インスタント死神
角川つばさ文庫『世にも奇妙な商品カタログ(1)』収録作品です。
角川つばさ文庫公式サイト → https://tsubasabunko.jp/product/catalog/321809000128.html
その商品を、少女は、古ぼけた自動販売機で購入した。
いつもは通ることのないひと気のない路地裏に、たまたま足を踏み入れたとき、少女はそれを見つけたのだ。
いつからここにあるんだろう、というような。色褪せて、あちこち塗装が剥げて、赤錆びが浮いて、商品の陳列窓も薄っすら白く曇った、古い自販機。ありきたりでないその古さが、通りすがりの少女の目を、ぐいんと引き付けたのだった。
少女は自販機に近づいて、濁った商品陳列窓の中を、覗き込んでみた。
窓の中に並べられた商品は、たった二つ。見たところ、カップ麺のようだった。しかし、そのパッケージに、「麺」とか「ラーメン」とかいう言葉は、書かれていない。
真っ黒なパッケージに、シンプルな書体の文字で書かれた、その商品名は、
『インスタント死神』
だった。
インスタント。死神。単語を一つずつ、口の中で呟いて、その奇妙な取り合わせに、少女は自販機の前で首を傾げた。
「ジョークグッズ、的なものなのかしら……」
よくわからないけど、ちょっと、面白そうかも。どんな商品なのか、とても気になる。
少女はうずうずと口元に笑みを浮かべて、少し迷ったあと、鞄から財布を取り出した。
自販機の陳列窓に並ぶ、二つの黒いカップ。
右のカップの値段は、100円と表示されていた。対して、左のカップは――その値段表示に目をやって、少女はギョッとした。こっちは、やたらと高かったのだ。自販機で買うようなものの値段ではない。いや、お店で買うにしたって、得体のしれない商品に払う金額としては、とんでもなかった。どちらを買うかは、迷うまでもない。
少女は、財布から百円玉を出して、自販機に投入した。
機械の中にお金が落ちて、右の商品のボタンのランプが、赤く灯る。
ボタンを押す。ぽこん、と商品が落ちてくる。
そうして、少女は手に入れたのだった。
「インスタント死神」を。
+
『 お湯を注いで 3分待つだけ!
誰でもお望みの相手を 呪い殺してくれる、あなただけの死神の できあがり!』
黒いカップの蓋には、ポップな字体でそんな謳い文句が書かれていた。
それを読んで、少女はふむふむとうなずく。
「ジョークグッズというより、おまじないの道具って感じかな? 死神の形の、乾燥した人形みたいなもの、入ってるのかしら。お湯を掛けたら、それが膨らむとか……?」
そんなことを呟きながら、とりあえず、カップの蓋をペリペリと剥がして、開けてみた。
カップの中には、くすんだ白い、ごろんとした塊が一つ、入っていた。
指先で押して、ちょっと傾けてみる。すると、白い塊の、顔、らしき部分が上向きになって、少女の目に映った。
それは、微妙に丸っこくデフォルメされた、ドクロの形をしていた。
表面は少しザラザラしていて、骨ほどかたいものではなさそうだ。バスボムとかいう、固形の入浴剤によく似た感触だった。
「なるほど。お湯を注げばこのドクロが溶けて、中から死神の人形か何か、出てくるわけね」
少女は、そう予想しつつ、
「このドクロのほかには、何も入ってなくていいのかしら……」
と、内容物を確認するため、カップの横の説明書きを読んでみた。
そこには、次のように書かれていた。
◇ インスタント死神の作り方 ◇
① ふたを開けて、中にドクロが一つ入っているのを確認します。
② いったんドクロをカップから取り出し、呪い殺したい相手の写真を、表が上になるようにカップの底に置き、その上にドクロを乗せます。
③ ドクロと写真の上から、カップの内側の線までお湯を注ぎます。
④ ふたをして、3分間待ってから、ふたを開けます。
★ これで、写真の相手を呪い殺してくれる、
あなただけの死神のできあがりです ★
「ふうん、写真がいるのね。……確か、あったはずだわ。ええと、どこだったっけ……」
呪う相手は、もう決めていた。カップのフタに書かれた謳い文句を見た時点で、それは決定済みだった。「死神」が、「誰でもお望みの相手を呪い殺してくれる」というのなら、望むその相手は、少女にとっては一人だけだった。クラスメートの、タカクラさんという女子だ。
タカクラさんとは、特に仲が良くも悪くもないし、彼女に対して恨みがあるわけでもない。ただ、この前、スーパーで万引きしたところを、うっかり彼女に目撃されてしまったのだ。タカクラさんが、そのことを、いつか誰かに言うやもしれないと思うと、少女は不安で仕方なかった。タカクラさんが、今すぐこの世から消えてくれればいいのになあ、と。このところ、ずっとそんなことを考えていたのである。
「まあ、ただのおまじないなんだけどね……。でも、ものは試しだわ」
独り言を呟きながら、少女は、自室の机の引き出しに入っていた写真を取ってきた。
それは、修学旅行のとき撮った写真の一枚で、たまたまタカクラさんたちのグループと一緒に写ったものだった。
その写真から、タカクラさんの部分だけを切り取って、カップの底に入れる。
それから、少女は写真の上にドクロを乗せ、その上から熱湯を注いで、フタをした。
そうして、待つこと三分。
ピピピピピ、と、セットしておいたタイマーが鳴った。
「さて……。どうなったかな?」
少女は、ゆっくりとカップのフタを開けた。
その途端。
カップの中から、もわわわん、と、大量の湯気が勢いよく、柱のように立ち昇った。
その湯気の中に、一人の―― 一体の? 一匹の? 死神の姿があった。
それは、まさしく少女のイメージの中にあった死神、そのものだった。頭部はドクロで、黒いローブを纏っていて、大きな鎌を持っている。ただ、この死神は、頭のてっぺんからローブの先まで(足先は、ローブの裾に隠れていて、見えないのだ)、わずか30センチくらいの大きさではあったが。
とにもかくにも。ミニサイズであるとはいえ、少なくとも見た目は完璧に死神である死神が、カップから飛び出し、今、湯気の中に、すなわち空中に、ゆらゆらと浮かんでいるのだ。
「何これ。すごい……」
と、少女は思わず声を漏らした。
カップから立ち昇る湯気は、だんだんと薄くなって、やがて消えてなくなった。それでも、小さな死神は、依然としてカップの上に浮かび続けている。
湯気が消えたことで、よりくっきりと見えるようになったその姿を、少女は凝視した。
すると、死神の頭のドクロの中に、タカクラさんの顔があるのが見えた。さっきカップに入れた、写真に写っていたのと、同じ顔だ。それが、ドクロの眼窩の穴から覗き見える。ドクロの中にある顔。これが、この死神のターゲット、ということだろうか。
冷めやらぬ驚きに、口元を軽く手で覆って、溜め息混じりに少女は呟く。
「インスタント死神……。ただのおまじないグッズだと思ってたのに、まさか、こんなものだったなんて」
そして、ハッと気づいて言った。
「……え、それじゃあ。ウソ。本当に、あなた、タカクラさんを、殺せるの?」
目玉を持たない死神に、目線を合わせようとするように顔を近づけ、少女は問いかける。
その問いに対して、死神は、うなずくこともなく、言葉を発することもなかった。
ただ、少女にくるりと背を向けて、スウーッと宙を滑るように、部屋の出口に向かって飛んでいこうとした。
「あっ。待って、待って!」
少女は、死神に向かって、慌てて手を伸ばした。しかし、鎌に手が当たったりしたら危ないかも、と思い直し、その手を引っ込める。代わりに、さっきまで死神が入っていた、今は空のカップをとっさに手に取り、そのカップを死神の上からすばやく被せて、ぱくんとフタをした。
この死神は、小さいながらも、たぶん、本物の死神なのだろうけれど。それでも、このまま目の届かないところに飛んで行かれるのは、ちょっと不安だ。使命を果たさずに、ふらふらと行方不明になったりしないかな、とか。タカクラさんと間違えて、違う人間を呪い殺しちゃうなんてことはないのかな、とか。あるいは、こんなミニサイズであるから、途中で犬とか猫とかに食べられてしまう、なんてことは……。
なにぶん、死神を使用するのなんて、初めてのことだ。どういう事態が起こるのか、わかったものではない。できれば、死神の動向を、ちゃんとこの目で見守りたいと、少女は思った。
「ちょっと、待っててね。明日学校に行ったら、タカクラさんに会うから。彼女を呪い殺すのは、そのときに、ね……」
カップの中に捕らえた死神に向かって、少女は、そう囁いた。
+
そして、翌日。
少女は、死神を閉じ込めたカップを鞄に入れて、学校に行った。
学校に着いて、教室に入るなり、タカクラさんの姿を探す。
タカクラさんは、先に来ていた。自分の席に座って、友人たちと談笑していた。その姿を確認した少女は、再び廊下に出た。
教室から少し離れたところまで来て、少女は、抱えてきた鞄を開け、中から死神入りのカップを取り出した。壁に向かい、自分の体でカップを隠すように持ちながら、そのフタを、そーっと持ち上げる。
カップとフタの間に、少し隙間を作ったところで、カップの中を覗き込んでみた。
死神は、ちゃんと中にいた。ドクロの中のタカクラさんの顔も、そのままだ。昨日見たときと、変わりないようである。
「――ようし、行け!」
小声でそう命じ、少女は、カップのフタを大きく開けた。
死神は、音も立てず、ふわりとカップの中から飛び出した。
スウーッと宙を滑っていく死神から、目を離さないよう注意しつつ、少女はそのあとを追う。死神の飛ぶスピードはそんなに速くはなく、ちょっと速足で歩けば、見失う心配はなさそうだった。廊下にいる生徒たちの目が気になったが、小さな死神がこうして飛んでいるというのに、周りで騒ぐ声などは聞こえない。どうやら、この死神は、少女以外の人間の目には見えていないようだった。
ほどなくして、死神は、タカクラさんのいる教室にたどり着いた。
死神のあとに続いて、少女は自分も教室に入る。
死神は、迷うことなく、一直線にタカクラさんのもとへ飛んでいって、そして――。
タカクラさんの背後で鎌を振り上げたかと思うと、次の瞬間、それを勢いよく振り下ろした。
スコッ、と。
小さな鎌の刃は、タカクラさんの背中の肉を、すり抜けたように見えた。
けれど、その直後。
友人たちとお喋りしていたタカクラさんは、不意に言葉を失い、動きを止めて、内から体を支える力がなくなったように、ぐらりと傾いた。
タカクラさんの体が、椅子から転げ落ちる。彼女の周りにいた生徒たちの口から、短い悲鳴が上がる。きゃっ。どうしたの? ちょっと、大丈夫? 口々にタカクラさんに声をかける生徒たち。クラス中に、ざわめきが広がっていく。
やだ! と。息、してない! と、誰かが叫んだ。
そのあとに、何人かの、今度は長い悲鳴が、次々に重なって響き渡った――。
非鳴、叫び声、ざわめきの渦の中で。少女はその顔に、半分は演技、半分は本心である驚きを浮かべ、そうして周囲の空気に溶け込みながら、騒ぎの中心を見つめていた。
その視線の先に。おそらくは、少女の視界の中のみにある、小さな死神の姿。
それは、倒れたタカクラさんの体の上で、次第に色を薄め、輪郭をぼやかし、やがて、霧の粒でできた砂細工が崩れるように、霧消した。
死神は、その役目を終えたのだ。
(本当に……死んじゃった)
少女は、ほうっと息をついた。周りに気づかれないように、小さく。しかし、深く。安堵の溜め息を。
タカクラさんは、死んだ。万引きの目撃者は、この世から消えた。これでもう安心だ。
(死神。インスタントだけど、その力は、本当に本物だったのね。たった百円で、いなくなってほしい相手を、この世から消してしまえるなんて。……ラッキー)
心の底から、晴れ晴れとした気分だった。
インスタント死神。なんてすばらしい商品だろう。あの自販機を偶然見つけた自分は、なんて運のいい人間なのだろう。思わず鼻歌など漏れ出そうになって、少女は慌ててぎゅっと自分の鼻をつまんだ。
気づけば、いつの間にか、救急車のサイレンの音が近づいてきていた。クラスの誰かが携帯電話で呼んだのだろう。けれど、もう遅い。死神は、すでに役目を果たしたのだ。
少女は、机の下に隠した両手の指先を軽くくっ付け、こっそりと合掌した。
と。そのときであった。
「あっ、よかった! タカクラさん、目を開けたよ!」
タカクラさんのそばにいた生徒が、そう叫んだのである。
少女は耳を疑った。
そんな、まさか。だって、さっきは、息をしてないって。それに、死神も、やるべきことはやり遂げたとばかりに、消え去ったじゃないか。それなのに。
少女は席を立って、タカクラさんを取り囲む人垣に、割って入った。
すると、そこには、確かに目を開けて、すでに体を起こしたタカクラさんの姿があった。「私……どうしちゃったの?」と、タカクラさんは、ぼんやりした顔で呟いた。
どういうことだ、一体。タカクラさん、生き返ってしまったじゃないか。なぜ? あのインスタント死神は、不良品だったというのだろうか?
少女はそうっと人垣を離れ、鞄を持って、再び教室を出た。そして、人目に付かないところまで来てから、鞄の中にしまっていた死神のカップを取り出した。
そのカップのフタを、隅々までよくよく見れば、ひどく小さな文字で、昨日は見落としていたこんな表記があった。
※ このインスタント死神は、写真の相手を ”3分間だけ” 殺すことのできるタイプです。
それを読んで、少女はがっくりと肩を落とした。
三分間だけ、相手を殺すことができたところで、そんなのなんの意味もない。しょせん、百円で買ったインスタントの死神なんて、この程度のものなのか……。
(――ちょっと待って。そういえば!)
少女は、そこであることを思い出して、ハッとした。
そうだ。昨日、自販機でこのインスタント死神を買ったとき、カップは二種類あった。もう一つのほうのカップは、あまりに値段が高すぎて、あのときは買う気にならなかったけれど。でも、あちらのカップのインスタント死神なら、もしかして。
(そう。きっとそうよ。このカップが「相手を三分間だけ殺せるタイプ」ってことは、ほかのタイプのカップもあるってことだもの。それが、このカップの隣に並んでいた、あの高価なカップの死神なんだわ。百円ぽっちじゃ、こんな役立たずの死神しか買えなかったけど、もっと高いカップを買えば……)
ちょっと値段が張るくらい、問題ではない。一度は殺せたと思った相手。一度は手にしたと思った心の平安。――どうしても、このまま諦めることなど、できなかった。
+
そして、その放課後。
少女は、いったん家に帰ってお金を取ってきてから、例の自販機のある場所にやってきた。
自販機の陳列窓には、昨日と同じく、二つの黒いカップが並んでいる。
右のカップの値段は、百円。左のカップの値段は、一万円だ。
少女は、背伸びをし、陳列窓にべたりと顔を貼り付けて、左のカップのフタを覗き込んだ。
左のカップのフタには、
『もう、インスタントとは呼ばせない! 本格派の死神を求めるあなたに!』
と、黒地に映える、研ぎ澄まされた鎌のような銀色の文字が、光っている。
さらに、右のカップにあった表記よりも、ずっと目立つ大きな文字で、
※ このインスタント死神は、写真の相手を 100年間 殺すことができます!
と書かれていた。
少女は、迷わず自販機に一万円札を突っ込み、左側のボタンを押した。
ぽこん、と商品が落ちてくる。
それを自販機から取り出して、両手でしっかりと持ちながら、少女は、フタの上で光を反射する、頼もしい銀色の太字を見つめた。
「本格派の死神……。作り方は、安いカップと、何か違うのかしら?」
呟いて、少女はカップを傾け、カップの横の作り方の欄に目をやった。
そこには、こう書かれていた。
◇ インスタント死神の作り方 ◇
① ふたを開けて、中にドクロが一つ入っているのを確認します。
② いったんドクロをカップから取り出し、呪い殺したい相手の写真を、表が上になるようにカップの底に置き、その上にドクロを乗せます。
③ ドクロと写真の上から、カップの内側の線までお湯を注ぎます。
④ ふたをして、100年間待ってから、ふたを開けます。
★ これで、写真の相手を呪い殺してくれる、
あなただけの死神のできあがりです ★
-完-