つぼみの頃
真っ赤なジャガー。
背中が大きく開いた黒のドレスにシルバーフォックスのコート。
シャネルのバッグに宝石が散りばめられたロレックスの腕時計。
ミナミのネオン街に私はいる。
1年前、昼間はOLをしながら小遣い稼ぎの副業として始めたホステスの仕事。
店一番のVIP客に見染められて、あれよあれよで売り上げナンバーワン。
何の苦労もしないでこうなったワケじゃない。
外見にはコンプレックスがたくさんあった。
一重瞼の目、おたふくのような下膨れの顔、太っているワケでもないのに締まりのない体のライン。
お酒も強くないし、営業が苦手。
入店して間もない頃、まだ夜の世界を知らなかった私は、ママに
「私は、アルバイトで少々の小遣いが欲しいだけなんです。ずっとヘルプでいいんです。」
と、言ったことがあった。
ママは、少し不機嫌そうな顔で私をジッと見て、何も言わなかった。
呆れて言葉が口から出ない、そんな感じだった。
今、もし、こんなことを言う女の子がホステスとしてこの店に来たら、
私は、あの時のママと同じ反応をするだろう。
夜の世界を、ホステスという仕事をナメてはいけない。
ある日、私はママに呼ばれた。
VIPのお客様が座る、間仕切りのある小部屋のようなボックス席。
そこに怖い顔をしたママが座っていた。
「アスカちゃん、ちょっと話があるからそこに座りぃ。」
アスカ、とは、私の源氏名だ。
「あ、はい。」
ママはかなり威圧感のある人だ。
特別、美人というワケでもないが、オーラがハンパない。
男性のような逞しさと、女性の色気が同居している。
「アスカちゃん、新聞読んでる?」
キリっと吊り上がった目で真っ直ぐ私を見て言った。
「あ、い、、いいえ。」
(なんでこんなこと聞くんやろ?)
すぐにママは言った。
「明日から、出勤前に、必ず読んどいで。」
「はあ。」イエスともノーともとれない間の抜けた返事をすると、
「新聞とるお金ないなら、1時間早く出勤して、ここで読み。」
「はい…、わかりました。」
(仕方ない、明日から少し早く出勤してチラっと見とこか。)
「あ、それと。」
ママはまだ続けた。
「あんた、服なぁ、いっつも地味やわ。」
「はあ。。。」
「うちのお古やるから、今日、店終わったらうちについてき。」
「あ、はい。」
なんで突然?
もしかして、お客さんからクレームでもついたんかなぁ。
店が終わって、特にお客さんのついてない私は、アフターもなく、店の片づけを手伝ってた。
「おい、アスカ、帰る用意して来い。」
店のフロアマネージャーのマサくんが言った。
「もうええから、マサんとこ行ってき。」と、チーフ。
私は急いで帰る支度をすると、マサくんのところに行った。
マサくんは、店の前に、少し古い縦目のベンツを停めていた。
「横に乗り。」
そう言われてチラっと中を見ると、運転席は左。
私は車道側へ出て、急いでドアを少しだけ開けてサっと乗り込んだ。
「お疲れ。」
ママの声がして後ろを振り返ると、
結っていた長い髪をほどいて、いつもより色っぽいママが座ってた。
「マサぁ、うちの家で一回アスカ降ろして、そのまま待っといてくれるか。」
と、ママ。
「はい。わかりました。」
大きな声で歯切れよく答えると、マサくんは、車を発進させた。
窓の外は、ネオンでいっぱい。
もう深夜なのに、キラキラ光ってた。
ネオン街を抜けて、10分ほど走ったあと、大きなマンションの前で車は止まった。
マサくんは、サっと素早く運転席を降りて、後ろのドアを開けた。
ママのハイヒールが「コツン」とアスファルトを叩く音が響いた。
私も慌てて車を降りて、ママの降りてくるドアの横に立った。
ママが降りると、マサくんは、マンションのオートロックの扉の前まで走った。
ママはコツコツコツと、ヒールの音を鳴らしながら扉の前まで行き、
「ほな、ちょっと待っといたってや。」
と、マサくんに言った。
「はいっ!」と、マサくんは答えて、「お疲れ様でした!」と頭を下げた。
私はママの後ろについて、マンションに入った。
エレベーターに乗って14階で降りた。
部屋に入ると、とてもいい香りがした。
ママは、広いリビングのソファにバッグを置くと、隣の部屋へ入るドアを開けて、
「ちょっと、こっちきぃ。」と言った。
そっと覗きこむと、そこには大きなキングサイズのベッドがあって、ママは脇にあるクローゼットを開けていた。
クローゼット、というより、衣裳部屋のようなひとつの部屋のようなところ。
色とりどりのたくさんの洋服がかかっている。
「あんたはなぁ、辛気臭い色の服ばっかりやからぁ…」
と言いながら、派手な色遣いのスーツを3着持ってきた。
「私がこれ着るんですか?」
「そおや。」
「派手じゃないですか?」
「あんたなぁ、薄暗い店の中で、暗い服着てたら、目立たんやろ。」
「別に目立たんでもいいんですけど…。」
「またそれや。」
「・・・・・。」
「ちょっと着てみぃ。」
ママに言われるがまま、大きな鏡の前に立って試着を始めた。
「うんうん、ええわぁ、うちが思った通りや。あんた、白がよぉ似合うわ。」
「あ、でも、白って…、汚れたらもう着れへんようになるし…。」
「なにを貧乏くさいこと言うてんの。」
「それに…、これ、スカート短くないですか?」
「あんたトシ、なんぼや。」
「22になりました。」
「ほな、まだまだいけるやないの。若いうちだけやで、足出せるんも。」
「でも、足太いし…。」
「そーやって、隠してるから、ふとなんねん。見られてる思たら、キレイになるわ。それにそのメイク!病人みたいやで。もっと赤い口紅つけて、チークも入れな。」
そんなやり取りをしながら、ファッションショーを繰り広げ、私はママのお古…といっても、1~2回着たら、同じ服は着ないママのものだから、新品同然…のスーツを、5着ももらった。
「ママ?」
「なんや。」
「なんで私みたいなヘルプのバイトにこんなんしてくれるんですか?」
「アスカ。」
「はい。」
「あんた、摂津さんて知ってるやろ?」
「ああ、はい、ヒトミさんのお客さんですよね。何度かヘルプでつきました。」
「摂津さんがな、ヒトミよりアンタがええ…って言うてきたんや。」
「え!?」
「あんたも知ってるやろけど、摂津さんは、ウチでは一番の客や。」
「ああ、はい。」
「もう引退はしてはるけど、不動産業界ではドンと呼ばれてる。」
「はぁ。」
「アホなホステスでは、あの人の話相手にはなれへんしな。」
「あ。一回、ヒトミさんがトイレ行った時、私の昼間の仕事の話で盛り上がったことあります!」
「あんた、昼間、司法書士さんの事務所で働いてるんやってなぁ。」
「ああ、はい、そうです。」
「で、なんか学校行って試験受けるんやて?」
「はい、宅建主任…いう資格なんですけど、まあ不動産や金融関係の人ら受けにくるような資格ですわ。」
「前に摂津さんとそんな話したんやろ?」
「あ、はい、勤務先の事務所の先生は『原付免許より簡単や』って言うんやけど、民法やらなんやら、ワケわかりませんねん…って話をしてました。」
ふふ~ん、とママはうなずいて、
「今度、ヒトミが休みの日に来るから、アスカをつけてくれ、言うてきたんや。」
と言った。
(ああ、それで。それでママは新聞やらメイクやら洋服やら…私にいろいろ言うてきたんや)
帰りのエレベーターの中で、両腕に抱えた大きな紙袋の中身を見ながら、少しのトキメキと、大きなプレッシャーを感じてため息が止まらなかった。
オートロックの扉を出ると、車のエンジン音が聞こえた。
(あ。マサくん、待ってるんや)
かれこれ小一時間経つのに、マサくんはママに言われた通り、車で待っててくれた。
私の姿を見つけると、運転席から降りてトランクを開けて、大きな荷物を積んでくれた。
「ママの服もろたんか。」
「うん。」
「ママのは全部ベルサーチや。一着十万以上するで。」
「うそ!」
(5着もらったってことは…)
「もう、ヘルプばっかりしてられへんな。ふふん。」
と、マサくんはチラっと私を見てせせら笑った。
古い平屋の借家が私の住んでる家。
何軒も連なって、隣とは壁一枚で仕切られてる長屋。
家賃は、3万円。
時々、手の平くらいの大きさの真っ黒い蜘蛛が出ることがあるし、深夜の暗闇で玄関のドアを開けようとドアノブを握ったら、ヤモリだかイモリだかをつかんでしまったこともある。
お風呂にはシャワーはなくて小さな湯船だけ。トイレは水洗だけど、和式。
マサくんが、ママにもらった大きな紙袋をうちの中へ運び込んでくれた。
「ありがと。」
「ん。お疲れ。」
と、まだ黒服のままのマサくんは縦目のベンツに乗り込むと、一方通行の狭い道を迷いそうになりながらゆっくり帰って行った。
私は、紙袋の中から、ママが一番勧めてくれた白いスーツを出して、もう一度着てみた。
鏡の前に立つと、豪華なスーツに貧相な顔が完全に負けてる。
ありったけの化粧品をドレッサーの引き出しから引っぱり出して、顔に塗りたくる。
「おかめみたい…。」
部屋の中を見渡してセロテープを見つけて、目の形に沿って細い三日月形に切って、瞼に貼ってみた。
以前に百貨店の化粧品売り場のお姉さんがこんなテープを貼ってるのを見たことがあった。
テープを貼って、目をグっと開くと…
「うそ!」
まるで別人だった。
「かわいいやん、あたし。」
楽しくなってきた。
ヘアアイロンを持って来て、髪を巻いてみた。
半年、美容院に行ってなくて、中途半端に伸びていた前髪を少し斜めに片目にかかるようにカールして、サイドの髪を縦巻きに巻いてみた。
(すごい。ちょっとしたことで、こんなにキレイになれるんやぁ)
明日早速、コスメショップに行ってみよう…と、
「ん?」
そうだ。
給料前で、お金がない!
はあ…。
ため息をつきながらメイクを落として、そのまま寝た。