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その一

※冒頭の状況は作品名と違うようにみえますが、作品名の回収は確実にされます。

 ひと月前、辺境伯であるお父様が馬車の事故で亡くなった。

 鉱山視察からの帰り、道に転がる落石に気づかず客車が乗り上げて横転、その拍子で乗っていた客車ごと谷へ転落したそうだ。


 お父様の遺体はきれいで、とても信じられなくて。

 転落による出血は拭き取られていて、生き返るのではと思わせた。


 葬儀からひと月後、お父様の弟である叔父様と娘が先ぶれもなく屋敷に来てこう言った。


「ぼ、僕が辺境伯になった。君たちは屋敷から出ていけ。は、早く荷物をまとめろ」


 すぐ理解できなかった。

 この見るからに頼りない叔父様は一体何を言っているのかしらと。

 お母様が叔父様に質問し、激高し、そしてすがりつく。

 その一部始終を見ていたわたくしは、徐々に事態を飲み込んだ。


 亡くなったお父様の爵位は辺境伯……。

 ま、まさか叔父様がさん奪した⁉


 なんと彼は、わたくしが一年後に承継するつもりでいた辺境伯の爵位にすでについたと言うのだ。


「叔父様、お待ちください。正当な後継者は娘のわたくしです」

「な、何言っても無駄だ。国王陛下は、ぼ、僕を辺境伯に指名したのだからな」


 数年前からお父様の名代として、貿易上の実務問題に対する調整などをこなして、ウォルタナ領の繁栄に貢献していると胸を張っていた。

 将来は爵位を承継して女辺境伯となるつもりだった。

 婿をとって領地経営を任せ、女性ながらに外交の仕事をする気でいた。


 だけど、お父様は急逝した。

 それですぐにでも自分がウォルタナ領を治めると、そう覚悟を決めたばかりなのに。


「お父様が亡くなってすぐ、わたくしが一年後に成人するまで爵位を凍結したいと、陛下へ書状で申し入れましたよ」

「え、そこまでしてたの⁉ フ、フン。君のような小娘が、この大領地ウォルタナ領を治められるはずがない。ぼ、僕がそうガビン第二王子に説明したんだ」


 ウォルタナ領は鉄鉱石が取れる鉱山を所有する。

 鉄鉱石は鉄の原料で、鍋やフライパンなどの鉄製品はもちろん、剣や槍などの武器製造に欠かせない鉱物資源だ。


 ゆえにグランデ王国にとってウォルタナ領は、軍事を支える重要な役割を担っている。


「ウォルタナを治めるのがわたくしでは不足だとガビン第二王子へ説明した、ですって⁉」

「いくら直系世継ぎとはいえ、君はまだ十七才だよ。ウォルタナ領は鉱山を抱えるだけでなく、隣国との貿易拠点だし。ぼ、僕でも不安なのに、十七才の娘が貿易なんて無理だと思う」


「わたくしはこれまでずっと、貿易で父の仕事を手伝っています!」


 後へ引かずに反論すると、叔父様は一歩下がってタジタジとなった。


 本当にこの頼りない人がガビン王子殿下に直訴したのでしょうか?


 すると叔父様の後ろに控えていた令嬢が前へ出る。


「しょうがないわね。私が説明するわ」


 彼女は叔父様の娘で従妹のサンドラ様。

 赤い髪に赤い瞳の女性。

 金髪に紫の瞳のわたくしとは従妹なのに似ても似つかない。

 それに同じ年頃なのに人のことを下にみて、口元に手の甲を当ててあざ笑ってくるので苦手、というかできれば会いたくない相手。


 わたくしは急いで眼鏡を探した。

 別に目は悪くない。

 ただ彼女のように敵対してくる相手と口論するなら、戦闘モードになるために眼鏡が必要となる。

 なぜか。

 わたくしはかなりの童顔で、来年成人して十八歳になるのに初対面だと子供に間違われるほど顔が幼い。

 隣国との交渉に初めて同席したとき、舐められて悔しい思いをした。

 以降はどんな交渉のときも、年配教師がするような細いレンズの伊達眼鏡をかける。

 少しでも大人に見えるように。


 ところが叔父様たちがいきなり押しかけたので、手元にその伊達眼鏡を用意していない。

 わたくしは幼い顔を隠す眼鏡という手段に依存ぎみで、無いと自分に自信が持てないのだ。


 眼鏡が見当たらない。

 どうしよう。

 無いと童顔が隠せないのに。


 急に不安になって、何を言われるのかと身構えた。


「ここは王国の軍備にとって重要な領地。なのに領主は不在でしょ?」

「いまは……そうです」


「それでは他国からの侵略もあり得ると王子殿下にご説明したら大変ご心配されたの」

「王子殿下の不安を煽るなんて!」


「そこで領地運営の計画書を作ってとうとうとご説明したのよ。そうしたら王子殿下が計画書をグランデ国王へ上申してくださったわ。だからお父様が辺境伯位を叙爵されたの」

「……それでさん奪できたのですか」


 サンドラ様が「ウォルタナ領を一年間も領主不在にしては、軍事にも影響して国家の大事に至る」と叔父様に言わせて、国政で実績を出したい第二王子を利用したのだ。

 王位継承権を得たい第二王子はそれにまんまと引っかかり、国王陛下にあれこれ上申したらしい。

 そして彼女の狙い通りに叔父様が辺境伯になったということのよう。


 これで合点がいきました。

 そういうことなのですね。

 だけど、どうにも違和感が。

 このふたりは治政に関心などなさそうなのに。

 ただ辺境伯の爵位が欲しかっただけ?


 叔父様やサンドラ様とはずっと疎遠で、ひと月前のお父様の葬儀で久しぶりに会った。

 いまも家族で王都の屋敷に住んでいると聞いている。


 弟に生まれた叔父様の人生は、彼にしか分からない悩みがあったことだろう。

 そして将来お父様の爵位を承継するわたくしが生まれて、彼の役目は希薄なものになった。

 わたくしが病気や事故で命を失わない限り、もう彼の役目はないのだから。


 そんな運命だからか、持って生まれた性格か、叔父様はとても猜疑心が強くて、娘のサンドラ様以外は信用しない。

 サンドラ様のお母様はそんな叔父様に愛想をつかして出て行った。

 だから余計に叔父様は彼女の言いなりになっているようだ。

 その叔父様が屋敷を出て行けと要求するのも、サンドラ様がそれを要求しているからに違いない。


「早く出て行きなさいよ! この屋敷が王国から辺境伯に貸与されてること、知ってるでしょ? もうあなたの住む場所じゃないんだから」

「でも、サンドラ様はここに住まずに王都へ戻るのですよね?」


「私が住む住まないは関係ないのよ」

「え、それはどういう……」


 彼女は胸を少し反らせて手の甲を口に当てるとケラケラと笑った。


「私って、人の大切なものを見ると無性に奪いたくなるの」

「そんな……」


 サンドラ様が愉快そうに口の端をあげる。


「さあ、早く出て行きなさい!」

「き、急に言われても困ります」


 いくらこちらの分が悪くとも交渉して猶予を引き出せばいい。

 それは分かっている。

 けど、いつもの眼鏡がないせいか不安でどうにも強く出られない。


「では特別に明日まで待ってあげるから感謝なさい! だけど明日には絶対に出て行くのよ!」


 彼女は恩着せがましく言うと、わざとらしくため息をついた。


「まったく。領地が手に入ったはいいけど、ここは本当にド田舎ね。つまらない場所だわ。税収だけはあるからいいけど」

「いま、つまらない場所って言ったのですか?」


 わたくしが聞き返すと、彼女はバカにするように手の甲を口に当ててケラケラと笑う。


「ええ。すっごくつまらない場所ね」


 愛する故郷を悪しざまに言われて、体の奥が煮えるような錯覚におちいる。


 こんな、こんな人がわたくしの従妹だなんて!


 それでも言い返せなかった。

 お父様を失い、辺境伯位をさん奪されて立ち退きまで要求されている状況で。

 わたくしには何もできない。


 ただ黙って唇を噛んだ。


 なぜ彼女は、わたくしに屋敷を出て行けと、この家の主人のように振舞えるの?

 なぜ彼女は、お父様を失って悲しむわたくしを楽しそうにあざ笑えるの? 


 そんな彼女に対して、逃げだす以外にできない自分が許せなかった。

 眼鏡がないくらいで何も言い返せなくなる自分が情けなかった。

 言われるがままに荷物をまとめている間も、自分への怒りで震えが止まらない。

 親しかった使用人たちからは距離を取られた。

 会話すらまともにできない。

 たぶん、わたくしたち母娘との接触を禁止されたのだ。


 翌日、持ち出しを許された衣服と個人所有のわずかな貴金属だけを馬車へ積み込む。

 ケチな叔父様は、なんとか一頭だけお馬を連れて行くことを許してくれた。

 それでも一番価値が低いお馬を選んだのだろう。

 お馬の顔には治りかけの大きな傷跡があった。

 まるで刃物を切り付けられたような深い傷跡。


 お父様の馬車の事故は、このお馬が知らせてくれた。

 客車を引いていたこのお馬が顔から血を流しながら単独で屋敷まで帰ってきたのだ。


「あなたにも苦労をかけますね」


 傷を触らないように優しく撫でると、お馬は小さくぶるると反応した。

 お母様と客車に乗り込んでいよいよ屋敷を離れようとしたとき、空に広がる真っ黒い雲から大粒の雨が降り始める。


 でも誰も濡れずにすんだ。

 それは、見送りがひとりもいないから。


 馬車は王都へ向かって土砂降りの中を進む。

 昼間なのに雨雲でとても暗いうえ、雨のしぶきも酷くて街道の先はほとんど見通せない。

 客車で揺られながら悔しさが込み上げ、手袋をした右手で伊達眼鏡を強く握る。


 もう眼鏡は常に手放さないようにしよう。


 叔父様の横で愉快そうにあざ笑っていたサンドラ・ウォルタナ様の顔が浮かぶ。

 同じウォルタナ姓でありながら似ても似つかない同じ年頃の赤い髪の令嬢。

 その姿が、わたくしの脳裏に焼きついて離れなかった。


「早く出て行きなさいよ! この屋敷にはもう、あなたの住む場所なんてないんだから!」


 彼女も叔父様も王都に住み続けるらしい。

 ウォルタナには様子を見に来ただけだと言っていた。

 誰もあの屋敷に住む気などないのだ。


 言い返せばよかった。

 どうしてわたくしはあのとき言い返せなかったの?


 王都への道中でたびたび彼女のことを思い出しては、お母様の胸で泣いた。

 このつらく悲しい出来事は、お父様を亡くして落ち込む心へさらに深い傷を残した。



※次話、引く手あまたの美麗なお義兄様登場です!

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