第11話「新戦場」
第11話「新戦場」
■真壁慎一視点
シンガポール——赤道直下の都市国家。高度な経済システムと徹底した監視社会。慎一にとって、ここは単なる“逃亡先”ではなく、新たなる“作戦本部”だった。
到着直後、慎一は空港のイミグレーションを抜け、到着ロビーの大型スクリーンに目をやった。そこには「量子通信可能圏内:接続端末を確認してください」という表示が流れていた。
彼は微かに頷き、胸ポケットから量子通信端末を取り出した。それは、保険金で購入した高機能端末で、未来規格に対応したものだった。
「通信も情報も、ここでは“制約”ではない。むしろ、“武器”として使える」
■新拠点の構築
慎一が契約した高層マンションは、セントーサ島を一望できる海辺に面していた。室内にはセキュリティ用のAIカメラ、暗号化済みルーター、遮音性の高い窓、そして天井裏には小型の量子プロセッサが設置されている。
彼はまず、持ち込んだUSBメモリをセキュアサーバーに挿入し、復讐計画の全データを分割保存した。すべての記録には、再構築不能な分散鍵がかけられている。
「ここからは、“見えない戦い”だ。誰にも手出しはできない」
■時間のズレ
慎一はふと、自分の腕時計に目をやった。現地時間より、2分だけ進んでいた。これは、日本を離れる際に意図的に設定したズレだった。
「2分先に動く。未来を“先取り”するという意味だ」
彼の行動原理そのものを象徴するズレだった。
■最初の接触
シンガポール到着から2日目、慎一は新たな“武器”の供給源を探るべく、現地のダークウェブにアクセスした。そこには、かつて日本で取引していた“クロ”の同業者と思しき情報屋が存在していた。
《HN:Q-Chimera》
やり取りは即座に始まる。
《Q-Chimera:日本からの移動者か。お前の噂は、こっちにも届いてる》
《Makabe:なら、話は早い。次の標的は国際的な影響力を持つ。協力してもらう》
慎一は、次なる段階が「司法・行政構造の再編成」に及ぶことを暗示していた。
■再構成の布石
慎一は、世界中の司法データベースを閲覧可能な“ゼロ知識証明型AI”を起動した。これは、情報を保有しながら“証明のみ”を提示できるシステムであり、告発において“身元を明かさず証拠を提出する”ための最強ツールだった。
まず対象としたのは、加害者たちの親が行ってきた違法献金、脱税、架空資産登録の記録。
慎一は、それらの情報を“解析ログ”としてまとめ、国際ジャーナルに匿名で投げた。
《送信先:GlobalDataFreedom.org/カテゴリー:司法汚職/匿名証明:ZK-2045》
「正義は不要だ。ただ“事実”だけが、社会を動かす」
■情報という名の審判
数日後、ジャーナルのトップ記事にこう掲載された。
『複数国籍を利用した脱税スキームが露呈——政治家・医師・企業家を巻き込む連鎖構造』
SNSでは“日本の特定地区”がトレンド入りし、慎一のBotは“偶然”を装って関連投稿を散発的に拡散し続けた。
画面には、慎一が作ったマップが徐々に“現実”として広まる様子が映し出されていた。
■孤独という装備
その夜、慎一はマンションのバルコニーに立ち、遠く光るシンガポールの夜景を見つめた。背後では、量子サーバーが低い唸りを上げながら動作している。
彼の手元の腕時計が、また1秒、未来へと進んだ。
「俺は、まだ“戦場”にいる。だが、もう“追われる側”ではない」
眼鏡を外し、空を見上げたその時、慎一の瞳には確かな決意が宿っていた。
■量子ネットワークの先へ
翌朝、慎一は量子通信端末を起動し、未来規格に準拠した新たな分散型プロトコル「QNet-Alpha」に接続した。このネットワークは、現在のインターネットとは異なり、個人情報を持たずに取引と通信が可能な次世代構造だった。
慎一はそこに、特定ワードを暗号化した形で記録した。
『復讐完了ログ』『ターゲット一覧』『政治献金の証明図』『遺言解析データ』——それらは、もし慎一が不在になったとき、自動で発信される仕組みとなっている。
いわば、彼自身の“死後の制裁”だった。
■新たな資金操作
慎一は次に、仮想通貨のウォレットを開いた。日本国内で運用していた資産はすべて国際ウォレットへと移動済みで、その中には既にNFT化された証拠画像や録音データが組み込まれていた。
彼はそれらを、シンガポールのブロックチェーン銀行のサブアカウントに割り当て、AIにより自動的に分散出資される設定を施した。
「“人”が金を動かす時代は終わる。次は、“記憶”が資産を動かす時代だ」
■初の来訪者
マンションに設置されたセキュリティカメラが通知を発した。インターホンの前には、地元の清掃員と名乗る男が立っていた。慎一は警戒しながら映像を解析し、服の隙間から見える電子通信タグを検出。
《タグID:Gov.SP.Crypto-Observer》
彼は政府系の監視エージェントだった。
「やはり、もう目をつけられたか」
慎一は即座にアクセスログを遮断し、映像データの送信を遮断。AIは即座にフェイク映像を挿入し、無害な映像に差し替えた。
慎一のマンションには、誰も入っていないことになった。
■記録の裏側
夜、慎一は再び過去の記録ファイルを見返していた。父の事故、いじめの映像、燃える家、猫と花束、量子サーバーの起動音、眼鏡に記録された囁き声。
それら全てが、彼の中に深く刻まれていた。
そして思った。
「これが、“記録”という名の復讐。その総仕上げが、次の段階だ」
■量子メールの送信
慎一は、かつての自分が使っていたプロトコルに従い、特殊な量子メールを作成した。宛先は存在しない未来のアドレス——“guardian@quantum2045.net”。
本文にはこう記されていた。
『このデータは、君に届く頃にはただの記録だ。だが、記録とは、未来の礎になる』
添付されたファイルは圧縮された復讐記録の一部。それをあえて“未完成な状態”で送ることにより、第三者が関与しようとしたときに必ず“解釈”が生まれる設計だった。
「記録そのものではなく、解釈が“力”になる」
■再起動された時間
マンションの天井に設置された量子時計が、ついに“2030年型”に同期された。それは日本の時間とは完全にズレた存在であり、慎一が“現在”という枠組みを脱却するための象徴だった。
その時刻は、慎一の腕時計より“さらに2分”進んでいた。
「俺は、誰よりも早く“次”にいる」
■無音の宣戦布告
シンガポールの夜景を背に、慎一はマンションの暗室に入った。そこでは、プロジェクタが一つのホログラムを映していた。
“再構築計画:司法システム編成案”
そこには、加害者たちの全記録を含めた裁判モデルと、冤罪防止・判例保存・証拠整合AIの設計書が描かれていた。
彼は、自らの復讐を“新たなシステムの原型”へと変えようとしていた。
「次は、裁く側を——再構築する」
第11話「新戦場」終わり