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その十六

 サンドラ様をひと睨みしてから声を出そうとした。

 しかし、何かが一瞬視界を遮って同時に顔へ軽い衝撃が走る。


「いま、鼻に毒虫がいましたよ」

「え、どく虫?」


 違和感があって顔を触るとあるはずの物がない。

 床に落ちた伊達眼鏡が視界に入る。

 サンドラ様は手に持った扇子を大げさに広げた。


「毒虫がいた気がしたので払ってあげましたわ」


 はたかれた。

 扇子ではたかれて伊達眼鏡を落とされたのだ。

 暴力的な振る舞いにぼう然としていると、サンドラ様との間に中年男性が割って入った。

 途端に嫌な記憶がよみがえる。


 目の前の中年男性を知っている。

 辺境伯位をさん奪し、わたくしとお母様をウォルタナの屋敷から追い出したサンドラ様の父親、叔父様だ。


「さすが、ぼ、僕の娘のサンドラだ。兄は領民を甘やかしていたからね。ぼ、僕の方が領主としてふさわしいんだ」

「ええ。お父様はちゃんと私の言う通りにするものね。前の領主よりずっといいわ」


 ふたりのあまりの言いように思わず反論する。


「ち、違います。前の辺境伯は領民のやる気を引き出して、活気に溢れた領地を実現していました!」


 叔父様はわたくしの言葉に口ごもって困ったようにサンドラ様を見る。

 するとすぐにサンドラ様が叔父様の前へ出た。

 まるで保護者が逆だ。


「何が活気に溢れたよ。平民なんて限界まで搾り取って、税収をあげるだけの存在でしょ。貴族に貢献させる以外に価値なんてないじゃない」

「領民あっての領地、国民あっての国家だと思います!」


「はあ⁉ 綺麗ごとで領地経営なんてできないわ! だいたい前の領主が死んだのが悪いのよ。グランデ王国の財政を支える鉱山を持ってるのに、安全管理を怠って勝手に死ぬなんて罪だわ」


 安全管理を怠ったのはそうかもしれない。

 責任ある立場で急逝したのもそうかもしれない。

 そうかもしれないけど、お父様は仕事に邁進した結果、不幸にも命を落としたのだ。

 あの日だって鉱山の視察で事故にあったのに。

 それを罪だなんて。


 お父様の死を批判され心が乱れる。

 暴論に反論したいが、心の支えの伊達眼鏡はサンドラ様の足元に落ちてしまった。

 わざわざ彼女に頭を下げて拾うのがためらわれる。

 わたくしが次の言葉を飲み込んで黙っていると、サンドラ様が続ける。


「私の父はね、国王の命を受けたから、元領主が中途半端に残した仕事をやってあげているのよ?」

「中途半端だなんて、そんな……」


「私たちにどれだけ迷惑をかけているのか分からないの?」

「め、迷惑なんてかけてないです」

「あなた! 死んだ父親の代わりに、娘として私たちに謝罪しなさいよ! 尻ぬぐいをさせてすみませんと! 申し訳ありませんと! さあ早く!」


 腰に手を当ててサンドラ様が謝罪を要求する。

 横にいる叔父様は、その様子をさも得意げに眺めていた。


 さすがにここまで話せば、まわりの令嬢たちも前領主がわたくしのお父様だと気づく。

 この場にいるみんなから視線を浴びた。

 頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。


 領民を侮辱された。

 死んだお父様の功績を否定された。

 あまつさえお父様の不幸な事故死さえ罪だとののしられた。

 最後にはみんなの前で謝罪まで要求される始末。


 体が震えて反論の声が出せない。

 お父様やウォルタナの領民を侮辱されて怒りが湧き上がる一方、伊達眼鏡を飛ばされ、植えつけられた彼女へのトラウマが肥大化して正面からふたりを見られない。


「どう? 大切な領地を奪われた気分は。あはは。私、いまとっても気分がいいわ」


 サンドラ様は沈黙するわたくしを挑発するように、手の甲を口に当てて笑った。


「さあ、早く謝罪しなさいよ! 領地を任せてすみませんと。ほら早く!」


 彼女を乗り越えようとパーティへ来たのに、結局何もできない。

 心を奮い立たせて敵陣に踏み込んだけど、ただ涙で視界がにじんだだけだった。


 わたくしは、涙を流す姿を彼女らに見られるのが嫌で、床に落ちた眼鏡を放置してその場から逃げ出した。



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