その二十二
ユーリアスお義兄様はいずれ誰かと結婚する。
それは理解していたつもり。
だけど、互いの気持ちが相愛だと確認できてすぐなのは……やはりつらくて。
その相手がよりにもよって、あのサンドラ様だなんて酷いにもほどがある。
彼女は一体、どこまでわたくしから奪えば気がすむというの?
座っていたベッドへ横向きに倒れ込むと、声を出して泣いた。
夕食の時刻になったけど、食事などとても喉を通る気がしない。
メイドに夕食はいらないと伝えて、そのまま部屋に引き籠った。
泣きつかれて眠りかけたころにお母様が部屋を訪れたので、扉を少し開けて謝る。
「お母様ごめんなさい。目も腫れているので、明日でもいいでしょうか」
「可哀そうなシャルロッテ。でもどうしても、いまお話させて欲しいの」
今日はもう誰とも会わないつもりでいたけど、お母様から大切な話だと言われて部屋へ招き入れる。
一緒に横長のソファに座った。
「シャルロッテ。私はあなたに負けて欲しくないわ」
「え? あの、お母様、それって」
いつもの穏やかなお母様にはない、強い想いを感じた。
「あなたには愛する人と幸せになって欲しい」
「で、でもお母様。わたくしの好きな人って……」
「知っています。ユーリアスでしょう?」
「な、なぜ知っているのですか?」
「それは母親ですもの。分かりますよ」
「そうですか……。でしたら、無理だと分かりますよね」
何のつもりでそんなことを言うの?
ひとしきり泣いてやっと落ち着いたのに、また悲しみが込み上げてくる。
婚約に出された条件を知っているはずなのに、それでもお母様は引かない。
「シャルロッテ、諦めないで。あなたならきっと大丈夫です」
「でもお義兄様は打つ手がないと!」
「愛は尊いもの。お互いが想い合っていれば、誰にもその仲を引き裂けはしない」
「気持ちだけでは……どうにもならないのです」
小さな声で訴えると、横に座るお母様がわたくしを抱きしめた。
「あなたが幼いころ、この街で迷子になったのを覚えているかしら?」
「はい、少しだけ」
ユーリアスお義兄様に教えていただいて、少しだけ思い出した。
でも四才のときの記憶はおぼろげで、雰囲気しか覚えていない。
「あのとき長いお説教が終わってから、最後にあなたが言った言葉を覚えている?」
「いえ、記憶がおぼろげで何かを言ったとしか」
「あなたはね、みんながいる前で宣言したのよ」
「宣言ですか?」
「そうよ。腰に手を当ててね」
「あの、四才のわたくしは何て言ったのですか?」
お母様は立ち上がると、ソファに座るわたくしの正面に立って腰に手を当てた。
「わたくしはユーリアスお義兄様と結婚します!」
そう言って、お母様は笑みを浮かべた。
「は? 結婚? え⁉ ええーーっ! ほ、本当ですか⁉」
「本当よ」
一体なぜ、そんなことを言ったのだろう。
当時四才のわたくしに、いまのようなお義兄様への気持ちはないはずなのに。
「ユーリアスはね、そのことを覚えているのよ」
もしかしたらそれで、再会してからずっとお義兄様が優しかったのかもしれない。
お母様はうっとりして続ける。
「だからね、ユーリアスはいくら申し入れがあっても婚約しないでいたの」
「そ、それってまさか、わたくしと婚約するためですか?」
お母様が笑顔でうなずく。
「あのとき、その場にいた大人は誰も反対しなかった。貴族ならたとえ子供の言葉でも、大人がいればすぐに修正するもの。でも誰も修正しなかったわ」
「あの……その結婚宣言はもしや家族公認、なのですか?」
「そうよ。だからね、シャルロッテ。負けないで! 婚約の申し入れはあなたが先なの。気持ちを強く持って!」
「でも、サンドラ様の条件が」
気持ちの問題ではないのだと訴えたら、お母様はゆっくり首を横に振った。
「お父様はね、条件回避を諦めていないそうよ。だから、婚約までに一か月の猶予を取りつけたんですって」
「どうにかなるのですか?」
「分からないわ。可能性は低いけど交渉してみるって」
お母様はヒザを突いてかがむと、わたくしの手を握ってくれる。
「私たちは諦めていない。だからあなたも好きな人との結婚を諦めないで」
「わたくしだって諦めたくないです」
「ならば貴族の娘として、結婚の覚悟を決めなくてはね」
「覚悟ですか?」
お母様の言う覚悟。
それが貴族家に嫁ぐ覚悟を指すのは、わたくしにも理解できる。
「結婚して新しい人生をスタートさせる。ならばつらい過去を乗り越えて、気持ちに整理をつけなくてはいけないわ」
「つらい過去を乗り越えて、気持ちに整理をつける……」
「これまでのように、いつまでも悲しみに暮れては駄目よ」
「……お母様」
これまで以上に優しく励ますように聞かれる。
「乗り越えられる?」
「はい、きっと、きっと乗り越えます」
お母様は最後に「頑張って」と言い残して、部屋を出て行った。
好きな人を諦めたくない。
さっきまでとはすっかり気持ちが変わっていた。
そして決意が口から漏れる。
「つらい過去を……そしてサンドラ様を乗り越える!」
わたくしは泣いてはいられないと気を引き締めた。
まずはウォルタナへ行く。
事故の真相を自分の目で確かめて、過去に整理をつけなくてはいけない。
そしてウォルタナの屋敷を出る際に植えつけられた、サンドラ様に対するトラウマを克服する、そう心に誓った。




