旅立つ日が揃うまで。
死ぬときは、一人がいい。
家族がいる身でこんなことを考えるのは、少し身勝手だろうか。
控えめに言って、私は充分生きたし、お迎えの日が来るのは、そう遠い未来の話ではないだろう。けれど、その時、私のベッドの傍にいるのが、たとえば息子夫婦、孫夫婦、その子供である私のひ孫というのは、どうもしっくり来ない気がするのだ。大体、人数が多すぎる。私の狭い一軒家に彼ら全員が押し掛けたら、私の寿命より先に床の寿命が尽きてしまうだろう。
そう、できるなら、一人で死にたい。
正確には、君と。
ああ、そうだ、もし君が生きていたら、私は一人ではなく二人で死にたいと言っただろう。生まれる日は私の方が一年ばかり早かったけれど、せめてこの世から消え去る日は、お互いに示し合わせて、二人一緒に手を取り合って行きたいと。けれど、そうはならなかった。私にとっては残念なことで、君にとってはしてやったりなことかもしれないけれど。長生きして下さいねと私に囁いて目をつぶった君。まったく卑怯で残酷だよ。一人残された私が、その後どんな人生を歩むかなんて、君は想像もしていなかったに違いない。もっとも、私だって、もしも自分が先に死ぬことになったら、君に同じようなことを言い残したかもしれないけれど。そうしないと、君はあとを追いそうだから。ちょっとした呪いの言葉として。君を生かすために。
結果としてその呪いは私にかかったけれど、幸いなことにもうすぐ解けそうだ。私は、老いた。子ども達は順調に育ち、私達の子孫は、この狭い島国のあちこちに散らばる構えを見せている。
終わりの朝はスムーズに行きたい。
まだ私が元気ならトーストを二枚焼く。一枚を自分のために、もう一枚を写真たての中で微笑む君のために。そして、よく干したシーツを敷いて、ベッドに横たわりたい。電話線は抜いておこう。玄関にはチェーンをかけておく。そして、読みかけの文庫本に栞を挟んで、めざましをセットしてから、少しうつらうつらとするようなかんじで、ゆっくりと落ちていきたい。
「そういう死に方がしたいの?」
瞼を開けると、君がいる。若かりし頃のままに。ここは、どこだろう。学生の頃、よく二人で通った喫茶店。コーヒー一杯で随分粘ったものだ。君がパフェなんて頼むから、私の財布はいつだって財政難だ。マスターには悪いことをした。今の私なら、一番高いメニューを上から五つは頼んであげてもよいのに。
「どうしたの?」
「長い――長い夢を見ていたような」
「じゃあ、また見るといいよ」
「また?」
「死ぬときは一緒がいいよね。そうじゃなければ」
君は言う。
せめてあなただけは長生きして下さいね、と。
ああ、そうだね。本当にそうだね。
生まれた日は私の方が一年ばかり早かったけれど。
せめて、死ぬ日は揃えようと、誓ったから。
君が呪いをかけてくれて本当によかった。私の方が先に行ってしまう場合は、私が呪いをかけるから。
そうして、いつか念願の日が来るまで。
そんな都合のいい偶然が起こるまで、そのためなら、少しくらい長い夢を繰り返すことくらい何だっていうのだろうか……。