2思巡
朝起きると隣に上目遣いでこちらをじっと見ているポン太と目が合った。
とたんに顔をなめられた。わしわしとポン太の体をまさぐりつつ、着替えて洗面所に向かう。夜着を洗濯機に放り込み、顔を洗って居間の方へ向かう。カチャカチャと台所から音が聞こえてくる。母はもう起きているようだ。
台所に入ると焼き魚や味噌汁の良い匂いが漂っていた。アイナメの塩焼きか・・・久しぶりだ。とっても美味しそう。
朝食の支度をしている母に声をかける。
「おはよう。かあさん」
「あら。おはよう。・・・あっそうそう。あなた、今日はどうするの?」
「うん?ポン太と村を回ってこようかなって思ってるけど」
「そう。わかったわ。お昼は冷蔵庫に入れて置くからチンして食べてね。それからポンちゃんは病み上がりなんだから余り無理させちゃ駄目よ。あと夕方は早めに帰ってきなさいね。ポンちゃんの好物を作ってお祝いするから」
「わかった。あのさ、昔使ってたベビーカーはまだあるかな?」
母は動きを止めて額に手を当て少し考え込む。僕はテーブルの上にあった卵焼きを一切れ摘んだ。うむ。うまい。この微妙なあまじょっぱさが自分で作ると出ないんだよなぁ。どうしてだろう?
「・・・そうねぇ。捨てた記憶がないから納屋にあると思うけど・・・どうだったかしらね・・・あっ手が空いてるようなら、ポンちゃん用の魚を解してくれない?骨はしっかり取ってね?喉に引っかかるから。それと鳥の手羽元が蒸してあるから、それも一緒に解してね。残った骨は齧るかも知れないから、一応添えといて頂戴」
「うん」
「あっそれと出来上がった皿持っていって」
「はいはい」
頷きつつ別の卵焼きを一切れ口に放り込む。うーんこのニラと卵の絶妙なハーモニーがたまらないね!これだけでご飯何杯もいけちゃうよ!なんて考えながら、母の手料理をつまみ食いしつつ食器を並べ、自分の席に座るとポン太用の皿へ魚を解し移していく。目線を隣に向けるとポン太は行儀良く座って盛られていく皿を凝視していた。とそこに不機嫌そうな鼻声が居間に響いた。
「お。タヌ吉。なんだか今日は元気そうじゃないか」
そういいながらだらしない格好で起きぬけの親父が居間に入ってきた。昨日は午前様のようだった。先に寝てしまったのでよく分からないが。
親父は気だるそうに欠伸をしながらポン太を軽く撫でた後、どっかりと座布団に腰を下ろし、箸を片手にタブレットを取りだした。
「タヌ吉じゃないよ。ポン太だよ。何それ、タブレットなんか使ってたんだ」
僕の意外そうな声に親父の顔はますます歪んだ。
「何事も勉強だ。新しいものも取り入れないとな。そんな事より、前話した通り仕事はすぐにやって貰うぞ。休みなんかないからな。それと・・・」
うーん。不味いな。どうやって休みを貰うことが出来るかな。ここは素直にポン太と一緒に過ごしたいと言おうか。2日位でいいんだけど。駄目かな。などと考えていると、いきなり親父の話が止まった。どうしたんだろう?といぶかしげに見ると親父は此方を、正確には膝の上に頭を乗せるポン太を見ていた。
ポン太も上目使いで親父をじっと見つめている。暫くたつと親父はふっと息を漏らした。
「そうか」
と見たこともない柔和な笑顔で呟いた。
僕は目を見張った、親父は頑固一徹の昔気質の職人だ。
真面目にコツコツと仕事をするが、とてもぶっきらぼうで、お客さんにさえ滅多に愛想をつかわない。
そんな親父が驚いている僕に、ムスッと取って付けたような言葉を紡いだ
「まあなんだ、おまえも疲れているだろうしな。暫く休んでてもいいぞ。その間は暇だろうから、タヌ吉の世話をしっかりな」
そう言って親父は何か誤魔化す様に、しかめ面を浮かべながら不慣れな指裁きで神経質そうにタブレットを弄りだした。
ありがとう親父、ポン太に気遣ってくれて。僕は心の中でお礼を言った。
でもね親父、タヌ吉じゃないから。ポン太だから。
朝食を終えて、僕とポン太は母屋の脇にある古びた納屋に赴いた。
扉を開けると少しカビくさくすえた臭いが鼻をくすぐる。薄っすらと誇りが積もった薄暗い中の少し奥に目当ての物は埋まっていた。
何が入っているか判らない箱や年代物のラジカセ等、脇にどけて出てきたバスケット式乳母車はだいぶ埃で汚れていて所々サビが浮いている。折り畳みの日除けカバーは開きが悪く、うっかりすると壊れてしまいそう。動かしてみると車輪は固く動かない。動く部分もキーキーと不快な音をだした。
取り敢えず外に持ち出し、潤滑油を可動部に吹きかけて、しばらく動かすとスムーズに動くようになり嫌な音もでなくなった。
よし。後は全体を雑巾で拭いて、籐籠の底にはタオルを敷けばいいかな。む、日除けの部分に裂け目が出来てるな。ガムテを裏から貼っとこう。
「よーし出来た!ほらポン太懐かしいだろ?これに乗って散歩にいこう」
「わふわふ」
ポン太は前足をピョンピョンと浮かせ嬉しそうに吠えた。
さて行こうかと思ったが、ふと昼は外で食べるのもいいかなと考え直し、昼用のおかずを弁当箱に詰め、おむすびを握って親父の釣り用クーラーボックスに氷と共にいれた。足りない分は千春の店で揃えればいいだろう。ポン太の昼ごはんは奮発して高級犬缶を買ってあげよう。でも売ってるかな・・・なかったらその時考えよう。うん。
玄関で手を振る母に見送られ、乳母車にポン太を乗せて歩き出す。陽はジリジリと肌を焦がしてくるが、時折山の方から涼しい風が吹き抜ける為、それほど不快感は感じない。都内に居た時は熱風だったからね。堪らなかったよほんと。
ゆるゆると坂道を降りていく途中に小さなひまわり畑を見つけた。ブンブンと大きな蜂が飛び回っている。そういえば・・・
「そういえば昔、ひまわり畑で遊んでてクマンバチに追われた事があったっけ。ポン太も凄くビビッていたよなー」
「ゎふん」
からかう僕にポン太は不満そうな声をだした。だが籠の中に身を隠して目だけ出している姿は僕の笑いを誘った。
「でも基本的にはおとなしくてオスは刺さないんだよ。というより針が無いから刺せないんだってさ」
「わふーん」
ポン太はそうなの?とばかりに身を乗り出した。
「でもメスは刺すけどね」
きゅ~んと情けない声を出してポン太は顔を引っ込めた。今度は声を出して笑ってしまった。
しばらくして、その場を後にした僕らは、用水路脇の道を千春の店に向かって歩いていた。水路はそれなりの大きさでコンクリートに囲まれている。水深はそれほど深くなさそうで、ゆったりと水が流れていた。小魚が泳ぐ姿も見え、壁面には所々に赤いアイツが・・・うん久しぶりにやってみようかな。
ベンチを備えた店の脇のひさしの影に乳母車を止めて、バックから取り出したポン太用の皿に自販機で買った水を注ぎ、地面に降ろしたポン太に与えて語りかける。
「ちょっとポン太のお昼ごはんを買ってくるから待っててね」
ポン太はしっぽフリフリちょこんと座り込む。僕は軽くポン太の頭を撫でて店の入口に向かって歩き出した。
「こんにちはー」
ガラガラと派手な音をたてるガラス戸を開けて店内に入ると、昔とは随分違っていた。
昔はもっとこう何ていうか雑然というか混沌とした感じだったと思うのだが、今は背の高い什器棚が整然と並べてありキッチリ整頓されている。通路は人一人通れるぐらいの狭さだった。
棚に並んだ商品は一品ずつの数量は少ないが種類は多くカテゴリー毎に分けてあって綺麗に陳列されていた。これは商店というより倉庫とか部材屋といった趣である。
すごいなぁと感心しながら店内を回る。これだけあると管理がとても大変そうだ。
ちなみに松ばあちゃんは出てこない。まあ昔からそんな感じだったけど。レジカウンターに福引で使うような大きな鈴?鐘が置いてあるのでそれで呼ぶのだろう。昔は大声で叫んだものだった。
などと考えてる内に目当ての物が見つかった。
「ふぅん。レバー入りか・・・」
なんだかとっても美味しそうな感じだ。お値段もお高くて定食を食べれちゃうぐらいする。でもたまにはいいよね?僕はそれと違う種類の缶詰を3つ、カゴに入れる。後はイカと糸を・・・と探すと菓子コーナーにそれはあった。
定番のスナック菓子やチョコなどが並ぶ一角に駄菓子の棚があり、そこに懐かしい感じの物が沢山あった。
うわ。こういうの見るとなんとなくテンションが上がってくるな!あっあれは!!透明な幅広の底の浅いプラスチックの容器に弓形のこげ茶色の菓子がみっちり並んでいた。あ~これ好きだったな。クッキーのふやけたというか日置して少し硬くなったパンのような食感のチョコがかかったカステラもどき。すごく懐かしい。昔は少ししか買えなくて、物足りない思いもしたけど今は違う。
僕は近くに吊ってある小分け用のビニール袋を引張り取り、容器の蓋を開けて中のカステラもどきを大量に袋に詰め込んだ。それを手始めにアレやコレやとカゴに放り込んでいく。すぐにカゴはいっぱいになってしまった。買い過ぎかな。しかもすぐ食べきれる感じの量じゃないし散歩の邪魔になるような気がするけど・・・まぁいいか。
僕は妙な充足感を感じながら、レジに向かって歩き出すものの、またすぐに立ち止まった。
店の奥の片隅にまた懐かしい物が置かれていたからだ。
スケルトンの赤青緑など、多彩な色の水鉄砲や安っぽい空気銃、花火、キャラクター物の小物やこけしのの様な木彫りのキーホルダー等、色々置いてある。
なにか下の方にケース単位でBB弾の大袋や爆竹、ロケット花火が大量に置かれているけど、どんな需要があるんだろう?
隅にある鉄製の黒いベーゴマは、僕の子供の頃でも売れてなかった気がするけど、今の子供にはどうなんだろうか?あれ?この狐の顔の様な毛虫みたいなのはなんだっけかな。勝手に動くんだっけ?この小さいバケツは・・・スライム?なんかネバネバするやつか。蛍光色の眩しいゴムボールは・・・スーパーボールか。これ地面に叩きつけてどっか行っちゃうんだよなー。などとそれらの思い出を振り返りながら見回していると、天井に三角形の目玉の模様が書いてある物が吊ってあった。
あぁこれは昔、親父とやった事がある。僕は畳んであるソレと何点か選んでカゴに入れてしまった。
飲料水とロックアイスを追加して、松ばあちゃんを呼んでみるもやはり出てこない。仕方がないので少し控えめに鐘を鳴らしても反応がなく、結局おもいっきり鐘を振りつつ、大声で叫んでやっと出てきた。少しばかり恥ずかしい。
松ばあちゃんに清算して貰いながら、千春の事を聞いてみると、どうやら役場と配達に行っているらしい。というか役場の臨時職員として村の催しなどに係わっているとの事。足腰の弱った年配の家に配達したり、ちょっとした事を手伝ったり便利屋のような事もしているらしい。さらに村の伝手を使って商品を安く仕入れたり、町の企業や商店に注文した細々としたものを、宅配業者のセンターに持ち込んでもらい、クロマツ商店まで横持ちをして貰ってるとの事。しかも安く。その代り村の宅配便は全てその会社に預けるとか。出来る女、千春。その行動力の凄さに素直に感心した。
話が長くなりそうな松ばあちゃんの話を何とか切り上げ、僕は両手にビニール袋を下げて、ポン太の元へ戻ってきた。
ポン太は座って景色を見ていた様だが、僕の姿を見つけると尻尾を振って駆け寄ってくる。
だが僕の両手を塞ぐパンパンの袋を見て、戸惑ったような呆れたような気配をみせた。
「ごめん。ちょっと懐かしくて時間を忘れちゃったよ」
などと言いながら、手押し部分に引掛けてあるクーラーボックスに氷や飲料水、チョコ菓子など入れていく。結構一杯になってしまった。スナック菓子の袋は手押し部分に結びつけ、余った物はポン太の乗る籠に入れさせてもらう。
ポン太はジト目でこちらを見てる・・・様な気がした。ちょっと調子にのってしまいました。ごめんなさい。
「んんっ!ポン太ー懐かしいだろ。これ覚えてる?」
僕は袋から取り出した菓子を手に溢して見せる。たまごボーロだ。それを見たポン太は激しく尾っぽを動かし、フンフンと鼻息荒く、目を輝かせた。
「食べていいよ」
「わふ!」
ポン太が菓子ごと手の平を舐めてくる。ちょっとくすぐったい。僕も一口食べてみる。・・・なんだか味が薄いな・・・でも、昔に戻るような味だ。やさしい気持ちになる。
嬉しそうに食べるポン太を僕は目を細めて見続けた。
お読み頂きありがとうございました。