆さんは満足したように笑顔を浮かべながら元の席に戻っていった。
座ってからも、コーヒーをすすりながら楽しそうに私たちを見つめている。すごくやりにくい。
仏島さんが苦笑いしながら頭を下げた。
「すいません、何だか……常連さんなので、僕を孫みたいに思っていてくれているようでして」
確かに、これだけイケメンなら構いたくなる気持ちも分かる。
「それで、僕にお話があるようですが、どんなご用件でしょうか?」
私は空咳して気持ちを整えながら頷いた。
「あの……このお店に来て長いんですか?」
「マネージャーとして二年前に来たので、それほど古くはないんですが」
仏島さんが気づいたように声を上げる。
「ああ、賀茂さんなら今はお気に入りの和菓子屋さんに行ってると思います。すあまが大好きだとかで」
あの顔で和菓子が好きだなんて。私は余計に苛ついてしまった。
「いえ、居場所なんかはどうでもよくて……あの人、どういう人か知ってますか? 探偵みたいなことをしてるのは知ってますけど……その、人柄とか、性格とか」
「人柄ですか? うーん……」
唸りながら腕を組んだ仏島さん。しばらくしてから、思いついたように小さく手を叩いた。
「一言で言えば、男ですね」
「それは知ってます」
「いえ、外見のことじゃなくて性格ですよ。興信所の仕事をきっちりとこなして、困った人を助けて、物事の筋を通して生きてる――そんな人です」
私の直感がそう言っていた。この人も脅されている。
「事務所はあまり使わないらしくて、依頼する人との話をここで聞くことがあるんですよ。お金のないご老人には経費だけで娘さんを探してあげたり、DVを受けてる奥さんを匿ってる時にやってきた旦那から訴えられても、居場所は絶対に言わなかったり。物事の筋を通す人ですね。昔気質、というか」
本当なのかどうか確かめる術はないし、細かすぎる。誰かに聞かれたらそう答えろって脅されてるように聞こえた。
「筋を通す? あの人がですか?」
「賀茂さんの興信所は引き継いだものなんですよ。先代の宮谷さんが何か事件に巻き込まれて失踪したとかで、その行方を追ってるんだそうです」
だから事務所の名前が違ってたんだ。
「その失踪した人は、あの人とどういう関係なんですか?」
「五年前ぐらいにうちで働いてた『先生』ってあだ名の人から、何か困りごとの依頼を受けてたそうです。そのうちにその人が失踪して、行方を探してた宮谷さんも同じように失踪したとか。それで賀茂さんがうちに来るようになったんですよ」
「お店が関係あるんですか?」
「ないと思いますよ。その先生というのが、ちょっと働いてはすぐに消えて、また元の職場に現れるって性格の人だったそうなんです」
「だからあの人はここにいるんですか? ここにその人が戻ってくれば、宮谷って人の行方も分かるから?」
仏島さんが頷く。
「でも、そんな人をバイトとして雇うんですか? それに、やけにお爺さんが多い気が……」
お店の掃除をしているスタッフの人をちらりと見た。
「ここは元々、ホームレスや障害者の方の就業支援の一環でやってるカフェなんですよ。僕はここのNPO法人のスタッフなんです。その先生という人も、元はホームレスから抜け出すために働き始めた人だったみたいですね」
このカフェにあった不思議な雰囲気の理由が、これで分かった。
「賀茂さんは、先代の宮谷さんに命を助けてもらったそうですよ。行き倒れになりかけていたところを――」
「仏島、余計なことを言うな」
私の背中から響いてきた野太い声で、仏島さんの話は遮られた。
振り返ると、そこにはあいつがいた。目をぎらりと光らせながら、その大きな太鼓腹を揺らしつつ私のところへ寄ってくると、見下ろすようにして睨みつけてくる。
「な……何よ」
面積が大きいせいか、すごい威圧感。私は少し怖くなりながらも、負けじと睨み返した。
「俺のことを嗅ぎ回ってるそうだな。誰が人殺しで、無差別殺人をしたって? いいだろ、この俺が直々に話してやる。こっちに来い。仏島、邪魔したな」
そう言うと、賀茂が私の手を掴んで店の外へと強引に連れ出そうとした。
「痛い! 離してよ!」
「黙れ! クソガキ!」
「私はもう二十歳よ!」
「だったら大人しくしろ! 本当に殺されてえのか!」
そう怒鳴られた声が耳に響いた怖さで、私は声を出せなくなってしまった。それに、ここで騒いだところで私の目的を果たすことはできない。
事務所で二人きりになれば、ボウガンで弱らせてナイフで止めを刺すチャンスもできるはず。言われた通り、私は大人しく賀茂に従った。
あいつに手を引かれたまま千駄木の街中を連れて歩かされ、入ったのは、カフェから離れたところにあった公園の中だった。
丘というか小山の中にいくつもの石段があって、所々にまるで庭園みたいな空間が作られている場所だった。
誰もいないちょっとした広場まで連れて行かれると、そこでようやく私は手を離された。
「何でこんなところに連れてきたのよ……」
「お前みたいなのに事務所の敷居をまたがせたくないからだ」
周りは木に囲まれていて、ベンチが二つにゴミ箱が一つ。夕暮れ間近の薄暗い光も相混じって、少し怖くなってくる。
だけど、逆に考えたらチャンスだ。誰も通りがからないような場所。まさにうってつけだった。
「俺を人殺しだの何だのと吹聴して回ったそうだな。メシの邪魔をしたただのバカだと放置したのが間違いだった。話を聞いてやる。言え」
「……あんたは私のお父さんを殺した」
「名前は?」
「縣。縣健)」
その名前を聞いた瞬間の賀茂は、悔しそうな顔をした。きっと思い当たることがあったからだと思う。間違いない。
「知ってるでしょ。あんたが殺したの。一年半前、この近くのビルの空き部屋で。警察は証拠がないって言ってあんたを放置してるけど、私はそうはいかない」
何を話したって無駄。どうせ言い逃れするに決まってるから。
私はリュックからボウガンを取り出して賀茂に向けた。セットしておいた矢を思い切り引っ張る。この距離なら三角測量なんていらない。
「逃げたって無駄。練習して百発百中なんだから」
今まで生きてきた中で、私は一番緊張していた。
心臓の鼓動が激しくなってくる。
「手が震えてるぞ」
そんな私と違って、賀茂は落ち着いていた。焦りの色もない。探偵だから? こういう目に何度も遭ってきたから?
「何よ、怖いの?」
「なあ、落ち着け。俺がお前の親父さんを殺したって疑いがあるのは事実だ。だが、状況証拠に過ぎない」
「だから、今さら何を言ったって無駄なの。言い訳は聞きたくない。あの刑事さんだって、みんな――」
「説明させろと言ってるんだ」
「動いたら撃つわよ!」
私は照準を賀茂の出っ張ったお腹に合わせた。
撃つ。本当に撃つ。賀茂と目が合った。私はあいつを今から殺す。また手が震えてきた。目眩もしてきた。
気のせいか、肌に触れる空気が変わったような気がする。何かが違う。
すると、余裕だったはずの賀茂が急に顔表情を険しくさせた。怖くなったんだろうか。
もういい。考えたくない。
私がボウガンを撃とうとしたその瞬間――、
「伏せろ!」
「きゃあっ?」
私が撃った矢を避けた賀茂が、次の瞬間は私に覆いかぶさるようにして倒れ込んできた。手からボウガンが落ちる。
視界が回転して、地面にうつ伏せで倒れた。
次の瞬間、私は自分の目に映った光景を疑った。奥にあったゴミ箱めがけて、真っ赤に燃える炎の玉がぶつかったかと思うと、それが弾けるようにして爆発したからだ。
そこに、まるでCGで作られたみたいな炎の矢が何十本と刺さっていく。
「え? な、何?」
「伏せてろ!」
今度は賀茂の声とともにあたりが光った。
ドンという音がしたかと思うと、強い光を散らしたみたいに辺りが一瞬だけ照らされる。
爆風か衝撃か、周りの木たちが葉っぱをこすらせてざわめいていた。
「きゃあっ!?」
何が起きてるのか見ようとして立ち上がりかけた私の体が、勝手に動いた。足が地面から離れていく。
そうして浮き上がった私は、いつの間にか立ち上がっていた賀茂の後ろに降り立った。
「俺の後ろから動くな」
賀茂の大きな背中越しに見えたのは、フードを被ったパーカーにジーンズ姿の、あからさまに怪しい二人の男の人だった。
まるで魔法でも使うように、手のひらを開いて両手を高く掲げている。
まさか、そんな。でも、私の目は確かに見た。
一人が両手で空気をこねるようにして空中に火の玉を生み出していくのと、もう一人が手のひらから人の腕ぐらいもある火の矢を打ち込んでくるのを。
そして、賀茂が何もないところを片手で振り払うと、空から細かい稲妻の雨みたいなのが降り注いで、火の矢を正確に撃ち落としていった。
「でかいのが行くぜ!」
いつのまにか人ぐらいの大きさになっていた火の玉が飛んでくる。
「こんなとこで……!」
賀茂は舌打ちをしながら、今度は掛け声を出しながら手のひらを振り下ろした。
空に一瞬だけ青白い光が見えたかと思うと、それは眩いばかりの太い稲妻となって火の玉に落ちた。スパークしながら爆散する。
二人が賀茂を囲むようにして広がった。
「へへへ、最強たぁ聞いてたが、この程度とはな!」
「出張った甲斐があったってもんだぜ!」
バカ笑いする二人に、賀茂は全く動じてないようだった。
「お前らの目的は何だ」
「よく言うぜ。この日本でテロを起こそうなんざ、ディフェンダーの端くれにも置けねえ。ぶっ殺してやるんだよ」
「ああ、そうだ。あんたがいると迷惑な日本人の一人ってことだ。死んでもらうぜ」
二人が目を合わせてニヤリと笑う。
「下らん理由で命を粗末にするか」
「命乞いなら早めにしたほうがいいぞ? 俺たちは気が短いからな!」
笑いながら、一人がまた両手を高く掲げて、さっきよりももっと大きな火の玉を生み出し始めた。
まるで小さな太陽。怖い。そこから放たれる熱に、私は身震いした。
本物だ。本能から湧き上がる恐怖に、私は賀茂の背中に隠れてしまった。
「それ以上、喋る気はないんだな?」
でも、こいつはそんなのお構いなしにそんな質問をする。
「ははは! ブタが粋がるなよ! 何が最強だってんだ!」
「あれぐらいででかい態度取りやがって。本気出してみろってんだ! それじゃ賀茂は賀茂でも、ネギしょったカモ――」
もうトラックぐらいの大きさになっていた火の玉を掲げながら、男の人がそう笑った瞬間だった。
賀茂が右手を前に突き出したかと思うと、辺り一面の空気からパチパチと火花が出はじめ、それは青白い稲光の輪となって、それがいくつも生まれ、一気に、一瞬で一点に集まり、
「ぴぷゅっ」
という声とともに、男の人が消えた。
ううん。違う。男の人だった灰のようなものがうっすらと人の形を作ってた。それは風に乗って消えていく。
空に浮かんでた火の玉は、エネルギーを失っていくかのようにどんどんしぼんでいって、線香花火みたいに地面へ落ちて煙を上げながら消えた。
「あ……あ……」
もう一人の男の人は、私と同じように目を見開いて驚いていた。
賀茂がそっちを振り向いて指をパチンと鳴らす。今度は、男の人の周りから青白い稲光の糸が伸びてきて、両手両足に絡みついた。
「や、やめてくれ!」
「仕掛けてきて止めろとは、随分都合がいい」
賀茂は表情も変えずにその男の人へ寄っていくと、パーカーのフードをめくった。それは、私より少し年上ぐらいの、髪を染めた目つきの悪い男の人だった。
体中に巻き付いた電気の茨は固いのか、男の人は首だけを振ってもがいている。
「知らん顔だな。さて、分かるな? 今後も生きて、うまいものを食いたかったら話せ」
だけど、男の人は答えなかった。
「見た目の割には骨があるらしい」
「ち、違うんだ!」
男の人が叫ぶ。
「分かるだろ? 言いたくても言えねえんだ! 言ったら死んじまう!」
黒幕の人に殺されるってこと? だとしても、喋ったほうが生きられる可能性があるのに。
「呪いか」
賀茂の問いかけに、男の人は悲しそうに頷いた。
「な、なあ。助けてくれよ! 俺たちはあんたに恨みはなかったんだ。命令なんだよ! 仕方なかったんだ! その女に付きまとわれ始めた今しかチャンスがないって言われて!」
「そいつの名は?」
「だから、言えねえんだよ! 死んじまうんだ!」
「じゃあ、死ぬしかないな」
賀茂がそう告げると、男の人は鼻水まで流しながら泣きわめいた。
「仕方なかったんだ! 頼む! 助けてくれ!」
賀茂が振り向いて私を見た。
「おい。今日の晩飯が食いたかったら、目をつぶるか顔を背けてろ」
それって――。
「ま、待ってくれ! お前もディフェンダーなら分かるだろ!?」
「ああ、分かる」
賀茂が右手を掲げた。
「食うか食われるかの世界。お前は食われる側だったってことだ」
パチンと指を鳴らした。
途端に、男の人を縛っていた青白い茨が光りだす。苦痛に歪む男の人の顔。
私は背中を向けると、目をつぶって耳を塞いだ。それでも悲鳴みたいなのが聞こえてくる。
私はしゃがみこんで、スカートの両足の間に頭を突っ込んで全部をシャットアウトした。
何が起きてるか知りたくない。
想像つくけど、考えちゃ駄目。どうしいいか分からないまま何十秒か経った時、賀茂がもういいぞと言って肩を叩いてきた。
もう悲鳴は聞こえてこない。立ち上がって恐る恐る目を開きながら振り返る。
そこには十分ぐらい前と同じ、夕暮れ間近の木に囲まれた何の変哲もない公園があった。唯一違うのは、ゴミ箱が溶けてたぐらい。
二人目の人はどうなったんだろう。燃やされたのか、それとも……。
賀茂はふうとため息をつきながらジャケットを払いつつ、言葉が出ない私を振り返った。
「面倒なことに巻き込んでくれたな。改めて話を聞かせてもらう。今度は事務所に来い」
私は頷くことしかできなかった。