その十九
ユーリアスお義兄様に抱きしめられて、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。
離れたくない。
もう少しこのままでいたかったけど、抱き合うのを誰かに見られたくはなかった。
それに破かれた胸元を隠すためにお義兄様の騎士の上着を借りている。
ドレスの上から白い騎士団の上着を羽織っていれば否が応でも目立ってしまう。
せめて自分たちの馬車を探して客車に入りたい。
お義兄様の抱擁から離れて辺りを見回す。
周りにはたくさんの馬車が停められていて、視界がお馬と客車にさえぎられ、バーナント家の馬車がどこにあるか見つからない。
それにパーティへ来てすぐ帰ることになったので、当然馬車の出発準備はまだだ。
御者たちはどこかで休憩しているようで近くにはいない。
誰か通らないかきょろきょろしているとちょうど他家の御者がひとり通りかかった。
ユーリアスお義兄様が声をかけてくれる。
「すまないが、御者たちがどこで休憩しているか教えてくれないか?」
「俺……御者……待機」
どうも異国出身者のようで簡単な単語しか分からないらしい。
「困った。うちの御者がどこにいるか知りたいんだが」
「お義兄様。わたくしの魔法で聞いてみましょう」
通訳魔法を発動させると、辺りにピンク色の魔力の輝きが広がる。
『休憩中のところすみません』
『え? お貴族様はオラの国の言葉が分かるだか?」
『ええ。分かりますよ。あの、ほかの御者たちはどこにいるのか知っていますか?』
『嬉しいなぁ。ずっとまともに会話できなくて寂しかっただよ。あ、ほかの御者だか? えっとほかの奴らは――』
『シャルロッテ様! シャルロッテ様!』
会話を遮るようにどこからか呼ぶ声がした。
反射的に振り向くが後ろには誰もいない。
わたくしの仕草にお義兄様が反応して周囲を警戒する。
「シャルロッテ、どうかしたか?」
「あ、いえ。誰かに呼ばれたような気がして。空耳だったみたいです」
いろいろあり過ぎて、きっと疲れているのかもしれない。
話を中断したので、御者に向き直り謝罪する。
『ごめんなさい。誰かに呼ばれた気がしたのです』
『呼ばれただか? いや、馬が鳴いただけだが』
『シャルロッテ様! シャルロッテ様!』
『あ、ほら! また呼ぶ声が聞こえます!』
『あはは。お貴族様には馬の声が呼んでるように聞こえるだか?』
呼ばれた。
明確に名前を呼ばれた。
あれが、馬の鳴き声のはずはないのに。
ユーリアスお義兄様に「お馬の声でした?」と尋ねると小さくうなずかれてしまった。
わたくし、相当疲れているのね。
早く帰って寝たほうがいいみたい。
さっさと御者の休憩所を聞いて帰ろう、そう思ったときだった。
『シャルロッテ様、私はお嬢様の馬です!』
また聞こえた。しかも声の主は自分がお馬だと言うではないですか。
『こちらです。シャルロッテ様!』
まさかと思いながらも声のする方へ振り返る。
すると信じられないものを目にした。
二台隣りの馬車のお馬がこちらを向き、声に合わせて口を動かしているのだ。
「お、おおおお義兄様っ! 一緒に来てください!」
ユーリアスお義兄様の手を取ると、こわごわそのお馬に近寄る。
お馬の顔には見覚えのある大きな傷痕があった。
そのお馬がわたくしへ語りかけてくる。
『お嬢様、当家の馬車はこれです』
お馬の口から出る音ではない。
まるで人の声のように聞こえる。
『お馬さん、言葉が分かるの?』
『ああ! お嬢様とこうしてお話しができるなんて夢のようです!』
わたくしの頭がおかしくなったのかしら。
お馬が自ら馬車のありかを教えてくれるなんて。
半信半疑ながら馬車を確認するとバーナント家の紋章がある。
確かに自分たちの馬車だった。
『わたくしが分かるのですか?』
『私はお嬢様と一緒に昔のお屋敷から来たお馬です。お嬢様に大事なお話があります!』
ユーリアスお義兄様はバーナント家の馬車をわたくしが見つけて驚いたけど、どうやら彼にはお馬の言葉が分からないらしい。
「お義兄様。もしかして、お馬が言葉を話せるのではなく、わたくしがお馬の言葉を話せているのかもしれません」
「こ、これまで動物の言葉を理解できたことは?」
「たぶん……ありません」
「するといまが初めてか。さっき、異国の御者と話すために通訳魔法を使っていたな。通訳魔法とはどんな魔法なんだ?」
「ピンク色をした魔力の輝きが周囲を包むひとときだけ、異国の言葉を理解したり話したりできます」
「人間相手以外に通訳魔法を使ったことは?」
「ありません。ずっと室内で貿易交渉の際に使ってきたので……。あ、ディアナ様と庭でお茶会をしたとき、異国から来た女の子との会話で不思議な声を聞きました」
「……もしかして、通訳の相手は人以外でも可能なのかもしれない」
「人以外って、動物と会話ができるのですか?」
「分からない。試しに通訳魔法を解除して、馬と話してみて欲しい」
言われた通りにすると、急にお馬の声が「ヒヒン」や「ブルンブルン」という鳴き声にしか聞こえなくなった。
どうやらわたくしの通訳魔法は外国語が話せるだけでなく、動物を含めたいろんな相手の言葉を通訳できる魔法だったらしい。
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