第8話「炎上準備」
第8話「炎上準備」
■真壁慎一視点
復讐計画の第八段階は、「信頼」という虚構を崩す作業だった。今回の標的は、加害者D——新井悠斗。薬物依存と精神の不安定さが、彼の最大の弱点であり、同時に慎一にとって最も“操作しやすい”要素だった。
だがその前に、舞台装置の準備が必要だった。慎一は地下の書斎で、かつて自分が通っていた精神科のデータを再構成していた。
「奴のカルテ……どこから歪めれば、最も自然に崩れるか」
彼の視線は一つのファイル名に止まった。
《カルテファイル名:悠斗_医療ミス_精神安定剤過剰投与》
■AIによる解析と改竄
慎一は量子サーバーの「カルテ再構成モジュール」を起動。診断記録と薬剤処方履歴の矛盾をAIが自動検出する。標準的な投薬量を逸脱した数値、診断名の不一致、投薬履歴と行動記録の齟齬。
それらをもとに、慎一は新井悠斗が“実際には必要以上の処方を受けていた”という仮説の元に改竄カルテを作成した。
ファイル名には「量子解析待ち」のタグが添えられていた。
「事実と嘘の境界線をあえて曖昧にする。それが、“揺さぶり”の第一歩だ」
■闇カメラの設置
慎一は、新井の自宅近くにあるゴミ収集所に、小型のカメラを設置した。設置したのは、通常の監視カメラに見せかけた“未来技術のレンズ”を内蔵した特殊仕様。
それは低光量でも高解像度で映像を記録でき、しかも撮影中のレンズは赤外線でも検出されない。レンズの内側には、未来の軍事技術で使われていた“位相反転レンズ”が使われていた。
「映ることのない光。それこそが、真実を照らす」
カメラは自動で動作を開始し、新井の行動パターンを記録し続けた。ときには深夜に裏口から出入りする姿、ときにはコンビニで不審な荷物を受け取る様子。
慎一はその一つひとつを切り取り、動画として保存した。
■薬物取引の証拠構築
AIが解析したのは、受け取った荷物の包装紙に残された粉末の痕跡。それを画像処理ソフトが分析し、過去の薬物データベースと照合。そこには、合成麻薬の一種と一致する成分構造が示されていた。
さらに、慎一はSNSのダークグループにおいて、新井が別名義で投稿していた形跡を発見した。ユーザー名「HelixYuto」。投稿内容は、薬物の感想や購入先のレビューだった。
「これを“リンク”すれば、新井悠斗という個人に帰属する証拠になる」
慎一は、自動Botを動員して「HelixYuto」に関する投稿を拡散。過去の記録と照らし合わせる形で、“誰もが気づくはず”の形へと変換していった。
■心理崩壊の誘導
新井の行動に変化が見え始めたのは、それから三日後のことだった。講義中、彼は突然席を立ち、誰もいない教室の隅で壁を見つめるようになった。
「見られてる……」
その言葉を、慎一の眼鏡マイクが捉えた。
AIは新井の音声から“恐怖反応”“被害妄想”の傾向を抽出し、精神的パニックへの進行度を数値化。現在は“臨界前”であると判断された。
慎一は、新井が何も知らぬまま、自ら“逃げ出す”までの工程を作り上げるための最終調整を行った。
■記憶と断片
夜、慎一は記録を整理しながら、机の上に一冊のノートを広げた。そこには、未来の自分が書いたとされるメモがあった。
『薬物の証明は“痕跡”よりも“行動”に出る』
そして、隅にこう添えられていた。
『火を使うな、光で照らせ』
慎一は、次に新井が受け取る予定の荷物の追跡コードを、郵便局のシステムから取得し、事前に警察の匿名通報システムに「危険物の可能性」として提出した。
「通報者は“誰でもない”。だからこそ信じられる」
■静かなる炎上
SNSでは、新井のハンドルネーム「HelixYuto」が関連付けられた投稿がジワジワと拡散していた。Botが生成したスクリーンショット画像付きの投稿には、彼が書いたとされるレビューが明確に映っていた。
「効き目は即効性があるが、少量で十分。過剰摂取には注意」
「前回より純度が高かった。供給元変えた?」
それらの投稿は、あくまで“過去のスクリーンショット”という体裁で、否定も肯定もされないままユーザー間で共有されていく。
慎一はそれを観察しながら、静かに言った。
「火を点ける必要はない。空気が乾けば、自然と燃え始める」
■父の影と未来
その夜、慎一はふと、父の形見である腕時計を取り出した。カチカチと時を刻む音が、深夜の静寂の中に溶け込んでいく。裏蓋には、かつて彼が密かに埋め込んだ量子デバイスが存在していた。
その構造は、未来で開発される予定だった情報記録モジュールで、僅かな衝撃や温度変化に応じてデータを保存・送信できるという機能を持っていた。
慎一は、あの時父がなぜこの腕時計を残していたのか、その理由を思い始めていた。
「偶然なんかじゃない。父もまた、“未来”に触れていたのか?」
その考えが確信に変わった時、慎一の視線は再びデータ端末に向けられていた。
■カウントダウンの始まり
AIが通知を出した。
《新井悠斗:精神不安定指数 82%》
《推定行動:授業放棄・外部逃避傾向》
慎一はカメラの録画をオンにし、教室棟の出入りをリアルタイムで記録。画面には、うつむき、周囲を警戒しながら早足で歩く新井の姿が映っていた。
それを見ながら、慎一は呟いた。
「準備は整った。“次”は、照らす番だ」
■拡散の導線
慎一は、HelixYuto関連の投稿群に対して、自動拡散スクリプトを走らせた。投稿の形式は日記風、報道風、そして匿名の“被害者”視点を装ったものまで多岐に渡る。
例:
『この前駅でヤバい男見かけた。ポケットから白い粉っぽいの落ちて、慌てて拾ってた』
『HelixYutoってアカウント、今じゃ見れないけど前にドラッグの話してた。怖いよな』
そして、それらの投稿の中に、さりげなく花束の猫イラストが映り込んだ写真を紛れ込ませる。
『あの人がいた場所に、誰か花を置いてた。カードには猫の絵が。なんか、守られてる気がした』
善と悪。曖昧な境界。そのどちらにも属さない記憶の断片が、見る者に印象を残す。
■闇と光の交差点
その夜、慎一は最終チェックを行いながら、呟いた。
「悠斗、お前はきっと“理解者”を求めていた。だが、選んだのは薬だった。ならばその先は、俺が用意してやる」
量子サーバーの冷却装置が唸り、画面には次の指令が表示された。
《対象E:準備フェーズ開始》
慎一は深く息を吐き、眼鏡の録音機能を停止した。
だが、すべての記録は、すでに保存されていた。
■明日への装填
翌朝、慎一は学内のベンチに座りながら、スマートウォッチに届いたBotの解析ログを確認した。
《HelixYuto 関連投稿:拡散指数 132%増》
《疑似証言反応:感情認識=不安・軽蔑・恐怖》
《花束画像:共感値評価 89%》
慎一はログを閉じて、カバンに手を入れた。そこには、次の証拠ファイルが入ったUSBメモリが光っていた。未来技術の元素記号が刻まれたそれを指先でなぞりながら、彼は言った。
「次は、加害者E——高瀬直樹。お前の虚飾を、すべて剥がす」
風が吹き、花壇の花が揺れた。その一瞬の光景を、慎一の眼鏡が静かに記録していた。
第8話「炎上準備」終わり