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くまをきる  作者: 久慈望
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 さるは良くしゃべるし、気も回る。


 現在は商社の営業マンとして働いている。かつては起業して社長という地位を得たが、自分には経営の才能がないと判断して会社をたたんだ。営業成績が優秀なため会社からも放任されていて、基本的に会社に戻らず、街中を飛び回っている。営業先の会社からいい待遇で転職しないかという話も来るが、ずっと断っている。


「人と話すのが好きなくせに、人と一緒に何かをするってことができないのよね。相手の気持ちがわからないというか。人に指示は出せても、部下の力量とか、限界とかがわからないから、人が付いてこないんだと思う。でも、一緒に飲む分には、とっても楽しい人」


 とドラゴンはさらりと厳しいことを言う。


 ひつじはとても自己評価が低い。


 結婚願望が強く、婚活サイトを一時期利用していたが、結婚までには至らず、やがてやめてしまった。知識は豊富で人柄も温和。仕事のことは自分から話すことはないものの、立ち振る舞いや服装などを見ると、高給取りあることは確かだ。にもかかわらず、婚活だけはなぜかうまくいかない。今はこのバーだけが楽しみだという。


「これはたぶんなんだけど、いい人で終わっちゃうのよね。婚活を必死にやっていたころって荒れて大変だった。とにかく結婚しなきゃって気持ちが強かったみたいでね。今はずいぶんと落ち着いて、あの頃より話しやすい。今だったらもしかしてって思うけれど、本人はもう諦めてしまったみたい」


 私も求婚されて断ったの。悪い人ではないんだけれどね、と声を抑えてドラゴンが付け加えた。


 にわとりはいつも鍛えている。


 昔はひょろ長い体をしていたらしい。どちらかと言うと大人しい性格で、休み時間に一人でずっと本を読んでいるような高校時代を送った。大学に入り、一念発起して鍛え始めると、それが楽しくなってきて、毎日のようにジムへ通っている。バーが開いていない日は、ジムが閉まるまでずっと鍛えているようだ。


「前に色々と話を聞いたことがあったんだけどね。どうも自分の容姿にコンプレックスがあったみたい。それで、これは言わないでって言われているんだけれど、大学時代に好きになった子がいて、それがきっかけになって鍛え始めたんだって。見た目に似合わず可愛いところがあるでしょ」


 ドラゴンはそう言ってフフッと笑った。


 さかなは何かに迷っている。


 仕事は不明だが、とにかくお金は持っているようで、普段店ではコークハイばかりを頼んでいるが、たまに高価な、それこそ数十万もするような高級な酒を常連全員におごったりする。自分から喋っていることもほとんどなく、表情の変化もあまりない。さるやひつじに話しかけられると、その時は、少しだけ笑う。


「たぶん、育ちが良いのよね。立ち振る舞いとかをみるとね、そういうのがわかるのよ。もしかすると、仕事をしなくてもいいくらい余裕があって、だからああいう生き方ができるのかもしれない。でも、自分の生き方にあまり自信が持てないみたい。それはなんとなく、わかる気がするな」


 こうやってドラゴンは、ぼくに常連の説明をしてくれた。


 けれど、肝心の彼女のことについては、なにもわからなかった。服装や持っているシンプルな鞄、靴を見る限り、何らかの仕事はしていることはわかる。それに、会話の内容や、夜遅くまで店にいることから、結婚しているわけではないらしい。


 独身で、無職でもない。わかっていることはこのくらいで、後は謎に包まれていた。


 ただ、一つ言えることは、彼女はここに集まった誰よりも古株であるということだった。


 ある時、ぼくは彼女に聞いた。


「いつからここに通われているんですか?」


「あ、それきいちゃう? 歳とかバレそうだからあまり言いたくないんだけどな」


「すみません」


 またやってしまった。だからぼくはダメなのだ。


「いいのいいの、冗談。最近、年齢なんてもうどうでもいいって気になってるのよね。ここにきてからだと、三年から四年の間ってところかな。店がオープンしてからすぐ通うようになったの」


 三年以上、となると、ぼくはその時高校生だ。つまりねこは関わっていないということになる。さすがに高校生かそれ以前から仲介業などはやっていないだろう。


 ぼくが一応ねこのことを聞いてみると、


「ねこ? うーんねこだったかなあ。私を誘った人でしょう? あんまり覚えてないけど、もっと鋭かったような……センザンコウ?」


 センザンコウが鋭いという表現はよくわからなかったが、少なくともねこに誘われたわけではなさそうだ。


 話がそこで途切れ、ちょうど小窓が開いて唐揚げがやってきたので、にわとりに唐揚げを持っていく。


 カウンターに戻るとドラゴンが、


「でもねえ、ここって人があまりいつかないのよ。姿はほとんど見たことないけど、ここにずっといるのって、とらさんくらいじゃないかな? 店長は入れ替わっちゃうし」


 と続けた。


「ほかの皆さんはどれくらいなんですか?」


「そうね、おさるさんが一番長いかな。それでも2年半くらいだと思う。その後にひつじさんが来て、にわとりくんが来て、最後にさかなくんが来るようになったって感じ」


「なるほど……」


 通りで貫禄があるわけだ。


「いま、どおりで貫禄があるとか思ったでしょ。やめてよね」


「すみません」


 くまをきているというのに、これだけ読まれてしまうとは、ぼくはいままでどれだけわかりやすい顔をしていたのだろう。


「正直ね。許すけど」


 そこでドラゴンがドライマティーニを口に含んだ。


「みんな長く続かないのよね。私が初めてこの店に来た時も、だいたい同じくらいの年の人がいた。バーに通うのは初めてのことだったから、周りの人に色々と教えてもらったりして、とても楽しかっただけれど、でもねえ、続かないのよ」


 そう言った時の彼女の表情は、少し寂しげだった。


「何か理由でもあるんですか?」


 また、聞いてはいけないことを聞いているのだろうか。けれどぼくはこの場所に興味を持ち始めていた。


「さあ、それはわからない。でもね。ある時が来ると、ここにはいられないって思うらしいの。私は思ったことがないからよくわからないけれど」


 と言い、彼女はもう一口グラスに口をつけた。


「ひとりね、わたしととっても仲の良かった人がいて、言ったのよ『もうやめよう。こんなところに居ちゃだめだ。君もこんなところに来ちゃいけない。ぼくたちは現実に生きてるんだから』ってね。なに言ってんのよ。私には理解できなかった」


 ぼくはその表情を見て、もしかするとその人は、ドラゴンにとって大切なんだんじゃないかと思った。すると、


「おう、たつ姉! いやにしけてるじゃねえか! もっと明るく行こうぜ、くま、酒を持ってきてくれ」


 すっかり酔いの回った赤ら顔のさるが大声で言った。


「そのたつねえってのやめてくれる? 私よりも年上でしょ」


 それからしばらくは、さるのテーブルが会話の中心となった。


 十一時を過ぎ、ひとり、またひとりと店を出ていった。やはり今日もドラゴンは最後まで残っていたが、いつもより酒の量が多く、胴体に続く長い首、そして頭がゆらゆら揺れていた。


「もう帰ろうかな」


 支払いを済ませた後、席を立った彼女は少しふらついていた。


「大丈夫ですか?」


 声をかけてカウンターを出ようとしたが、


「へいきへいき」


 と言ってぼくに手を振り、ぎこちない足取りで扉へと向かった。扉を開き、ぼくの方を振り向くと、


「おねがいだから、すぐにはやめないでね。私、前の店長よりも気に入っているのよ」


 と言って、扉が閉まった。


 ぼくはどうしていいかわからず、彼女を見送ってからも、ぼんやりと立ったままでいた。


 それから、いつものようにとらに閉店を伝え、店の掃除をしてから外に出た。雲が空を覆って、星ひとつ見えなかった。


 どうもひと雨来そうだ。かといって、タクシーを呼ぶ気にもなれず、もし降り始めたらどこかで呼ぶことにしよう、という気になって、少し湿った空気の中を歩き始めた。


 街は相変わらず静かで、人通りも少ないので、飲食店はほとんど閉まっている。ぼくは星もなく、街灯だけが地面を照らす、暗い道を歩いていた。


 ふと、違和感に気づいた。前方、少し離れた街灯の陰に何かがいる。それは人ではないように見えた。うねうねした曲線で、細長いなにかがそこに居た。


 まさか幽霊か、と思ったが、今のぼくにはくまの体がある。いったい何を恐れるというのだろう。


 ぼくはその得体のしれない何かにおびえることもなく、その街灯を通り過ぎようとした。


「君が新しい店長かい?」


 びくっとした。そのかすれた声に反応してそちらを向くと、街灯に照らされてひょろ長いからだがあらわになっていた。


 茶色の体から上下に伸び、うねうねと動く頭と尻尾。その姿はまさしくへびだった。


 頭の先からは鮮やかな色の舌が出たり入ったりしている。


 ぼくは少しだけ考えて、


「そうです。店はもう閉めましたよ」


 と答えた。するとへびは、


「違うんだ。客じゃない。いずれ客として行こうとは思っているんだけれどね。まだ、勇気は出ないんだ。ぼくは臆病者でね」


 とよくわからないことを言った。へびはそのまま黙ってしまい、ぼくはこのまま待っているわけにもいかず、


「そうなんですか。ではまた開いている時間に来てくださいね」


 と言って頭を下げ、ぼくは歩き出した。


 おかしい。ドラゴンの話によると、今の常連は彼女を含めて五人だけだ。へびが居る、なんて言う話は聞いたこともない。


「それで……」


 すぐ後ろで声がした。


「わ!」


 ぼくは驚いて大声を出してしまった。振り向くと、後ろに蛇がぴったりと同じ速度で歩いてきている。


「驚かせてすまないね。ちょっと聞きたいことがあるんだ。歩きながら話でもしようじゃないか」


 無表情でへびが言う。何を考えているのか全く読めない。


「いいですけど……」


 ぼくは得体のしれない恐怖が沸き上がることを感じながら、彼と一緒に歩くことになった。


 けれど、へびは一向に本題に入らなかった。何度か喋りかけようとして言うことはわかるが、結局やめて、黙ってぼくの隣を歩いている。いい加減こちらから何か言うべきか悩んでいたところ、


「あの、りゅうさんはまだいるのかい?」


 へびが口を開いた。


「はい、店が開いているときは毎回」


「そうかあ、あの、もしか、もしかしてね、その、ぼくのことは言っていなかったかな」


 もつれる舌でへびが言う。ドラゴンの知り合いなのだろうか。であれば、常連の名前に出なかったこともうなずける。


「いえ、お聞きしたことはないですね。私もまだ日が浅いので、単に話が出てこなかっただけかもしれません」


 ぼくは丁寧に答えた。知り合いならば、刺激しないに越したことはない。どういった経緯で伝わるかわからないからだ。


「そうかあ」


 へびはため息交じりに言うと、また黙ってしまった。何事かを考えこんでいるように、しばらく鼻先を空に向けていたが、急に口を開き、まるで独り言のように、


「じゃあ聞いていないのかもしれないな。それに人に気軽に話す関係じゃなかったものな。フフ、そうか。りゅうさんは今もテーブル席に座っているのかい? ぼくがいるときは、ずっととり頭と同じテーブルに居てね。少し残念だったが、フフ、彼女は恥ずかしがり屋なところもあるからな」


 このへびはいったい、あの店とどういう関係なのだろう。気にはなったがそれ以上に、得体のしれないこのへびとの会話が、なんだか怖くなっていた。できれば早くこの場を離れたかった。


「いえ、今はカウンター席に座っていますよ。新人の私にいろいろなことを教えてくれます。良い方ですね」


 事務的に答えながら、この状況が早く終わってくれることを願っていた。しかし、ぼくが話している最中に次第にへびの表情が険しくなっていく。


「それはおかしい! おかしいじゃないか! そんなこと、ぼくにはしてくれなかった。君はいったいどうやったんだ! 彼女に何を言ったんだ!」


 へびがぼくにつかみかかり、肩を何度も揺さぶった。


「そんな、だって、ぼくにはなにも……やはり一度、話し合う必要がありそうだ。君にも聞きたいことがあるが、まずはあの人だ。こんなことがあっていいはずがない」


 ひとしきりぼくの体を揺さぶった後、ぶつぶつと独り言を言いながら、へびは去っていった。取り残されたぼくは、呆然としたままそこに立っていた。


 そのとき、頭に水滴が落ちて来た。ぼくは慌てて走り出した。どうもこの雨は強くなりそうだ。ぼくは近くのコンビニに向かって走った。そこで雨宿りをてタクシーを呼ぼうというのだ。


 へびのことは考えなかった。いや、考えたくなかった。

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