もういいかい?
新しい前提条件追加。「それが同性の場合ならどうか?」
結論は変わらない? 変わる? それとも解らない?
おおかみさんはやっぱりか、と呟いて深く息を吐き出した。
ちとせとあやは、さらに面白くなってきたように、楽しそうにニヤニヤしている。
ただ、わたしだけが、状況について行けなくて固まっていた。
どういうことだろう。
初恋をどうするか、っていう話をしていたのに、どうして、今。
わたしは固まっているんだろう。
それが、同性相手の恋愛だったら、とそれだけの条件を付加されただけで。
「答え、んな簡単に変わるかよ」
「俺もだ」
「あたしも」
わたしと違って、平然としている3人。何で私は動転しているのか、理由がわからない。
「わたしは……」
一般論的には男女の恋愛が多いのはわかっていた。
それに比べると総数は少ないけれど確実にある、同性間での恋愛。だから無意識に違うと除外して、これは男性の視点だと思っていた。
見せられた写真には女性が映っていたから。
2人とも女性なのだという可能性を、頭から除外していた。そうした判断で男女の恋愛だとを考えて発言していた。
けれど、今考えて見ると。
髪の長さ、パーマの当て方、巻き方とかはパッと見解るにしても。だけど、服の選び方とかは男性が気にすることはめったにない。例外は美容業界などの女性と関わる機会の多い男性くらい。そのことを失念していた。
おおよそファッション系のことをよく解るのは女性が多いだろう。同性が同性に対して一番厳しい目を持つと言うくらいだ。女性同士の場合は特にそうだろう。
今回、その想い想われの相手が、実際に厳しい視点を持っているのかは解らないけれども。
わたしは考えの甘さを露呈して、あまつさえ、その隙を見事に突かれてしまったのだ。
そのせいで動転していた。前提からして破たんしていた。
最初と最後で結論が……
結論が揺らがない他の3人はどうだったのだろう。
ちとせとあや、おおかみさんは判断を覆していない。
写真を見た時点で、最初から男女の恋愛の他に同性間の恋愛をも考慮していたの?
わたしが、男女の恋愛のみを考えて発言していたとわかっていたからこそ、雅さんは今まで何も言わず訂正してこなかったの? いきつく所までいかせて、その結果を観察しようとしていた?
確かに、雅さんは条件を全て明かしているとは言えない、と発言した。
明かしていない条件下での結論。一般的な恋愛、男女間での恋愛のその判断は、特殊な場合――同性間の恋愛にも適用されるのか。
それはわたしの反応が証明している。
かなり動転してしまったのだ。
変わらないとは言い切れなかった。ひどいことに結論を保留してしまった。
自分自身無意識下で証明している。同性間での恋愛は、男女間での恋愛事情と同じように考えるのは難しい、と。
わたしは、以前おおかみさんから。
おおかみさんは女の子が好きだと言っていた。おおかみさんも女の子だけれど。
だけれども、わたしのことは好きにならない。好きになる相手くらい自分で選びたいしな、女なら誰でも好きになるわけじゃないと言い切った。
ちとせとあやは、付き合っていると噂で聞いた。
噂は噂でしかないと思っていた。ありえない、と一時期はそう結論付けていた。
夫婦、なんてまとめて呼ばれてるけど、2人はただの仲の良い幼馴染でしかないと思っていた。
いちゃつくばかり、一緒にいるばかりが恋愛関係じゃないと2人は言う。だからこそ、わたしには本当に「そう」なのかはわからなかった。
正直、2人が「そう」でもわたしと2人の関係は変わらないと思っていた。
漫画や小説、ドラマで見る限りは、男性同士、女性同士の同性の恋愛も、異性の恋愛も、そう変わりはしないと思っていた。
思っていたんだ。でも。
2人は本当に付き合うことになった。
わたしから見たら、2人の関係はほとんど変わらない。
時々ちとせがあやを心配そうな顔で見るのを隠そうとしなくなったこと。あやがちとせのことを柔らかい目で見るようになったことくらい。違いなんてそれくらいしか解らなかった。
2人が一緒にいることを忌避して、遠巻きに見ている人はうちの学校にもいる。
ひそひそ話して面白がっているグループもいる。それに、面白がって話しかけてくるのはもういないけれど、びくびく怯えて話しかけてくるのはいる。
講義の内容上、グループワークは存在するからだ。グループワークがない講義を選択していればそういうこともないのだけれど、いかんせん、わたしやちとせたちが一緒にいられることには限りがある。
反面、知っていても何も関わってこないグループもいる。
それが一番楽だと思うのだけれど。
ともかく。
雅さんに全部を明かされて、その反応はどうなの、わたし?
男性同士の恋愛に拒否を示す人、女性同士の恋愛に拒否を示す人がいる。
片方は許容できても、もう片方はダメ。両方とも無理と言う人もいる。でもどっちも同性同士の恋愛なんだから、変わりはないって思っていた。
誰かに恋する気持ちに変わりはないのに。一緒なのに。
なんで反応が違ってしまうのか。
それまでのわたしの持論と違う。みっともなく動揺して違うのだと、自分で証明してしまった。なんて偽善者……表ではそんなこと言って、本当は違うなんて。
口先だけだったのだと、思い知らされた。
雅さんに最終確認されたときに何も言い返せなかった。
何か言い返さないと、そう思ったのに。口を開いても何も言えなかった。
それが結果。
そんな中途半端で恥知らずな、わたし自身に気付かせるために。
雅さんは、そのために、今になって条件を明かしたのかな。
わたしの反応を興味深そうに見つめて。雅さんはにこにこ楽しそうに笑うだけ。
本当に観察しているのを隠そうともしないなぁ雅さん。
そのまっすぐな視線がいたたまれない。
「あたしは、全部の条件を出していない。
最初に言ったよね。ある程度事実を改変しているって。その中であたしは嘘は言っていないことは誓っている。でも本当のことを全部明かしているわけじゃない。
そのことまでは言及してないよね?」
なんという屁理屈か。だけど事実、一切嘘は言ってない。
わたしは何も言い返せない。がく、っと首ごとうつむけてしまう。
「そう言われてしまうと、ちゃんと確認しなかったわたしらのせいになりますね」
わたしをフォローするようなあや。
わたしを気遣ってのものかもしれないけど、今はその気遣いまでが胸に痛い。自分が情けない。
事実確認を怠ると酷い目に遭う。どこでも、何にだって、どんな場合にでもそういうのはあてはまるのに。今回そのことを完全に頭から失念していた。
視界の狭さは、後々被害として自分に帰ってくる。つまり自業自得だと。
「最初に言ったわ。
これはデイベートだって。ある程度、限定した状況で話を進めているものだと。――意地悪な言い方してるのは解ってるわ。ごめんなさいね」
その分、わたしがいかに固定観念にとらわれた中でものを見ているかを、じっくり観察できたことだろう。
ふがいなさ過ぎる。3人の思考の柔軟さが羨ましい。
「すげぇ意地悪問題出してるのに、んなこと言うなよ。森元以外は少しひねくれた考えしてる奴のことを予想してただけだ」
いわずもがな、雅さんが何か仕掛けてくることは解っていたから、構えていたということなんだろう。
まぁあの雅さんなんだしなぁ。一筋縄じゃいかない。
それを解ってて、わたしもあっさり罠に引っ掛かっていたから、あーあーやっちゃったよ。って感じだったんだろう。
デイベートはデイベート。討論だ。
議論を使う他者との論争。つまり、戦いだ。
政治外交みたいに他者の利益が絡んだり、折り合いを付けて終わらせるなんてことはディベートじゃないけど。舌戦なんて言葉があるんだ。
武器なんて使わない、ただ喋っていくだけの、誰かを納得させる論理の戦いだ。
戦いは戦い。気を抜いていた方が悪い。騙し、騙されて論理の隙を突かれた方が負ける。
相手の納得のいく答えを用意できていなかったわたしが悪い。
想定が甘さを露呈した、完全にわたしのミスだ。
それに。
向こうもあちらの本人も、本気で望んでかかってる。最初から言っていた、面白そうだと。やる気ある姿勢を見せていたんだ。
本当にもう。皆はある程度場合を想定して、限定した上での発言していたんだし。
異性、同性での恋愛とどちらの状況も想定できるようにしていたならば、おおかみさんの意見は納得がいく。なぜあそこまで、石橋を叩いて渡るように慎重になっていたか。それでも堅牢な否定姿勢を見せていたのか。
……引き受けるまで、何故あそこまで頑なだったのか、理由もすんなり納得できてしまう。
恋愛と聞くとは男女を想い浮かべるけれど、本当はそれだけじゃない。同性の恋愛もあるから。
……? 思慮の浅いわたしを心配してくれてたのかな?
初恋の相手に時間が経った後、明かすか明かさざるか。
そもそもこれが同性での恋愛、と最初から聞いていれば、わたしはまともに考えるのは難しかったかもしれない。反対派になっていたかもしれない。
けれど、絶対どちらかの答えを出そうとしても、その理由を説明しきれなかったと思う。
同性同士の恋愛なら、相手が引いちゃうかもしれないから、やめといた方がいいんじゃないかな、なんて言って。
現時点で強気に告白すればいいなんて言えない。
ああ優柔不断なわたし。考えがまとまらない。
ともかく考えやすい所から考えよう。おおかみさんだ。
もともとおおかみさんは賛成派だったかもしれない。
けれど、わたしに負担にならないように、否定派としてふるまってくれていたんじゃないかと思う。肯定派ばかりいてはディベートは成り立たないし。
わたしの方の反論とか、論拠がめちゃくちゃな所を指摘してくれたり、補足までもしてくれていたと思う。
うわぁ……可能性としてはめちゃくちゃありえる。
聞いても絶対教えてくれないだろうけど。なんとなくそこは確信を持てた。
ともかく思考をディベート事体に戻そう。
あやとちとせは最初から、賛成派に回っていた。同性の恋愛も考慮したうえで、告白すべきだとしている。
雅さんがわたしの意見に訂正をよく入れていた理由もよくわかる。前提条件が、浅かったから。要素が足りなかったから。他の3人と違って同性での場合を考慮してなかったから。
わたしは最初から、想定の甘さを露呈してしまっていたのだ。あれは司会の雅さんなりに、もうちょっと詰めて考えてから発言した方が良いっていうアドバイスだったんじゃ……
ああぁ恥ずかしい。全然気が付かなかった。
顔から火が出そう。
「それでは、新たな条件を付加されたわけだし、
改めて話しましょうか。恋した相手に、告白するか否か。その相手が同性である場合を」
「だな」
前提条件が付加されて、さらに面倒になったというのに。
それさえも楽しむように、にやにや面白そうに、デイベートに臨んでいる夫婦。
噂的にも事実的にも他人事じゃないから、こうして本気で臨んでるんだろう。
おそらくこの2人は一般的な恋愛と、自身の恋愛を考慮して。どちらにも対応できるように、ある程度話してない部分もあったんだろう。慎重に考えて、ある種の遠慮があった。
それが今はもうない。
さっきは同性間での恋愛だと条件は提示されていなかった。どちらとも取れるように慎重に考えていたようだ。
今はもう隠されているような要素は見当たらないと判断したんだろう。
おおかみさんも、面倒そうにしてるけど。止めようとは言わない。
後ろ向きに賛成、もといやる気はあるようだった。
これからどんな議論が飛び交うんだろう。
わたしの下手な論理展開と、2人の綿密な論理展開、おおかみさんの補足や反論、論理展開、それらが合わさってどんな風になるんだろう。楽しみだ。
雅さんもどんな風になるのか期待しているようで、ますます笑みが深まった。