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くすぶる思いとふわふわ毛玉

 黒炎教団との戦いと実家の悲報で気を落としていた晴奈だったが、それでも時間は進み、日々は続くものである。1ヶ月、2ヶ月と経つ内、既に周囲は日常を取り戻しており、わざわざこの塞で黒炎教を話題に挙げる者など、もうどこにもいない。

(温泉街にももう客が戻って久しい、か)

 晴奈一人がどこか取り残されたように、沈んだ気持ちを未だ引きずっていた。

(次に備えるべく鍛錬に打ち込んで……はいるものの)

 その()がいつ、どんな規模で来るか――つまりあの憎きウィルバー・ウィルソンが自分の前に、本当に再び現れるのかも――まったくの不確定・不明瞭であるため、何をどう、どのように打ち込んでいればいいのか、目的が定まらない。

(今のところ基礎を繰り返すばかり……いや、基礎が大事であることは百も承知しているところだし、師匠からも基礎をぬかることなきよう、何度も言われていることだ。……しかし)

 日用品の買い出しに一人、塞の城下町とも言うべき温泉街に出ていた晴奈は――かつて故郷でくすぶっていた頃のように――心の中でぶつぶつと、文句とも不満とも取れない思いを渦巻かせていた。

(打ち込めば打ち込むほど、あの時の――戦いの時に得かけた鋭利な感覚が、ぼやけていく気がする。無難と穏当にごまかされて、あの研ぎ澄まされるような、そして熱々と煮えたぎったあの感覚が、もう取り戻せないのではと危惧(きぐ)するほどに、冷え切ってしまうような気がする。

 私は助けに行くのではないのか? 明奈を助けに、仇敵の巣窟たる黒鳥宮に乗り込もうと決意したのではないのか? その決意を、こんな刺激も高揚も無い、ぼんやりした日々で溶かしていってしまって、本当に良しとするのか? もっと感覚を研ぎ澄ませるべく、様々な手練や猛者を次々相手にし続けるような、過酷な環境に身を置くべきではないのか?)

 いささか過激とも取れる思考ではあったが、若い晴奈にはその偏った考え方がどこか、絶対的正義のようにも思えていた。


 その危なげな思考が、通りの角を曲がったところで突然、ふわりと撫で消されてしまった。彼女の視界に、真っ白でふわふわな()()が映ったからである。

「えっ、かわっ……」

 思わず、晴奈は声を上げる。

「はい?」

 と、毛玉がくるんと隠れ、代わりに長い耳を持った女性が現れた。

「あの、何か?」

 その毛玉の持ち主は硬直した晴奈を見上げ、首をかしげている。

「あ、いえ、何でも」

「はあ」

 女性はもう一度首をかしげたが、そのまま晴奈の横を通り過ぎる。一人、その場に残った晴奈は、そっと振り返ってもう一度、女性の尻尾であるらしい腰の毛玉を眺めていた。

「……か、かわいい。……はっ!?」

 あれだけ殺伐としていた頭の中が、一瞬で年相応の少女に戻されてしまった。




 塞に戻った晴奈はたまらず雪乃の部屋を訪ね、こう切り出していた。

「あの、変なことを聞くようなのですが、師匠。伺いたいことが一点ございまして」

「変なこと? あんまり変なこと聞いちゃダメよ。答えにくいわ」

「い、いやいや! 変と申しますか、私の疑問の話でございまして」

「何かしら。わたしの髪の色とか? ちょっと緑色入ってるものね」

「何を仰いますか! 師匠の御髪(おぐし)は色濃い碧玉(へきぎょく)を思わせるような、美しい色合いでございます! ……そうではなくて!」

 晴奈は顔を赤くしつつ、どうにか言葉をひねり出した。

「あのですね、恥ずかしながら私は、あまり世俗に詳しくありません。ですのでこんな質問をしては、笑われてしまうかも知れないのですが」

「今の今までいっぱい笑わせてもらったけれど」

 クスクス笑う師匠に、晴奈はいよいよ顔を真っ赤にする。

「茶々を入れないで下さい! ……と、ともかくですね。その……もしや世の中には、兎の耳と尻尾を持つ獣人の方がいらっしゃったりするのでしょうか?」

「いるわね。そう言えば買い出し行ってたのよね。街で会ったの?」

「え、ええ。通りですれ違いまして」

「西方からの観光客かしら。中央ではあんまり見かけない人たちだし」

「せいほう……ちゅう、おう……?」

 きょとんとする晴奈を見て、雪乃は首をかしげた。

「あなた地理には疎い方なのかしら」

「恥ずかしながら、学問と言えば塞の古書・古典を読むばかりでして。算術や科学にもとんと疎く……」

「なるほどね。……そうね、今日の精神修練の代わりにでも、地理のお勉強をしてみましょうか」

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