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くまをきる  作者: 久慈望
4/12

 ねこの怪しすぎる話に心配していたけれど、着いてみると、指定の場所は普通の雑居ビルだった。


 ぼくが働く予定のバーはビルの地下一階。


 地下に続く階段を覗いてみると、薄暗い階段に明かりが一つだけついていた。


 ぼくは一度後ずさりして、もう一度場所を確かめる。


 階段の近くには、シンプルな黒に白抜き文字の看板が置いてあって“boundary”と書いてある。


「ぼうんだりー?」


 口にしてもいまいちしっくりと来ない。英語は得意でもないので単語の意味だって分からなかった。


 あたりはすでに薄暗くなっている。


 ぼくは意を決して階段を下りていった。


 狭い階段はくまの体では少し苦労する。足元は見えづらいし、ごわごわの毛が壁に当たってしまう。働くことになれば、こんなところに通わなければならないのかと思う。


 扉が見える。古めかしいが、傷もなくやけに真新しく見える。わざと古く作ったような、そんな感じだった。


 扉を開いてみると印象は変わらなかった。


 木目調の壁に囲まれて、いかにも古くからある店といった内装なのに机と椅子、カウンターに至るまですべて黒と白のシックなデザインで構成されていて、周りの木目調とはちぐはぐな印象だった。


 後は特に特筆すべきものもない。いかにも普通な店内だった。


 店内は狭くもないけど広くもなく、四人掛けのテーブル席が三つ置かれていて、奥にカウンター席が見えた。


「おお、来たか」


 カウンター席に、ねこが座っていた。


「階段がせまい」


 ぼくは早速小言を言ってやる


「だから良いんだろう。バーってのはよほど金があるところじゃなきゃ、隠れ家的、みたいなところで売るしかないんだからさ」


「そういうもんかね」


「まあ、とりあえず座ってくれよ」


 ぼくはねこに勧められるまま、テーブル席に座った。


「言われてないけど、履歴書持ってきたぞ」


「ああ、それは良いんだ。判断はすべておれに任せられている」


 まったくうさんくさい話だ。


「まずは就業時間だ。ここは基本的に二十時から二十四時まで、深夜営業はやらない。土日祝日も休む。まずこの待遇からして働きやすいと思わないか?」


「なんでそんな中途半端な時間なんだ?」


「その間にしか客が来ないからだよ。皆仕事帰りに寄って、終電近くまでまで過ごし、帰っていく」


「十二時ってその時間帯にバスはないじゃないか」


「ああ、それなら電車がある。終電はここからでも間に合うし、お前は家から駅までの道を何とかすればいい」


「駅からちょっと遠いんだよな」


「だったら自転車でも買えよ。その分の給料は出るんだからさ」


「横暴だ」


「後で説明するが、ここの時給は悪くない」


「ほんとかよ」


「とりあえず、注意事項に目を通してくれ。目を通すだけじゃなくて必ず守る必要がある。このバーが求めている人材は、経歴じゃなくて、決められたルールからはみ出さないところにあるんだから。そういうのは得意だろう」


「なんだかいやな言い方をするな」


 ぼくはムッとして唸ってやる。


「それは気のせいだろう」


 ねこは無視して、カウンターに置いてあった紙をぼくに渡す。


 ぼくは渡された紙を眺める。そこには、大きく改行された十行の文字が書かれていた。


①店のことを人に言ってはならない。


②店内で商売の話をしてはならない。


③店内で暴力行為を行ってはならない。


④支払いは現金でなければならない。


⑤店内でスマートフォン及び電波を発信する電子機器を使用してはならない。


⑥店内では何らかのどうぶつをきていなくてはならない。


⑦どうぶつはきなければならないが、どうぶつになってはならない。


⑧⑦に関して、例えばいぬをきたものがワンと鳴いてはならない。


⑨店を出るときに決して振り返ってはならない。


⑩一度ここに来ないと決めたものは二度と戻ってきてはならない。


 なんだこれ。


 ①から④まではわかる。現金払いの部分は気になるが、そういう店もあるだろうと思うこともできる。


 けれど、⑤の意味が分からない。一人一台スマホを持つような社会で、この禁止事項はちょっとあり得ないんじゃないだろうか。


 ⑥以降はまったくもって論外だ。意味が分からない。


 なんだよ。ワンと鳴いてはならないって。


 馬鹿にしてんのかよ。


「どうだ? やってくれるか」


「こんな紙一枚を渡しておいて、よくそんなことが言えるな」


「何かおかしいところがあったか?」


「おかしいところだらけだろう。契約書も何もなく、こんなものが渡されて、働きたいって思うやつがいるかよ」


「それがいるのさ。やってみると分かるが、案外楽しいもんだよ。それこそ、お前がくまをきてるみたいなもんだ」


 ねこはわかるようなわからないことを言う。


「へえ、じゃあ聞くが、そんなに良いもんなら、お前がやりゃあいいじゃないか」


「なにをだ?」


「このバイトをだよ」


「だめだ! それは出来ない! そこに書かれた禁止事項のほかにもいろいろとあるのさ。その一つは斡旋や紹介の仕事をやってるものはほかの仕事についてはならないというのがある」


「余計意味がわからない。なんだってそんな禁止事項とやらがあるんだよ」


「それがこのバーの決まりだからさ。今渡した禁止事項の内容は、金持ちだろうが貧乏人だろうが、偉かろうが偉くなかろうが、すべての客と従業員に適用され、無視することは許されない。だからこそ、この仕事は楽だ。誰もルールを破らないし、破ったら二度とここに来ないようになっているからな」


 ぼくは考える。


 とにかくこの店は謎のルールによって運営されているようだ。こんなところで働いて、厄介なことに巻き込まれやしないのだろうか。


「待てよ。ぼくに分かるようにしっかり説明してくれ。そもそも禁止事項を作ったやつが誰で、何の意味があるんだ。それに答えない限り、ぼくは仕事をやる気はないよ」


 なかなか核心をついた質問だ。けれど、ねこは焦る様子もなく涼しい顔をしている。


「決めたのはオーナーだ。男でとある企業のお偉いさんだよ。年齢も相当行ってるんじゃないかな。とにかく彼は、ここを自分の思う通りのバーにしたかった。ただそれだけだ。禁止事項ってのも世の中じゃよくあることだろう。ラーメン屋で先にスープを飲め、なんて決まりを掲げてる店の話を聞いたことはないか? そういうのと同じさ。書類に関してはおれの信用でやってるから、必要なものはすべておれが用意してんだよ。派遣の仕事だって、最低限のことを伝えたら働けるだろ。そういうもんだ」


 ねこが説明すると、なるほど単によくあることのように思えてくる。


 ぼくは騙されているのだろうか?


「ほかに聞きたいことは?」


 ねこがニヤニヤした顔で聞く。


「……ないけど」


「じゃあやってくれるか?」


「ほんとに犯罪とか関係ない仕事なんだよな?」


「なに言ってんだよ。ただのバーの会計係だぞ!? オーナーだってたまにぺんぎんをきる普通の人さ」


「わかった、やるよ。しかし、面倒なことがありそうだったらすぐにやめるからな」


「良いよ。ただ、そんなことにはならないと思うぜ」


「何故?」


「おれの見立てでは、お前はこの仕事に向いているからさ」


「よくわからんな」


「良いんだよそれで。とりあえずやる気になってくれて良かったよ」


 ねこが喜んでいるのがいまいち釈然としていない。ぼくは本当にこの仕事を引き受けて良かったのだろうか……


「じゃあ早速仕事の説明をするか。一応わかってると思うが、まずはレジの説明だ。こっちに来てくれ」


 ねこが立ち上がり、ぼくは後に続いた。


 カウンターの横にあるのは、なんてことのない普通のレジだった。


 これもまた、バーの雰囲気に不釣り合いだ。最近の店では、見えないようにレジを隠すことも多いし、スマホをレジ替わりに使って料金を表示することだってある。おしゃれな店ならなおさらだ。


 それが、ここはあまりにも古臭いレジを使っている、それはもしかすると、禁止事項の現金でなければならない、だったり電子機器を使ってはならない、に引っかかるからかもしれない。


「さて、後は、仕事について最も大切なことを教えなくちゃならない」


「レジだけやってりゃいいんじゃなかったか?」


「まさか。酒はどうすんだよ?」


 言われてみればその通りだ。


「そういえばここには酒が見当たらないな」


 店内を見回してみても、それらしい酒瓶が置いてある棚がない。


「じゃあまずは頼んでみよう。実際にやってみるのが早いからな。飲みたい酒はあるか?」


「おい、良いのかよ。一応面接だろ」


「良いんだよ。おれが良いっていえば」


「じゃあ、カルーアミルク」


「お前そんな甘いの飲むのかよ」


「悪いのか?」


「まあいいけどさ。じゃあそれにしよう。レジの横に記入する用紙があるから、そこに酒や料理の名前を書く。出せるメニューはカウンターの下にリストがあるからそれを確認したらいい。と言っても、常連は基本的に同じものしか頼まないからあまり使わないけどな」


 ぼくはねこの手元を覗く。そこには、カルーアミルクと、トム・コリンズと書かれていた。


 書き終えるとねこは紙を持ち上げる。


「書いたら紙を、ここに持っていく」


 バーカウンターの裏の壁には不自然に突き出ている板があった。今まで気づかなかったが、それはテーブルのようなもので、壁には小さな引き戸がついているようだった。


 ねこは台の上にさっき酒の名前を書いた紙を置き、そして、コンコンとノックをした。


 すると、戸が開いて、小窓から手が突き出て、紙を取った。


 一瞬のことだったが、その手には黄色い毛が生えていた。


「とら?」


 ぼくは呟くように言う。


「この裏に厨房があって、そこでカクテルも料理も作るんだ。だからお前は何もしなくていいってわけだ」


 少し待っていると、戸が開き、酒の乗ったトレイが出てきた。


 やはりとらの手だ。


 ねこが受け取るとすぐに戸は閉まる。


 ぼくはそれをじっと見ている。


「とらは基本的に外にも出ないし、よほどのことがなければ喋りもしない。どんなカクテルも料理も作れるが、人前に立つのだけは苦手なんだ。だからカウンターに立つやつが必要なわけだ」


「あいさつとか、しなくていいのか?」


「する必要はない。挨拶なんて無意味なこと、とらが一番いやがる行為だ。さて、これで仕事はわかったかな? こんな感じで、出てきたものを運べばいいだけだ」


「ずいぶんと楽な仕事だ」


「だから言っているじゃないか。さあ、これで説明は終わりだ。後は飲みながら金の話をしようじゃないか」


 そしてねこがグラスを傾ける。


 ぼくは躊躇する。これを受けてしまったら、それはつまりぼくが働くということだ。なぜかはわからない。仮にどんな給料でも、ぼくはこの仕事を引き受けることになるだろう。


 ぼくは意を決して、グラスを持ち、そして、カクテルを口に含んだ。

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