招かれざる客の予感
雪乃から一通り世界地理を教わった後も、晴奈は彼女から旅の思い出を面白おかしく聞かされていた。
「それでね、その二人、最初は本当に仲が悪かったんだけど、一緒に商売するってなってから、不思議と仲良くなっちゃって。わたしも色々手伝ったり、闘技場に出る時には手助けしてもらったり……」
と――そこまで楽しそうに話していた雪乃が一転、神妙な顔になる。
「……ふむ」
「師匠? どうされたのです?」
尋ねた晴奈に、雪乃は腕を組み思案する様子を見せながら、ぽつりぽつりと答える。
「えーとね……その闘技場のことなんだけど――詳しい話はざっくり省くけど――最後の最後、一番大きな大会の最終戦で戦った相手がいたのね。熊獣人だったんだけどね、そいつ」
基本的に柊雪乃と言う女性は口調も物腰も柔らかく、人を誹るような言動は、彼女の口からはまず出てこない。そんな彼女が人を「そいつ」呼ばわりするのを聞いて、晴奈の猫耳がぴょんと立った。
「そいつ、ですか」
「ええ、そいつ。あんまり人のことは悪く言いたくはないんだけど、そいつだけは別なの。わたしが今まで出会った中で、一番の……一番、悪くて嫌な奴なのね」
「そ、そんなに?」
「ええ。今思い出しても怖気が走るし、思い出さざるを得ない。何故ならそいつ、こっちにやってくることが度々あったから」
「え?」
話している間に、雪乃は壁に掛けていた刀を手に取り、手入れを始めた。
「わたしがそいつと初めて戦ったのが5年ほど前なんだけど、それから2回、紅蓮塞まで押しかけてきたことがあるの。4年半前と、4年前に。で、その半年後にもまた来るかと警戒して長めの旅に出て――その旅の終わりで晴奈と会ったんだけど――旅に出てた間、同門の皆に結構な迷惑をかけたらしいのよね。
で、その時は結局3ヶ月居座った挙げ句、いつまで経ってもわたしが戻ってこないからしびれを切らして帰ったらしいんだけど、その時言ってたらしいのよね。『俺様をこんなに待たせたんだから、俺様だってあいつを3年待たせてやる』って。わたし、ちっとも待ってないのに」
「3年? ……と言うと、もしや?」
「そう、晴奈と会ったのが2年前でしょ? その1年前の7月から9月くらいまであいつ、待ってたらしいの。で、今は6月でしょ?」
「となると……来月に?」
「可能性大ね。あわよくば3年の間に、別のところに興味が移ってくれてたらいいんだけど……相当根に持ってるでしょうし、多分そんなことは起こらないわね」
雪乃は刀を手入れし終え、壁に掛け直す。と同時に木刀をつかみ、晴奈に振り返った。
「いつ来るか分からないから、これからしばらくは、ある程度実戦に向けた鍛錬を重ねておきたいわね。晴奈、しばらく相手になってくれるかしら?」
ひょんなことから自分が望んでいた実戦向けの鍛錬の話になり、晴奈は一瞬、笑みをこぼしかける。が――前回の戦いの後、かなり絞られたこともあって――表情を変えぬよう気を払いながら、「是非」と答えた。
意気揚々と答えたものの――晴奈が思っていたより、雪乃の「実戦向けの鍛錬」は苛烈なものだった。
「それッ!」「う……っ」
一太刀目はかわせても、二太刀目が肩を打つ。一太刀目を凌ぎ、二太刀目を避けても、三太刀目の切先が首にぴたりと当たる。
「もっと気合いを入れなさい、晴奈!」
「はっ、はい!」
改めて晴奈は、自分の技量がまだまだ手練に及ばないこと、そして先の戦いで自分が活躍できたのは、結局「たまたま」程度の幸運でしかなかったことを痛感した。
(あの時は激情に身を任せ、無我夢中で刀を振るっていたからこそ、気迫で三下共を退けられたに過ぎぬ。それに比べて、今の体たらくはどうだ! 本物の剣士に一太刀浴びせるどころか、まともに受けることすらままならぬ!)
「もう一度! しっかり立つ!」
「はい!」
鍛錬を始めて10分も経たない内に、晴奈は全身にびっしょりと汗をかき、足を震わせてしまっている。一方の雪乃は、まだ道着に汗染み一つ無い。
(何が『過酷な環境に身を置くべきでは』だ! これが実戦なら、とうに10回、20回は死んでいるぞ!? この身の程知らずめ、黄晴奈!)
結局この日は夕暮れになって、ようやく鍛錬が終わったが――晴奈は一欠片も絞り出す体力が無いほど疲労困憊となり、夕飯すら忘れて昏々と、眠りに就いてしまった。




