その三十二
査察官たちの屋敷捜索は大詰めを迎えているらしい。
調査は今日が最終日で、護衛のユーリアスお義兄様は現場を離れるわけにいかないそうだ。
昼食をホテルのレストランで食べていると「急に代官が抵抗して調査が遅れぎみなので泊まり込む」とヘンリー様が伝えに来てくれた。
「夕食のときにちゃんと説明して仲直りしようと思っていましたのに」
今夜は帰らないと聞いて思わず口に出てしまった。
すると珍しくデイジーが口を開く。
「なら夜は三人で食べますか?」
初めて誘われた。
いつもは夕方で別れるから一緒に夕食を食べたことはない。
ディアナ様とふたりだけでは寂しいだろうとの、彼女なりの気遣いかもしれない。
「いいですね。明日から護衛はお義兄様なので、デイジーの護衛も今日が最後ですし」
「でも夕食もまたこのホテルですよね。危ないから」
ディアナ様が心配するとデイジーが眉を寄せる。
「はあ? ここに護衛がいるでしょ。腕を信用してないの?」
「え、あ、信用してないとかじゃないの」
デイジーが不機嫌そうにしたのでディアナ様が慌てた。
「まあまあ、では少しだけおしゃれして出かけましょう」
今夜は女子三人での夕食になった。
治安がよくないので、暗くなる夕方以降はホテルから出ないようにしていた。
だけど、今日でデイジーの護衛も最後。
ホテルのレストランも正直そろそろ飽きてきたところだし。
せっかくだからウォルタナの郷土料理を食べることにした。
昔にお父様と行った名物料理を味わえる名店が、このホテルの近くにあるのだ。
お義兄様を誤解させたことで落ち込んだ気分を回復させたくて、街歩き用のドレスに着替えて歩いて店を訪れた。
ちなみにデイジーとは一旦別れたけど結局メイド服のままでやってきた。
久しぶりにお洒落をして街を歩き、親しい友人と美味しい料理を食べた。
お陰であっという間に時間が過ぎる。
お義兄様とのことで落ち込んでいたけど、少し気分を晴らすことができた。
しかし、それが最悪の事態を招いてしまう。
帰り道で賊に襲われてしまったのだ。
相手は刃物を持った男ふたり。
ひとりは物凄い大男だ。
すれ違いざまに大男からナイフを首へ当てられる。
「声をあげたら喉を切って殺す」
「黙ってこっちへ来やがれ」
声を出すなと言われても、あまりに突然のことで声なんか出ない。
脅されて裏路地へ連れて行かれると、手際よく口に布を噛まされて縛られた。
「高値で売れそうだから、顔は殴るなよ」
「近くで見ると想像以上に上玉ですぜ」
ディアナ様も横で縛られている。
必死に護衛のデイジーを探すと大男たちの後ろにいた。
彼女が捕まらずにすんでほっとしたがどうも様子がおかしい。
立ち向かう訳でもなく逃げる訳でもない。
ただじっと立っているのだ。
「ん゛ー! んん゛ーー!」
デイジーに助けてと唸り声をあげると大男にパンと頬をはたかれた。
「オイ! 声を出すなと言ってんだろが。あまり面倒をかけると、売るのをやめていますぐ裸に剥くぞ!」
「やった! じゃあ俺はこの娘にしますわ!」
男たちが下種な笑みを浮かべると、彼らの後ろからデイジーが声をあげる。
「ねえ、そういうのあたしの前でやんないでよ。それに手垢がついたら高値で売れなくなるんでしょ。やめとけば?」
彼女が不機嫌そうに吐き捨てた。
「うるせえ。脅しで言っただけだ。奴隷が偉そうに口出すな。てめえはさっさと俺らに借りた金を返しやがれ。まあ弟が不治の病じゃ借金が増えるだけだろうがな」
「人さらいの片棒なんか担がせやがって。ちくしょう」
わたくしたちは人さらいにあったのだ。
しかもデイジーが人さらいとグル。
というか彼女は借金奴隷のようで強制されている?
事態が飲み込めてくると、脚が震えて立っていられなくなった。
さ、逆らえば、殺されてしまう……。
恐怖で体が縮こまる。
ふたりとも早めに抵抗をやめたので、それ以降あまり乱暴されることはなかった。
裏路地を担がれて古い家の暗い部屋に運ばれる。
ドレス姿のままで足首を縛られ、手を前側で縛られて床にころがされた。
きつく口布をされているので声も出せない。
部屋に灯りはなく、暗くてじめじめとした淀んだ空気が漂っていた。
少しだけ部屋の様子が見えるのは、扉の建付けが悪くて床との隙間から廊下の光が入ってくるからだ。
暗闇に目が慣れてくると、無残にも手足を縛られて床に座るディアナ様が見えた。
「ううっ……」
ディアナ様がわたくしを見つめて涙を零す。
貴族令嬢がドレスのままで、細い手と足を縛られている姿はあまりに痛々しかった。
なんて、なんてお可哀そうな姿に……。
わたくしのためにウォルタナ領まで来てくれたディアナ様。
大切な友人の命を危険にさらしている。
いや危険どころか、賊の機嫌を損ねれば、いますぐにでも殺されるかもしれない。
命が助かっても、人買いに売られて奴隷落ち。
貴族令嬢として育った私たちが、生きるのもつらいような恥辱にまみれた一生を過ごすことになるかもしれない。
ごめんなさい、ディアナ様。
わたくしがデイジーを信じたばっかりに。
彼女に申し訳なくて、わたくしの目からも涙が零れた。
そのまま一時間以上経ったと思う。
ディアナ様は恐怖でずっと泣いていたが、少し前に泣き疲れて眠ってしまった。
わたくしの涙はとまっていたけど、それでも後悔と謝罪ばかりが頭をめぐる。
お父様に続いてわたくしまでいなくなったら、お母様を悲しませてしまう。
せっかくお母様が頑張れとウォルタナへ送り出してくださったのに、もう会えなくなってしまった。
迷惑かけてごめんなさい。
お母様にもう一度、甘えたかったです。
それに、ユーリアスお義兄様とも会えなくなってしまう。
いずれサンドラ様と結婚して、会えなくなるのは覚悟していた。
でも、愛する彼との別れがこんなに酷いものになるとは。
こんなことなら、あのときすぐお義兄様を追いかけて誤解を解いておけばよかった。
さようなら、お義兄様……。
心の整理をつけて現状を受け入れようとするほど、彼の顔が浮かんでくる。
……やだ、やっぱりいや。
まだユーリアスお義兄様とお別れしたくない。
どうにかしてお義兄様とまたお逢いしたい。
勘違いをさせて気まずく別れてしまったけど、ちゃんとお義兄様に謝って仲直りしたい。
もう一度彼に逢いたい。
その強い想いが、この状況でも諦めたくないという気持ちへと変換されていく。
まだ諦めたくない。
足掻けるだけ足掻いてみよう。
さっきデイジーがこっそりやってきて、拾った眼鏡を目の前に置いてくれた。
腕を前で縛られているので眼鏡くらいなら掛けられる。
これがあれば交渉でも何でも腹を括ってできる。
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