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6話

水路の音が近い。浅層第三区のさらに奥、壁面の苔は緑から褐へと色を変え、ところどころに薄い赤が混じっていた。

「臭いが濃いな」ガルドが鼻を鳴らす。「だが足場は悪くねえ」

「滑りやすい石は白く曇る。踏むなら端」セリナが矢羽根で床を指す。

「了解」カイルが大剣を少し持ち上げた。刃先は昨日より静かだ。呼吸も整っている。


(二息遅いのは相変わらず。だが間合いの測り方は改善。肩と肘の連動、悪くない)


水面を渡る風をひとつだけ動かす。匂いの層がほどけ、油の気配が残った。

「……樹脂系の油」

「道具の保護?」リィナが囁く。

「あるいは封止。湿気に弱い素材を持ち込んだなら」

シュナイダーが小瓶を取り出し、床の薄い虹をすくう。「香の残りと同系統。だが精度が上がっている」


曲がり角の先で、鼠型が三。普通より大きいが、動きはぎこちない。

「やる」オルフェンが一歩出る。大剣が水平に走り、三体は等しい断面になって床に落ちた。

「次」

天井から黒い塊。犬型が二。カイルが半歩下がって受け、刃を返して一体、柄で顎を打ってもう一体。

「よし」ガルドが親指を立てる。


(まだ浅層。苦戦の要素はない。問題は、浅層にしては“整い過ぎている”こと)


壁列に刻みが見つかった。短い線と点。ずっと昔に付いたようでいて、新しい。

「古文の真似事だが、文にはなっていない」セリナが首を傾げる。

「目印なら、誰かに向けた誘導」俺は指を動かし、粉塵を払った。

刻みの脇に薄い煤。灯りを置いた痕跡。人の手。


「副団長、これ」リィナが拾い上げたのは金属片。硬度の高い灰青色。

「深層素材だ」オルフェンが目を細める。「浅層で拾える代物じゃない」

「……持ち込みか、逆流か」

(逆流なら、コア側の呼吸が乱れている。持ち込みなら、誰かが“実験”している)


「来る」

指を二つ動かす。風が背後を掃き、石の陰から大鼠が四。前に出るより先に、俺は指をほんの少しひねった。

圧縮した空気が音もなく弾け、四体とも壁に貼りついて動かなくなる。

「助かります!」カイルが頭を下げる。

「今のは俺の練習」

「え」

「気にするな」


水路が広がり、橋のない跨ぎ場に出た。流れは鈍いが、底が見えない。

「飛ぶ?」ガルドが問う。

「渡る」俺は手袋の上から指輪を軽く叩く。風が板の形に固まり、水面すれすれに橋を作った。

「便利ね」セリナが矢を番えたまま渡り、反対側の通路に目を走らせる。

「見張りは?」

「なし。匂いの線は右。音は……小さく鳴ってる」

「笛か」オルフェンの声が低くなる。


右の通路は背丈の低い穴が続き、獣の往来で土が磨かれていた。

シュナイダーが前、俺がすぐ後ろ。息を潜めて十歩、音の主は見つかった。

石柱の陰に小さな笛。糸で固定され、風が通るたび入口の狭窄で低く鳴る仕掛け。

「自動鳴子」シュナイダーが糸を切る。「人がいなくても群れが寄る」

「素材は木と骨、樹脂で封。昨日の手口の改良版」俺は指を滑らせ、封の匂いを記憶に刻む。


(これは誘導のテスト段階。浅層で成功率を見てから、中層へ広げるつもり)


戻る途中、通路の継ぎ目に違和感があった。

石の目が途中で変わる。古い道に新しい石が食い込んでいる。

「継ぎ足してる」オルフェンが壁を叩く。「誰だよ、こんなところで工事なんか」

「工事なら許可が要る。管理棟は聞いてないはず」リィナが眉をひそめる。

「つまり無断。……隠す意図がある」

「隠すなら、中身が要る」ガルドが拳を鳴らした。


俺は指を鳴らした。石の隙間に眠っていた空気が膨らみ、細い継ぎ目を通って埃が吹き出す。

埃は黒く、きらりと光る細片を含んでいた。

「金属粉」シュナイダーが目を細める。「しかも深層金属」

「やっぱり持ち込んでる」セリナが言う。「誰かが浅層で深層の条件を再現してる」


(ダンジョンはコアの周りに世界を組む。そこに違う素材を混ぜれば、呼吸は歪む。

浅層の揺れは、意図的に作られた小さな波)


前方で水路が二手に分かれ、左は明るく、右は暗い。

「右」俺は即答した。

「理由を」オルフェン。

「匂いの層が薄い。誰かが通るたび、風で匂いを掃いてる。隠したいものはだいたいこっち」

「了解。三列で行く。前衛は俺とガルド、中段にライネルとカイル、後衛がセリナとリィナ。シュナイダーは影」

「視認」


暗い通路は低く狭く、肩幅ぎりぎりのところが続いた。壁に爪痕。深さにばらつきがある。

「複数種」セリナが囁く。「自然には集まらない組み合わせ」

「寄せてる」俺は答える。


小部屋で、狼型と蜥蜴型が同時に飛び出した。

ガルドの左、オルフェンの右。互い違いに一手で落ちる。

遅れて突っ込んだ蜥蜴型の尾がカイルの膝を狙い、俺は指先で風を斜めに当てた。尾が滑って壁を打ち、カイルの刃がきれいに通る。

「今の角度、覚えろ」

「はい!」


(苦戦ではない。ただ、統率の匂いが消えない。浅層でこの滑らかさは異様)


さらに奥。床が急に乾く。湿りが途切れた境界で、白い粉が線になっていた。

「……焼石粉?」リィナが膝をつく。「湿気を吸わせて道を保つための」

「搬送路」俺は線の先を見やる。「重いものを運ぶ時に使う」

「やっぱり、工事してる連中がいる」オルフェンが唸る。


角の先、小さな倉のような空間。木箱、麻袋、金属片、骨片。どれも浅層で見るには不自然な質。

箱の中に、符号が刻まれた骨笛が数本。一本ずつ刻印が違う。

「識別符。……個体を分けて使い分けてる」シュナイダーが笛を回す。

「コア偽化の進行度合いに合わせて、音が変化するよう調律されている可能性」俺は一本を鼻先に寄せる。匂いは薄いが、樹脂が新しい。

「誰かが今も……ここに出入りしている」セリナが矢を引いた。


その時、通路の奥から複数の足音。速い。数は——

「十六」俺は指を二本立てる。

「やるか」ガルドが笑い、オルフェンが大剣を肩に担ぎ直す。

「短期決戦。被害ゼロで散らす」俺は言う。


先頭の一体が曲がり角を抜けた瞬間、セリナの矢が目を貫く。

連続で二、三、四。矢羽根が風を裂き、通路の列を寸断する。

右手の影がふくらみ、シュナイダーが一呼吸で二つの喉を落とす。

ガルドの拳が踏み込み一歩で骨を粉砕し、オルフェンの刃が四体をまとめて薄くした。

カイルは前へ出すぎず、来た順に斬り捨て、足元を乱さない。

俺は指を軽く振り、風で匂いと血飛沫を押し返す。視界は常に良好。


「終わり」リィナの声と同時に、負傷はゼロ。床に残ったのは、加工された魔力炉の破片。

「……やっぱりいじってある」リィナが顔をしかめる。

「刻印がある。浅層でこんな細工、普通はやらない」セリナ。


(確認完了。浅層の異常は“供給された部品”による。作り手は、深層素材にアクセスできる誰か)


倉から道具を最小限だけ押収して退く。痕跡の保存を最優先に、触る順序を決める。

「管理棟へ証拠提出、帰還後に報告。明日以降は通常通り、パーティー単位の調査に切り替え」オルフェンが締める。

「了解」

「了解」

「視認」


帰り道、水路の反響が鈍くなった。潮の満ち引きみたいに、地下が少しだけ息を吐く。

(深層の呼吸がまた速くなった。浅層はまだ表皮だ。痛みは浅いが、熱は深い)


「副団長」カイルが並ぶ。「今日、俺、どうでしたか」

「一息遅い」

「……はい」

「でも昨日よりいい。膝の抜きも、刃の返しも」

「ありがとうございます! 次は——」

「次は考える前に一歩引け。それで前に出られる」

「……はい!」


地上へ向かう階段が見えた。冷たい風。上には朝の気配。

役人の姿が扉の影に見える。俺たちが七人そろって戻るのを見て、胸を撫で下ろす気配が伝わった。


(今日はここまで。浅層は十分。次からは各クラン、各パーティーで網をかける。幹部全員が揃うのは——緊急時だけでいい)


指輪を一度なぞり、手袋を締め直す。風はおとなしい。腹は——空いてきた。

まぁいいか。今日の夜ご飯は、温かいスープと、硬いパンで十分だ。



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