その三十四
賊はわたくしたちをいつまでもこの部屋に閉じ込めておかないだろう。
いずれ隣国へ連れて行こうとするはずだ。
隣国で奴隷として買われたら、さらわれた違法な奴隷か、過去からの奴隷かを証明できず、手遅れになってしまう。
なんとかそれまでにこの部屋を脱出しなければ……。
閉じ込められている部屋を照らすのは、扉と床の隙間から入ってくる廊下の光だけ。
それでも暗闇に目が慣れて、辺りの様子が少しは分かる。
窓は木の板が打ち付けられて塞がれているけど、工具があれば外せるかもしれない。
担がれて連れてこられたときに階段を上がっていない。
ここはおそらく一階。
一階の窓なら、打ちつけられた板を外せれば逃げられるかもしれない。
扉は廊下に繋がるこれひとつだけ。
窓の板を外す工具がなければ、この扉から出るしかなさそうだ。
どちらにしろ、手足が縛られたままで脱出などできそうにない。
せめて縛っている縄が解ければ……。
静かでしんとした室内に耳を澄ますと、チュウチュウとネズミらしき鳴き声が聞こえた。
ディアナ様にも聞こえたのか、わたくしと顔を見合わせると、何か思いついたのか小さくうなずく。
わたくしにもすぐピンときた。
ネズミとお話して、手足の縄をかじってと頼むのですよね?
ディアナ様にうなずき返す。
口布をされていても、魔法の力でネズミと会話ができるかもしれない。
通訳魔法を発動すると、辺りにピンク色の輝きが広がった。
早速、暗闇に潜むネズミに呼びかける。
『あの、ネズミさん』
『なんだ? 誰がしゃべったんだ?』
『ま、まさか人間がしゃべってんのか?』
口布があっても、なぜか声が出せて無事にネズミと会話ができた。
よし、上手くいったわ!
どうやら二匹いるみたい。
頼んで手足の縄を外してもらえば、窓から逃げられるかもしれない!
でも確かに会話はできたけど……想像とは違ってネズミは非常に感じが悪かった。
『助けてください!』
『助ける?』
『なんで?』
『悪い人に捕まって動けないのです』
『あんた、同族に捕まったのか? マヌケだな』
『あはは。バカな奴だ』
『お願いです。歯で縄を切ってもらえませんか?』
『誰が人間なんか助けるか!』
『人間は敵だ!』
『そんな……』
こちらの困った状況を散々笑ったあげく、助けて欲しいと頼んだら冷たく断られてしまった。
通訳魔法はあくまで意思の疎通ができるだけ。
仲間になれる訳ではなかった。
普段人間はネズミを駆除しようするのに、困ったときだけ助けて欲しいなんて聞けないと言われてしまった。
『今後、ネズミさんを大切にしますから!』
『いつも人に命を狙われてんのに信じられるか!』
『あんたが心を入れ替えても、ほかの人間は俺たちを殺そうとするだろうが!』
『そ、そんなことを言わずに!』
『腹が減った。飯でも食いに行こうぜ』
『そろそろレストランのゴミが出る時間だ。じゃあな、人間~』
それきり、いくら呼びかけてもネズミからの返事はなくなった。
もう気配もしない。
落胆するわたくしをディアナ様が見つめて、上手くいかなかったと分かったのか、悲しそうに目をつむる。
一縷の望みが絶たれてしまった。
通訳魔法で事態を打開できそうだと期待したけど、その希望は儚く散った。
もう打てる手が思いつかない。
……いよいよ駄目かもしれません。
期待した分だけ落胆が大きくて、部屋の暗さがより不安な思いに拍車をかける。
絶望で心が押しつぶされそうだ。
あれこれ考えるのをやめて目をつむる。
ごめんなさい、お義兄様。
最後に仲直りしたかったです……。
もう駄目だと心が折れかけたとき、背後に人の気配を感じた。
それもハッキリと。
ディアナ様はわたくしと同じように手足を縛られて隣に座っている。
この部屋にはわたくしと彼女しか閉じ込められていない。
ならば、背後に感じるこの気配は誰なのか。
ディアナ様は何も感じていないようで、静かに扉を見つめている。
わたしくしの思い過ごし?
いや違う。
確かに感じるのだ。
怖さではない、懐かしい感じの気配を。
ゆっくりと身をよじり、首を後ろへ向ける。
男性が立っていた。
ここは数時間前からディアナ様とふたりで監禁されている暗い部屋。
絶対ほかに誰もいなかった。
だけどいま、背後に男性の姿が見える。
一瞬ぎょっとしたが、相手の顔を見て自然と表情が緩んでいく。
本来なら叫び声をあげて錯乱する状況だが、そうはならなかった。
とても懐かしいものが込み上げてくる。
わたくしはこの男性を知っている。
ずっと会いたかった人。
急に会えなくなって寂しくて、お馬から聞いた不幸の惨状に心を痛めた。
お父様っ!
わたくしは、自分の背後に亡きお父様の姿を見ていた。
お父様の姿は半分透けていて幻のように感じる。
とうとう絶望のあまり正常心は失われたみたい。
お父様の幻覚を見るなんて。
それでも嬉しかった。
幻覚が相手でも「お父様」と呼びたかった。
でも、口布をしているので声は出せない。
だけどわたくしには手段がある。
お馬やねずみと会話ができたのだ。
通訳魔法を使えば幻覚が相手でも、気持ちを伝えられるかもしれない。
もう一度、通訳魔法を発動させた。
辺りにピンク色の輝きが広がる。
『お父様……』
『シャルロッテ』
懐かしいお父様の声が聞けて、胸がいっぱいになる。
感極まって自然と涙が流れた。
『お父様、お父様……お父様っ!』
縛られて動けないわたくしを、お父様がそっと抱きしめてくれる。
『幻覚でもお会いできて嬉しいです』
『幻覚? いや幻覚ではないよ』
幻覚のお父様が、幻覚ではないと否定する。
きっとわたくしが幻覚ではないと思いたいのだ。
『大丈夫です。幻覚だと理解していますから』
『いまの私はシャルロッテの空想ではない。ちゃんとここにいる』
『まさか。だってお父様は賊に殺されましたもの。お父様がここにいるはずないです』
『実体はないが、霊体としてここにいるんだ』
『霊体? 幻覚ではなくて?』
『ああ、霊体だ。俗にいう幽霊というやつだな』
幽霊?
この透明なお父様は幽霊なのですか?
わたくしがぼう然としていると、横に座るディアナ様が大きく体をビクつかせた。
『え? 人⁉ す、透けて……ぎ、ぎゃああああーー!』
お父様に気づいたディアナ様が、口布のまま錯乱したように大声あげる。
それから彼女を落ち着かせて静かにさせるのにしばらくかかった。
お父様が近づけば余計に怖がるし、わたくしは口布で事情を話せないので、恐怖に震える彼女を身振り手振りで安心させるのは大変だった。




