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「どこを見ていらっしゃいますの? ふふっ」
どこを見ても琴音さんはいなかった。見当たらなかった。
だから真後ろから色っぽい声が聞こえて来たときには、驚愕のあまり尻餅をついてしまいそうだった。実際そうなり掛けたけど、琴音さんが手を取って支えてくれた。
しかし、どこから現れたのだろう。
後ろもちゃんと見たけど、琴音さんらしき影は見当たらなかったんだもん。どうしよう。
①貴様、何者じゃ ②卒業、おめでとうございます
ーここでも①を選んでしまっていいんだそうですー
おめでとう、素直にそう言ってあげたかった。
「貴様、何者じゃ」
それなのに俺は、寂しくなってしまうからって言えなくって。悲しくなってしまうからって、しっかりと言うべき言葉なのに……。
卒業と言うそれだけで涙が零れそうな雰囲気を紛らわす為に、俺はふざけた。
その意図を察してくれてか、それとも彼女も同じ思いなのか。俺のふざけに琴音さんも乗ってくれる。
「おーほっほっほ! わたくしこそ、世界を制した絶世の美女でしてよ。くノ一、とでも言いましょうかしら」
琴音さんも卒業のことで頭がいっぱいなんだ、この言葉を聞いたときに俺は確信した。
そりゃそうだわな。
俺は在校生だけど、琴音さんは卒業生なんだ。寂しさだけじゃなくって、環境が変わることへの不安だってあることだろう。
感情を表に出さない琴音さんだからこそ、そう言うのは強く感じているのだろうな。
「お時間になりますわ。向かいましょうか」
暫く二人でチャラけてたのだが、時間の流れは情けを掛けてもくれないし、容赦もしてくれない。
卒業前、二人でふざけられる最後の時間。それでも時間は待ってくれない。
集合時間までの間は途轍もなく短くて、幸せの儚さを伝えているようにも感じられて……。琴音さんを信じ切れていない俺に嫌気が差して、ポジティブを貫くことすら出来ない俺がこんなにも嫌で。
何もかもが嫌になって、用意されていた在校生用の椅子に座ると、式は始まってもいないのに涙が溢れて来た。どうしよう。
①隠す ②気にしない ③堪える
ーこんなのは②でいいんですよー
でももう構わなかった。
卒業は悲しいものなのだから、泣いて何が悪いと言うことである。悲しいんだから、寂しいんだから仕方がないだろうが。
笑顔で卒業式に参加する奴がいるか? そんな奴なら、そもそも卒業式なんか参加しないさ。
溢れてくる涙のせいで、視界はほぼなんの情報を得ることも出来なかった。辛うじて耳は狂っていないらしく、「起立」の声をなんとか聞き取って従う。
それでも啜り泣くどころじゃない自分の声で、周りの音すら聞こえないことも度々あった。
せめて、琴音さんが活躍する場だけでも目にしたい。
絶世の美女である琴音さんは、代表で花を渡す係りになっていると言っていた。花より美しいのだから、花が際立たないじゃないか。と言う話だ。
又は、琴音さんのびを花が更に美しく輝かせてくれることだろう。
涙を拭いて、琴音さんの姿を自分自身の目に焼き付けようとする。人生一度の姿を、是非この目に抑えたいと思う。
どうすればいいかわからないや。
ハンカチが邪魔でよく見えないよ。それでもハンカチをずらしてしまえば、涙が溢れて滲んで見えてしまう。
これだったら、透明なハンカチでも持ってくれば良かったな。
そんなことを考えながらも、なんとか滲む視界に美しい琴音さんの姿を映した。
はっきりと見たい。そんな気持ちもあったけれど、これはこれで美しい。滲んでほぼほぼシルエットでも、琴音さんが美人だと言うことは見て取れる。
それならば、全然問題ないじゃないかと思うね。
「卒業生、退場」
ハンカチがびしょ濡れでもう涙を吸うことも出来なくなって来たので、俺は気を紛らわして素直に卒業式を悲しもうと思っていた。
それでも涙は溢れて来て、退場と言う言葉には再び大泣きだった。
周りが皆ドン引きだけど、元々俺はそんな奴だから問題ないだろう。学校生活に支障を来すこととは思えないもん、大丈夫だ。
それだったらむしろ、制服が汚れてしまったことの方がよっぽど問題だ。
「いつまでそこで泣いていらっしゃいますの? 一生のお別れじゃなくってよ」
卒業式が終わっても、まだ涙は止まらなかった。とても立ち上がれるような状態じゃないので、迷惑は承知しつつも椅子に座ったままだ。
自分を落ち着かせようと、安心させようと努力する。
それは全くの意味をなさなかった訳だが、琴音さんの優しい声を聞いたら自然と顔が綻んだ。
涙が止まりはしない。それでもなんだか、悲しみが幸せへと変わっていった。どうしよう。
①悲しい ②寂しい ③幸せ
ーここでも②を選ぶんだそうですー
子供のように泣きじゃくる俺の背中を、琴音さんは優しく摩り続けてくれた。
そして琴音さんに支えて貰いながらも、俺はなんとか席を立って校門へと向かう。一緒に写真を撮ろう、お義父さんがそう言ってくれているそうだ。
俺は涙でグチャグチャな顔なのだが、それはそれで思い出とか言って拭かせてもくれない。
卒業生の琴音さんはどうして平気なのか。そう問おうともしたけれど、そんなとき俺は気付いたんだ。
俺のように表情に出ていないと言うだけで、確かに琴音さんは泣いていた。寂しさと不安からだろうか、琴音さんは泣いていたんだ。
いつも彼女は、上手に感情を押し隠す。だから俺も騙され掛けてしまうんだ。
それでも今だけは、決して騙されてはいけない。彼女の演技に騙されてはいけない。
垣間見せた彼女の悲しそうな顔。そこには、頬を濡らすことすらない悲しい雫が伝っていたんだ。それが見えてしまったから、俺はまた涙を溢れさせてしまうんだ。
「お前、本当に大泣きだな。こりゃ、来年は大惨事か? はっはっは」
お義父さんはそう言っているが、それは違う。
俺は別に卒業と言う単語に涙している訳じゃない。
卒業するのが嫌なのではなく、琴音さんが行ってしまうから嫌なんだ。
来年は、俺が卒業するんだから、やっと琴音さんのところへと行ける。年齢的にも、婚約者ではなく夫婦へとなることが出来る。
涙を流すとしても、きっと喜びの涙だろうな。
「うちの店の跡継ぎが、情けねぇな。もっと頑張れよ」
バンッとお義父さんが強く背中を叩いてくれる。どうしよう。
①笑う ②泣く ③啼く
ーここでは①を選びますー
手で自分の頬を二度叩いて、涙を拭い直す。
そして俺は、お義父さんに笑顔を浮かべてみせた。それを見て、お義父さんも満足そうに笑顔を返してくれる。
涙の写真を沢山撮られたのだが、最後に笑顔の写真も撮って貰って撮影終了。
それじゃあ帰ろうか、と振り向くとお父さんとお母さんを発見した。それとお義母さんもいて、仲良く楽しそうに話しているようだ。
最早、両親同士があれだけ仲良くては結婚を阻むものなどないな。
そこへお義父さんも向かって、うちの両親と琴音さんのご両親とで楽しそうに話をしている。
お父さんはかなり固い顔をしているが、あれが一応笑顔であることを俺は知っている。
皆、笑顔で会話をしているのだ。どうしよう。
①入る ②離す ③話す
ーこれは③ですねー
大人は大人で話しているので、子供は子供で話していようと思う。
無駄にあちらの会話の中に入ろうとはせず、俺は琴音さんと会話を楽しんだ。
「あなた、心配し過ぎですわよ。高校を卒業したと言うだけで、わたくしはあなたから離れたりなんかしなくってよ。それとも、あなたにとってわたくしはその程度の存在でしたのかしら」
琴音さんのその言葉が決め手となった。
何を言われても、何を考えても不安は常に渦巻いていた。しかしその言葉を聞いて、なんだか全てが吹っ切れた気がした。
俺の中で、琴音さんが正真正銘絶対的な存在となった。
それにより不安もなくなって、安心と幸せだけが満ちてくる。やっぱり、琴音さんの力って凄いね。
「それではさようなら。あと一年、高校生として青春を謳歌なさい。わたくしは年寄りらしく商店街で商売をしていますわ」
琴音さんのその言い方だと、素直に商店街の方々に失礼だと思う。商店街で商売をするのは年寄り、そう言っているようなものだからな。
それにそもそもな話、琴音さんがいなければ俺のどこに青春なんてある? ないだろ。
まあ琴音さんだって、これはさすがに冗談に決まっている。
彼女は商店街が大好きだから、馬鹿にするようなことは言わない。そして彼女は俺のコミュ障っぷりや、嫌われ者の精神も知っている。
だから安心出来て、青春なんてふざけたことを言えるのだろう。
「嫌味ですかっ」
最後にそうツッコんで、俺はお父さんの車に乗り込む。
笑顔で琴音さんに別れを告げて、自宅へと帰還する。さっきまでが賑やかだったせいか、一人暮らしのこの部屋がとても静かで、寂しく感じられた。




