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知らんし

作者: 黒瀬 行杜
掲載日:2026/03/20

 入学式。初めてのクラスメイト。初めての先生。


 正直言って、ウチはこういう空気が苦手だ。何でって? そんなの単純で――最初から、勝手に判断されるから。


「鮫島愛華(あいか)さん」


 ほらやっぱり。


 ダルいけど、とりあえず立つ。教室のあちこちがざわついた。


 そりゃそうか。今どき黒ギャルなんて珍しいもんね。


 でも、それは別にいいの。ウチが好きでこうしてるんだし。髪も、肌も、メイクも、ネイルも。全部ウチが選んで、ウチがカワイイと思ってやってることだ。


 だから注目されんのは、まあ分かる。ビビられたり、ヒソヒソ話されたりすんのは正直ムカつく。けど、まあ勝手にしろってカンジ。


「先生、ウチ、アイカじゃないから」


「あ……ごめんなさい。鮫島愛華(まなか)さん、だったわね?」


 は? 二回目はないわ。


 あのババア、自分の生徒の名前くらい覚えろよ。ってか、先生なのにスカート短すぎ。誰誘ってんだよ。


 あ、舌打ちしちゃった。


「こっわ」


 どっかの男子が小さく言った。文句あんなら面と向かって言えっつーの。マジ、ため息しか出ない。


「……ラブカだから。アイカでもマナカでもなくて、ラブカ」


 またざわつく。この瞬間が、マジで無理。


 黒ギャルであることをあーだこーだ言われんのは、まだいい。それはウチが選んだ見た目だから。好きでやってるからね。


 でも名前は違う。


 ちょっと珍しいからって、面白がって勝手に盛り上がって。それ、別にウチが選んだわけじゃないし。この名前を聞いて、何か言われたり変な目で見られんのが一番腹立つ。


 そんなの、知らんし。


「ご、ごめんなさい。鮫島愛華(らぶか)さんね。先生しっかり覚えましたから。じゃあ次の人は……」


 先生はウチを数回だけ見て、そそくさと名簿に目を戻した。


 あー、そっちね。なら、まだいいよ。


 ウチが会った先生たちは二つのタイプしかいない。ウザいくらいめっちゃダル絡みしてくる説教タイプと、ウチにビビってんのか面倒くさがってんのか知らんけど関わってこないタイプ。この先生は後者らしい。うん、やっぱまだマシかな。


 さっきはババアとか言ってごめんね。


 新学期になって一週間くらい経った。


 クラスの連中も、もうウチの見た目には慣れてきたっぽい。最初みたいに、いちいち空気がざわつくことは減った。前よりは少しだけ楽。


 まあ、その代わり話しかけてくるような珍しい奴もいないんだけど。


 五限。昼休みのあと。しかも数A。


 昨日の夜はずっと動画を撮ってたし、昼もダイエットのために抜いてるせいか、今日はめっちゃ眠い。ヤバい。


 ていうか数Aって何。中学まではただの数学だったじゃん。何で高校入った途端、ⅠだのAだのって急に分かれんの? 意味不明。


 しかも、この科目もだけど担当の先生もちょい苦手。多分ウチのおじいちゃんとおばあちゃんと同い年くらいなのかな。だから、出来れば授業は聞いてあげたいんだけど、めっちゃ声が眠い。


 分かんないものを分かんないって言って怒られるのも意味分かんないけど、声だけで人を寝かしつけようとしてくるのはもっと反則だと思う。あれ絶対才能だから。寝かしつけの。


 だからせめて寝ないように、ノートの端に今日の放課後したいことを書く。


 渋谷行って、ネイル変えて。好きなブランドの新作見て、時間あったらドンキ。あと、家帰ったら動画の編集もしなきゃ。


 ごめん、マジごめん先生。でもやっぱ先生の声、めっちゃ眠いわ。だから、寝る。


「鮫島さん」


 誰かが、ウチを呼んでる。


「鮫島さん」


 先生にはもう謝ったから、マジで寝させて。


「鮫島さん」


 しつこい。一回キレてやろうかな。


「鮫島愛華(らぶか)さん」


「……は?」


 びっくりして目が覚めたじゃん。


 ちょっと待って。今、ウチのことを“サメジマラブカ”って呼んだよね? アイカとかマナカとかじゃなかった。絶対ラブカだった。


 誰なの? クラスの連中なんてほとんど話したことないのに。


 前の席。違う。女の子の声じゃない。


 左隣。こいつは寝てる。ってか染めんの下手過ぎない? ヤバっ。


 じゃなくて、後ろ。誰もいない。いや、ウチが一番後ろだから、いたらそれオバケじゃん。


「あの先生、出席番号順に当ててるんで……もうすぐ鮫島さんの番ですよ」


 同じ声。もう残ってるのは、右隣だけ。


「……待って、誰?」


 ごめんだけど、顔見ても全然分かんない。


 おかっぱ頭にメガネ。座ってても分かるくらい小さい。こいつ、ウチより背低いんじゃない?


「ってか、さっき何て言った?」


「え……」


 ビビってる。ビビんなら声かけてくんな。


「あ、あの先生、出席番号順に当ててるんで……」


「それじゃない。ウチの名前、もう一回言ってみ?」


 でも、答えは返って来る。意外とコミュは取れそう。


「え、えっと……鮫島愛華(らぶか)さん、です……よね?」


 マジか。


「じゃあ、この問題は……鮫島さん」


 え、待って。先生、今じゃないって。


 とりあえず立っとくけど。ヤッバ、椅子倒しちゃった。


「あ、すみません、分かんないでーす」


 ごめん先生、今それどころじゃないから。どっちにしろ分かんないし。


 ってか、は? 何、意味分かんない。分かんないって言っただけじゃん。みんなクスクスしてるけどさ、それで笑うのってありえんくない?


 おかっぱも何か焦ってるし。


「さ、鮫島さん、答えるときは、立たなくても大丈夫ですよ……」


 おい、おかっぱ。先に言えし。


* * *

 

 もうすぐ五限が終わる。


 結局あの後からずっと、ウチの目はバッキバキに冴えてた。


 確かにウチが眠かったのはウチのせいかもしれない。いや、あの先生の声もやっぱあるわ。けど、その後笑い者になったのは、絶対おかっぱのせい。これはガチ。


 あ、チャイム鳴った。

 

 ウチは即おかっぱの方を向く。おかっぱは号令に合わせてお辞儀。やたら綺麗でウケる。で、顔を上げた瞬間固まる。


「ど、ど……どうしたんですか……?」


「お前、動くなよ」


 おかっぱの、メガネの奥に見える目が明らかに泳いでる。分かりやす。めっちゃビビるじゃん。


「ねえ、名前は?」


 おかっぱの目がめっちゃ開いてる。いや、驚きすぎでしょ。


「……え?」


「名前、教えてって」


「……た、こうたです」


 声小っさ。ってか、ん? 今、何て言った? オタ?


「いや、待って。確かに背小っちゃいし、オタクっぽいけどさ……自分で“小オタ”って、ちょっとネガすぎん?」


「康太です! こ! う! た!」


 おかっぱ――いや、こーたが顔を真っ赤にして声を張った。デカい声出るんじゃん。けど、どんどん勢いがなくなる。


「……小田康太、で……す……」


 何か俯いてるし。

 

 でも、今のはウチが悪い。


 名前でイジられることよりムカつくことなんてない。ウチはずっと、そう思ってきたのに。それなのに、こーたを、ウチは、自分が一番嫌なイジり方をしちゃった。


「あー、ゴメンって。で、こーた」


 死んじゃったおばあちゃんが言ってた。『自分がされて嫌なことは人にしない』って。だから、謝る。まあ、こーたにちゃんと伝わってるかは分かんないけど。


「……何でウチの名前、間違えないの?」


 いや、ちょっと待って。


 さっきは寝起きだったから、頭回ってなかったわ。初日にあんだけ担任相手にカマしたんだから、覚えてただけだよね。


「……だって、良いですよね。ラブカ」


 は?


「僕も好きです」


「……は?」


 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って!


 え? ウチ、告られた? いや、僕“も”って、ウチいつ告った? マジで意味分からん。あれ、もしやオタクだから話しかけたら告白したことになるとかってルール? いや、それは流石に失礼か。ていうか、顔熱っ。


「ちょ、ちょっと……何言ってんの、いきなり!?」


「鮫島さん、知ってますか? ラブカって、恐竜がいた頃からほとんど姿を変えてないって言われてるんですよ。すごくないですか?」


「キョウ……リュウ……?」


 自分でも分かる。謎にカタコトになってる。こーたはめっちゃ流暢だけど。


「深海魚って、みんな神秘的で魅力的で……僕、本当に大好きなんです!」


 いや、分かってるよ。死んじゃったおじいちゃんも言ってたわ。『人に酷いことを言ったらいけない』って。


 でも、ごめん。今日は言う。


「ねえ、こーた」


「え……あ、は、はい!」


 耳の辺りが明らかに赤くなってる。多分家族以外の女子にあんま名前呼ばれたことないんだろうな。


 けど、これはマジでアンタが絶対悪い。ウチのせいじゃないから。


「キモイ死ね」


 それから、また一週間。


 隣の席ってだけで、ウチとこーたは何だかんだ話すようになった。ウケるよね。


 教科書見せてもらったり、宿題写させてもらったり、先生に指される前に起こしてもらったりしてる。意外かもだけど、ウチちゃんと勉強する気はあるんだよ?


 あ、あと。こーたが買い置きしてるボトルガムは、ほぼ毎日もらってる。


 この一週間で分かったこと。こーた、意外と顔が良い。でも、それに気づかせないくらいおかっぱとメガネと陰キャオーラ。しかも、超オタク。


 深海魚が好きっぽい。ラブカだけじゃなくて、他も。アニメも漫画もゲームも好きで、語り出すと早口すぎて正直よく分かんない。だからウチも、だいたい聞き流してる。


 そーいえばラブカは一応調べた。ちょい見た目グロかった。


 両親のどっちが名付けたのかも知らんし、ぶっちゃけ今さらどーでもいい。けど、もしラブカを知ってて付けたんだったらちょいムカつくよね。


 でも、こーたはそのラブカがカワイイって言ってた。響きも良いって。変わってるよね。ってか絶対変。


 もう一つ。多分だけど、こーたは学校に友達がいないっぽい。教室の中でも外でも、ウチ以外と話してるのを見たことない。あ、先生とか用務員のおじちゃんとか購買のおばちゃんとは話してるか。


 それを知っちゃったから、まあウチはクラスでは何となくこーたと話してる。隣の席だし。ウチはまだ“マシ”だからね。


* * *


 四限終わりのチャイム。やっとお昼休み。


「こーた、今日もお弁当?」


「はい、今日も作ってもらってます」


 手を洗って戻ってきたこーたは、ハンカチで手を拭いてからリュックを開けた。


 何かのアニメ柄のハンカチ。これもだけど、こーたのお弁当箱もいつもアニメキャラの絵が入ったランチクロスに包まれてる。正直かなりダサい。


 けど、こーたは「昔から好きなアニメですし、物自体はまだ全然使えるので」って、全然気にもしない。


 そういうところは、頑固っていうか、一本芯が通ってるカンジ。正直、嫌いじゃないよね。


「鮫島さんは今日もお昼抜きなんですか? ちゃんと食べないと、健康に悪いですよ?」


 こーたもウチに慣れてきたのか、最近は前みたいにいちいちビビらなくなってきた。何なら今みたいに、小言まで言ってくる。


 お前はウチの親か。まあ、ウチ、親いないんだけど。


「うっざ。ガムちょうだい」


 言い終える前に、ウチはこーたのボトルガムを勝手に取って蓋を開ける。こーたも「今度買ってきて下さいよ」と言うだけで、本気で止めたりはしない。


 あれ。一個だけじゃん。この前まで、もっと入ってなかったっけ。もしかして、ウチ食べ過ぎ?


「なんだ、ラス一じゃん。じゃあいいや」


「いいですよ。鮫島さん、食べて下さい」


「え、それはちょっと気引けるんだけど」


「でも、それ食べないと今日もお昼、本当に何も食べないですよね?」


 図星。こいつ、親通り越して、小姑かっつーの。


「あれ……ああ、やっちゃった。お弁当、忘れてきたかもしれないです」


「マジ?」


 ガラッ。


 こーたのさらに右、教室の引き戸が開いた。


「ラブいるー? コンビニ行かん?」


「みーじゃん。いいよ、行こ行こ」


 引き戸の向こうにいたのは隣のクラスの魅虹衣(みにい)。あだ名はみー。


 耳はガンガンにピアス穴。攻めてる。ピンクと紫のロングヘアもこの学校じゃ一番目立つ。まつ毛もゴリゴリに盛られてて、とにかく全部派手。けど、めっちゃ似合ってる。


 最近仲良くなった、この学校で唯一の友達。


 みーも、某夢の国のネズミ様の彼女みたいな名前。だから、昔から色々言われてきたらしい。そりゃ、ウチとみーは気が合うに決まってるよね。やっぱ名前イジられるって、めっちゃムカつくし。


 あれ、何かみー驚いてる? いつもダル気で、表情あんま変わんないのに、みーの口がぽかんって開いてる。


「え、何その顔。どしたの?」


「……ラブさあー、今このオタク君と話してた?」


 みーがこーたを見ながらダルそうに話す。こーたは何か知らんけど固まってる。銅像かよ。


「オタク君? あー、こーたのことね。ウケるっしょ。クラスでウチの話し相手、こーただけ」


 まあ、これは嘘じゃないしね。


「へえー、ウケる。みーとしか喋らんのかと思ってた」


 みーが紫の髪の束を取って、指にクルクルと絡める。これ、みーの癖ね。


「ねえ、オタク君」


「は、ははは、はい!」


 こーた声上ずってるし、しどろもどろしてるし。さっきまでの小姑どこ行ったし。


 けど、何か知らんけどウチもちょい緊張。みーがこーたに何を言うのか分からん。


「そのガムちょーだい」


「……え、あ」


 こーたがガムのボトルとみーを交互に見る。あー、これテンパってるじゃん。しょーがないなあ。


「ごめん、みー。それさっきウチが最後の一個食べちゃった」


「マジ?」


「マジマジ。こーた、同じのでいいよね? ってか、コンビニ一緒に行く? みーは平気?」


「んー、どっちでも」


「えっ……あ、ぼ、僕は、だ、大丈夫です! こ、購買に行ってきます!」


 ちょっと。何でウチにまで緊張してんの。


「オッケー、じゃあ後で」


 立ち上がって、椅子に掛けてたカーディガンを羽織る。今日は暖かいから要らないかもだけど、めっちゃ細いみーと並んで歩くのをこーたに見られるのが何となく嫌だったから。


* * *


 コンビニは学校のすぐ近くにある。


 本当は一度校舎に入ったら、下校まで抜け出しちゃいけないらしいけど、運動部の男子の先輩とかも普通にやってるし。まあ、アイツらは持ってくるお弁当と購買だけじゃ足りないみたい。


 でも、あんだけ食ってんのに、そこまで太って見えないのはムカつく。あと、ずっと外にいるからか、自然に黒く焼けてんのもムカつく。


 こっちは日サロ通ってんですけど。


 コンビニに入ってすぐ。お菓子コーナーでみーがグミとチョコを見比べながら聞いてきた。


「ラブ、何であのオタクと話してんの?」


「こーたのこと? え、分かんない。席近いからじゃね?」


 嘘はついてない。けど、何かはぐらかしちゃった。


「確か、そう。ってか、さっきも思ったけど、名前で呼んでんのウケる」


 みーはいつもダルそうなテンションだけど、これが通常運転。でも、今日はちょっと楽しそう。みーはこう見えて勘が良いんだよね。だから、はぐらかしたのもきっとバレてる。


「……ねえ、この話終わらせていい?」


「えー、グミ買ってあげるから」


 見比べてたグミを揺すりながら見せてくる。うーん。グミ買ってくれるなら、まあいっか。


「そうだね……こーたはさ、チビで眼鏡で、いかにもオタクじゃん?」


「ひっど」


 自分で言っておいてあれだけど、陰口みたいでちょっと胸の辺りがチクっとする。ごめん。すぐフォローするから。


「でも、こーたはウチの名前一回も間違えなかったし、笑わなかったんだよね。まあ、最近ちょっと口答えしてくるけどさ」


 ウチもこーたのボトルガムだけ取って、みーについていく。色んな味が入ってるボトルガム。


 みーはおにぎりコーナーの前で立ち止まる。けど、運動部の男子たちに荒らされたあとらしくて、しおむすびと高いおにぎりしか残ってない。


 みー、こんな細いのに三食必ず米食べるって言ってた。ウチは高校入ってから、お昼はほぼこーたから貰うガム以外食べてないのに。マジ羨ましい。


「え、なんもな。マジウケる」


 みーはそう言いながら、しおむすびを取る。しかも、二個。


 ウチらはそのまま二人でレジに並んだ。前にはやっぱり運動部の男子たちがガッツリ列を作ってる。


 お前らどんだけ飯食うんだよ。


 レジのおばちゃんが、今揚がったばっかりのから揚げをやたらアピってくる。実際、それもガンガン売れていく。


「へえー、ウケんね」


 みーが急に言った。


 これ、さっきの反応だよね? 遅くない?


「ね、ウケるよね」


 まあ、ウチもLINEの返事をしながら適当に返してたんだけど。


 ウチの同志、黒ギャルだけのギャルサーのグループがあって、今週はそのミーティングもあるからちょっと忙しい。やっば、日サロの予約忘れてたわ。


 いつもの店の予約画面を開いて、日程を選ぼうとした時だった。


「ねえ、あのオタクさー、ラブのこと好きなんじゃね?」


「はー? そんなん……」


 別に、普通に『知らんし』で終わりにしてもよかったのかもしんない。

 

 けど。


 よく分かんないけど、何も言えなかった。そしたら、レジのおばちゃんがウチらを呼ぶ声が聞こえた。


「あ、レジ進んでんよ」


「え、マジじゃん。ウケる」


 ちょうどよくレジの列が進んで、ホッとした。


 何でホッとしてるんだろう、ウチ。


* * *


 それから、みーとコンビニの外で軽くお昼を食べる。みーはしおむすび二つ。ウチはみーに買ってもらったグミ。で、そのまま学校へ戻る。


 みーはこーたとのことをそれ以上聞いてこなかった。いつも通りのダルそうなテンションで、「あの恋愛バラエティ見た?」とか、「あの動画バズってんね?」とか、「このホスト、普通に顔良くね?」とか。そんな、たわいもない話ばっかりしてた。


 でも、何か気になるんよな。教室の手前で、みーに聞いてみた。


「今日放課後、渋谷?」


「あー、みー今日バイト」


「りょ、じゃまた」


 別に明日でもいっか。


 みーと別れて、教室の引き戸に手をかける。


 開けた瞬間、一人の男子が女子たちに囲まれてる。えっと、ウチ、教室間違えたのかな。


 いや、間違ってないわ。


 こーたが、女子たちに囲まれてる。


 え? 何これ? 意味分かんないんですけど。


「ねえ、邪魔」


 いつもより、少しだけ低い声が出たかも。


 こーたを囲んでた女子たちは、一瞬だけこっちを見て、それからぱっと散っていく。


 何それ。別にウチ、そんな睨んでないんだけど。


 まあ、いっか。知らんし。


 ウチはわざと音が鳴るように椅子を引いて、そのまま席に座った。教室に入った途端、妙に暑く感じて、カーディガンを脱いで乱暴に背もたれへ引っかける。


「あ、鮫島さん、おかえりなさい」


 こーたが言う。


 その、いつも通りみたいな声が、今はちょっとだけムカついた。


「……ただいま」


 言ってから、自分で意味分かんないと思った。何で今、普通に返したんだろ。


 一瞬、こーたの方を見たら、こーたの机の上に見慣れない物が置いてあった。いつものアニメ柄じゃない、赤いペイズリーのランチクロスに包まれた弁当箱。なんか、息しづらい。


「……へえ、お弁当貰える相手、いたんだ?」


 何でウチ、こんなキレてるんだろう。意味分かんない。


 こーたは何か言いたそうにしていたけど、結局何も言わなかった。ウチも別に、何を聞きたいわけでもなかった。


 ただ、何かが引っかかってる。


 それが何なのか、自分でも分かんないまま、ウチは机の横に下げたコンビニのレジ袋を見た。


 こーたのボトルガム。ちゃんと買ってきたのに、渡すタイミングが分かんない。


 結局、その日はもうこーたとも話さなかった。

 

 渡せなかったボトルガムは、レジ袋ごとスクールバッグに投げ入れた。


 次の日も、その次の日も、ウチはこーたに話さなかった。こーたもウチに話してこなかった。


 四限が終わるとすぐに教室を出て、みーのところに行く。なんとなく、こーたとのこのカンジを、みーに見られたくなかったから。


 みーも、あの日以来こーたのことは聞いてこない。まあ、みーに関してはむしろこーたのこと忘れてんのかも。みーは、自分の好みのビジュの良い男しか覚えてないし。


 金曜日。結局あの日以来、こーたとは今週話してない。今週終わんの早かったなあ。


 ってかウチ、こーたのこと気にしすぎじゃない? 意味分かんないんだけど。


 今日の放課後はいつもの日サロの予約を入れてある。焼けばどーでもよくなんのかな。


 いつもとは逆のホームで渋谷行きの電車を待つ。


 いつもだったらずっとスマホを弄ってる。けど、その時ウチは何となく顔を上げてた。


 何かいつもより艶っぽいおかっぱ頭。メガネはしてない。


 え、こーた?


 あれ、あんなだっけ?


 ってか、待って。


 女と手を繋いでる。


* * *


 渋谷に着いて、日サロの予約までの間は好きなブランドのショップを見て回った。でも、何だろう。全然アガんない。


 今日はもういいや、と思って、いつもだったら我慢してたタピオカも買っちゃった。何これ。甘すぎ。


 気付いたら日サロの時間になってたんだけど、何か調子悪い。


 絶対、タピオカのせいじゃん。


* * *


 渋谷。二十二時過ぎ。


 金曜だからか、酔っ払った連中がやたら多い。おっさんも、おばさんも、ウチよりちょい上くらいの歳の奴らも、みんな無駄にテンションが高い。


 暖かいし、もうすぐゴールデンウィークだし。浮かれる理由なんて、そのへんにいくらでも転がってるんだろうけど。


 けど、今はマジで関わんないでほしい。


 駅で電車を待っていると、後ろから声がした。


「お姉さん、もう帰っちゃうの?」


 ウザ。


 大体、制服見りゃ分かんでしょ。高校生ナンパして何期待してんの?


 キモい。


「は? 今何つった?」


「あ……」


 ヤバい。声、漏れてたっぽい。


 思わず振り向くと、かなりガタイのいい男。めんどくさ。これは駅員とか呼ぶしかないかも。大声出すのハズいけど無理でしょ。


 あ。


 腕を掴まれた。


 でも、その手は目の前のガタイのいい男のじゃない。かなり色白で、骨ばった手。


「鮫島さん、走って!」


 こーた?


 艶のない、ぼさっとしたおかっぱ。眼鏡はいつものやつ。ダサい。


 間違いなく、こーただ。


 何でここにいんの?


 さっきのガタイの良い男が、後ろで何かを叫んでいる。けど、そんなのもうどうでもよかった。


 骨ばった白い手に掴まれたまま、気づいたら全力で走っていた。


 ウチも意外と走れてるけど、こーたも意外と速い。階段を勢いよく駆け下りて、迷路みたいな駅の中を、そのまま引っ張られるように走り抜ける。


 しばらくしてエレベーターが見えてくると、こーたの足が少しずつ緩んだ。こーたは肩で息をしながら、エレベーターのボタンを連打。


「はあ……はあ……だ、大丈夫ですか、鮫島さん?」


「……何で」


「……え?」


「何でここにいんの!」


 自分でも驚くくらい大きな声が出た。


 日サロ終わって、急に走って。さっきまであんなに調子悪かったのに、今は全然気持ち悪くもない。


「何でって……僕は予備校の体験で……」


 こーたはそう言いながら、制服のポケットからハンカチを取り出した。


 相も変わらず、何かのアニメ柄。ダサい。


 額の汗を拭うために、こーたが眼鏡を外す。


「あ……」


 その瞬間、さっきホームで見た姿が頭の中に戻ってきた。


「違うじゃん……だって、行きに駅のホームで見たし!」


「ど、どういうことですか……?」


「何かいつもより髪艶っぽかったし! メガネは外してたし! それに……」


「それに……女、と一緒だったし」


 手を握っていたまでは言えなかった。何かそれは見てなかったことにしたかった。


 目頭の辺りが熱くなる。ううん、急に走ったから汗が染みてるんだ。ヤバい。メイク溶ける。まつ毛なくなる。


「あ、ああ……きっとそれケンちゃんです」


「……は?」


「あ、ケンちゃんは健太って言って……僕の兄です」


 兄です。


 あにです。アニデス。兄です。


「兄……です……?」


 その場で膝から崩れ落ちた。


 いや、急に走ったから足が限界だったのかも。


 ちょうど呼んでいたエレベーターが到着して開いた。中から人が出てくる。


 こんなところで座り込んで、めっちゃハズい。けど、そんなことすら気にならない。


「待ってよ、ちょっと、ウチそんなの……」


 知らんし。


* * *


 さっきのガタイの良い男も撒けたみたいで、ウチとこーたは二人で地元の方へ向かう電車に乗った。


 月曜の放課後からだから、たかだか四日間。なのに、すごく久しぶりに話したみたいで、ウチはめっちゃ喋ってたと思う。


 声が少し大きかったのか、他の乗客に睨まれた気もするけど無視。ただ、こーたが少し恥ずかしそうにしてたから、少しだけ声を落とした。


 拍子抜けしたからなのかな、多分いつも通り話せた気がする。あと、あの女子に囲まれてたやつも理由分かってスッキリしたし。


 結局、こーたが聞かれてたのはケンちゃんの連絡先だったんだって。ケンちゃんは同じ学校の先輩だったらしい。


 あのお弁当箱も、こーたが家に忘れたのをケンちゃんが届けてくれたんだって。ランチクロスがいつもと違ったのは、ケンちゃんがアニメ柄のを持ってくるのが嫌だったかららしい。まあ、ケンちゃんの気持ちも分かるわ。


 ってか、こーたも顔立ちはケンちゃんとそっくりだけどな。まあ、これだけキャラが違ってたら、そりゃこーたにはいかないか。ウケる。


「え、待って。じゃあ、何で二人しておかっぱなの? ケンちゃんに髪型寄せてるってこと? なに、ケンちゃんの真似すればモテると思ったの?」


 ウチがちょっと冷やかすと、こーたは顔を赤くして反論する。


「ち、違います! 僕は小五からずっとこの髪型なんです! ケンちゃんが真似したんです!」


 ここからこーたのオタク全開の言い分。めっちゃ早口で色々話してたけど、結局何かのアニメか漫画のキャラを意識してるって言ってた。正直、ほとんど聞いてなかった。


 じゃあ、こーたが別のキャラに憧れたら、髪型変えんのかな? 例えば、もっと普通の髪型なら、こーたももしかしたらモテるんじゃない? いや、それはウケない。

 

 ただ、ウチが好きで黒ギャルやってるのと一緒で、こーたも好きでその髪型をやってるってのは、何かちょっと嬉しかった。


 気付いたら、ウチの最寄駅の一つ前に着いてた。こーたはその先。今日はここでお別れ。


「鮫島さん、今日はもう遅いんでお家の人に迎えに来てもらってくださいね」


「え、無理」


「無理じゃないですよ……あんな怖い思いもしたんだから、今日くらいは」


「いや、無理なもんは無理。だってウチ一人暮らしだし」


 こーたが目を見開く。あ、そうか。高校生で一人暮らしなんて珍しいよね。

 

 そういえば、さっきメガネ外した時、意外と綺麗な目だったなあ。


「え……そ、そうなんですか……ご、ごめんなさい」


 何で謝ってんの? 意味分かんない。謝んなくていいのに。


 その後、こーたはスマホを取り出して何か一生懸命に連絡してる。ちょっと、もうすぐ降りるんだけど。むしろ、それは謝って。


 車内放送が、ウチの最寄駅を読み上げだした。こーたはまだスマホを見てる。


「こーた! ウチ、降りるから」


「あ、僕も降ります」


「え?」


「だって、鮫島さん一人に出来ないじゃないですか」


「こーた……」


 夕方見たケンちゃんみたいに髪に艶はないかもしんないし。メガネはさっき汗を拭った時に外したせいで、レンズに指紋が付いてるし。ポケットから少し見えてるハンカチのアニメ柄も相変わらずダサい。


 どっからどう見たって、こーたはダサい。


 でも、こーたと話してるのが楽しくて、こーたに握られた腕は少し熱くて、こーたに面と向かって見つめられると何か胸が痛い。


 あ。これってもしかして――


「僕の心配は大丈夫です! さっき家族にも連絡したので!」


 ないわ。やっぱ、何でもない。


 電車から降りてからの時間は、意外と早く過ぎた気がした。ずっと話してたからかな。


 けど、こーたはこーただった。わざわざ送ってくれてるのに、


「近くなったら教えてくださいね。お家知られたくないですもんね?」


 マジ、どこまでもズレてる。


 ウチが住んでるアパートの近くまで着いた。ホント、あっという間だったなあ。


「あ、ここまででいいよ。もう目の前だし」


「そうですか。何もなくて良かったです」


 何でこいつ、ウチにだけこんな堂々としてるんだろう? もしや舐められてる?

 

 いや、多分それがこーたなんだ。


「こーた!」


「はい?」


「ガムありがと。これ、お返しだから!」


 こーたにボトルガムを投げ渡す。こーたはもちろん取り損ねる。


 ボトルガムがコンクリートの上で跳ねて、鈍い音を立てた。


 うん、ダサい。


「でも、ウチもそれ食べるかんね。ちゃんとウチが欲しいって言ったらちょーだいね」


「はい! 嬉しいです、僕、女の子からプレゼント貰うの初めてで……」


 プレゼントじゃねーし。そんな素直に喜ぶなっつーの。

 

 ってか、ウチのことはちゃんと女の子だと思ってるんだ。


「……あっそ。じゃ、また明日」


 ウチはこーたに背を向けたまま、手だけ振る。


「あ、鮫島さん!」


 足音がする。ちょっと駆け足。近づいてくる。


 え、待って。これって、やっぱ。


「明日は土曜日ですよ。学校来てもお休みですからね?」


 近所に配慮してるのか、出来るだけ小さい声でそう言ってくる。


 違うじゃん。そうじゃないじゃん。まあ、それがこーたっぽいんだけど。


 そう思ってたのに。


「あと、これ……この間たまたま見つけたガチャガチャで当てたんで。良かったら……」


 キーホルダー。ラブカ。ウチと同じ名前の深海魚。


 ――初めて、こーたにもらったプレゼント。


「じゃ、じゃあ! お休みなさい!」


 こーたはそれを押し付けるみたいに渡して、背を向けて走って帰っちゃった。


 ホント、もう。


「……知らんし」

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